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ハヤンの憂鬱
作:愁華錬我



第38話 怪異比べ


 
 プルシコフは、デモニムと向かい合っている。
 場所はまだ車の中である。
 プルシコフは、車の入り口に近い場所に立っている。
 デモニムは、車の中央の辺りに立っている。
 大の大人が背を縮こませなくても、まだ天井が頭に届かないほど天井は高い、車内の空間もかなりゆとりがある造りになっている、だが激しい戦闘となると動きはかなり制限されるだろう。
 向き合う2人を、未だ眼を覚まさないハヤンに、寄り添うように座っているエクが見ている。
 傍から見ても、デモニムの雰囲気が一変したのが分かる。
 今までは、どこか不気味で掴み所がない分、真剣さとかそういう類の物が欠落しているような印象を受けた。
 だが、今はまるで違う。
 まるでその肌から溢れる熱気が、周囲の景色を歪ませているように見えるほどである。
 殺意も有る、悪意も有る、だが何かもっと違い質の、それでいて強い力がデモニムの肉体のそこから昏々こんこんと溢れているようにすら見える。
 その常人ならば一歩後退あとずさりしてしまうほどの、物理的な圧力すら感じさせる情念の塊をぶつけられても、それをプルシコフはどれほどの熱にあぶられても溶け出さない永久凍土のような気で、それを受け止めている。

 「外に出ようぜ、おい。名無し野郎」
 デモニムが、そう言った。
 名無し野郎とはプルシコフの事だ、まだデモニムはプルシコフの名前を聞いていない。
 名前くらい名乗っても良いと思うのだが、何かしらの不利益が有るから名乗らないのか、それとも本当にさっき言ったとおりこれから死ぬ相手には名乗るつもりが無いと言うだけなのだろうか。
 「外か」
 プルシコフは、呟くように答えた。
 雨が降ってきて、ただ単純に『雨か』と言うように、相手の言葉に対する同様の類が見られない。
 「お前がどういう戦い方をするか知らないが、そのとばっちりでどっちか分からないが俺の標的が傷つくのは困るからな」
 デモニムの眼が鋭く光を放っている。
 これからプルシコフがどういう反応をするか、それを冷静に分析している目だ。
 この提案にプルシコフが乗り、この車から出る時、後ろを向くはずが無い、無防備な背を晒す事になるからだ。
 つまり、後ろ向きにデモニムの方に視線を向けながら車から出るはずだ、どちらにせよ車から出ようとしたらそれで勝負は決する。
 もう既にそれだけの準備を施しているからだ。

 デモニムの能力。
 それは、異空間を操る能力である。
 正確に言うならば、異空間を自在に出入りする能力とでもいえば良いのか。
 どれほどの広さなのかデモニムにも分からない空間だ。
 普通の空間とは違う、まったく別の空間。
 そこは距離の感覚が狂っている空間である。
 視覚的に言うならば真っ暗な宇宙空間と似ている。
 まだ能力に慣れていない頃は、デモニムがその中で少し移動したつもりだったのに、数百kmも移動していた事もあった。
 だが、今ではその能力の研鑽は済んでいる、数cm単位まで把握している、普通の距離とはまったく違うその空間での距離をデモニムは完全に自分の物にしていた。
 その異空間との出入り口は幾つも開けられるが、出入り口の大きさは最大で大柄な人一人分程度、しかもその入り口は不可視、つまりデモニム以外の人間の目ではその空間には何も無いようにしか思えない。
 だからクァルゴもダルマも、そのいわば空間に仕掛けられた落とし穴にはまってしまったのだ。
 何かしらの殺気の類や、攻撃の予兆でもあればどうにか行動を取れたかもしれないが、何も無い空間に仕掛けられた判別不能の物を回避する事は出来なかったのだ。
 しかも、その空間の落とし穴は、上手くその穴にはまれば良いが、穴の淵にうっかり触れてしまうと、この世のどんな刃物よりも切れ味を発揮する。
 だから例えば、デモニムが相手を殺すつもりならばわざと小さい空間の穴を開けて相手が動くのを待てば、それだけで充分に恐ろしい見えない罠を仕掛けたのと同等の意味を持つ、相手が何気なくその穴に触れればその部分だけ、すっぱりと異空間に送られる、手が触れれば手を、足が触れれば足を、胴体の真ん中が触れればその部分の内臓を丸ごと、それだけの傷を負えば助かりようが無い。
 
