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ハヤンの憂鬱
作:愁華錬我



第36話 向き合う2人


 
 「これは……」
 プルシコフは、足元に転がる物を見ていた。
 丸い物だ。
 両手で抱える事が出来る大きさの、丸い機械である。
 だが、実際に手で持ち上げたりはしない、足先で少し転がす程度だ。
 これが偽装された爆弾である可能性も無いわけではない、もちろんそうならば足で転がすのはもちろん、近寄る事も普通はしないのだが、プルシコフは平然と近寄っている、当然そこまで考えが及ばない男ではない。
 これが煙を発生させていた元だと言う事は分かる、今では止まっているが、近付く途中まではどういう仕組みなのか、この小さい大きさの中から無尽蔵とも思えるほどの煙が吐き出されていた。
 周囲には人の気配は無い。
 人以外の気配もまるで無い、生き物の気配自体が皆無だ。
 正直な所、この付近に人が配置されていなくても、地雷やそれに似た類の罠は仕掛けられていると踏んでいた、もちろんそれに対しての警戒も怠っていない、だが、拍子抜けするほどに何も無い。
 乾いた風が吹くばかりである。
 どう言う事なのか。

 考えられる事は2つ。
 1つ、今の所は何も無いように思えるが、既に何かの罠が作動している、自分がそれに気付いていないだけの可能性。
 そしてもう1つは、ただこの場所に人を引き付けるのが目的。
 この場合はどちらか。
 いや、どちらにしてもこれが誰かの意図により仕組まれた事ならばやるべき事はそう多くない。
 罠にしても、囮にしても、相手が近くにいるのならば倒す事が出来るが、そうでないのならば自分がまずやるべき事は1つ。
 それはすぐに車に戻り、ダルマ、クァルゴと合流する事だ。
 それがこの場での上策だろう。

 プルシコフは、その身をひるがえし、颯爽さっそうと来た道を逆走し、車の方向へ走り出していた。
 だが、その顔には狼狽ろうばいは伺えない。
 だからといって、他のどのような感情もそこには見えなかった。
 冷たく鋭い意思だけがそこに存在するように。

 
                              ・

 エクは、完全に困惑していた。
 自体が今でも理解できない。
 目の前の男の異常性がエクの常識を凌駕していた。
 転移魔法という物が有る、これは中々高等魔法であり誰にでも使える物ではない、それに膨大な魔力を用いるし、そのせいで使用する際にはその魔力を相手に悟られる可能性が強い、だから戦闘の最中に相手を転移魔法で何処か別の場所に飛ばすと言うのは現実には不可能に近い。
 もちろん、不意打ちで、しかも対象と術者の実力差が有れば、出来ない事も無いだろうが、少なくともダルマとクァルゴの2人は、エクから見てもその物腰、身に纏っている雰囲気などが常人とはかけ離れている、その2人を苦も無く何処かへ飛ばしたというのだろうか?
 殺したというだけでは説明が付かない。
 少なくともダルマはクァルゴの死体を眼にしていない口ぶりだった。
 やはり可能性としては転移魔法なのだが、エクにはそれだけの魔法をこれほど近くで使えば感知出来るほどの能力が備わっている、だがそういう気配は無かった、最初から感じているように違和感に近い感じがする事はするのだが、転移魔法の類とは違うようだ。
 「ったくよぉぉぉォォぉ、痛ぇえじゃねえかよ、なぁぁ」
 デモニムは、ダルマに斬られた傷口に手をやりながら、そう呟いていた。
 相変わらず奇妙に語尾が間延びした口調である。
 
