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彼らの日々 作者:雲鳴遊乃実
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2人目 弓川連

 春が来た。
 それはつまり、僕の高校生活があと一年足らずで終わることを意味する。
 さして大それたことを成し遂げたわけではなかったが、終わるんだぞと突きつけられて平静でいるのは難しい。
 新学期が始まってから、どうにも具合が悪かった。新入生がやって来たという喜びや期待も、このまま無事に卒業できるのかという不安に綯い交ぜにされていた。
 勉強ができないかというと、不遜ながら首を横に振る。今のままのペースを維持できれば、そして学部に拘らなければ、それなりに名の知られた大学には進めるだろう。もっとも拘ったところでどうにもならない。特になりたいものがあるわけでもなく、強く学びたいことがあるわけでもなかった。勉強をすることが、外で遊ぶよりも心地よかったから、続けることができた。だから知識だけならある。でもあるだけで、活用しようとは思わない。自分がどこにいけるのか、今はまださっぱりわからない。
 こんな話を数少ない友達の誰かにしようものならすぐに笑い飛ばされる。それはまだ良い方だ。酷いときは憐れみの目を向けられる。そんなことを考えるくらいなら単語一つでも憶えろよと、親切な瞳が訴えてくれる。確かに勉強をしている間は、余計なことは考えずにすむ。自分が招来にどうなっているのか、いくら考えたところで点数にはならないし、自分だっていつまでも納得しない。考えるだけ時間の無駄。大いにそのとおりだ。だからいつでも自信を持って、僕は疑問を飲み込んでおく。
 何も言わないまま、放課後の教室でペンを走らせる。夕方の五時に見回りの先生が来たら帰る。それが僕の平日だ。春になっても、なるべく維持していきたいものだ。

「新入生歓迎会?」
 思わず口を尖らせて、慌てて語尾を伸ばして誤魔化した。露骨に嫌がられるのはきっと相手だって嫌だろうから。
「それっていつだっけ」
「だから、明後日!」
 町屋千沙は声を容赦なく荒げ、何の変哲もない僕の机を掌で叩いた。
「弓川くん、本当に話聞いてなかったの? 今週のどこかで集まろうって言ってあったでしょ」
「さあ……」
 不甲斐ない僕の返事に、町屋は苛立った溜息をぶつけた。
 新入生歓迎会のことは、さすがに三年生ともなれば知っている。だが日時は完全に意識の外だった。唐突に呈示された期限を前に、何かを言おうとして、言い淀んだ。
「とにかく、今日は部室に来てね。絶対」
 僕に人差し指を三回向けると、踵を返して町屋は教室から出て行った。彼女の教室は三年二組、ここ三年一組の隣だった。僕らのホームルームの方が後に終わり、クラスメイトたちが帰り支度をする中に町屋が現われ、僕に詰寄ってきたというわけだ。
 教室を大きく横切って町屋がいなくなると、奇異の目が自分に向いていることに気づいた。苦笑いを返しておく。僕は目立つ人ではないが、町屋は目立つ。声や身振り手振りが他と比べて一回り大きいように見えたし、彫りの深い顔つきがなおさら人目を惹いた。彼女がどうして、僕と同じ部活に所属しているのか、今を以てして時折不思議になる。
 僕らは写真部に所属していた。町屋は部長で、僕は副部長。他には、僕と同じクラスになった菅原という男子がいる。それ以外にはいない。三年生がたった三人しか所属していない写真部は、今年の新入生のうち三人を確保できなければ、僕らの卒業とともにこの学校から消える定めとなっていた。