 そして、その空間の中に放り込まれると、デモニム以外の物の時間は止まる、止まるのだがまた元の空間に戻すと穴に入ったのと同等の速度のまま動く。
 例えば、車が時速100kmで異空間に放り込まれたら、もう一度元の空間に戻したら時速100kmのまま出現すると言う事だ(もっとも車のような大きな物はデモニムが造る異空間の入り口を通れないが)。
 異空間に放り込むのが、物でなく人であれば意識を失いその空間から出るまで行動も出来ない、だがその分餓死もしない、しかしデモニムは何度か実験してみたが、人間をこの空間に放置するとその人間の意志力に応じてだが、どれだけの相手でも1週間はこの中に放置されると、精神のどこががおかしくなる、意識は無いはずだが普通の状態ではなくなるのだ、意志の弱いものならば一日も放り込んでおけば同じようになるかもしれない。
 だが、飲食物ならば恐らく数百年は入れっぱなしで問題ないだろうとデモニムは思っている。
 デモニムはこの異空間が自分の能力で出現したのか、それとも異空間は自分が生まれる前から存在して、その出入りを許されたのが自分なのか、それはどちらか分からない、分からないがどちらでも良いと思っている。
 問題なのは、重要なのはそれをどう使うかだ。
 今までは、この能力に振り回されていた気さえする、だがこれからはこの能力を乗りこなす。
 あるいはこの能力こそが王の力と呼ぶに相応しいのではないのか、誰にも進入を許さない世界を持ち、相手には見えない武器を持つ。
 だが、さきほどデモニムがプルシコフに向けて銃を撃った時、デモニムは銃口のすぐ前で異空間を開き、そしてプルシコフから見て死角の位置からその弾丸を出現させたのだった。
 脅しの為だ。
 予想していたであろう弾丸の軌道とはまったく別の場所から出現する弾丸、目の前の男がどれほどの相手だろうと、どういう技術を持っていようと、これには肝を潰すだろう、薄っぺらなポーカーフェイスを崩してやる、そのつもりでの攻撃だったから殺すつもりは無い、足だけを狙う、そうデモニムは考えていた。
 だが、その弾丸は見事に外れた。
 たまたまとは思えない。
 たまたま前進したら、弾丸が外れたのだと思うような楽観的なアホならば、戦場で生き残れない。
 あれは、能力だ。
 どういう能力か分からない、だが推測だけするならば、予知の類か、とデモニムは考えている。

 未来予知。
 そういう能力ならば、自分の弾丸が外された説明にはなるが、それが答えかどうか知りようが無い。
 ならば、とデモニムの思考はもう既に固まっている。
 相手が未来を予測しようと関係の無い攻撃をするまでだ。
 既に、車の出口のすぐ傍に、普通に歩いて出たら体の一部が絶対に削れるように、異空間の穴を開けている、ゴルフボール程度の大きさの穴だ。
 その穴でも人の肉体を削れば、そのダメージは計り知れない、胴体ならば致命傷、四肢のいずれかでも戦闘に影響するダメージを与える事が出来る。
 なおかつ、出口だけでなく、自分に向かって来た時の事も考えて、デモニムはまるで盾のように幾つも不可視の異空間の穴を自分の前に開けている、プルシコフが突っ込んできたらその体は穴だらけになるだろう。
 詰み、だ。
 デモニムはそう確信している。
 異国のゲーム、ショウギや。あるいはチェスのような勝負で、もう相手がどのような手を打っても勝ち目が無い状況の事をそう言う。
 その場合、対戦相手が唯一出来る負けない方法は、あるいは手を打たないと言う事かもしれない、次にどのような手を打っても負けるのならば手を打たない、そういう方法だけが勝ちは無いが負けも無いという事になるかもしれない、だが大抵そういう勝負には時間制限が有る。
 このデモニムとプルシコフの闘いにもそれは例外ではない、持久戦に持ち込めばデモニムに負けはありえない。
 だが、この圧倒的に勝負は決したと自分で確信している状況でも、デモニムは待つと言う行為を選択するつもりは無かった、相手が動かないのならば動かすだけだ。
 
