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ハヤンの憂鬱
作:愁華錬我



第18話 誤算


 
 ハヤンには誤算が2つあった。
 1つ。
 それは、相手の位置が思った以上に離れていた為、かなりファレイの力を外に出してしまった事である。
 限界ぎりぎりの所を2、3歩は踏み出たほど、力を出しすぎていた。
 その誤算と、もう1つの誤算以外は、驚くほど上手く事が運んだ。
 敵がこっちの思惑通りに大広場に紛れ込んだら、礼拝の時間に他の信者達の礼拝の動きに合わせた動きをするかもしれないが、他の信者と比べると一瞬遅れるか違和感が有るはずだ、そう考えたのは本当に直感だった。
 かなりの大穴に張って、そして勝った気分だった。
 相手は、周りの信者が平伏す中、呆然と立ち尽くしていた。
 他にも数名立っている者はいたが、すぐに誰が敵か分かった。
 探っても恐ろしいほど気配が感じられない人間、それが敵だとすぐに分かった。
 正直な所、相手がそういう能力を有していなかったら、逆に気付けなかったかもしれない。
 そしてそれと同時に、全員が平伏す中自分に近づいて来る物、それが敵の攻撃で有るとも分かる。
 それがまさか人の形をしているとは思ってもいなかったが、心構えは出来ていた、激しい動揺はしなかった。
 例えるならば、道を歩いていて後ろから誰かが近寄ってくるのが鏡越しに見えていたようなものだ、その近寄ってきた相手がこちらの想像と少し違っていただけなので、驚きはしたが本来の驚きよりは大分減っている。
 その爆弾に構っている暇は無かった、それよりも相手を攻撃しなければならない。
 ファレイの力で造った刃、それを敵に向かって思い切り伸ばした。
 今まで、自分でファレイの力を操っている中でこれほどの距離を伸ばした経験は無かった、しかし、この攻撃が届かなければ、これほどの好機は二度と訪れない、相手に逃げられ、そして再度遠隔からの攻撃が始まり、最終的には暴走してしまうだろう、それならば多少無理をしてでもこの攻撃を成功させなければならなかった。
 刃は、一瞬のうちに、ほとんど槍の様な形状になり、地に伏している大勢の人達の頭上を疾った。
 敵はその攻撃に反応する間もなく、その腹部に攻撃が見事に命中した。
 そこまでは良かった。
 相手はもう戦闘不能だろう、どれほど運が良くてもとりあえずこの場は諦めざるを得ない傷を与えたはずだ。
 かなり運任せな綱渡りを渡り切った達成感がそこにあった。
 ハヤンには相手を追撃して止めを刺すと言う発想が浮かばなかった、というよりもそんな余裕がハヤンには無かったと言うのが正しいのかもしれない。
 もう1つの誤算が問題だった。
 かなり大きな問題がここに来て残っているのである。
 それは、単純にこの自分を掴んでいる人型の爆弾が、術者を攻撃すれば消滅するだろうと言う考えが外れだった事である。
 「嘘だろ……」
 思わずハヤンは呟いていた。
 こういう術の類は、術者を攻撃すると消えると言うのが常識だと思っていた。
 だが、未だに舌先から火花が飛び続けている。
 まずい。
 本当にまずかった。
 このまま爆発されると、周囲の信者に被害が及ぶ。かといってファレイの力で防ぐと、今の攻撃でもうかなり外に出ているファレイの力を抑えられなくなる、そうなると被害の桁が跳ね上がる。
 考える暇は多くなかった。
 ハヤンは跳んだ。
 文字通り、その人型の爆弾を掴んだまま宙に跳んだのである。
 身体能力は常人のそれとは桁違いである、荷物を抱えたまま一気に10m近くジャンプしたのだ。
 その頃には、人型の爆弾はもう舌だけでなく、指先から耳から色々な部位から火花が散っていた。
 そしてけたたましい音を発すると同時に。
 爆発した。
 全身を巨人に平手打ちをされたような衝撃が襲った。
 本来ならば衝撃を感じる前に肉体が粉々になっているほどの威力である。
 その音は広場の大半の人間の耳に入ったはずだが、信者の誰も、自分の頭上でそのようなことが行われているとは夢にも思っていないだろう。
 皆が一様に己の祈りに心酔している。
 異様な光景である。
 大広間で数万の信者が拝む中、空中で爆発をしている男の姿が有るのだから。
 