 新入生歓迎会は体育館で行われ、それぞれの部活動がステージに上がり、自分達の部活動の良いところを新入生にめいっぱいアピールする。ここ羽杜高校の部活は公式のもので三〇あり、同好会を含めればさらに十五から二〇ほど増える。合計で最大五〇あるのに対し、歓迎会自体の持ち時間は二時間。各団体が二分もアピールできれば十分で、実際持ち時間も二分程度と言い渡されていた。三分を超えればステージの脇から実行委員会が出てきて壇上で語る部活動員を舞台袖にしょっ引く。歓迎会で連行された部活動は次の年に消える、などというジンクスもあるようだが、今のところそれが正しいかは判らない。羽杜高校の面々が時間に几帳面なのか、それとも部活動の喪失を皆が恐れているからなのか。
 いずれにしろ、活動している部は二分間場を持たせなければならない。足りないと言っている部活動が大多数だ。一方で少数派はどうやって二分を持たせるかに苦心する。写真部はまごうことなく後者だった。
「だから、写真なんて持ってきたって見えねえだろ」
 六畳の広さに長机が一つ。その一端に頬杖をつきながら、菅原は粗っぽく言った。
「もう少し大きな、パネルみたいなものでないと見えねえって」
「じゃあ作ってよ」
 相対する町屋もまたぞんざいな調子だった。
「無茶言うなよ」と菅原。「あくまでも写真を見せるなら、って話だ」
 すると、町屋が僕を睨んだ。
「なに」
「一週間あれば出来たかもしれない」
「僕だけの責任じゃないだろ。ここにいる誰も、今日まで何も言い出さなかったんだから」
 言いながら、僕は町屋から目を逸らした。町屋の視線がキツくなるのがわかったが、耐えていたら、やがて町屋の方から目を伏せた。
「そもそも写真を見せたところで、ね」
 どうにかなるものでもない。
 部長が言わずにおいた言葉を、僕は頭の中で続けた。神妙な顔つきを見たところ、多分菅原も同じ事をしていたと思う。
 写真部は、写真を撮る。結果として写真が出来る。それを見せたところで、人が集まるとは限らない。よほど目の覚める先進性がない限り、綺麗な写真の一言で終わってしまう。
「地味すぎるんだよな、紹介するにしても」
 菅原は両手を首の後ろに回し、パイプ椅子に寄りかかって低い天井を仰いだ。薄暗い蛍光管がその瞳に映っていた。
「やっぱりインドアは分が悪いんだよ」
 町屋は今度は菅原を睨んでいた。
「吹奏楽部も箏曲部も期待値高いと思うけど」
「鳴り物は卑怯だ。知りたくなくても勝手に聞こえてくるんだから。その点写真は、興味がないと見てくれない」
 相変わらず上を見上げたまま、菅原は淡々と言った。僕も同意だったが、頷く途中で机を叩く音に遮られた。町屋が机を叩いたのだ。教室で僕の机を叩いたときと、まるで同じように。
「しかたないわね、こうなったらあたしが喋る」
 町屋は敢然と言い放った。あまりにも自信たっぷりなのだが、顔には冷や汗が浮かんでいた。
「喋るって、何を」
「何でも。とにかく場を持たせる。写真部をアピールする。二分でしょ? いけるはずよ」
 町屋はどちらかといえば話す人だ。僕や菅原よりはステージ上に映えるだろう。それにしても、写真部を紹介するというそもそもの困難は消えていないはずだった。
「本当に大丈夫?」
「大丈夫」
 町屋は間髪入れずに即答した。
「あたし、写真撮るの好き。要はそれを繰り返せばいいのよ。一番ほしいのはそういう人なのだから」
 言い放つ姿が力強くて、僕などはすっかり町屋に頼る気持ちに傾いていた。
「まあ、それでもいいっていうなら」
 菅原が首肯すると、町屋はしみじみと目を閉じた。感慨に耽るというよりは、青い顔をして、罪を詫びているような仕草だった。
「大丈夫、大丈夫、大丈夫」
 繰り言の様が怖ろしくて、僕と菅原は目を合わせ、その会合を終わりにした。
 どちらにしろ本番は明後日だ。一日が過ぎ、二日目を過ごせばもう終わっている。時間を飛ばすことができればいいのだが、できないにしても、終わりがあるというのはそれだけで救いになる。部室を出る頃には、次の休みにどこで写真を撮るか、そればっかりを考えていた。

