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名も無き者達の幸福

シロツメクサを君に

作者:くる ひなた
「決して、人前でスカーフをとってはならないよ」

 母はそう言い聞かせつつ、愛する一人娘の頭にいつもスカーフを巻いた。
 半袖のブラウスの上にボディス、踝丈のスカートの上にエプロンを着ける。
 そうして、頭巾のように頭にスカーフを巻くのが、ここいらの町娘の一般的なスタイルだ。
 母の言い付けを守り、娘は今日もまた金色の髪の上に、お気に入りの花柄のスカーフを巻いた。

 母が亡くなって、もう二月経つ。
 一人遺された悲しみが癒えることはないが、娘は先祖から受け継いだ青果店を守っていかなければならない。
「今年はレタスの出来がいいんだ。卸値、サービスしとくよ」
「わあ、ありがとう、おじさん! 助かります!」
「オレンジを一箱頼めるかしら? 孫に送ってやりたくてねぇ」
「お任せください。とびきり甘いのをたくさん詰めておきますね!」
 新鮮な野菜や果物を卸してくれる農家の人達も、近所の常連客達も、たった十五歳で独りぼっちになってしまった娘を気にかけ、何かと世話を焼いてくれる。
 優しい街の人々の支えによって、娘は慎ましくも穏やかな毎日を送っていた。
 そんなある日の夜のことだった。 
 すっかり辺りは暗くなり、娘がそろそろ店じまいに取りかかろうかと思った矢先、新たな客がやってきた。
 客は、まだ表の棚に陳列されていたトマトを片手にとって、まじまじと眺めている。
 娘は片付けの手を止め、店の中から愛想よく声をかけた。
「いらっしゃいませ」
「ああ、どうも……そろそろ、店じまいの時間だったでしょうか?」
「いいえ、お気になさらず。どうぞゆっくりご覧ください」
「それでは、遠慮なく」
 客は、軍服を纏った若い男だった。
 軍人にしては細身ながら背は高く、言葉遣いは丁寧だが表情は乏しい。
 街には国軍の駐屯地もあるので、軍人自体は別段珍しいことはない。
 この青果店の常連客にも軍人は多いのだ。
 ところが、今宵現れた男の軍服――その腕章を目にしたとたん、娘の表情は凍り付いた。
「……っ」
 ごくりと唾を飲み込み、娘は一歩後ずさる。
 軍人はそれに気づかぬ様子で、手にしていたトマトを陳列台のかごへと戻した。
 そして扉をくぐり、店の中へと入ってくる。
 灯りの下で見た彼の髪は緋色、鋭い瞳は鳶色をしていた。
「贈答用の詰め合わせをお願いしたいのですが」
 軍人は穏やかな声でそう告げつつ、店の扉を閉めた。
「は、はい、喜んで……」
 ドクドクとうるさい心臓の音がどうか軍人の耳に届かぬようにと祈りつつ、娘は慌てて作業台でもあるカウンターの奥に移動する。
 そうすると、カウンターを間に挟んだことで、少しだけ気持ちに余裕ができた。
 娘は頭に巻いたスカーフにずれがないか確認すると、精一杯の営業スマイルを浮かべて口を開いた。
「贈り物のお相手は、どのような方ですか?」
「若い、女性です」
「では、フルーツを多めに入れさせていただいた方がよろしいですね」
「そうですね。あと、花を入れてください」
「花、ですか?」
 軍人の言葉に、娘は戸惑う。
 この店で販売しているのは野菜と果物ばかりで、あいにく生花は扱っていないのだ。
 二軒隣の花屋は、まだ開いているだろうか。
 娘が馴染みの花屋の女主人の顔を思い浮かべ、花を分けてもらってこようかと考えていると、軍人がカウンターに右手を載せて口を開いた。
「わざわざ調達していただく必要はありません。花は、ここにありますので」
「え……?」
 その言葉に、娘は思わずまじまじと彼の顔を見上げた。
 軍人にしては肌が白く、まるで絵本に出てくる王子様のように端整な顔立ちをしている。
 娘も普段ならば、年頃らしく頬の一つも染めただろう。
 しかし、軍人の続けた言葉が、彼女から僅かな血色さえも奪ってしまう。
「シロツメクサです」
「――っ!」
 軍人の左手が、軍服のポケットから一本の草花を取り出した。
 彼の言う通り、それは白い花弁のシロツメクサ――三枚のハート型の葉、たまに四枚の葉をつければ幸福の象徴ともてはやされることもあるが、そこいらの野原に群生している野花である。
 ちっぽけな野花を、わざわざ贈り物に加えろと言うのだ。
 だが、そんな軍人の要求をおかしく思うよりも、次に彼が紡いだ言葉に娘はおののいた。
「シロツメクサは――君も好きでしょう?」
「――っ!」
 娘はとたんに、その場から逃げ出そうとした。
 カウンターの奥には扉があり、その向こうには娘の居住スペース、さらに行くと裏通りに続く勝手口がある。
 幸い娘は足には自信があったので、路地に出ればどんな相手でも撒けると確信していた。
 だが――

