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ハヤンの憂鬱
作:愁華錬我



第48話 怪物退治


 
 思えば、人生の前半は無駄に過ごしていた。
 パンチェッタはそう思っている。
 生まれついての腕力で無頼に生き、いつ死んでも良い、そういう人生だった。
 ある時、自分が生まれ育ち仲間もいた貧困街が、政府の新首相の『住みよい清潔な国に』という改革で徹底的に破壊された。
 首相は、国民に対しては、「話し合い」で、解決し、そこに住む者達にはそれなりの新天地と支度金を用意したと言ったが、それは真っ赤な嘘だった。
 話し合いなど行われず、与えられた新天地はあの世だった。 
 早朝に突然、軍の武装集団が貧困街を襲撃し、そこに住む者達を虐殺したのだ。
 そこに住む者は、住民票も無く、選挙権も無く、そして税も納めようとしない、国にとっての癌。
 非公式に抹殺しようとしたのだ。
 あるいはまっとうな国民とやらも、その作戦に気付いていたのかもしれないが、気にも留めなかったのだろう、目の前でゴキブリが叩き潰されようとしている時に、それを助けようとする者がいないように。
 その中を、奇跡的に逃げ延びられたのは自分1人であった、その際にほとんど素手で武装した軍人を数人撲殺し逃走したのだ、連中にしたら早朝という時間に奇襲を仕掛けられて反応できる人間、しかも重火器を持った軍人に対抗できる人間の存在など想定外だったのだろう。
 それが俺だった。
 住んでいた街を追われ、路頭に迷った時に助けてくれたのが、英雄連の男であり、それが縁でその男に弟子入りし、その後は世界各国に旅をして、その際に人助けをしていたら、いつの間にか英雄の称号を与えられていたのだ。

 それからは、いつもそうだ。
 いつも、窮地に立つと、鳥肌がピリピリとしてくる。
 恐怖からかもしれない、喜びからかもしれない。
 子供の頃から、今に至ってもそれは変わらない、足が震えてくるようなほどの緊張、舌が乾き、吐き気がして、眼が眩むような感覚。
 自分の世界が壊される瞬間、自分が感じていたのは叫びたくなるような興奮と、激しい怒りに似た感情、それを楽しむような狂った愉悦。
 吐き出してしまわないと壊れてしまいそうな情動。

 誰かの為に命を張るのも嫌じゃないが、自分の為に自分の力を思う存分使い、その結果に死があってもまるで構わない、そういう闘いが本当は一番好きだ。
 自分が死ぬ事により、誰かが傷つく事の無い闘い、それが理想なのだ。
 そういう意味では、今のこの戦いはまるで違う。
 とりあえずここで呆気なくやられると、まず間違いなく背後にいてこれから使うであろう大技の為に意識を集中している爺さんが死ぬだろう。
 それだけじゃない。
 この戦いはそれほど意味が無いかもしれないが、この奥で行われているはずの予想も付かない”何か”は、きっと世界を揺るがすほどの大事である、それは何としても防がなければならないのだ。
 しがらみだらけだ。
 だが、それも良い。
 英雄という重い鎖を体に巻きつけた日から、その重さをも糧にしようと決めたのだ。
 英雄という称号を誰かに誇るつもりはない、誰かから称えられたいと思ってもいない、欲しくて貰った訳ではない、自分が好き勝手に行動した結果だ。
 だが、決して軽い名ではないと自負している、自分自身が、自分自身に対してだけは、絶対に偽らない正義を持ち、そしてそれに殉ずる覚悟と行動をする、それこそが自分の考える英雄像なのだから。 
 少なくとも、パンチェッタはそう思っている。

 背後からは、とてつもない気のうねりを感じる。
 例えるならば、大海に潜む鯨の量感。
 決して水面から跳び上がったりはしないが、その存在だけは間違いなく感じられるほどの存在感。
 流石だ、と思う。
 これだけの気を全開で放てば部屋全体が振動するほどの気の波動が感じられるはずだが、それをしっかりと押さえ込んでいる。
 自分も決して気の総量ではダルマに引けをとらないと思う。
 だが、気を操る技術ではダルマが圧倒的に上だ、気を刃物のようにしたり、身に纏ったり、そういう事は俺には出来ない。
 例えるならば瞬発力ならば自分、持久力ならばダルマというところか、その例えも本当に正しいかどうか分からない、あの爺さんの底は恐らく死ぬまで誰にも見せないだろうからだ。
 気を扱う技術の中でも、気を体の一部分に凝縮するというのは難しい、自分が出来るのは溜まった気を相手に叩き付けるだけだ、溜めたりするのはまどろっこしいと思ってしまう、そうしている間に何十発も叩き込めば良いからだ。
 だが、そういう考えも目の前のこの怪物を前にするとかすむ。
 こういう相手を倒すには、微細な連続攻撃では駄目、圧倒的な一撃を叩き込まなければならない。
 
