吉田屋の銀之助
三方向から矢が飛び交う中、勝利を信じる武将たちが正面の野田本陣めがけて突進した。
多くの矢が飛び交っていたが、その矢のほとんどが佐渡軍の勝利に対する執念にはじかれるように地面へと落ちていった。
その後、野田軍の本陣からも武士たちが突っ込んできた。
しかし、無情にも佐渡軍の執念にはじかれていく矢が野田軍の武士たちを次々と倒していった。
それに気づいた野田軍総大将・忠光は一度、矢を射るのを止めさせた。
(今だ!!)
そう思った一人の武将が叫んだ声は戦場にこだまするように響き渡り、静まらせた。
「第二部隊進めーーーーーーーーー!!」
野田軍の背後からその声は聞こえた。
初めに戦場の状況の悪さを佐渡軍が気づいたとき、総大将・義徳に話しかける男がいた。
「戦は一瞬でも怯めば負けでしたな。」
「ああ。どんな状況も怯んではならん。じゃが、状況が状況じゃ。今は死を覚悟せい。」
義徳の返答を聞く様子も無く、男は言った。
「私が野田本陣の裏へ回り、佐渡軍の第二部隊を演じましょう。第二部隊は二、三の者で構いませぬ。しかし、さも武士の大群が来たかのような大きな音をたてれば相手本陣は二つの軍に挟み撃ちをされたと思い、必ずや怯むはずです。」
「餓鬼のような発想だな。成功すると思うか、この戦場で。」
「可能性があるなら、諦めたくはありませぬ。」
男の眼は義徳を睨みつけるように見た。
「勝つために出来ることは全てすべきです!」
義徳は(勝つ)ということを頭から消し去っていた。
「…分かった。五人だけ連れをやる。お前が第二部隊の総大将じゃ。」
男はニヤリと笑い、深く礼をして駆けていった。
その男こそ、吉田屋の銀之助であった。
銀之助の声や彼らがたてる音を聞いた、佐渡軍の攻撃は凄まじさを増していった。
野田軍の前衛の者は後方が見えないため、本陣と戦力が同等の軍が攻めてきたと想像した。
そのため、作戦通りに怯ませることができた。
作戦は大成功だった。
このとき義徳は将軍の補佐役の武士に言った。
「羽生よ、太鼓とはなかなかやるのう。あの男、牛若か。それにしても長い休戦で戦の心得を忘れとったとは…。わしは情けない将軍じゃ。」
「心得とは?」
「負けん戦じゃのうて、勝つ戦をせねば、武士が廃る…というところじゃな。あの男は戦をよう知っとる。」
そのころ銀之助は本陣へ斬り込んでいた。
後方での悲鳴に怯えた武士たちが振り返る、振り返ると本陣の武士に斬られる。
怯んでしまった野田軍の武士たちは刀を振り回すことさえ出来なくなっていた。
そんな中、銀之助は一番乗りで総大将・忠光にたどり着いた。
忠光はまだ気づいていない。馬にまたがる忠光に飛びかかった。
心臓の音が聞こえる…。
「忠光ーーーーーーーー!!!」
あと数センチで刀が首へ届こうかというところで一本の矢が銀之助の頭に突き刺さった。
ブスッと鈍い音をたてる。
意識は無かったが忠光の首を三ミリほど斬りこみ、地面に叩き付けられるように崩れ落ちた。
このとき脳裏に浮かんだのは退助の顔だった…。
目は開いたまま、まだ戦えるんだというように刀を握り締めて倒れていた。そして、誰にも知られぬように涙を流した。涙の意味は誰も知らない。こうして騒がしい戦場で最も静かに、銀之助は死んだ。
戦は一時休戦という形で幕を閉じた。
負傷者は半数以上だったが死者は約百人のうち十人ほどだった。あの状況では信じられない快挙だった。しかし、死者の六人は”第二部隊”の者だった…。
ただ義徳は言った。
「我が偉大なる佐渡軍の者よ、聞け。死んでいった者は戦が弱かったから死んだのではない。戦の勝利に対する執念が強すぎたために死んでいったのじゃ。生き残った我らは彼らに礼を述べねばならぬ。そして、聞いて欲しい。この戦の勝利はたった一人の偉大な武将の活躍によってもたらされたともいえる。男の名は………銀之助。吉田屋の銀之助じゃ。…感謝する。心から礼を述べよう。彼らは英雄だ。全員礼を述べよ。‘ありがとう‘と一言で構わん。そして一礼しようではないか。」
義徳は涙ながらに語った。
こうして五里が岳の戦いは一旦終わりを告げた。
武将たちが家へ戻り、義徳は補佐役の武士(羽生耀光)に言った。
「羽生、銀之助に家族はおるのか。」
「子供が一人。死後は武田屋の鉄太に任せると伺っております。」
彼らは全ての戦に命をかけて挑むため、毎回遺言を将軍家に預けていた。
「挨拶を頼む。あと伝えておいてくれ…。」