 ――駄目だ
 
 ファレイは喜んでいる、慶んでいる、悦んでいる。
 強烈な歓喜の雄叫びが身の内から迸ってきそうな感触が有る。
 出られるのだ。ついに出られるのだ。
 そう言っている。
 欲望が止め処無く溢れてくる。
 目の前に大好物が並べられて食欲が湧かない者はいないだろう。
 目の前に美女あるいは美男が通りかかれば、目を奪われない者はいないだろう。
 金が欲しいだろう。
 地位が欲しいだろう。
 名誉も欲しいだろう。
 なに、健康な肉体も欲しいか。
 そうだ、そうだ、望めば良い、望めば良い。
 欲望は留まる所を知らない、ファレイが高笑いを発しながら心の中でそれをの欲望を貪り喰らっているのが分かる。
 抑えられない欲は、誰でも持っている、欲を失ったら人は人ではなくなる、幸福でありたいと言うのも1つの欲だ、人と仲良くありたいと言うのも、世界を平和にしたいと言うもの欲だ、欲には善悪の隔たりが無い。
 それを肯定するようにファレイは笑っている。
 みちみち、と肉体が軋む音が耳に届きそうだった。
 ファレイの霧の体がもうハヤンの肉体の半分以上を覆っている。
 前回とは違う、今回は食卓に既にご馳走が並んでいる、後はこれを美味しく平らげてやるのが俺の仕事だ。そう言わんばかりの力が溢れてくるのだ。
 さっきの行動、あれは偽善だったのだろうかと思う。
 あの爆弾が目の前に来たとき、他の人間を盾にすれば良かったのだ、そうすればこうやって暴走しないで済む、数人の命でこれだけの命が救えるのならば安いものだ、それにその盾にしなくて済んだ人も、今暴走すれば結果的には死ぬ事となる、自分のやった事は所詮ただの自己満足に過ぎないのだ。
 そういう思いがハヤンの脳裏を駆け巡っていた。
 だが。
 あの瞬間で、そういう行動が取れないのが自分なのだ、そこまで計算して生きているわけではない、咄嗟に体が動いてしまったのだ。
 あの状況でもっとも誰も傷つけずに済む行動を取ってしまったのだ。
 結果的には間違いだったかもしれないが、あの瞬間のあの行動には間違いなく正しいと自分が信じて行動した一瞬があったはずだ、それを疑うのは間違っている気がする。そうも思った。
 だが、結局は全て後の祭りに過ぎない。
 このまま自分はファレイの力を暴走させてしまうのだろう。
 あの時の繰り返しだ、あの時も自分は抑える事が出来なかった、出来る限りの力で意思でそれを止めようとしても、素手で川の水を塞き止める事など出来ないように、この力を抑える事も出来るわけが無い。
 このまま、ファレイは暴れ狂い、この場所に何もなくなった頃にようやく自分は意識を取り戻すのだろう。
 荒野にただ1人残される。
 その思いがどれだけ人の精神を蝕むのか、想像が付く人間はそういないはずだ。
 それにしても、地面が遠い。
 奇妙だった。
 爆発の衝撃により、地面に叩きつけられるはずが異常にその瞬間が遅い気がする。
 感覚が研ぎ澄まされると、全ての時間がゆっくりと感じられると言うそれとも違う。
 そこで気が付いていた。
 ハヤンは宙に浮かんでいたのだ。
 最初に爆発した高さから、それほど下の位置には降りていない部分で静止していた。
 ファレイの力で空を飛ぶ事は出来ない、少なくともハヤンはやった事が無い。
 出来るのは、超人的な身体能力に任せた跳躍だ、それも常人から見ると空を飛んでいると同じ事かもしれないが、少なくとも空中に止まる事は出来ない。
 ならば、これは一体――
 そう思った時、ハヤンの左手に触れる物があった。
 何だ?
 見ると、同じ高さに1人の少年が浮かんでいた。
 年齢は10歳をいくらか超えたかどうかという辺りに見える。
 この宗教独特のローブに身を包んでいるが、それが妙にしっくり合っている、それにぱっと見た限りでは他の信者と同様のローブに見えたが、他の信者のそれよりも上等の素材と手間隙をかけて作られた物のように見える。
 少年の頭部には髪が一本も生えていなかった、自ら剃っているのだろう、それもまたこの少年にはとても似合っているように見えた。
 少年なのに、風格と言うか、曰く言いがたい柔らかな風がその顔から吹いているようなそういう雰囲気を持っている、例えこの少年の命を狙いにきた相手でも、この少年が微笑むと、その武器を取り落としてしまう――そういう雰囲気が有るのだ。