 昔、父の書斎にて本を探したことがあった。小説というものに興味があって、難しいものは読めないから、短く読める古典ミステリの類いを探していた。
 壁一面を改築した本棚に、それらの書籍はおさまっていた。コナン・ドイルにアガサ・クリスティ、エラリィ・クイーン。僕の手に届く棚にはそれらの作家による有名な作品が並んでいて、その頃の僕はすでに何度も読んだことがあった。好奇心を埋めるためには、自分の背よりも高い棚へと手を伸ばさなくてはならなかった。
 足場になるものを探したが、キャスターつきの椅子はストッパーもなく不安定で、本を敷くのは嫌な気がして、結局は机を動かすことにした。少し引きずると、床が軋んだが、無事に動いた。気をよくして思い切りよく動かしたら、机の上から何かが落ちた。
 黒い牛革に包まれた凸型のもの。床に落ちたそれを慎重に拾い、焦燥に駆られながら開くと、クラシックカメラが現われた。古いものだと一目でわかったが、手入れが行き届いているらしく、本体にもレンズ付近にも埃は一切ついていなかった。
 ファインダーを覗いて、書斎を眺めた。顔の傍に構えたまま部屋の外に出た。たまたま父と鉢合わせて、シャッターの切り方を教えてもらった。
 それが僕の、カメラにまつわる初めての記憶だ。何かを作ろうとか、殊勝な心意気があったわけではない。好奇心の行き着く先にそれがあって、景色を綺麗に切り取れたら嬉しかった。失敗もいくつもあったが、それはそれで楽しかった。何をしても楽しかったのだから、これほど気持ちの良いことはない。
 だからといって、誰かにやってみろとか言うつもりはない。興味のない人を引き入れるつもりはない。そんな僕が新入生歓迎会とやらに興味を抱けないのは当然のことで、申し訳ないと思いながらも、町屋に全てを押しつけた。
 歓迎会が終わったら、何か手土産でも送ってやろう。そんな程度の逡巡をしているうちに、当日がやってきた。
 三年一組の教室に町屋の姿がなかったことを知ったのは、歓迎会の始まるきっかり一時間前だった。

「なんでこんなときにインフルエンザになるんだよ」
 もう何度目かわからない愚痴を、菅原は繰り返していた。
 体育館のステージ裏、バレー部とバスケ部の部室が部活動紹介の控え室として解放されていた。ボールの放つゴムの匂いが広がる中、狭そうにしている連中に囲われて、苛立つ菅原を宥めるのに苦心していた。
「事故みたいなものだ。町屋を責めるのはお門違いだろ」
「そりゃそうだけどさ、わかっているけどさ」
 渋い顔のまま、菅原は頭を抱えて静かになった。言いたいことはわかる。言っても仕方ないことだと、菅原だってわかっているのだろう。
 何を話すかは即席で考えた。菅原で一分、僕で一分。とにかく写真部の何が素晴らしいかを語るのだ。僕の頭は笑っちゃうくらい真っ白だ。ないならないでいいのではないだろうか。長引くよりも早めに終わった方が実行委員にとっても他のやる気ある部活にとってもいいのではないか。
「次、囲碁部」
 ステージの上から呼びかけられて、黒縁眼鏡をかけた三人組がおずおずと舞台袖に立った。顔は全員青い。手ぶらな姿と組み合わせて、その心情は痛いほど伝わってきた。囲碁の奥が深いことは僕にも判る。それが体育館のステージに全く似合わない競技であることも、とてもよく判る。
「囲碁部の次が俺らだ」
 俯いていた菅原が、目を押さえて自嘲した。
「こんなのでも、今は心強いよ」
 声を震わせる彼の手元には、カメラと数葉の写真が握られていた。僕も持っている。たとえ客席から見えないとしても、それが僕らの唯一の武器だった。
 何をどうやったのか、囲碁部は持ち時間を二分オーバーした。歓迎会全体としてはすでに一〇分ほどの遅れが生じていた。僕らが早めに切り上げてもさほど白い目では見られないだろう。せめてもの楽観を胸に抱いて、僕と菅原はステージの上に上がった。