<吉田屋の銀之助宅>
銀之助には退助(八歳)がいるため、面倒見は銀之助親友である武田屋の鉄太にまかせていた。鉄太はこのころ四十過ぎだったが足を負傷し、戦に出られなくなっていた。
「ただいまー。ん?遅いのお。父ちゃんはまだ帰ってきとらんのか。」
「まだ戦が終わっとらんのだよ。」
「でも、鉄ちゃん。憲蔵のとこは帰って来とったで。」
「そうか。なら、もう帰ってくるだろ。」
鉄太はそう言いながらも、(もしや)というように思っていた。
辺りが暗くなると村は、生還を喜んだ人々も寝静まったようだ。物音一つしない。
そんな中に一つの家にだけ明かりが灯っていた。
銀之助と退助の家だ。
「もう帰ってこないんかなあ。」
涙目で訴えかける退助に目を合わせることが出来ずに鉄太は答えた。
「大丈夫じゃ…。」
昼間からずっとそれで通してきた。
二人に会話がなくなったとき、静かに戸を叩く音がした。
「父ちゃんや!」
急いで戸へ向かう退助を鉄太が止めた。
鉄太は分かっていた。銀之助に戸を叩く癖が無いし、こんな時間だ。客人でもあるまい。
「退助はここで待っとれ。」
退助も銀之助に戸を叩く癖が無いことを知っていたので、様子を察し、大人しく座った。
鉄太は戸を開けた。
「吉田屋の銀之助殿宅ですな。」
そこにいたのは羽生耀光であった。
「あんた、将軍の補佐の…。ああ、ここは紛れも無く銀之助宅じゃ。」
コクリとうなずき羽生は続けた。
「単刀直入に申し上げますが…銀之助殿は亡くなりました。」
羽生の目が潤んでいた。
「そうか。」
鉄太は肩を落として退助を振り返った。
「子供の世話は武田屋の鉄太殿とお聞きしましたが、鉄太殿でございますか。」
「ああ、そうだ。…銀之助の話は聞いても良いか。」
「はい。彼は…」
羽生が話し始めようとしたとき、鉄太が言った。
「外は寒い。中で話せ。」
「あ、はい。申し訳ございません。」
羽生がゆっくりと歩いて銀之助宅へ入った。
「誰じゃ?」
退助が羽生に言うと羽生が返した。
「佐渡義徳将軍に仕えております、羽生耀光です。よろしくおねがいします。」
すると奥へまきを取りにいった鉄太が帰ってきて言う。
「おみゃあ、子供にまでそんな言葉使うんか。変な奴じゃのう。」
「恥ずかしながら、こういった言葉しかまだ使えないのです。」
鉄太は羽生の顔をチラッと見て言った。
「城の奴はどいつもこいつもえばりくさっとるだけじゃ。ろくに刀の腕もたたんのにのう。あんたみたいな言葉使われたんは初めてじゃ。まあ、案外そういう奴が人の上に立ったりするんやけどな。」
「いえいえ、滅相もない。私はしがない武士ですから。」
「そういうところを言っとるんじゃ。ほれ、火がついた。外は寒かったろう。」
火に当たると、羽生は涙を流した。
「こんなに温かい人たちの大事な人間を死なせてしまい、申し訳ありません。ここに来るまではどれだけ責められるだろうと苦悩していましたのに…。」
鉄太は言い聞かせるように言った。
「何もお前が殺したわけではあるまい。銀之助は、あいつはあいつなりに考えて戦った。その結果がこうなったんじゃ。仕方があるまい。」
二人のやり取りを聞いていた退助が口を開いた。
「なあ、あんた父ちゃんどこか知らんか。」
二人は黙ってしまったが、鉄太がきっぱりと言った。
「父ちゃんは死んだ!もう父ちゃんには会えん!」
退助は赤ん坊のように泣き叫んだ。すると、鉄太が退助の肩をがっしり掴んで言った。「聞け、退助。お前の父ちゃんはな、一生懸命戦って戦って死んだんじゃ。決して勝つことを諦めんかったはずじゃ。泣く時は思う存分に泣け。けどな、泣き終わったらもう泣いたらあかん。父ちゃんは平和のために戦ってた。今は平和か?」
鉄太の問いに泣きながら首を振って答えた。
「そうだ。父ちゃんは死んだがまだ平和でねえ。いいか、退助。今度はおめえが大きくなって立派な武士になれ。そんで父ちゃんのできなかったことをおめえがするんや。わかったか?」
泣きながら退助は口を開いた。
「ヘイワにする。」
(平和のために戦う。)という意思が親から子へ伝わった瞬間だった。
帰り際に羽生が言った。
「将軍からの伝言です。”彼は武士として立派に戦った。私は彼のような武士が増えていくことを期待している。彼は我々の英雄だ。”と申していました。」
「そうか、そりゃああいつも喜ぶ。」
「では、私はこれで。」
こうして、銀之助の意思は退助に伝えられ、時代はさらに進んでいった。 |