挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
悪党に鉄槌を 殺人犯に花束を 作者:菊郎
8/11

第一部 八



◆◆

 夜の帳が落ち始めた頃、自室のベッドで寝転んでいたバルタサールは、自分が巻いた葉巻に火をつけた。口につけて息を吸い込み、少しずつ吐く。体に活力がみなぎってくるのを感じる。スコットランドはメキシコと比べて半端なく寒かったが、それももう慣れた。白く光る月が、窓から室内へ静かに差し込んでいる。

 メキシコの首都・メキシコシティの隣にあるトルカが、ベネディクトの生まれ故郷だった。父と母、ふたりの兄とひとりの弟、ふたりの妹を持つ彼の家族は、メキシコ有数の都市の下で繫栄を享受し、ふつうながら幸せな日々を送っていた。鉱山企業・ペニョーレスに勤めている父、アルセリオ・ベネディクトのおかげで生活は安定していて、学校に通い、友達と遊び、時間があれば遠出もする。父のような力持ちになりたくて、家にある重い物を手当たり次第に持ち上げてはトレーニングもしていた。
 ずっと続けばいいのに――そんな叶いもしない馬鹿げた理想を抱いていた。
 バルタサールが現実の残酷ぶりを目の当たりにしたのは、中学生のときだった。
 深夜に銃声が訊こえ、ベネディクトたちはベッドから跳び起きた。父のアルセリオの背後で怯えていると、家の玄関が勢いよく叩かれた。何回叩かれたか覚えていない。とにかくすさまじい音だった。
 ノックする音が消えると、父は様子を見に行くと言って玄関へ歩いていった。直後、ドアがぶち破られた。
 父の名を叫びながらバルタサールは玄関へ向かった。廊下に出て、玄関の手前まで差し掛かった瞬間、来るな、と大声で怒られた。ふだんから温厚で優しい親父の、最初で最後の怒声だった。言い終えた瞬間に響く1発の銃声。バルタサールは心の底から震えあがった。右に曲がったところでなにが起こっているのか、中学生である自分にも想像がつく。それでも認めたくなかった。
 息を殺してじっとしていると、角から急に太い腕が伸びてきた。バルタサールは胸倉をつかまれ、為す術なく玄関に引き倒された。痛みに耐えて目線だけを向けると、銃を持ったふたりの男がにやけながらこちらを見ている。ひとりは短髪で、もうひとりは坊主だった。玄関には白いカーペットが敷かれているはずなのに、周囲は真っ赤だった。
 唐突に死を突きつけられたバルタサールは、悲鳴を上げる余裕すらなかった。横たわる父の死体。どうすればいいかわからない。けど、叫んだらきっと殺される。嗚咽を必死で抑えながら、ただ泣き続けた。
 短髪の男はバルタサールの首をつかみ、血に染まった彼を投げ飛ばした。壁に激突して激しくむせる彼を無視して家の奥へと入っていく。坊主の男は拳銃をベネディクトの頭に向けたまま立っていた。そして、銃声が2回訊こえ、ふたり分の声が消えた。また、家族が死んだ。
 同時に、ベネディクトのなかにあった枷のようなものが外れた。楽しかった日常を奪った奴らに対する無限の憎悪が、全身を駆け巡る。気がつけば、彼は力の限り咆哮していた。大切な家族の殺した、目の前の悪魔どもをひとり残らず惨殺するために。
 ベネディクトは、恐るべき速さで坊主の男が持っていた銃を両手でつかんだ。自分ながら信じられないほどの力だ。男は振り払おうとしたが、ベネディクトは全体重をかけて押さえ込んで離さない。懐から男がナイフを取り出そうとした瞬間、体勢が崩れベネディクトとともに倒れた。父の死体に脚が引っかかったのだ。銃を握っている手がゆるんだ隙を突いて、バルタサールは銃を奪い取り、彼の頭に向けてすかさず発砲した。何発も、何発も。弾切れに気付くまで、バルタサールは、脳味噌や脳漿が飛び散りつぶれた卵のようになった男の頭部に向かってトリガーを引き続けていた。
 背後からは足音が訊こえる。バルタサールは死体をまさぐりマガジンを見つけると、慣れない手つきで再装填した。ガンアクションものの映画を見ていたおかげだった。
 瞬間、銃声とともに、彼の右のふくらはぎに激痛が走った。焼けるように熱い。廊下に出てきた奴に撃たれたのだろう。いままで感じたどの痛みも比較にならないほどの痛み。迫り来る死の恐怖。
 だが、バルタサールは泣かなかった。頭のなかにあるのは燃え盛る復讐心のみ。倒れ込んだまま、彼は銃口を短髪の男に向けると、迷わず引き金を引いた。驚きに目を見開きながら男は廊下に倒れた。右脚を引きずってバルタサールは彼に近づいていった。
 まず、かすれ声で命乞いをする相手の顎を撃ち抜いた。自分の家を襲うために動かした脚を撃ち抜いた。銃を持っていた腕を撃ち抜いた。男をこの世に生かしている心臓を撃ち抜いた。そして、残った弾をすべて男の腹にぶち込んだ。
 家にあった傘を杖代わりにして母親たちの元へ向かったバルタサールは、彼女たちに安全であることを告げ、父の元へ戻った。鍛えられた胸を、1発の弾丸が貫いている。肌は蒼白で、体は冷たい。よく抱っこしてもらったたくましい腕にすがりつくと、そのまま大きな体に抱きつき、思い出したように泣きじゃくった。あとから来た母や姉、妹たちも涙を流した。あんな獣たちのせいで父は死んだ。どうして死ななくちゃいけないんだ、どうして――
 医者を志している姉の応急処置で、ふくらはぎの弾丸を摘出された彼は、玄関のドアを開けて外に出た。周囲からは激しい銃声が訊こえる。暗がりの道路に、ひとつのトラックが止まっていることに気が付き、彼は荷台を見た。そこに記されていたのは、セブリアン・カルテルの名。近年メキシコで勢力を拡大していた、麻薬組織の名前。バルタサールもテレビで見て知っていた。
 自分たちは麻薬戦争に巻き込まれた――殺してやる。セブリアン・カルテルの連中を。どんな手を使ってでも。
 14歳の少年は、トラックの運転席に置かれていたコカインの入った小さな袋を見つけ、後日それを路地裏にいた見知らぬ男に売った。セブリアン・カルテルを名を出すと、父の給料2か月分の値段で売れた。手に入れた利益を元に、コカインを購入し、高額な値段で再び売る。一家の大黒柱、ふたりの兄弟を失ったベネディクト家を支えるため、そしてセブリアン・カルテルに復讐するため、バルタサールは麻薬に手を染めた。
 ある日、近所の荒くれどもが彼の下に集まり、小さなコミュニティができた。彼らにコカインを渡し、求める者たちに売る。命懸けの生活を1年も続けるうちに、バルタサールの周りには600人の仲間ができた。仲間から銃の扱い方や裏社会のルールを学び、彼は勢力を拡大し続ける。20歳になったとき、彼は家族が巻き込まれるのを防ぐため、母の口座に400万ドルの金を振り込んだ後、警察と司法に手を回し、自身の経歴を完全に抹消した。成人となった年、バルタサールは生まれ変わった。
 2000人の仲間とともに、メキシコに潜むセブリアン・カルテルの幹部を片っ端から探し出しては殺した。末端の部下はなるべく仲間として取り込んでいたが、それでも死傷者は増える一方。5年後、幹部を皆殺しにし、奴のアジトでセブリアン・ロンゴリアと対面した時点で、仲間の数は900人以下だった。くすぶらせてきた復讐心を再び燃やしながら、バルタサールはロンゴリアに2枚の書類と1枚の写真を机に叩きつけた。書類の内容は、セブリアン・カルテルの海外資産の全面凍結と、ロンゴリアの逮捕状。
 写真には、ロンゴリアの自宅の壁に磔にして殺した彼の息子ふたりが映っている。
 バルタサールはロンゴリアの家を黙って出た。1ヵ月後、彼はアジトで葉巻を吸いながら、刑務所内で首を吊って死んだロンゴリアの記事を目にした。

