モラトリアム09.02
「うぎゃ~~~っ!」
暦の上では秋になっても、まだまだ続く猛暑の昼下がり。セミの大合唱の合間をつんざいて、絶望をにじませた悲鳴がご近所一帯に響く。
「終わんない終わんない終わんないーっ!」
朝食を終えた直後から居間のテーブルに「夏休みのフレンド」なる問題集を広げ、床にあぐらをかいてそれに挑んでいた妹。時計の針が正午を過ぎた今、とうとうバンザイをして、先ほどの雄叫びを上げるに至る。その格好のまま後ろに身を倒すと「あうあうあう」と意味不明のうめき声を発しながらじたばたと暴れだす。短パンだからスカートがめくれるということはないが、お行儀の悪い事この上ない。
ソファに腰掛けてアイスコーヒーをすすりつつその醜態を観察していると、妹は頭を抱えてフローリングの床を転がり始めた。そのままごろごろとこちらに転がってくると、俺のスリッパに乗り上げてぴたりと止まる。うまい具合に上を見ている格好になった目がこちらを向く。妹は言った。
「お兄ちゃん、てつ」
「あ、部活」
「いやあーっ!」
一昨年、去年から繰り返されるデジャヴ体験である。機先を制し言葉を遮ると、妹はなんとも情けない声を上げる。
「部活なんて嘘でしょ! こんな日にあるわけないじゃん!」
「んー、そうだったかな?」
まあ、確かに部活は嘘である。しかし、自分のすべきことをいつまでも家族に頼っているようでは、人間は成長しない。ここは心を鬼にして突き放すのが兄の愛情というものだろう。
ちなみに「こんな日」と言うのは、本日、九月に入ったばかりの日曜日のことである。たまたま月初めが週末だったため、今年の二学期には二日のモラトリアムがあるのだ。つまりは、もう夏休みはとっくに終わっている訳だ。
「手伝ってよおお!」
それなのに、残暑顔負けに夏の風物詩を引きずっているダメ娘が、ここに約一名。
「自分のことは自分でやりなさい」
「やれるだけはやったの! でももう絶対間に合わない!」
「なんで今日になって慌ててるんだって話なんだが?」
「仕方ないでしょ! ここしばらく夏風邪で寝込んでたんだから」
「その寝こんでたベッドに菓子やらゲーム機やら持ち込んでぐうたらしてたのは誰だ?」
「そっそれは……病人なんだしゲームくらいはいいでしょ!」
「いやそこは宿題を持ち込め」
「そんなことしたら頭痛が酷くなる!」
本当、この娘は誰に似たんだろうね。
その夏風邪で寝込む前は、暇を見つけては海に山に街にと夏休みを満喫していたくせに。自分のクラスの連中を連れ回すその足代わりにされたこちらは、すっかり小学生の引率が板についてしまった。
「もう諦めてさ、『間に合いませんでした』って謝っとけば?」
「無理無理無理。始業式で、全校生の前で校長先生に怒られちゃう!」
「いくらなんでもそれはねーだろ」
「あるよ! クラスの子たちにも軽蔑されちゃう。もう学校に行けない。ううう……」
「自業自得」
「うえええ」
「……ったくー」
渋々ソファから腰をあげて、テーブルの上に積み上がった問題集の山に手を伸ばす。まあどうせ、最後にはこちらが折れることになるのだ。
「字が違うとバレるから、算数だけだかんな」
妹はがばっと身を起こすと、胸の前で手を組み、うるうるした目で俺を見上げる。
「あ、ありがとお兄ちゃん」
それは妹のお決まりのポーズ。その顔をされると、俺は嫌味の言葉の一つも出せなくなってしまう。俺もたいがいシスコンである。性癖の自覚に内心ため息をつきつつ、問題集の山を科目ごとによりわけていると、妹は立ち上がり、キッチンに行ってアイスコーヒーを二人分淹れ直して戻ってきた。それを受け取り、二人で対面になってテーブルにつく。
「お兄ちゃん。一生恩に着るよ!」
「そんなあやふやなもんいらん……あ、そうだ今度ほら、あの子紹介しろよ」
「あの子?」
「ほら、夏休み中、何度か遊びに来たお前の友達」
「みっちゃん?」
「そうそう」
「えーっ?」
ついさっきまで感謝にうるんでいた目をジト目に変えて胡散臭げに俺を見る妹。
「年違いすぎ。犯罪だよ」
「そりゃ言い過ぎだろ」
「でもぉ」
違うと言ったって、妹と同い年だったら、俺と十も離れているわけではないだろう。まあ、本気で言った言葉でもないので、拘らずに流すことにする。そこでふと思い出す。
「そう言えば俺のクラスの奴が、お前に会ってみたいって言ってたな」
「えっ!?」
話が急に自分のことに及び、狼狽する妹。
「彼氏はいるのかとか聞かれたから『非モテ歴=年齢』って正直に答えておいたぞ」
「失礼だよ! え……と、お兄ちゃんから見てカッコいい感じ?」
「何食いついてんだよ。それこそ年が違いすぎんだろ。却下却下」
「えー」
えーじゃないっての。小娘が色気づきやがって。
「いいからさっさと手を動かす」
「はーい」
それからようやく口を閉じて、二人でカリカリと筆を走らせる。扇風機が首を振るたびに問題集のページの端が煽られ、ぴらぴらと音を立てる。いつしか窓から差し込む西日だけでは灯りが足りなくなり、頭上の蛍光灯を点灯した。
昼の暑さは変わらずとも、日が落ちるのはずいぶんと早い。外がすっかり暗くなったくらいに、母親がパート仕事から帰ってきた。労い半分からかい半分に笑いながら、夕食を用意してくれる。台所のテーブルでその冷麦を慌ただしくすすり、妹と二人、宿題に占領された居間のテーブルに戻る。
「……冬休みはこっちが手伝ってもらうかんな」
「高校の授業とか分からないし」
「役立たず!」
「ぶー」
黙々と筆を動かすこと数時間、テレビの洋画劇場も終わる頃、妹の担任する四十人分の問題集の採点はようやく終了した。
「つーか何で今宿題の採点なんだ? 明日提出じゃないのか」
「こないだの登校日の提出分。すっかり忘れてた。えへへ」
結局、夏風邪とか以前の問題だった件!
今の始業式は、もう少し早いところが多いみたいですね。そのあたりはおおめに見てください。妹に共感できる方、お仲間です……。
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