 まろやかな佇まいながら、明確な意思が相手に届く、この年齢ではありえない貫禄が漂っているのだ。
 何と、その少年の体はうっすらと向こう側が透けて見える。
 幻影なのか?
 ハヤンは驚愕した。
 自分が浮かんでいる事にも、宙に浮かぶ少年にも、そして少年の体が向こう側が透けて見えているのにも驚いていたが何より驚いていたのは、あれほど暴れていてもう抑え切れない状態だった身の内のファレイの獰猛な牙が、徐々に収まっていくのが分かったのだ。
 ハヤンの左手に触れていたのは少年の右手であった。
 冷たい手だった。
 幻影にしてはリアルな感触が有る。
 その手は冷たかった、しかし冷たいが、不快ではない。 
 妙に冷たい癖に、それはどこか高熱で寝込んでいる時に、頭に載せられた氷嚢の心地良さを感じさせる物だった。
 心の中のファレイが徐々に大人しくなっていくのが分かった、力自体は圧倒的なのに、その牙が見事に収められているという感触が有った。
 あれほど昂っていたファレイがこうまで見事に収まるとは信じられなかった、まるで荒れ狂う高波が一瞬にして凪の状態に変わったようなそういう奇跡を感じていた。
 一体、これはどういう事なのか。
 これは術なのか。
 術ならば、これを会得すればファレイを抑えていられるのか。
 数々の疑問が浮かんだが、ハヤンの口から出たのは。
 「君は……」
 という言葉だけだった。
 「エク」
 声は、年相応の可愛らしい声だった、まだ声変わりもしていない声だ。
 「エクが名前?」 
 「そう」
 「エクが、今、止めてくれたのかい?」
 「うん」
 「礼を言っておくよ」
 ハヤンは素直に礼を言った。
 「あなたは、哀しい人だね」
 「哀しい?」
 「あなたは、他の誰よりも哀しい経験をしているようだ、魂が砕けてしまいそうな色をしている」
 エクの眼には、痛ましい物を見るような感情が浮かんでいた。
 癒しようの無い哀しみが満ちているようにも見える。
 「魂?」
 意味がよく分からない。
 「あなたと話がしたいな、もっとゆっくりと」
 「……どこに行けば良い?」
 ハヤンは、思わずそう問うていた。
 自分には目的が有るはずだ、追っ手も今は退いたがあれだけで終わるとは思えない、時間的な猶予は多いとはいえない、それなのにこの少年と話したい、そういう欲求が浮かんだ、この旅を始めてから未だかつて無い感情だった。
 「今日の夜、辺りが暗く静まったら、この広場に来て」
 「この広場?」
 「迎えに行くよ」
 それだけ言うと、少年と共にハヤンは人のいない場所まで宙を浮遊し、そこに降り立ったと同時に少年の姿が掻き消えていた。
 幻だったのか?
 いや、違う。
 今のが何にせよ、自分は救われたのだと思った。
 奇妙な話では有る、実際問題救われたのは数万の信者である、いや正確に言えばこの国と言うことになる。
 しかし、ハヤンにとっては自分自身が救われたと言う思いが強い、もうこれ以上何の関係もない人間を虐殺しようものなら、自分の精神はもう持たないだろう、そう確信したからだ。
 あの場で救われたのは自分自身だ、そして救ったのは今の少年、エクだ。
 もう一度、あの少年に会うしかない。
 会えば、自分のこの力との決別の仕方ももしかしたら分かるかもしれない。
 そういう淡い期待がハヤンに浮かんだ。
 はっ、としたように、ハヤンは周囲を警戒すると敵の気配が無い事を確認し(それをかく乱できる力を持つ者もいるようなので、絶対の安心は出来ないが)その場を足早に去った。
 夜にはこの広場に戻ってこなければならない。
 宿には泊まれない。
 泊まった時にそこで襲撃を受けると他に迷惑がかかる、ハヤンはまるで野良猫のように日陰に身を隠すように横たわった。
 そして夜を待った。

 エクとの出会い。
 その夜、確かにハヤンの旅は大きな変化を迎える事となるのだが。
 その事をまだ、ハヤンは知らずにいた。
 
 
 
 
 
  












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