 ――ダンッ!

 店内に大きな音が響いたと思ったら、娘の頭上が一瞬陰った。
 さらには、扉に手をかけようとした彼女の前に、黒い影が立ち塞がる。
 あの軍人がカウンターを飛び越え、その勢いのまま娘を追い越して先回りしたのだ。
 とっさに後ろに飛びずさろうとした娘の腕を、軍人の手が掴む。
 そうして、ぐいと前に引かれたと思ったら、娘の背中は閉じたままの扉へと押し付けられた。
 ――バン!
 すかさず娘を囲うように、軍人が両手を扉についた。
 かと思ったら、その一方の手が、今度は娘の頭に巻かれた花柄のスカーフに触れる。
「――やっ、いやっ!!」
 娘は我武者らに腕を振り回してそれを振り払おうとする。
 しかし抵抗も虚しく、軍人の手は容易く娘のスカーフを剥ぎ取ってしまった。
「――!!」
 娘は声にならない悲鳴を上げると、両腕で頭を抱えるようにして扉の前に踞った。
 すると軍人の方も、剥ぎ取ったスカーフを手に持ったまま彼女の前に腰を落とす。
 そして、スカーフを持っていない方の手を伸ばし、そっと触れた。

 娘の金色の髪と同じ色の毛――華奢な両腕では隠し切れずに飛び出した、長い長い耳の先に。

 娘は、獣人だった。
 それも、長い耳を持つ、兎の獣人である。
 かつてこの世界を支配していた獣人は、やがて台頭してきた人間の勢いに押され、生態系の頂点から引きずり下ろされた。
 すっかり数を減らした彼らは、今では人間の手により管理され、飼育されている。
 種の保全と銘打ってはいるものの、それは獣人達に隷属的な服従を強いるものだった。
 獣人にだって誇りがある。
 人間の奴隷となることを嫌った一部の者は、山に逃れて身を潜め、あるいは人に紛れて息を潜めた。
 兎族の娘の先祖は、後者の道を選んだ。
 なにせ彼らは、頭から突き出た長い耳さえ隠せば、人と変わらぬ容姿をしていたのだ。
 女性は頭にスカーフを巻き、男も帽子をかぶる習慣があることが幸いし、彼らは容易く人間の街に紛れることができた。
 ところが、人間達はそんな彼らを見逃してはくれなかった。
 獣人は数では敵わなくとも、個体それぞれの能力は人間にとって脅威であったのだ。
 人間は、ともかく彼らを支配し、管理下に置きたがった。
「四六時中、耳をスカーフに押し込めていては、さぞ窮屈だったことでしょう」
 軍人はそう言ってため息をつくと、まだ頭を抱えたまま震えている娘を抱き上げた。
「やっ……!」
 突然高く持ち上げられ、不安定に揺れた身体を支えようと、娘はとっさに彼の腕を掴む。
 ちょうどそこには、娘を最初に怯えさせた腕章が付けられていた。

