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彼らの日々 作者:雲鳴遊乃実
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5人目 金城紡

 自分の名前の意味は何だろう。
 小学生の低学年の頃、そんな課題が先生から言い渡された。「紡」という僕の名前はまだ習っていなかったし、言葉の意味もわからなかった。家に帰ってから母さんに尋ねると、父さんさんが名付けたのだと教えてくれた。その日の夜遅くになってようやく父さんは帰宅した。きっと疲れていたのだろうけど、玄関先で待ち構えていた僕の質問に、嫌な顔ひとつしないで、嬉々として答えてくれた。
「糸のような細いものたちをひとつにまとめていくこと」
 それが「紡ぐ」という言葉の意味だった。紡績などという言葉もイメージすらももたない僕に、うまく説明してくれたものだと思う。
 それから時間が流れた。具体的に言えば十年ほど。僕はもちろん「紡」という名前でありつづけた。そこに込められた意味に対する感慨は、誇らしいものから、次第によそよそしいものへと変わっていった。
 僕の父さんは転勤を繰り返した。職業柄、どうしても次々と新しい土地へ移り住む必要があった。あまりに遠いときは単身赴任をして、四月や九月のような学期の区切れに当てはまると家族とともに引っ越した。小学生のときに二回、中学生のときに一回。新しく移動する度に、紡ぐという名前に気後れした。ひとつにまとめるどころか、僕は自分から遠ざかってばかりいた。
 中学三年生になり、転勤はもうしばらくないと聞いていたから、勉強をしてなるべく上のレベルを目指した。入ったところは地元でも有数な進学校で、一時は充実していた。長らく人付き合いを蔑ろにしてきたけれど、友達と呼べそうな人も何人か現われていた。だいぶ遅くなったけれど、ここから自分の人間関係が紡がれていくならば文句はなかった。しかし、結局はその望みも、父さんの新たな転勤の知らせによって潰えることとなった。
 母さんは僕の味方をしてくれていた。高校生にもなって親に振り回されるのは可哀想だと啖呵を切ってくれたのだ。父さんは、そのまま諦めてくれたら良かったのだけど、引っ込みがつかなくなったのか母さんを怒鳴り始めた。当事者である僕をよそに、父さんと母さんは口汚く罵り合っていた。
 結局は、僕の方から父さんを了承した。これが最後という約束をして、父さんの会社の借家に僕ら家族は引っ越した。僕が高校三年生に上がる二週間前のことだった。
 父さんと母さんが不仲になることを恐れたのか、ともし問われれば、半分くらい当っていると答えるだろう。残り半分は僕自身にある。それまで通っていた高校でも、思い入れと呼べるものはほとんど育んでこなかった。外に出ていく癖がついていたのだと思う。学校から一度でも離れてしまえば、彼らとは他人になる。そういう機会の全く人は考えることもないだろう。僕は何度もあった。だから考えてしまう。どんなクラスメイトも、突き詰めれば所詮は他人にすぎないのだ。

「駅前に今度できるショッピングモール、金城の父親が舵取ってるんだって」
 授業の合間の移動時間に、僕についての噂が耳に入ってきた。振り向けば、いつも連れ立っている男子が二人、僕と目を合わせてにやりと笑った。
「楽しみにしてるぜ」
 言葉だけなら悪くは聞こえない。むしろ激励とも受け取れる。それでも彼らの笑い方は、あまり近づきたい類いのものではなかった。
「父さんに伝えておくよ」
 それだけ答えて、なるべく距離を置く。二人はまだ囁きあっていた。
 二人の名前はまだうろ覚えだ。ここに来て一ヶ月なのだから、あからさまに尋ねるのもそろそろ気まずい。でも顔は見たことがある。琴平市の南に広がる商店街の、服屋と生花店の息子だった。あとは父さんの書斎にいって、仕事用のファイルを盗み見ればすぐにわかるだろう。あの様子だと、二人とも商店街には見切りをつけた家のリストに入っているはずだ。自らの品をショッピングモールに出すことに承諾し、商店街側のお店は営業日を減らすか、思い切ってシャッターを閉めてしまう。そんな話がすでに幾つも上がっていると父さんが言っていた。
 考え事をしている間に、視線を感じた。目の端で捉えたのは、風船堂の息子だった。丸っこい顔つきは親しげに見えるが、今はやや冷えた視線を放っている。彼の家にも父さんは足を運んでいたが、出店の了承は得られなかったと聞いている。あくまでも商店街の側につく。彼らからしてみれば、ショッピングモールは敵なのだ。風船堂の息子の考えは知らないが、友好的とはとても言えない。
 味方をする者もいれば、敵になっている者もいる。もちろん無関心の連中もいる。それら全てをひっくるめて、僕に擦り寄る者はあまりいない。僕自身も近づかない。新しく移り住んだこの街は、今まで生きてきた教訓が最大限に生かされてきていた。所詮人は他人である。無闇に近づこうとすれば疲れてしまう。だからしない。
 この街は僕の故郷ではない。今までいたどの街も、故郷と呼ぶには及ばない。ならば僕の故郷はどこにあるのだろう。これから先にあるのだろうか。あるいは故郷のない人間として生きていくしかないのだろうか。
 漠然とした悩みをもし口にするとすればそんな文章にするしかなく、口にするのは恥ずかしい。畢竟だれにも言わずにおいた。

