89:正体露見
気分は良いがそれはそれとして、と思いミカヅキと遊びながら笑顔を浮かべているニッキに視線を向ける。
「おいバカ弟子、後で一時間正座な」
「な、何故なのですか!?」
「あのバカどものことを忘れていた罰だ」
「あ、あれはその……う……うぅ……」
「正座だ」
「……はい」
確かに忘れていたのはニッキなので、何も言えず首を縦に振るしかなかった。
「あはは! ニッキがご主人おっこらせたぁ~!」
ニッキがしょぼんとなっているのを見て、ミカヅキが嬉しそうに指を差している。だが彼女の笑顔も次の日色の言葉で凍ることになる。
「お前もだ、よだれ鳥」
「……ふぇ?」
笑顔のまま固まる。
「さっき、オレが話している時にうるさくした。お前も同罪とみなす」
「そ、そんなぁ! ひどいよご主じぃぃぃぃん!」
「黙れ。やらせると言ったらやらせる。断るなら当分飯抜きだ」
「はい! ミカヅキはやらせていただくであります!」
飯抜きという言葉を聞いて、即座に態度を変える。余程飯抜きが嫌なようだ。
「クイぃ……ニッキのせいなんだからね!」
「違うですぞ。自業自得というものですぞ!」
「ちがうもん! うるさくなったのはニッキがいたからだもん!」
「むぅ……ボクだってミカヅキがいなければこんなことには!」
「あ! それはちがうも~ん! ニッキはご主人にだいじなことをゆわなかったからだも~ん!」
「あ……むむむぅ」
「へへ~ん! ニッキのバ~カ、わすれんぼぉ~」
「う~悔しいですぞぉ!」
そんな二人のやり取りに頬を引き攣らせながら日色は言う。
「お前ら、二時間にしてほしいか?」
すると彼女たちは背筋をピンと伸ばして、
「「もううるさくしません!」」
とても元気よく答えた。
※
日色が部屋から出て行き、彼に言われた言葉の衝撃でしばらく何も話せずにいた赤森しのぶと皆本朱里は、互いに溜め息の数だけが重なっていた。
そしてしのぶは、床に座り込み膝を抱えながら静かに口を動かす。
「……どないしたらええんやろ……」
それは誰かに対して言った言葉なのか、それともただ単に言葉にしただけなのか本質のところは自分自身にも分からなかった。
自分がどうすればいいか答えが欲しかった。誰かに答えて欲しかった。何故ならその方が楽だからだ。特にこの世界に来てからは、誰かの指示に従い、答えを求めて過ごしてきた。
環境がそうさせたと言いわけをすることもできるが、それでも日色が言ったように、その中で自分の意見を持ち、考えて行動することもできたはずだ。それを自分はしなかった。
だからこそ、日色の辛辣過ぎるとも思えるような説教にも、反論することができなかったのである。
そしてその思いは同様に朱里も持っているものであり、言われて気づかされるとは本当に自分が情けなく思った。
日色の言っていることは確かに明確な根拠は無いにしても、正しい……そう、正しいと判断できるものだった。
それは一重に、彼がこの世界を逞しく生きてきたからこそ言える言葉で、説得力があったからだ。
……このままではいけない。
日色の言葉は厳しいものであったが、それでも何となく彼は自分たちの目を覚まさせるために教えてくれたのではと思った。
だからこそ、今自分がするべきことが何なのか、今度こそ自分で考えて答えを出すべきだと彼女は感じた。
「……しのぶさん」
「ん? どないしたん朱……里……っち?」
顔を上げて朱里を見ると、朱里が真剣な表情で見つめていたので思わず言葉が詰まりそうになる。
「しのぶさん、私決めました」
「……決めたって何を?」
朱里の言う話を聞いてしのぶは愕然とした面持ちで固まってしまった。
※
宿屋の外にいた日色たちの元に、『魔人族』の兵士らしき人物がやって来た。