 その手を離すともう、そこには傷跡がまるで残っていない。
 深い傷ではなかったが、これほど短時間でその傷が跡も残さずに消えるような傷ではなかったはずなのに。
 「振り出しにもどすぜぇえ? お前とそっちの男、どっちがファレイを宿しているんだ? どっちもフツーじゃねえ力を感じるけど、どっちもそれが抑えられている感じだ、2人まとめて連れてくか? うーん」
 真剣に悩んでいるようだった。
 質問をしているのか、独り言を言っているのか分からない。
 エクは、その質問に答える気は無い。
 こいつの目的は幻闘獣のファレイ、つまりそれを宿しているハヤンである。
 連れて行くとは言っているが、その先が安全である保障はどこにも無い、告げなければこいつは尋問か拷問をしてくるかもしれないが、後少しは時間を稼げば――
 もう1人の男、プルシコフが来る筈である。
 それほど離れた場所にいるとは思えない、少なくとも後数分もすれば2人の姿が見えない事を不審に思い、ここに近寄ってくる事は充分に考えられる。
 エクの希望としては、プルシコフとこのデモニムの相打ちである。
 どちらもエクにとっては味方ではない同士だ、共倒れしてもらえば、後は魔力を封じられた身であれ、どうにかして誰かに連絡を取り迎えに来てもらう事も可能かもしれない、それが出来なければ自分で車を運転して帰っても良い。
 とりあえずの目的は、時間稼ぎ、エクがそう考えた時、デモニムはそのエクの眼をじっと見詰めていた。

 「ん? んー? んー? お前、何かを待っているのか?」
 一瞬、図星を突かれ、表情が変わりそうになったエクだったが、それをぐっと堪えた。
 「何の事か分からないよ」
 「お前の視線、一瞬外を見た。しかもその視線は何かを頼るようだった、この場で残っているのは後は運転手だけだ、でもその運転手程度にこの状況が打破出来るとお前は本気で考えちゃいない、実際のところその運転手だってもういないけどな、じゃあ何をお前は待っていたのか……考察しよう」
 デモニムはそう言うと腕を組んで、どうやら冗談ではなく真剣に考えているようだった。
 エクに対して厳しく問い詰めるとか、そういう発想が思いつかないのか、そういう主義ではないのかそれは分からない。
 口調も、先ほどまでの語尾が間延びしていた口調とはやや変わっている。
 「もしかして、2人だけじゃなかったのか? ダルマとクァルゴ、この2人だけって聞いてたのに、もう1人かあるいはもっと居るのか? なるほど、そう考えると説明が付くな、もしも2人だけだったら車から降りてもう少し早くダルマが襲い掛かってくるはずだった、一緒にいた誰かと話をしていたからこっちに来るのが遅くなったって事か」
 エクは言葉を返せない。 

 「それに俺の質問にお前はすぐに返答した、しかも初めてだ、他の言葉は一切喋らないと決めていたが、何か不利になる事を急に聞かれたから咄嗟に否定した、違うかよ」
 この男、ただの異常な男ではない。
 それなりに考え、そして直感力と推理力を持った男のようだった。
 「問題なのは、それが”誰か”って事だ、そして、そいつがダルマとクァルゴ以上の使い手かどうかって事……、まぁ俺の相手にはならないだろうがよぉぉおぉぉ」
 そう言うと、突然デモニムは何かに気付いたように、ハッとした表情を浮かべ。
 「っていうかよ、そいつが来る前に、仕事を片付けちまえば良いんじゃねえか、わざわざ闘う必要もねぇし」
 そういう結論を出した。
 「”どっち”が標的かってのは、まぁ向こうに連れてってからで良い、重要なのは俺が仕事を終わらせるって事だけだしよぉぉおぉぉ」
 デモニムは、そう言いながら近寄ってくる。
 まるで圧倒的な恐怖が近寄ってくるように、エクは、どうする事も出来ない。
 ただ、未だ昏々と眠り続けているハヤンの服を握り締めるのみである。

 その時だった。
 「動くな」
 
 冷たいナイフが投げつけられるような言葉が、車内に響いた。
 エクも、そしてデモニムもその言葉の主に視線を送った。
 エクは、驚きは薄かったが、デモニムの動揺は想像よりも激しかった。
 「だ、誰だ、テメェェェェエエッ!」
 思わず、自分で思っているよりも大きなそして高い声が出てしまっているようだった。
 
 そこには、プルシコフが悠然と立っていた。
 プルシコフはデモニムという男の存在に、まるで気圧されていない、既に状況を把握しているようだった。
 突然に、現れたというのに、その場の主導権を握っているかのような威圧感であった。
 「これから死ぬ者に名乗る名は無い……」
 プルシコフは問わなかった。
 お前は何者か、と。
 2人はどこか、と。
 どういう目的か、と。
 そんな事はどうでも良い。ただ、殺すという意思だけを告げた。
 そしてそれは街でチンピラが脅しに使う常套句の非ではなく、間違いなく自分の意思を相手に伝えた、ただそれだけである。
 プルシコフのその眼は、とても同じ人間を見る物とは思えない、相手の存在すらも否定するような眼、殺意でも悪意でもないそれ以上の瞳であった。 
 