 夕方の駅前は、琴平市に帰ってきた人たちと、これから出て行く人たちでごった返していた。人の波を掻き分けて、駅に押し込もうとする力を受流して、ようやく抜けた歩道の上で一息ついた。気温も上がりつつある中、長袖のシャツが汗ばんでいた。
 学習塾へと向う途中だった。光歩塾という、読めそうだけど正式名称を言い当てる自信が持てない名前をした個人経営の塾で、実績があることは母さんと一緒に確認済みだった。半ば強制的だった引っ越しに不満を抱き続けていた母さんも、学力が伸びるならばと喜んで僕を入塾させた。小学生、中学生ならばまだしも、高校生の成績は早々変わらないだろうと僕などは思ってしまうのだが、母さんが苛立ったままでいるのも嫌だったので素直に従った。おかげで四月早々から平日の五時以降は缶詰になる日々が始まっていた。遅れると課題が増え、帰宅が遅れ、下手を打てば休日が補習に削られる。十分な休息を得るためにも、塾へと急いでいる途中だった。
 雑踏の先のT磁路に巨大な養生幕が垂れ下がっている。灰色にくすんだ下地に緑色の繊細な自体が浮かんでいた。まもなく開店。予定の日は八月の半ばだ。直接表示はされていないけれど、それがショッピングモールであるという噂はあっという間に、それこそ僕が来た頃には既に広まっていた。
 何にせよ、父さんが手がけている建物だ。目を向けて、誇らしいような恥ずかしいような、こそばゆい疼きに足を止めた。ほんの少しの間のつもりだった。
 視線を降ろす。養生幕の足下に人が座っていた。女の人だ。キャンプに持って行くような、布張りの簡易な椅子に座って、手元には袋が握られていた。その人の身体の半分ほどもあるそれは、やがて解かれ、中を露わにした。
 ギターだった。
 顔はよく見えない。黄昏時、ただでさえ薄暗いのにその人は俯きがちだった。スタンドマイクに向って、その人は口を小さく開いた。
「古江スノウです。今夜もよろしく」
 囁くような自己紹介ののちに、翳りある見た目からすると意外なほど力強く腕を振り上げた。摘まみ上げられたピックが日の残光に煌めく。腕を振り下ろし、ギターの弦をかき鳴らす。

 後で知ったことだが、その人は路上ライブの許可を取っていなかったらしい。完全なゲリラライブだ。文句があがれば退場するしかなかっただろう。
 幸運にもその日、僕が初めて古江スノウと出会ったライブは一切途切れることがなかった。

 気がついたら、日はとっくに暮れていた。周りの拍手が耳朶を打ち、頭を下げる古江の姿があった。曲は終わっていた。彼女の前に置かれたアルミの箱に小銭や折れた札が投げ込まれていた。
「また来週も、この街のどこかで歌います」
 そう良いながら、古江が感謝を述べていた。
 僕は慌ててポケットを探った。財布はなく、小銭が数枚あるに過ぎなかった。塾の最中、飲み物を自販機で買うためのささやかなものだ。
 それを、迷うことなく箱へ投げ込んでいた。
 古江がまた頭を下げるのを、痺れたまま見つめていた。すっ飛んでいた記憶が次第に蘇ってきた。
 僕は曲をじっと聴いていた。時間も差し迫っているというのに、足が動こうとしなかった。
 良い歌だから。好みの声だから。いくらでも理由は考えられた。でも一番の理由は別にある。
「あたしの故郷はどこにあるの」
 耳を打つその歌詞が、最も素直に僕の内側を突き刺していた。

 携帯電話の振動に気づいて画面を見たら着信履歴が入っていた。塾からと、母さんからのも混ざっている。まず塾が僕の不在を訝しみ、家に連絡したのだろう。どちらに行くにしても面倒な事態が待っていることに変わりない。
 ゆっくり深く、溜息をついた。
 古江はすでに片付けを終え、人混みに消えていった。聴いていた人たちも今や散り散りになっている。
 この街はまだ見慣れない。それでも、好むにも好まざるにも関わらず、少なくともあと一年は暮らすことになる。目を背けるには長すぎる時間だ。
 もしもこの街が気に入れば、故郷と呼んでもいいのだろうか。
 誰に向けてでもない問いを頭の中で持て余しながら、古江のいた路上の隅を渡った。夜の街を行く人の合間を縫っていった。
 母さんも気になるが、まずは塾へ行くつもりだった。来週のこの時間を確保できるか検討する。今できることはそれだ。後のことは後で考える。歩き進むごとに、力が増していく心地がした。
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