『獣人保護庁』

 それは獣人を捕縛するため作られた、この国の特別機関である。
 鋭い牙や爪、時には毒を持つ獣人達。彼らと一対一で対峙した場合でも、容易くそれを取り押さえられるほどの猛者ばかりが集められているのだ。大陸最強を誇るこの国の軍の中でも、エリート中のエリート軍人だけで編成されたチームであった。
 さらには、自分を抱き上げた軍服の胸に、“長官”のバッジを見つけて、娘は愕然とした。
 この若さでエリート集団のトップに立つような相手に、足の早さだけが取り柄の自分が敵うはずもない。
 敵うはずもないが、娘は必死に腕を突っ張り身を捩る。
 兎族の娘に同じく兎族の母が、その母にも同じく兎族の祖母が、兎族であることを人間に知られてはいけないと、懸命に言い聞かせてきた。
 何故なら、兎族は容姿が特に優れているばかりか、人間にとってそれは嗜虐心をくすぐるものであったのだ。これまで人間に捕われた兎族の若い娘は、ほとんどが高級娼館で飼い殺しにされたという。
 このまま捕まれば、自分も同じような目に遭わされるにちがいない。
「いやっ! いやぁっ……!!」
 頭の中が恐怖でいっぱいになった娘は、自分を捕える腕から逃れようと懸命に手足をばたつかせる。
 そんな彼女の長い耳に唇を寄せ、軍人――いや保護庁長官は、静かに囁いた。
「この街に獣人が住んでいるという情報は、何年も前から我々も把握していたのです。ですが――まさか、街ぐるみで匿っていたとは……」
「え……?」
「街の者達は、君のことはもちろん、君の母親や祖母が獣人であることを知っていました。知っていながら、黙っていたのです」
「……」
 保護庁長官の言葉に、娘は呆然とした。
 朝採り野菜を届けてくれる農家のおじさんも、いつもフルーツを箱買いしてくれる太っ腹なおばあさんも、売れ残った花でリースを作ってプレゼントしてくれる花屋のおばさんも、みんなみんな、娘が獣人であることを知っていたというのだ。
 この国の法律において、獣人は人間とは対等ではないとされ、国民がそれを発見した場合は軍に報告する義務が課されている。
「君がここで大人しく私に捕まらねば、街の者達が獣人隠匿の罪に問われることになります」
「そんなっ……」
「自分がどうすべきか、分かりますね?」
「……」
 保護庁長官の言葉を聞いた娘は一切の抵抗をやめた。そして、大人しく彼に身を預ける。
 保護庁長官はそれに満足げに頷くと、意外にも優しい手付きで彼女の頭を撫でた。
「安心なさい。君はこれより私の保護下に置くことになりますが、不自由を強いるつもりはありません」
 そろり、と娘の茜色の瞳が不安そうに保護庁長官を見上げる。
 彼はそれに鳶色の瞳を細め、怯える子兎を宥めるように穏やかな声で続けた。
「私の屋敷の庭には、シロツメクサがたくさん生えています。全て、君に差し上げましょう」
 シロツメクサは、兎の、そして兎の獣人の好物でもある。
 かくいう娘も、シロツメクサのおひたしが大好きだ。
 娘は真意を図るように、じっと保護庁長官の顔を見つめる。
 すると彼は、ここでようやく笑顔らしきものを浮かべて、「そのかわり」と告げた。