やって来た理由は、今回の戦争で大いに活躍してくれた日色を城へ招待するためだという。
一応戦争が落ち着けば、こちらから呼び出しに使いを送ると、魔王イヴェアムからは言われていた。
落ち着くといっても、まだ獣人たちを国から追い出しただけで、彼らはいまだ国の近くで潜伏しているらしいが、とりあえずの脅威は去ったという。
兵士から話を聞く限り、今は国の周囲に兵士たちを配備して目を光らせているので、何かがあれば即座に動けるようにしているとのこと。
今は比較的落ち着いている状況だということで、日色たちの紹介も含めて城に訪ねて来てほしいというので、日色は兵士について行こうと決めた。
「あ、お前らはどうする?」
日色はリリィンたちに目を向ける。
「えっと……その方たちは、あなたのお仲間で?」
中には『魔人族』に見えない者もいるので疑わしそうに目を向けている兵士。
「一応な」
すると兵士は考えるような素振りをしてから
「それなら問題無いでしょう。もしヒイロ殿に連れの方がいれば、ご案内するようにとも命を受けておりますので」
「そうか。来るかお前ら?」
まず一番にその話に食いついたのはミカヅキだ。
「おしろにしょ~たいって、ごはんはでるの!?」
「え、あ、その……まあ、ご用意はさせてもらっていますが」
「わぁ~!」
兵士の言葉にミカヅキは溢れんばかりの輝きを目に宿している。みっともなく涎も垂らしてはいるが。
「そ、それならボクも行きたいですぞ! お腹ペコペコですぞ!」
便乗するのはニッキだ。
「ふむ、赤ロリたちはどうする?」
「ふん、行くわけがな……」
「ノフォフォフォフォ! もちろん我々は一蓮托生! 是非お供させて頂きましょうぞ! ノフォフォフォフォ!」
「ふぇぇぇぇぇっ! わ、私なんかが行っても!? そ、そそそんな恐れ多いですぅ! で、でででも、一度は行ってみたいですぅ!」
リリィンの言葉を遮るように、従者二人が口々に好き勝手言葉を放つ。
「諦めろ赤ロリ、奴らは行く気満々だ」
「…………はぁ、行きたくないんだがな」
リリィンは頭をポリポリとかいて、行く気力が全く感じられない。
「そんなに嫌なのか? 美味い飯にありつけるかもしれないぞ?」
「ん……いや、むぅ……城には会いたくない輩がいてな」
「ほう」
彼女を見ると、確かに会いたくない人物がいるのか嫌そうに眉をひそめている。傍若無人が服を着て存在しているような彼女が、ここまで嫌がるような人物がどんな存在なのか少し興味が湧く。だが、強制するのも面倒だ。
「ならお前だけでも残るか?」
日色に言われ、少し考えた後、浮かれているシウバたちを見て大きく溜め息を放つ。
「いやまあ、とりあえず行ってみるか。会うかも分からんしな」
どうやら全員招待を受けることになったようだ。
「なら行くか」
日色がそう言った時――。
「――私たちも連れて行ってください!」
突然の発言をした人物を見て、さすがの日色もしばらく言葉を失う。
その人物は朱里であり、後ろにはしのぶの姿も見える。
何故今この場に姿を現すようなことをしたのか甚だ疑問が湧いた。
目の前には『魔人族』の兵士がいるのだ。
もし彼女たちの顔を知っている者ならば、また面倒な事が起きる。
「……お知り合いですか?」
当然ながら兵士が尋ねてくる。
どうやら兵士は彼女たちが勇者だということを知らないらしい。だがどう答えたものか本気で悩む。何故なら彼女たちは、外見上『人間族』なのだ。
もし仲間でないなら、何故ここに人間がいるのだという話になり、彼女たちの存在は明らかに戦争に参加した人間だと判断され戦いが起きる可能性が高い。
仲間と言っても、後々に彼女たちのことを調べられれば、勇者であることがバレ、何故仲間なのかと面倒なことになる。