 バルタサールはステンレス製の杖を右手に持って起き上がり、窓を開けた。くゆっている葉巻の煙が、夜風に優しく運ばれていく。スコットランドのエルギンに移住を決めたのが2年前。ロンゴリアを殺してから十年以上が経っていた。後継人を選び、彼は十数人の昔馴染みを連れてここへやってきた。現地の小さな麻薬組織を壊滅させ、販売ルートをどう利用しようかとまっさきに考えたとき、バルタサールは、もはや昔の自分には戻れないことを悟った。自分には、もう麻薬しかない――家族の笑顔が懐かしい。みんなどうしているだろうか。
 彼は後ろに流した金色の長い髪をかきながら、鏡に映った自分を見た。加齢だけではない、麻薬を摂取していた中年男の哀れな姿がそこにはあった。トレーニングをしているおかげで肉体は丈夫だが、顔は骨ばり、目はどことなく虚ろで、見るからに異常だとわかる。
 ドアをノックする音が訊こえて、バルタサールは振り返った。

「俺だ」

「入っていいぞ」

 ドアが開くと、バルタサールと同じ40代の男が入ってきた。黒い髪は短く、戦闘服を大きなコートで覆っている。長旅だったせいか、顔には疲れが出ていた。

「コーベットは殺した」

「新聞で読んだ。よくやった」

 頭と胸に1発ずつ。それがバルタサール・カルテルの暗殺の流儀。彼を知る者だけがわかる脅しだった。バルタサールは温厚だが、規律に厳しい。麻薬の金を何回も滞納し、ツケで買おうとする顧客には、死をもって償わせる。2発の弾丸に撃ち抜かれた死体がメディアの電波や誌面にのって広がれば、それが大きな抑止力となる。そういう意味では、イギリス警察も広報担当としてよく働いている。
 バルタサールは椅子に座り、テーブルに置かれたスコッチウイスキーをふたつのグラスに注いだ。コートの男も対面の椅子に座り、バルタサールから差し出されたグラスを手に取る。

「カルロス、俺たちもう40代だぜ」

 カルロスは笑いながらグラスをあおった。テーブルにおきながらうなづくと、

「あっという間だったな……だが、俺たちにとっては大したことじゃないだろう。これまでずっと命懸けで生きてきたんだ。明日死ぬかもしれないし、ひょっとすると天寿を全うできるかもしれない。いずれにせよ、最期のときまで好きに生きさせてもらうさ」

 バルタサールはグラスに入ったウィスキーを飲み干した。

「後悔しないためにもな……ロンドンはどうだった?」

「いいところだったが、人が多いのは残念だ――おかげで、裏切り者を仕留めそこなった」

 カルロスはばつが悪そうに言った。メキシコにいるときも、彼が粛清(・・)で失敗することなど滅多になかった。

「邪魔が入ったのか?」

「ああ。おびき寄せて撃とうとした瞬間、人の声が訊こえてな。近かった。とりあえず、腹部に1発当ててずらかった」

「想定外だが、それを最後通牒にしよう。どうせ、誰にも真相は話せない。あいつも俺たちと同じ、後戻りのできない人種だ」

 カルロスはボトルをつかみ、ふたつのグラスにウィスキーを注ぎなおした。








cont_access.php?citi_cont_id=908119287&s
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