 目の前には、もう怪物が迫っている。
 最初の頃より、動きも構えも、段違いに違う、戦いの中で急激に成長している相手だ。
 これを相手に3分間…… 
 
 「遊ぼうぜ、3分間だけ付き合ってやるよ」
 パンチェッタのその言葉に呼応するように、聞く者が聞けばすくみ上がる様な強烈な雄叫びで怪物はそれに答えた。 
 パンチェッタは震えた。
 だが、それは恐怖に起因しているとは思えなかった、その唇には喜悦にしか思えない笑みが浮かんでいた。


                          ・

 パンチェッタは巧みに動いた。
 怪物の矛先が、ダルマに向かいそうになると攻撃し、それ以外は距離を取って牽制しながら戦った。
 もしも、審判のいる試合であればもっと積極的に戦えと注意を受けるかもしれないが、そんな者はいない。
 だが、それにしても決してセコいという風には見えない、猛牛と相対する闘牛士マタドールのように、華麗に動き、相手の動きを制御しているようにすら見える。
 3分間、1人でこの怪物の足を止めるには最善の選択に思える。

 ――と。

 怪物の動きが急に変化した。
 さっきまでは呆れるほど単調な全力攻撃であったのだが、更に加速し、しかもフェイントも織り交ぜた変則的な攻撃を仕掛けてくるようになった。
 これは堪らない。
 パンチェッタも必死で避けるが、どれもギリギリだ、達人はミリ単位で攻撃を見切って避ける事が出来るというが、今現在少なくともパンチェッタは避ける事に専念しながら、その攻撃をギリギリ避けている状況である。
 (クソッ! 速過ぎるぞ!)
 パンチェッタは心の中で愚痴った。
 一体今、何分経過したのだろうか。
 1分? 2分? あるいは30秒程度しか経っていないというのか。
 パンチェッタが頭の中で余計な事を考えた瞬間、まるで嵐が止むように怪物の猛攻が止まった。
 人は、慣れる動物だ、良くも悪くも。
 パンチェッタはこの怪物の圧倒的な速度にも慣れつつあった、その途端に動きが止むと、一瞬ではあるが虚を突かれる、それは致命的とも言える隙なのだった。
 
 ゴゥウァァァァァァァッッ!!
 
 怪物の腹が一瞬膨張したように膨らむと、先ほどプルシコフの振動波を掻き消した時に使った、怒号に似た雄叫びをパンチェッタに浴びせかけていた。
 「ぐうぅ!」
 声というより、衝撃波であった。
 パンチェッタの体は吹っ飛ばされていた。
 怪物の視線が、ダルマを捕らえていた。

 「おいおい、まだじゃぞ。もう少しは粘らんか、阿呆が」
 ダルマは平静を装っているが、後1分は気を練らないと、この怪物に通じるはずの技、灰塵掌は打てない。
 避けながら気を溜める事は出来るかもしれないが、その分防御が疎かになり、しかも攻撃は出来ないから相手のサンドバックになってしまうだろう。
 そう考えている間にも怪物はダルマに向かって突進していた。
 ダルマは動かない。
 動けばせっかく溜めた、気が四散する。
 これで良いと思って気を固定するならば、多少は動いても揺るがないが、気を溜める状況で有るならば他のあらゆる動きはそれを阻害するだけの行為に他ならないのだ。
 そしてダルマは待っていた。
 あの英雄が、あの程度でやられるわけが無いと知っているからだ。信じている訳ではない、誰かを信じたり頼ったり、それはダルマの人生とは無縁の世界の話だ、ダルマはただ分かっているだけだ、自分が知っている限りの出来る範囲の事をあの男はやれるという事を。
 だから動かない。
 怪物の手が、振り下ろされようとしても動かない。
 