(コイツら……ホントに面倒なことしやがる)
思わず不機嫌面を彼女たちに向けてしまったが、朱里の表情を見て「おや?」となる。
(アイツ……)
そしてしのぶの顔も、若干陰りが見えるが、何かを決意したような色を含んでいた。
(……なるほどな。少しは前に進もうとしてるというわけか)
だがその手段が、自分を巻き込むようなやり方だったのでムッとなる。そんな日色の思いに気づいたのか、朱里が頭を下げてくる。
「すみません丘村くん!」
「…………」
「ですが、今の私たちには、やはり丘村くんの力がいるんです! 一緒に連れて行ってください!」
どうやら巻き込んだことはちゃんと悪いと思っているらしい。しのぶも同じように頭を下げている。
日色は頭を下げている二人を見て思う。
(……コイツらの望み通りにしてやる義理などないが、言い訳を考えるのも面倒だしな。それにあの魔王がどんな答えを出すのかも少し興味があるし……)
何よりもこんなところで時間を無駄にしたくない。一刻も早く美味い食事を堪能したいのだ。
「…………分かった。だが城に行ってからは責任持たんぞ?」
すると勢いよく頭を上げた朱里がニコッと笑う。
「ありがとうございます! 本当に!」
彼女が日色に対して笑顔を振り向くのが気に入らないのか、リリィンが眉をピクリと動かして不愉快そうな顔を作る。
「おい! 城へ行くのだろう! さっさと行くぞヒイロ!」
パシッと日色の手を取ると、朱里から引き剥がすように兵士の元へ連れて行く。
「お、おい離せ! 一人で歩ける!」
「あ~ずるいですぞリリィンさん!」
「そうだそうだ! ご主人とおててつなぐのはミカヅキだもん!」
ニッキとミカヅキの二人が、もう片方の手を取り合うが……。
ポカッ! ポカッ!
哀れ二人とも日色から拳骨を頭に受ける。
そしてそのまま日色はリリィンからも手を振りほどき、
「一人で歩くと言ってるだろうが」
口を尖らせて、兵士の元へ向かって行く。
「ああ師匠! 待って下さいですぞぉ!」
「おいてかないでよぉ!」
二人はそれでも日色の傍から離れたくないのか、左右について一緒に歩いている。
それを見た兵士も、何だかほんわか和やかな気持ちになっている様子だ。戦があった後でも、やはり子供の姿というのは癒しを与えるらしい。
「あはは、それではついて来て下さい」
兵士は先導して城へと歩く。
手を無理矢理剥がされ、掴んでいた手を頬を染めながらジッと見つめているリリィン。
そこへ空気を読めるのに、あえて読まない執事が口を挟んでくる。
「ノフォフォ、お嬢様、わたくしの手は空いておりますぞ? 右手でも左手でも、あ、何ならおんぶに抱っこでも!」
「貴様は壁とでも抱きついているがいいっ!」
――ドガスッ!
「のべろんっ!?」
凄まじい掌底を受けて建物の壁へと吹き飛ばされるシウバであった。
「ふぇぇぇぇぇっ!? 大丈夫ですかシウバ様ぁぁぁぁっ!」
「そんな変態放っておけシャモエ! さっさと行くぞ!」
「わ、わわわ分かりましたですぅ!」
「おい貴様らも、来るならさっさと来い!」
不満げにリリィンが朱里たちに言うと、その光景を見て唖然としていた彼女たちも、慌てて後を追いかけて行った。
※
【獣王国・パシオン】の第二王子であるレニオンの攻撃を受けて、国外へと吹き飛ばされた勇者の二人。
青山大志と鈴宮千佳は、【魔国・ハーオス】の近くにある森の中で気絶していた。
「……うぅ」
最初に目が覚めたのは大志だ。
身体には無数の切り傷が刻まれているが、骨などには異常はなく、問題無く動かせた。無論苦痛は伴うが。
そして隣に同じように怪我を負っている千佳を見て、
「お、おい千佳! 千佳! 起きろよ千佳っ!」