「君は、私のものですからね」

 こうして、兎族の娘の、穏やかでいて甘い隷属の日々が始まった。






 *********






「――お疲れ様です」

 軍服を来た若い男が、同じく軍服の男連中に向かってそう声をかけた。
 後者の中には、最初に声をかけた男よりもずっと年嵩に見える者もいる。
 しかし、彼らは一斉に姿勢を正し、お疲れ様でございます、と言葉を返した。
 さらにその内の一人が、若い男に向かって問う。
「長官、もうお帰りですか?」
「ええ、仕事が早く片付きましたので。先に失礼します」
 齢二十五にしてこの庁舎で最も高い地位にある男――獣人保護庁長官はそう答え、一同の脇を抜けてスタスタと歩いていく。
 その背中を見送りつつ、軍服の男達――彼の部下である獣人保護官達は顔を見合わせた。
「長官……ここのところ、実に楽しそうですなぁ」
「前は残業ばかりなさっていたのに、最近はいそいそと定時でお帰りになる」
 その理由を知っている保護官達は、にんまりと笑い合う。
「そりゃあ、あーんな可愛い子が家で待ってりゃあ、早く帰りたくもなりますわなぁ」
 獣人保護庁のトップである若き長官。
 彼は一月ほど前、獣人の少女を一人保護していた。
 さらには、獣人管理許可証なるものを保護庁に申請し、彼女を自らの屋敷にて飼育する権利も得たのだ。
 たとえ、その申請書に許可の判を押したのが、長官である彼自身であったとしても、一応は正式な手続きを踏んでいる。
 敬愛する上司の決定に否と唱えるつもりのない保護官達は、庁舎の玄関を目指す彼の背中を眺めて続けた。 
「何たって長官、五年も前からあの兎のお嬢ちゃんを見守ってらしたんでしょう?」
「街の連中がしっかり守っていたから、あえて手出しなさらなかったんですよね」
 保護官達の言う通り、保護庁長官はずっと早くから獣人の所在に気づきつつ、彼らに接触していなかった。
 それなのに、なぜ今になって、あの兎族の娘を捕まえに行ったのか。
 それには、もちろん理由があった。
 兎族の娘が保護される直前、この国の上層部では大規模な人事異動が行なわれた。
 それにともない、娘が匿われていた街に駐屯している軍でも、部隊長の交代が決定した。
 これまでの部隊長は、保護庁長官と親交が厚くいろいろ融通を利かせてくれる相手であった。ところが、新しく赴任することになったのは、筋金入りの堅物男。
 赴任先に獣人が住んでいると知れば、彼は兎族の娘を手荒く捕えるばかりか、娘を匿っていた街の者達をも罰することだろう。
 それを避けるためにも、保護庁長官には彼女を迅速かつ確実に保護する必要があったのだ。
「長官、情が深くていらっしゃるからなぁ」
「兎のお嬢ちゃんの母親の葬儀にも、こっそり参列なさったんでしたよね」
 そんな事情を知らなかった兎族の娘は、保護庁長官に保護された当初、彼に対して怯えるばかりだった。
 それでなくても、母親を亡くしたばかりで、悲しみも癒えぬ身。
 保護庁長官は、とにかく彼女に対して紳士的に接した上に、甘やかせられるだけ甘やかしたらしい。
 その甲斐あって、兎族の娘の警戒心は随分と和らいできたと聞く。
 ようやく自分に懐き始めた可愛らしい少女が、金髪からふわふわの毛に覆われた長い耳を生やし、茜色のくりんとした瞳で見上げてくるのだ。
 それが待つ屋敷に向かう足取りが、軽やかになるのも自然なことだろう。
 保護官達は揃って頬を緩め、うんうんと頷きつつ上司の背中にまた視線をやった。
 すると、その視線に気づいたのか、ようやく庁舎の玄関に辿りついた保護庁長官が立ち止まる。
 そして、くるりと部下達を振り返り、口を開いた。

「君達も早く上がって、たまには家族サービスしなさい」

 それを聞いた保護官達は、そろって姿勢を正すと、びしりと敬礼して言った。


「――御意にござります!」





「くるひなたは5RTされたら奴隷な兎の獣人が奴隷にされる話を書きます」
 http://shindanmaker.com/483657
 診断メーカーのお題より。

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