 デモニムも、ようやく自分のペースを取り戻したらしく、さっきまでの動揺が嘘のように今はにんまりと笑みを浮かべていた。
 お前が誰であれ、どういう技を持っているにしても、所詮は俺の相手ではない、そう確信を持っている笑みだった。
 「そうだよなあぁぁぁ、これから死ぬ奴に名前なんか聞いた俺が阿呆だった」 
 「その通りだな」
 挑発するようにプルシコフは言った。
 「……」
 デモニムは無言でプルシコフを睨みつけていた、まるで長年の仇敵にようやくめぐり合えたような視線だった。
 デモニムが右手をふっと動かすと、いつの間にかそこには銃が握られていた、総統府でファエイルが持っていた銃であるが、それはプルシコフには知りえない事である。
 プルシコフの反応を探るような視線をデモニムは向けたが、相変わらずその表情には少しも変化が無い。
 普通は、銃を向けられただけでも多少の反応はする、どれほど自分の技術に自信があってもである。
 しかも、それを懐から出したわけでもなく、突然出現させたのだ、普通は動揺する、それなのにプルシコフにはそんな気配は微塵も見せない。
 まるで子供が、子供なりに綿密に計算して大人を驚かせようとしたが、大人はまるで無反応だった時のように、思いっきり不満げな表情をデモニムは浮かべていた。
 
 どこか意地になっている部分が有るとデモニムは自分でも思っている。
 だが、この目の前の男の狼狽する顔、うろたえて自分が何をすべきかも分からないほどの混乱した表情を、この能面のような表情の奥から引きずり出してやりたい、そういう強い欲求がデモニムに生じていた。
 勝ち負けではない、これは自分のつまらないこだわりなのだと分かっている、自分の能力を使えばこんな男を殺すことは容易い、だがそういうこだわりを持たないで何が人生か。とデモニムは思っている。
 互いに無言である。
 それを見ているエクも無言。
 だが、その緊張感だけは痛いほど伝わってくる。
 次の瞬間に向き合っている2人。
 デモニムとプルシコフは動いた。
 互いに速い速度ではなく、そして動きも僅かだ、だがそれは両者にとって決定的な違いの有る動きであった。
 デモニムの動き、それは単純に引き金を引いたと言う物である。
 プルシコフの動き、それはたった一歩デモニムに近寄っただけである。
 普通、銃口を向けられていて、相手が引き金に手を伸ばしたら、動くのは横である、相手の銃の射線上から逃れる為である、それなのにプルシコフは相手に一歩近寄った、あるいは相手に対して攻撃を仕掛けるならばその動きもありえるだろうが、そういうつもりでも無いらしい。

 次の瞬間、轟音とまでは言えないが、通常の銃では考えられない音がプルシコフの背後から響いたが、やはりプルシコフは平然としている。
 一方、デモニムには脂汗が浮かんでいる、そして激しい動揺。
 この男、自分の精神状態がすぐに外に出てしまう性格らしい、ポーカーフェイスがまるで出来ないようだ。
 
 それにしてもおかしな事である。
 今の銃の向き、そしてプルシコフの動き、普通に発射されていれば間違いなくプルシコフを弾丸が貫いているはずである。
 それなのに、弾丸は当たらず、しかもまったく見当外れの場所に、しかも銃口の位置から考えても不自然すぎる場所に着弾するのはおかしい。
 プルシコフが向かってくる弾丸に何かをしたのだろうか。
 あるいは――

 「お前の事で1つ分かった事が有る」
 プルシコフは、相変わらずの人の体温をまるで感じさせない口調で言った。
 「な、何ぃ……」
 「――お前は取るに足らない相手だと言う事だ」
 まるで、断頭台のギロチンが容赦なく罪人の首を断ち切るように、プルシコフはデモニムに対してそう言ってのけたのだった。
















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