声をかけても全然意識が戻らないので、まさかと最悪の事態をつい想像して顔を青ざめてしまう。しかし何度か頬を叩いて刺激を与えていると、「う……」と、ようやく意識の確認ができたので、とりあえず命には別状なさそうだと判断してホッと息を吐く。
「そういや、俺たちは……」
何故このような場所にいるのか思い出す。頭も打ったのか、記憶が瞬時に引き出せない。だが徐々に自分が置かれている立場の理由を思い出してくる。
そしてガックリと項垂れる。
「そうだ……俺は負けたんだ……っ」
戦争に参加して、その凄まじさに尻込みして、獣人のような男と戦うが、傷一つ付けられず、挙句の果てに誰かの攻撃を受けて朱里たちとはぐれてしまった。
「……何やってんだ俺……ちくしょう!!」
傷つきながら寝ている千佳を見て、彼女を守れなかったことに激しく後悔する。そしてもう一つ、大志が歯噛みすることは、ある人物の存在だった。
それは自分とは違って、明らかに強く成長していた丘村日色のことだった。彼が戦うところを見たが、その動きがハッキリ言って早過ぎて霞んでしか見ることができなかった。
自分たち勇者の召喚に巻き込まれた一般人であったはずの彼が、この世界でまだ生きていたことは良かったと正直に思うが、まさか自分たちよりも成長しているとは夢にも思っていなかった。
しかもこちらのことをまるで歯牙にもかけない様子で、全く相手にしていなかったのである。
恐怖で腰を抜かしていた自分を見下ろしながら、その情けなさぶりを鼻で笑っていた。少なくとも大志にはそう感じた。
勇者である自分が、ただの一般人である彼に見下ろされているという事実を信じたくなかった。
「俺は勇者だ……何でアイツの方が……っ」
ギリッと歯を噛み締める。
「このような所にいたか」
突然背後から聞こえてくる声に、ビクッとなって反射的に顔を向ける。そこには全身を隠すようにローブを纏った人物がいた。
(な、何だコイツ……?)
大志は本能的にヤバイと感じた。まるで巨大な蛇に睨まれたカエルのごとく、金縛りにあったように身体が動かなかった。
「……二人……?」
その人物が小さく呟く。声だけ聞くと男のようだ。
「他の者はどこだ?」
酸素濃度の低い場所に放り込まれた感じで、とても息苦しさを感じる。思うように口も動かず声が出せない。全身から嫌な汗が吹き出し気分も悪くなってきた。
圧倒的な存在感に、自分は明らかに敗北していることを突き付けられている感じだ。
「……仮にも勇者だろう? これしきの魔圧如きで魔当たりしてどうするというのだ?」
男が何を言っているのかは分からないが、その声に呆れが含まれていることは理解できた。
いまだに一言も喋らず固まっている大志を見て男は言う。
「まあ、お前の状態などどうでもいい。黙ってついて来てもらおう」
そう言うと、いまだに意識を失っている千佳に近づこうとする。
「……るな」
「……ん?」
男は大志が何かを言ったと思いピクッとして動きを止める。
「千佳に……触るな!」
青白い顔のままだが、それでも必死な形相で声を絞り出した。
「……ずいぶんこの娘のことを気にしているようだが、お前に拒否権は無い。無論、この娘にもな」
そう言い、男は千佳を無造作に肩に担ぎあげる。
その瞬間、胸の奥から熱いものが流れ出し、鎖に絡め取られていたように動かなかった身体が、
「千佳を離せぇぇぇぇっ!」
千佳を助けるために動いてくれた。剣は吹き飛ばされた時にどこか飛んで行って手元には無かったので、仕方無く拳を突き出した。
「……無駄だ」
突然男の足元から何かが這い出して来て、身体に巻き付いてきた。
「なっ!? こ、これは……ぐっ!?」
それは木の根っこのようなものだった。幾本にも別れた根っこが、大志の動きを奪うために巻き付いてくる。
(こ、こんな細いのに何て力だ……っ!?)