 「遅いわ、英雄」
 「うるせえ、じじい」

 パンチェッタの一撃は怪物の後頭部を叩いて、怪物はダルマを飛び越える形で吹っ飛んでいた。
 背後からの後頭部への一撃は危険な攻撃であり、しかもそれがパンチェッタの拳で有るならば、どれほど鍛えても勝負が決する一撃で有るのだが、吹っ飛ばされた怪物は見事に両足で着地までしてのけていた。
 ダメージが重いようにはとても見えない。
 「後、一分だったら、稼いでやるよ」
 パンチェッタはダルマの方を見ずに囁くように言った、そしてそれと同時に先ほどまでとは違い、怪物に向かって全力で走った。
 「充分……」
 ダルマは、パンチェッタには聞こえないだろうという声でそう答えた。

 それからのパンチェッタの攻撃は凄かった。
 時間稼ぎとは思えない、それで相手を殺すような、自分の魂を削り相手に叩きつけるようなそういう攻撃しかしなかった。
 しかも、それでいて、怪物の攻撃を一回もまともに喰らわない。
 神業と呼べるほどの動きをパンチェッタは見せた。
 人が一分間に行える動きを全てしたのではないかという動きである。
 恐らく肉体のどの部分も、使われなかった筋肉は無い、その全ての肉を最大限に稼動させ、限界以上の力を引き出さないと出せない動きをパンチェッタはしていた。

 しかもその攻撃の全てが通常の陸上歩行生物の急所と思える部分を叩いている。
 眉間。
 人中。
 喉。
 心臓。
 鳩尾。
 肝臓。
 基本的に、全力で叩けば、普通ならば体のどの部分でも急所といえるかもしれないが、それでも一呼吸の間にこれらを同時に打ち抜かれると、悶絶では済まない。
 流石の怪物も多少は怯み、胃の内容物を僅かに口から吐き出していた。
 それでもパンチェッタは止まらない。
 今、どれだけ時間が経ったのか、それすらも気にならない。
 全力でやるだけだった。
 パンチェッタは雄叫びをあげていた、悲鳴ではない、雄雄しい魂の叫びである。
 もしも、手を少しでも休めたらそれで終わってしまう気がしていた、だから休まない。
 一分間、これで時間を潰す気なのだ。
 相手が手を出す間もない攻撃の連続、相手が動いた部分を叩く、それだけだ。
 片腕のパンチェッタがそれを出来たのは奇跡に近い。
 だが、その奇跡は終わろうとしていた。 
 明らかにその動きが鈍り始めていた。
 だが、怪物の動きはむしろ良くなっているように見える、パンチェッタの顔が青い色に変わり始めていた。
 酸素欠乏症の症状がパンチェッタを襲っていた、その体を動かしているのはもはや気力である。
 だが、どれほど優れている肉体であろうと、気力だけでこの怪物には通じない。
 先ほどまではまるで当たらなかった攻撃がパンチェッタを捉えていた。
 体の真正面、内臓に怪物の蹴りがめり込んでいた。
 ほぼ水平に、パンチェッタの体は蹴り飛ばされ、そしてもうそこから立ち上がるだけの気力はパンチェッタにはもう残されていなかった。
 
 だが、怪物には関係ない、散々自分を痛めつけた相手に止めを刺そうと、猛然と倒れたパンチェッタに襲い掛かろうとしたが、その前に1人の男が立ちはだかった。
 「30秒も余計に稼いでもらったわ、釣りを返さんといかんの」
 ダルマが、不敵な笑みを浮かべて怪物の前に立った。
 その右手がまるで黒い手袋をしているように、漆黒に染められていた。

 パンチェッタはもう立ち上がれないが、顔だけダルマと怪物の方にどうにか向けて、様子を見ている。
 腹に激痛が走っている、これで死ぬような生易しい鍛え方はしていないが、どちらにせよダルマの技が怪物に通じなければそれで終わりだ、殺されるのを待つだけであろう。
 ならば、どういう結果が出るか見るしかない、吐き気に耐えながらパンチェッタは二人に視線を送っていた。
 パンチェッタの推測では、あの掌に込められた気の総量は、以前戦った時の黒い球体に使っていた分のおよそ倍以上、それを右掌のみに集中させる技術は感嘆に値するほどであった。
 あれだけの気を使った技。
 一体どれほどの技なのか――