 「どうした? 外に出ないのか」
 プルシコフは不敵に無言だ。
 「出口が分からないってんならよぉー、案内してやるぜ。身を任せりゃそれで良い」
 デモニムが、およそ本人以外誰にも通じない事を言った瞬間。
 それは起こった。
 さすがのプルシコフも、顔に一瞬ではあるが動揺が走るほどの事だ。
 
 滝である。

 滝壺たきつぼで、仰向けになって天から降ってくる大量の水を受けるような、それほどの水量とそして圧倒的な勢いで水がデモニムの目の前から噴出したのだった。
 それはプルシコフの体を軽々と飲み込み、出口から外へと押し流したのだった。
 異空間の見えない罠が仕掛けられている出口へと。

 デモニムの異空間には、様々な物が収められている。
 今の滝もその1つだ、一度異空間に納めた物はデモニムは任意で出現させる事が出来る、先ほども言ったが、最初にその空間に入ったのと同じ勢いで。
 かなり強引なやり方ではあるが、この上ないほどに効果的な攻撃で有ると言える。
 相手が予知能力を使えようと、今の水は防ぎようが無いし、そして行動範囲は極端に狭められている、どう動こうと予知では防げない攻撃だった。

 デモニムはゆっくりと、車の外に出た。
 地面には水溜りが出来ている。
 そこにはプルシコフが立っていた。
 驚くべき事に無傷のようである。
 体のどの部分も削れてはおらず、血も流れていない。
 だが、デモニムの顔には驚愕は浮かんでいない、どこか理解していた事のようにそれを受け止めていた。
 「なるほど……、予知能力ではない……か、少なくとも今のでお前の能力が、俺の能力を感知出来るって事が分かったぜ」
 その通りだった。
 予知能力が使えるのならば、突然出現した滝に僅かでも動揺せずに、何らかの行動をするはずだ、だが明らかに滝が出現してからプルシコフは行動した、そして何より無傷。
 出口に仕掛けた異空間の穴は、普通に通れば絶対に体のどこかに当たる位置に仕掛けた。
 つまり、わざとかなり無理な体勢にして、その穴を避けなければ当たってしまうのだ、無傷と言うのはその穴の位置まで正確に把握していたという事になる。
 一体どのような能力がそれを可能にするのか。
 もう1つ付け加えるとするならば、プルシコフの身体能力の高さである。
 穴の位置がどこに有るか分かっても、あの水量に体の動きを封じられていても、その穴を避けるのは至難である、それをこなすにはどれほどの身体能力が必要か想像も付かない。
 
 「面白い能力だな……」
 プルシコフは、呟くように言った。
 「お前の能力も早く見せろよ」
 デモニムは挑戦的に言った。
 「もう見せている、さっきからずっとだ、そして今もな」 
 「何ぃ?」
 デモニムは、自分が声を発したと同時に1つの事に気が付いていた。
 あれだけの水を浴びながら、地面にはまだ水溜りが残っていると言うのに。
 プルシコフの服は、まったく濡れていないという事に。

 「次はこっちの攻撃の番という事になるか、もっとも――」
 決して大声ではないのに、凄みのある声だった、言葉を途中で切り。
 「もう、次のお前の番まで周って来ないだろうがな」
 プルシコフは、絶対的な自信と共に、その台詞を吐き出したのだった。













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