見た目は力を入れればすぐ折れそうなのに、全力で引き千切ろうとしてもビクともしない。
「一つ言っておこうか。これ以上、手を煩わせるなら、まずこの娘の手を引き千切る」
「なっ!?」
「右がいいか? それとも左か?」
男は千佳の細い腕を、掴みながら冷酷な言葉を並べた。
「や、止めろっ!」
「止めてほしかったら黙ってついて来い」
相手の態度から分かったが、男にとって千佳の手足を引き千切ることに、些かの躊躇も無いらしい。
大志が従わなければ、何の迷いも無くそれを実行するだろうと感じた大志は、諦めて全身から力を抜く。
「……分かった。だから千佳を傷つけないでくれ」
「ならさっさとついて来い」
スルスルと根っこが再び地面へと戻って行く。これが彼の魔法なのだろうかと思いつつも、千佳を人質に取られている以上、もう何もできない。いや、仮に人質がいなかったとしても、男との力量の差があまりにも大き過ぎる。
大志は悔しくて拳を震わせるが、そのぶつけどころもなく、次第に弱々しく脱力していく。
「な、なあ一つだけ教えてくれ」
「黙ってついて来いと言ったはずだが?」
「う……」
またも凄まじい威圧感が体を圧迫してくる。だが一言だけ、男は言葉を漏らした。
「……我が主がお待ちだ」
主……?
実はどこに連れて行くのか聞こうとしたのだ。どうやら男の主がいるところへ向かうらしい。
するとほんの一瞬、男が頭から被っているフードから、表情がチラリと確認できた。だが見えたのは一瞬だった。
(頬に十字傷……?)
男の頬には確かに大きな十字傷があった。
「さっさと足を動かすのだ」
「わ、分かってる」
大志は、今は言うことを聞くしかないと思い歩を進めた。
(朱里……しのぶ、無事でいてくれよ)
※
【魔国・ハーオス】の城は、国の規模に見合うほどの大きな城である。
国の中だというのに、高い城壁が守るように存在している。また城の周りは溝の深い谷のような情景になっている。
下には川が流れているようだが、落ちたらひとたまりもないことが一見して理解できる。この川は国外へと流れていて、海に繋がっているらしい。
そしてその城に入るには城門を通ることが義務付けられている。それ以外の方法で城内へ入ると、侵入者とみなされ捕縛されて牢屋送りに遭う。
谷を渡るために大きな橋があるのだが、そこには屈強な兵士が門番として立っている。
今その橋を渡り、城内へと入った日色たち一行だが、やはり兵士たちが向けてくる視線には様々な含みを感じた。
それもそのはずだろう。
戦争で活躍した日色は別だが、明らかに見たことも無い『魔人族』やら、それ以外の人種が門を潜っているのだ。本来なら真っ先に捕縛対象になる。
そして特に人間である朱里としのぶに対して向けられる視線に友好的なものは一切無かった。だが仕方無い。人間は今回『魔人族』を裏切ったのだ。
『獣人族』と結託して『魔人族』を滅ぼそうとしてきたのだ。我を忘れて攻撃してきても、納得がいくようなことを人間はした。
だが立場を弁えているのか、それとも魔王から手を出すなと厳命されているのか、いや恐らくどちらもだろう。ここで下手なことをすれば、また争いになってしまう。だから我慢して睨むことしかできないのだ。
朱里たちも、その視線の意味することは十分理解しているはずで、不安そうに目を伏せながらも日色の後ろで小さくなって歩いている。
日色たちは兵士の案内で、《王の間》と呼ばれる場所まで連れて来られた。そこには赤い絨毯が敷き詰められ、奥には王座らしき椅子が存在した。
その王座から真っ直ぐの道を、囲うように左右にずら~っと兵士が立ち並んでいる。そしてその王座のすぐ傍には、日色も見たことのある者たちが勢揃いしていた。
「よく来てくれたヒイロ!」
日色を厚く歓迎してくれたのは魔王イヴェアムだ。彼女は本来なら王座にどっしりと腰を落としているのが普通だが、今は他の者と同様に立っていた。