 怪物も、今は多少は警戒している。
 それなりの知能が有るのかもしれない、1人が時間稼ぎをしてそれがもう1人の逃走を助ける為でないなら、自分を殺す準備をしていると考えるくらいの知能が。 
 だからか、中々近寄ろうとしない。
 知能というより本能に近いのかもしれない。
 だが、ダルマは焦らない、自分からは決して近付こうとはせずに、怪物が近付いてくるのをただ静かに待っている。
 先に動いたのは怪物だった、目の前の獲物を前に餓えた肉食獣がじっと我慢できないように、ダルマに飛び掛っていた。
 ダルマも、それと同時に動いていた。
 その動きは、無駄が無く、洗練されていて、怪物の圧倒的な速度よりも遥かに遅いはずなのに、怪物の攻撃よりも先に、ダルマが怪物の懐にスッと流れるように飛び込んでいた。
 美しいとさえ思える動きであった。
 飛び込むと同時に、ダルマの右掌が怪物の腹部に吸い込まれるように動いていた。
 
 灰塵掌!

 怪物の体が一瞬止まった、だがそれは本当に瞬きに満たない時間であった。
 無常にも、怪物の右手が、ダルマの体を軽々と弾き飛ばしていた。
 その右掌からは既に黒色が消えており、普通の肌色に変わっていた。
 通じなかった……、そうとしか思えない。
 
 「爺さん……、マジかよ」
 パンチェッタは愕然としてその言葉を吐いていた。

 一方、ダルマもそれとは別に一つの言葉を吐いていた。
 「やはり……失敗作じゃの、封印しておいて正解の技じゃわ……」
 必殺の技は不発で、左手は今の攻撃をまともに喰らいへし折れ、肋骨も3本は折れているだろう、もはや勝負は決した。
 そうとしか思えない状況なのに、ダルマの顔には奇妙なほどに悲壮感は漂っていなかった。

 「たかが命を奪うだけに、あまりにも破壊力が仰々し過ぎるわい」
 その言葉はパンチェッタの耳にも届いていた、そして見ていた。
 怪物の右腕が、ダルマを叩いたと同時に肘からまるで腐った木の枝のように折れていたのだった、骨がではない、腕自体が折れているのだ。
 「ゴ……? ガァアァァ……?」
 怪物はその右腕を不思議なものを見るように一瞬見たが、すぐさまダルマに向かって駆けた。
 走りながら奇妙な事があった。
 怪物の身長が一歩走るごとに徐々に減って行っているのだ。
 一歩踏み出すごとに5cmずつは減っているように見える。
 地面を踏み込むと、その衝撃に肉体がボロボロに崩れている、先ほどまでパンチェッタがいくら必殺の一撃を叩き込んでもビクともしなかった頑強な肉体が、今ではまるで古くなったスポンジのように脆く、砕けている。
 だが、それでも怪物は走っている。
 人間ならば、激痛で動きを止めるか、転んでいるのに、自分の足の異常に気にも留めないように一直線にダルマに向かっている。 
 もう、足は太股の部分まで破壊が進んでいるが、ようやくダルマの前にまで辿り着こうという所で、その太股も崩れた。
 だが、それと同時に怪物は跳躍していた。
 有り得ない跳躍であった、もう太股の根元しかない足で出来る跳躍ではない。
 怪物は自分がもう助からないと悟っているのかもしれない、最後の最後に自分をこのようにしたダルマに一矢報いたい、そう考えているのかもしれない、もしくはただ単純に強烈な破壊衝動にのみ突き動かされた結果なのかもしれないが。

 怪物が耳の付け根まで口を大きく開き、ダルマに飛び掛っているが、ダルマは微動だにしない、そのような余力がもう無いのか、あるいは――
 その必要が無いと知っているのか。
 怪物の牙が、ダルマに届こうかというところでもダルマは瞬き一つしなかった。
 ダルマがした動きはたった一つ。
 日常でどのような人間でもごく当たり前にする動作だけである。
 すなわち呼吸を吸い込み、吐く、ただそれだけであった。
 まるで、誕生日のロウソクの刺さったケーキの火を吹き消すように、怪物に向かってしたのだ。
 その呼吸が、まるで何億度の高温の風のように、怪物の肉体は哀れとも思えるほどに空気中に散っていた。 
 どのような再生能力を持っていようと、ここまで破壊されて再生するとはとてもじゃないが思えない。

 「まさしく、灰塵に帰すか……」
 ダルマの言葉通りであった。
 












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