挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
彼らの日々 作者:雲鳴遊乃実
4/6

4人目 空閑満

 空閑という、周りにあまり見ないこの苗字は、九州地方に由来する。僕ら家族は九州とは縁もゆかりもなかったけれど、父はこの苗字を大層気に入っていて、自分のお店を作るときには必ず空にまつわるものにしようと心に決めていたそうだ。空、青空、雲、風ときて、風船の単語を思いつく。出来た名前が風船堂。ここ琴平市の片隅にあった、小さな空き家を改装して、そのお店はひっそりと開かれた。
 父は努力をした人だ。料理人として各地を渡り、海外にてお菓子作りにのめり込み、技術を携えて帰国した。念願だったお店を構えて並べた商品たちは人々の目に止まった。インターネットには疎く、戦略的な経営にも手を出さずにいた父は、ただそのお菓子の味のみで世間に勝負を挑み、見事に勝利を飾った。
 今や風船堂といえば、琴平市において知らない人はまずいない。僕が言い出したわけじゃないけれど、複数人がそう言っているのを聞いたことがあった。お世辞でもなんでもなく、父の築いたお店は本当に有名だったのだ。時期にして、僕が生まれたときにはすでに、その地盤は出来上がっていた。
 着飾った言い方をすれば、僕は風船堂のお菓子を食べて育った。食事には必ずクッキーやプレッツェルが添えられ、三時を迎えれば何を言わずともケーキやタルトが配られた。外で遊ぶときはチョコやキャンディを持たされて、友達の家に行くときはプリンの箱を運ぶのが常だった。これでお菓子が嫌いだったら悲劇だが、幸いにもそんなことはなく、僕はお菓子とあらば何でも平らげた。満腹ぎみでも自然と手が伸び口が動いて堪能した。僕は父の作るお菓子が好きで、父も母も僕の食べっぷりを見ていつもにこにこと笑っていた。小学校に上がる頃にはすでに丸っこくなっていた僕をそのままの形で受け容れてくれていた。
 今更だが、僕の名前は満という。空閑満。好きなだけ食べさせる意図は、その名付けにも表れる。
 長いこと、僕は自分の姿に頓着しなかった。その意識が変わったのは、小学生になって体育の授業が増え、周りのみんなに合わせにくくなっていく自分を感じてからだった。
 とにかく走るのが辛かった。みながすいすい進むのに合わせて足を動かしているのに、まず膝どうしがもつれあい、恥ずかしく思っているうちに息も上がった。手を振るのも辛くて垂らすしかなく、結果的に上半身だけ気をつけの姿勢にしながら飛び跳ねるように走ってばかりいた。トラックの上には累々と僕の汗が落ちていった。周りの皆は笑顔で、体育教師の顔もだいたいいつも笑顔だった。その笑顔が決して友好的な気持ちばかりこもっているわけではないと、小学校も半ばを過ぎた頃から気づいていた。
 動きにくいのは太っているからだ。何故そうなったかと言えばお菓子のせいだ。だからお菓子を食べるのをやめてみればいい。
 思いついたその論旨を両親に伝えてみたのは中学生のときで、僕の家は上を下への大騒ぎとなった。身体の不調を疑われて病院に連れて行かれそうになり、苛めを受けているのではないかと詰問され、担任に連絡しようとするのをすんでの所で止めた。最終的には、あまりに騒ぐ両親を見かねて、全ては気の迷いだということにした。父も母もぽかんとして、それから安堵の溜息を漏した。
 その事件以来、僕は自分の体型について何も言わないこととした。言ったら大騒ぎする家族を見たいとも思わなかった。相変わらずお菓子を食べ続けていれば、父も母も平穏のまま日々を送れる。わざわざ乱すこともないなと、思い至って、黙々とお菓子を摘まみ続けてきた。