「すまない。本来なら私が出向くべきだったのだろうが、何分マリオネたちが反対してな」
「当然ですぞ! 陛下は国王なのです。たかが『魔人族』一人の労いのために足をお運びになるのは間違っております」
マリオネがそう言うと、イヴェアムはムッと口を歪める。
「聞き捨てならないなマリオネ。ヒイロは私の命の恩人、何よりこの国のために尽力してくれた者だ。礼儀を尽くすのは当然だろう!」
「む……それはそうですが」
マリオネはイヴェアムが重傷を負った時、それを瞬時に治癒してみせた場面を実際に見ているので、反論できなかった。
「陛下から聞いたわぁ~、強いのねぇ、君ってば」
大きな胸をプルンと動かしながら誘惑するように言うシュブラーズを見て、リリィンが頬を引き攣らせる。
小さい声で「何だあの胸は……何かを詰めているのか? いや、きっとアレは本物ではない。そうでなければワタシは……」などと呟いている。
「そんなことはどうでもいい」
ここでヒイロ節である。無論皆が目を見開き固まっている。
「食事を用意しているんだろ? ならさっさと食わせてくれ。腹が減っている」
お構いなしのマイペースぶりだった。
さすがの厳格なマリオネも、そんな日色の態度に唖然として固まってしまっている。
だがイヴェアムとアクウィナスだけは、慣れているのか頬を微かに緩ませた。
日色の性格を短い期間ながらも少し理解している証拠だ。
「ああ、そうだな。もう少しで準備が整う。だがその前に、良かったらヒイロの仲間を紹介してくれないか?」
「別に構わないが、若干二人は仲間じゃないぞ?」
「……ん? え? 仲間じゃない? それはどういう……」
イヴェアムが首を傾けて聞き返そうとした時、朱里としのぶが日色の前に立ち、膝をつく。
「こうしてお目にかかれて光栄です魔王陛下」
朱里が言葉を出すが、明らかに震えている。声も完全に上ずっていた。余程緊張していることが把握できる。
そしてゆっくりと顔を上げた彼女たちを見て、イヴェアムだけでなく《魔王直属護衛隊》の面々に緊張が走った。
「なっ!? き、貴様らは勇者っ!?」
マリオネの叫びに、一斉に兵士たちが日色たちを囲む。
(やはりこうなったか……さて)
日色はこれからどうなるのか、いや、どう彼女たちが切り抜けるのか高みの見物と決め込んだ。
「どういうことだ赤ローブ! 何故ここに勇者がおるのだ! 事と次第によっては……」
マリオネの殺気が日色にぶつけられると、日色を守るようにニッキが前に立ち、ミカヅキは日色の服を掴み怯えている。
「事と次第によっては何ですかな? 師匠を傷つけると申されるのなら、ボクは許しませぬぞ!」
ニッキは怒り心頭に敵意をマリオネに向ける。
「何だとこのガキがぁ……」
「お待ちくださいっ!」
そこへ朱里が意を決したような叫び声を上げた。
「どうか……どうか私の話をお聞きください魔王陛下!」
「何を抜け抜けと……」
「マリオネ、少し静かにしろ」
「し、しかし陛下、コヤツらは勇者ですぞ!」
「いいから、命令だ」
イヴェアムはキッと視線を彼にぶつけて黙らせる。そして朱里を見下ろしながら口を開く。
「私はヒイロを信じている。そのヒイロが連れて来たのだ。何か理由があるのだろう」
日色の顔を見るが、腕を組んで目を閉じている。答える気は無いという所作だ。
イヴェアムは日色を一瞥してから再び朱里に視線を戻す。
「お前、話があると言ったな?」
「はい」
「話してみろ」
「ありが……とう……ございます」
だが同じように膝をついていたしのぶが、朱里の体調が芳しくないことに気がつく。
先で受けた傷もまだ完治していない上に、このような命がいつでも転がり落ちそうな緊張した場面で、周りからは殺気をぶつけられている。
心身ともに疲弊していてもおかしくはない。それに元来彼女はこうして前に出るような性格でも無かった。その精神的負荷はかなりのものだろう。