 実行委員の司会者が「写真部」と告げる。菅原が小走りに進み、僕も同じようについていった。
「どうも、こんにちは。写真部です」
 菅原は初めこそ勢いよく話した。口を大きく開けて、はっきりと発音をして、身振り手振りを交えた。三〇秒くらいはそれで保った。「ええと」と一声挟んで、次第に勢いは殺されていった。
 意味をなさないことを続ける菅原の背中越しに新入生の顔が見えた。たった三〇秒の間に、すでにやる気が失われている顔がちらほらあった。顔を背けている者も多い。寝ている者もいる。嫌われているというよりは、無関心。音も鳴らない僕らの部活に、彼らは意味を感じ取れないでいる。
 逆に僕は、どうなのだろう。
 何を言おうと思っていたのか、忘れた。飾り立てた言葉の代わりに、喉元が熱くなった。ステージの上に立って、まだ見知らぬ彼らの顔を前にして、気分が高揚していた、とでも言えばいいのか。
 気がつけば僕はカメラを構え、シャッターを切っていた。
 フラッシュに照らされて、瞬間どよめきが新入生達に広がった。しどろもどろに話していた菅原が、完全に止まって、驚愕の目で僕を振り向いた。
「お前、何やってんだ」
 菅原が言った。
 答えようとして、口が震えた。カメラを握る手に汗が滲んだ。
 なおもどよめく新入生に向って、僕は前に出て、菅原からマイクを引き継いだ。
「今、このカメラのフィルムに、さっきの君たちが収められました。どんな顔をしていたのか、それは僕にも、君たちにも、誰にもわかりません」
 口に出すと顔が火照った。それでも、どよめきの薄れるのを感じて、自分が受容されていると無理矢理にでも思い込んだ。
「そういうところが、僕の、写真を好きな理由です」
 拍手など起きるはずもない。水を打ったような静けさが会場を打った。
 僕はカメラを腰のあたりまで下げた。
 持ち時間の終わりを告げるベルが鳴る。
 振り返ろうとすると、腕を掴まれた。実行委員の一人が、厳めしい顔をしてそこに立っていた。

 許可なく写真を撮り、新入生を不安にさせた。
 罪状とすればこんなものだが、納得できないわけではない。肖像権の侵害という立派な罪だ。僕のカメラのフィルムは破棄された。あのとき会場の人々がどんな顔をしていたのかは本当にわからなくなってしまった。
 一週間、部活動は停止された。碌に活動らしいものを行っていたなかった写真部はさほどダメージもなかった。久方ぶりに部室に入ると、すでに菅原が頬杖をついて待っていた。
「いやあ、あれは良い体験だった」
 多少なり怒られることを覚悟していた僕は、菅原の肯定的な物言いが奇妙に感じられた。
「しょっ引かれたんだけど」
「ああ。この三年間で初めて見たよ」
 菅原の態度が、このときようやくつかめてきた。諦めだ。
「……部員、来ないかな」
「さあ。気にする奴は来ないんだろうな。来たい奴が来るんだろ」
 菅原は気軽に言った。新入生歓迎会が終わってしまって以来、いつでも菅原は調子よさそうだった。
「そんなことより、弓川は町屋にどう言うべきか考えた方がいいんじゃないか」
 菅原の言葉に、僕は頷いた。
 一週間の出勤停止を乗り越えて、今日、町屋は登校しているはずだ。当然部活のことも知っているだろう。新入生歓迎会で実行委員から叱責をくらった僕らは、町屋にまだ事実の全てを打ち明けていない。それでも、誰かに聞けば教えてもらえるはずで、もしも町屋の耳に入ったら、今度こそ覚悟をした方がいいだろう。
 暗い予想をしているうちに、部室の扉が叩かれた。
「開いてるよ」
 菅原が先に答えてしまう。
 心の準備ができていない僕は、慌てて背筋を整え、そしてすぐに安堵した。町屋なら、ノックなどするはずないのだった。
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