 高校生になった頃から、学校帰りに店番をするようになった。カウンターに並ぶお客の差し出す品を見て、値段をいい、代金を受け取る。簡単なように見えるが、帰宅頃の四時、五時台は最も混むので案外忙しい。それでも三年も経てば馴れてしまえるもので、家に着いたらいつでも真っ先にカウンターの中に収まる毎日だった。
 その春の日、客足はまだ少なめだった。大量注文が入ることもなく、加えて心地よい暖かさが僕を掴んで話さなかった。春休みが明けてもう三週間は経っているが、学校に行けばそれなりに疲れるもので、今腕を組んで顔を埋めたらすぐに眠れるだろうな、などと思いつつ背筋を曲げたり伸ばしたりしていた。
「こんにちは」
 声を掛けられた。スーツ姿の、痩身の男だった。お客だと思って立ち上がろうとしたところ、その人は掌を見せて僕を制止した。
「お店の人に会いに来たんだ」
 つまり父に用があるのだろう。どうしようかと考えあぐねているうちに、店の奥の扉が開いた。厨房から、コック姿の父が顔を覗かせていた。
「またあんたか」
 父が嘆息を漏す。どうにも知り合いらしい。そしてきっと、快くない相手なのだろう。
「前回は考えてみるということでしたので、そろそろ決まりましたかと」
「そんな都合良くいかないよ、こっちだって忙しいんだから。金城さんだってわかっているでしょうに」
 金城。このあたりでは見ない名前だ。だけど何故か、聞き覚えがあった。
「まま、とりあえず話だけでも」
 金城さんは気さくそうな顔で同意を求めた。父は嘆息しながら帽子を脱いだ。
「満、時間になったら店を閉めておいてくれ」
 言い残して、父と金城さんは店の奥へと向かい、厨房のさらに奥、僕の家族が普段過ごすリビングへと入っていった。
 僕は返事をしなかった。客に向かいながら、胸騒ぎを感じて気が気じゃなかった。
 時間ばかりが過ぎて行き、窓から差込む陽光が紫色に染まる頃、ようやく金城という苗字を思い出した。四月から、その苗字を持つ男の子が引っ越してきていたのだ。

 夜、父は溜息ばかりをついていた。食事のときも、お風呂からあがるときも、自室に入るときも、ずっと。
「満ちゃん」
 僕が父を見つめていると、母が声を掛けてきた。
「ほら、お夜食のイチゴ。簡単にだけど甘く味付けしておいたから、持って行って」
 急に呼び止められた瞬間は苛立っていた。だけど皿に盛られたイチゴを見ると反射的に手が伸びた。お皿を手に持ち部屋に入り、扉を閉めたところで我に返った。甘ったるい砂糖の香りが漂ってくるのを呆然と受け止めていた。

 金城紡というのが、転校生の名前だった。
 三年生になってやってくるというのはなかなか珍しいことだと思う。聞くところによると親の転勤に合わせての移動らしかった。
「ほら、駅の東に更地が出来上がっていただろ。ショッピングモールが出来る予定なんだけど、その立地計画を進めているのがあいつの父親らしいんだ」
 クラス中を当ってみれば、そのような噂のひとつやふたつが舞い込んできた。妙なおひれがつくこともない。更地のことも、工事が始まっているということも知っているので、信じられた。
 金城紡とも話そうと思ったが、なかなか上手くいかなかった。こっちからして見れば、あまり関わりが無いので話しかけづらい。金城自身にとってもそれは同じことだろう。結局のところ、金城の姿を横目でちらちら見つめながら、一日が暮れていった。
 帰宅して、店番をした。お菓子は無事に出来上がっていたが、父はすでに厨房からいなくなっていた。自室に籠もってなにやら調べているらしかった。日が暮れて、店が終わり、食事の時間が迫るころになって、父はようやく部屋から出てきた。
「話がある」と言い、父は経緯を説明した。
 金城紡の父、金城真一。彼はショッピングモールに入るテナントを集めていた。いくつかの企業との契約はすでに取り交わしているが、地元の特色を生かしたテナントも入れたい。そこで候補に挙がったのが、風船堂だった。
「毎朝必要数分を作って、ショッピングモールのトラックに渡す。それをショッピングモールの中で販売するってことらしい」
 父は一旦言葉を切り、母を見つめた。母は口元に手を当てて考えているようだった。
「難しそうなの?」と母が尋ねた。
「いや、元々たくさん作っているわけじゃなかった。増やそうと思えば増やせる」
「だったら、悪い話じゃないんじゃないの」
「いや……商店街が嫌っている」
 琴平商店街。駅前の西の方角に延びる、古くから続く大通りには、そう呼ばれる街並みがあった。明治時代から続く歴史があり、かつては旅籠も多く、隣の市や県に移動する上での要衝として機能していたらしかった。もっとも今では、盛り上がりも遠く昔。シャッターを閉めっきりにするお店も少なくなくなった。ショッピングモールが完成したら、なるほどひとたまりもないだろう。
「難しいわね」
 母が言い、父が目を閉じ頷いた。痛み入るような仕草だった。
 沈黙が居間に広がった。つけっぱなしだったテレビから、戯けた出演者の笑い声が空しく響いていた。
 口を開いたのは父からだった。
「明日の仕込みをしなくちゃな」
 父は僕たちに背を向け、厨房へと歩き出した。
「何も今からでなくても」
「いや、夕方にしておく分ができなかったからな。明日出せなかったら、それこそ面倒なことになる」
 母がいくら心配しても、父は歩みを止めなかった。
 遠ざかっていく背中を前に、母はいつしか立ちつくしていた。一際大きな溜息をひとつついて、それから僕を見た。
 途端に、母が笑顔になった。
「またお夜食でも作ろっか」
 すぐに応えられなかった。
 沈黙をおいて、母の瞳が潤んでいるのをじっと見つめた。母はなかなか目を逸らしてくれなかった。
「今日は、いいよ」
 食欲は一切わかなかった。
「そう?」
「うん、ごめん」
 言い残して、小走りに自室へと駆けていった。母が呼び止める気配がしたが、聞く耳をもたなかった。