そう思ったのか、しのぶはポンと朱里の肩に手を置く。
「しのぶ……さん?」
「後はウチがやるわ。少し休んどき」
「で、ですが……」
「ウチも、覚悟はできてんねんで?」
「……」
「せやから……な?」
「…………分かりました。お願いします」
そして朱里の後を継いで、しのぶが話し始める。
※
しのぶは、自分たちがこの【イデア】に召喚された勇者であること、そしてこの【魔国・ハーオス】に来た目的まで包み隠さず話した。
彼女がそうしたのは、朱里と二人で話し合った結果だった。朱里から、魔王に自分たちのことを話そうと持ちかけられた。
無論しのぶはそんなことをすれば即座に殺されてしまうと思い否定していたのだが、ここにいれば日色たちにも迷惑を掛け続けるし、それにいずれ見つかってしまう可能性の方が高い。
後になって見つかって後生だから見逃してくださいと言うよりも、こうして自分の足で魔王に嘆願した方が、まだ安全ではないかと思った。
あのオーノウスも、大人しくしていれば命だけは奪わないと言ってくれたことも後押ししていたのだ。
「なるほど、お前たちは、勇者で間違いないと? だが些か疑問が残る」
「な、何でしょうか?」
しのぶが息を飲みながら聞く。
「お前は、我らが橋を通る頃には、すでに魔界に入っていたと言った。それなら橋で見たお前たちは何者だ?」
「橋で……見た?」
しのぶがキョトンとしているので、イヴェアムも「ん?」となり、
「何故そんな顔をする? 橋ではお前たち勇者四人が確かにいたのだぞ?」
「……それは何かの間違いでは……間違いなくウチ……私らはイーラオーラという『魔人族』に会い、橋を通過させてもらいましたから」
イーラオーラという名前を聞いてイヴェアムは陰りのある表情を見せる。
【ムーティヒの橋】で起こった惨劇はシュブラーズから聞き及んでいる。
そして確認のためにも調査してみたが、紛れもない真実だった。
元《魔王直属護衛隊》であるイーラオーラ。
その実力を見込んで、彼ならば橋の防衛を任せられると思い信頼して任を預けた。しかしまさか彼が裏切り、そのせいで多くの同胞やグレイアルドを失うとは思わなかっただろう。
「ならお前は、いやお前たちはもうずいぶん前からイーラオーラと通じていたというわけか?」
「そうやと思います。国王様は、彼がこちら側やから計画を立てた言うとりました」
「そうか……しかしお前たちも知らないというならば、我々が確認した勇者は一体……」
イヴェアムが思案顔で呟くが、答えが導き出せずにいる。
「一つ聞く」
そんな中、質問したのはアクウィナスだ。ただそこに立っているだけなのに、明らかに他の者と威圧感が違う存在にしのぶは緊張がさらに増す。
「キリア……と言う名を知っているか?」
「キリア? し、知りません……けど」
「ならヴァルキリアという名は?」
「い、いえ……」
ジッとしのぶの目を見つめるアクウィナス。どうやら彼女が嘘を言っていないか確かめているようだ。そして彼はイヴェアムに視線を向ける。
「陛下、恐らくその者たちは何も知らないだろう。あのヴィクトリアス王のことだ、勇者をここに向かわせ、後の戦争理由にでもするつもりだったのだろうな」
それは日色がしのぶたちに言ったことと同じ見解であった。やはりそうなのかと、しのぶは顔を俯かせながら悔しい思いが胸に溢れてきていた。
「勇者たちがここで死ねば、それを新たな戦争理由として利用……か。確かにあの王ならやりかねんな」
イヴェアムは悲しそうに眉をひそめる。
「なら本当に何も聞かされていないということか。勇者だというのに……」
「それに、我々が見た勇者たち。そしてキリアの裏切りから考えると、その勇者たちは……」
「そうか……人形か」
「ああ、しかもかなり精巧に作られた……な。元々人形師のキリアなら可能だ。これまでも彼女の力のお蔭で幾重にも助けられてきた」
「……そうだ……助けられてきたんだ。それなのに……」