 薄暗い自室の扉にもたれ掛って、荒く息を吐いた。
 胸の内が靄に覆われているような気分だった。実際食欲どころではない。どちらかといえば気持ちが悪いくらいで、頭の中では先ほどまでの父の困り顔や、母の笑顔が浮かんでいた。
 父は、僕の方は見ていなかった。
 相談するようでいながら、母か、あるいは中空に視線を浮かせていた。意見を聞くと言うよりは、自分の考えを吐き出すためだったようだ。いずれにしろ、僕に聞かせるつもりはなかったのだろう。
 母は笑っていた。でも、それはいつもの笑顔とは全然異なって見えた。僕の方を向いていながら、やはり僕を見てはいなかった。
 僕は相談相手にはなりえない。少なくとも、ふたりはそう思っている。
 胸の奥が痛む。食欲はますます薄れていく。今まで、常に何かを食べていた自分のことが、途端に信じられなくなった。
 このままじゃいけない。
 変わらなくちゃいけない。
 時計を見た。夜の七時を回ったところだ。秒針を睨み付けながら、ふと閃きが頭を過ぎった。
「母さん」
 扉を開けて居間まで向った。母はまだ立っていて、急いでやってくる僕を見て目を丸くしていた。
「なに、どうしたの」
 母の質問に答える前に、息を整える必要があった。久しぶりの運動は堪える。膝をついて、それから顔を上げた。
「ちょっと今から走ってくる」
 見開かれていたと思った母の目が、さらに大きく開かれた。

 日が暮れたとはいえ、まだまだ街は明るかった。住宅街だから、灯りが十分道を照らしてくれている。夜風は涼しく、日中に温められた道路を冷やしてくれていた。
「危なくなったらすぐに連絡してね」
 玄関口で見送ってくれている母が口元を押さえてそう言った。心配事があるときの母の癖だ。僕は大きく頷いて、ガッツポーズをした。
「上手くいきそうだったら、毎日走るから」
 驚く母を後に残して、僕は道を進み始めた。風が切れていく音がする。大した速度はでていなくとも、街の雰囲気はすんなりと、大きく変わっていった。
 思考が磨り減っていく。疲れや、初めてのナイトランに、緊張しているのが伝わってきた。今のうちにと、考えるべきことを考えておく。
 とりあえず、できるところまで。痩せたり筋力がついたりするのはその次だ。そしていずれは、話してもらえるように。
 ひた走る僕の道の先に、ショッピングモールの工事予定地を取り囲むシートが見え隠れしていた。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