悲痛な面持ちで歯を噛み締めているイヴェアム。彼女に代わってアクウィナスが続ける。
「オーノウス、残りの二人がどこかへ吹き飛ばされたというのは本当か?」
「ああ本当だ。レニオン王子の攻撃でな。一応兵士たちに探させてはいるが見つからないらしい」
「……ふむ。どうやら言っていることに偽りはなさそうだ。だが一つ腑に落ちないこともある」
しのぶがまたもギクリとなる。
無論もう話していないことはほとんどない。聞かれたことに対しても正直に答えたつもりだ。それでもどこかにまだ不備があったのかと不安になり動悸が激しくなる。
「そう緊張するな、といっても無理だろうが。腑に落ちないのはお前たちのこと、というよりもヒイロの……行動についてだ」
「……え?」
しのぶは唖然としてしまったが、周りの者も一斉に日色に視線を送る。当の本人である日色は今まで目を閉じていたが。
※
(やはりきたか……)
自分に向けられる質問を予想していた日色は、目を開き顔を上げアクウィナスを見る。
「そう、腑に落ちないのは、何故敵であるはずのヒイロが、勇者をここまで連れて来たかということだ。ただの他人ならば、無視するか、人間である彼女たちを殺すか。どちらにしても、ヒイロと全くの他人というわけではあるまい。俺はそう感じたのだが、どうだ?」
日色は内心で舌打ちをする。
恐らくイヴェアムなら、その疑問に辿り着けなかっただろう。良くも悪くも真っ直ぐな性格なので、日色の行動の意味に疑問を持つようなことはしなかったかもしれない。
仮に持ったとしても上手く言いくるめる自信もあった。
しかし相手は残念ながら魔王軍トップに位置する人物。とても言葉遊びに興じれる相手ではなさそうだと感じた。正直に言えば、その疑問を持たずに流れてほしかったが。
だが見事にその疑問をアクウィナスに指摘されてしまった。その指摘に一早く反応したのはしのぶだった。
「あ、あのそれは! ウチ……私らが無理に頼み込んでしもて! せやから彼はちっとも悪ぅなくて!」
しどろもどろに焦りながらも、ここまで連れて来てくれた日色にこれ以上迷惑をかけたくないようで、必死に言いわけをしているようだ。
しかし日色は、ここに彼女たちを連れて来た以上、こういう状況になることも覚悟の上だった。
「いや、全くの他人に対して、その男がこんなことをするとは思えない。何かしらの密約、あるいは……旧知の情でも湧いたか……だ」
アクウィナスの追及に、しのぶは顔を青ざめて反論しようとするが、
「ああ、そうだ。オレはコイツらのことを前から知っていた」
日色は表情も変えずに淡々と言い放った。周りの者たちも顔色を変える者が出てくる。まさか勇者と知り合いだったとは、と警戒心を強めていく。
ザワザワと兵士たちが徐々に敵意を膨らませている。マリオネなどは、今にも攻撃してもおかしくないほど睨み付けてきている。
だがアクウィナスは驚きもせずに、むしろ納得顔を浮かべて言葉を吐く。
「……やはりな。ここに案内した兵士にも話を聞いた。知り合いのような振る舞いをしていたと。それに、オーノウスもどうやら知っていたようだしな」
日色と勇者四人がここで初めて会った時、近くにオーノウスもいたのだ。その時の会話で、友好的とは思えなくとも、少なくとも互いのことを知っていると判断したのだ。
「ヒ、ヒイロ? 本当なのか?」
まだ信じられないのか、イヴェアムが恐る恐る尋ねてくる。
「ああ」
「そ、そうか……いや、別に知り合いというだけで、別に責めようとは思ってはいない。ただその……」
「どうして『魔人族』のオレが勇者と知り合いか……だろ?」
「そ、そうなのだが……」
「そんなの簡単だ」
その場にいる日色の仲間たち以外の人物は目が飛び出るほど大きく見開き固まる。
何故なら、日色が突然魔法を使い――
「……オレも召喚された口だからな」
――――――人間に戻ったからだ。