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ハヤンの憂鬱
作:愁華錬我



第16話 ラルフレス-2


 
 プルシコフに連れられ、ラルフレスはその国にやってきた。
 軍事国家らしいが、プルシコフの家はその郊外で、農地を耕す機械以外は滅多に見かけない、どこかのんびりとした地域だった。
 プルシコフは、毎日軍に出向き仕事をすると言う形ではなく、仕事の際に呼ばれて、そしてその任務を片付けると言う形で所属しているようだった。
 プルシコフが、まずラルフレスにしたのは名前を付ける事だった。
 ラルフレスはその瞬間まで、名前が無かったのである。
 「お前、名前は?」
 そう聞かれても、当時のラルフレスは答えられない。
 無い物は答えようが無い。
 数秒間を置いて。
 ラルフレスが名前も無いと言う事に気付いたのか。
 「無いのなら、俺が付けよう、色々と不便だからな。ラルフレス、この名は……、まあ良いか。今日からお前はラルフレスと名乗れ、嫌なら自分で考えるのだな」
 ラルフレス……
 初めて人につけてもらった名前だ。
 嫌なはずがなかった。
 すぐにその名前が好きになった。
 名前を付けてもらう――、それだけの事でこれほど自分が幸福な気持ちになれるとは思っていなかった、言葉にし辛いが確かな喜びが有る。
 自分はこの人に生涯付いていこう、そう思わせるほどの喜びが。
 その日からラルフレスを名乗る事となった。
 
 プルシコフは、良家の息子なのだが、何故か家を出て1人暮らしをしていたが、その家は豪邸と呼んでも言っていいほど大きかった、1人暮らしと言ったが、使用人は交代で10人以上はいた、プルシコフの世話というよりも、その大きな豪邸の清掃やら維持などに使われていたように思える、何しろプルシコフは自分の身の回りの事は自分で出来たのだから。
 ラルフレスは、そこで徹底的な教育を受けた。
 プルシコフが、教師をその家に呼んで、そこで教育を受けさせたのだ。
 まずは基本的な常識から始まり、語学、作法、情操教育、武術等々を徹底的に叩き込まれた。
 それらは、ラルフレスにとって未知の存在であったが、決して苦痛ではなかった。
 人として扱われているという快感、そして喜びが、通常の学習に対する人間の”面倒臭い”や”難しくて分からない”という感情を遥かに上回った。
 楽しかった。
 勉強は楽しい、美味い物を食べるのは楽しい、温かい風呂は楽しい、布団で寝るのも楽しい、会話は楽しい、眼に映る全て体験する全てが楽しかった。
 何かを上達するコツは、その物事を心底楽しむ事にこそ有る、ラルフレスはその条件を見事に満たしていた。  
 そして人としての言葉をまともに話せなかったラルフレスだが、特訓の末に、世間で通じる程度の語学力等を身に付けた、いや教養という事では一般よりもかなり高い教養を身に付けていると言っても過言ではなかった、礼儀作法は勿論、テーブルマナーも教えられ、路地裏の鼠だったのが、どのパーティーに出席する事になっても恥を掻かないレベルになっていた。
 全てが楽しかったが、何より楽しかったのはプルシコフと会話し、プルシコフから教えを受ける時だった。
 他の教科も覚えが良かったが、プルシコフに習うと他の教科よりも倍以上やる気が出て、すぐに覚えられた。
 プルシコフは大抵の事はこなせたが、その教科の専門家に任せていて、主にラルフレスに直々に教えたのは格闘術などの戦闘技術だった。
 プルシコフとの訓練で、ラルフレスは自身の才能に目覚めていた。
 それは何気ない事がきっかけだった。
 ラルフレスが、戯れで紙を折り、それで飛行機を作って飛ばしたのだ。
 プルシコフは、最初それを興味が有るのか無いのか分からないような視線で見ていたが、それがはっきりと好奇の眼へと変わったのがラルフレスに分かった。そういう眼をするプルシコフを見るのが、密かにラルフレスは楽しみにしていた。
 その紙飛行機は、信じられない時間、空を舞っていたのだ。
 風の無い屋内では考えられない時間である。
 プルシコフは、すぐにラルフレスの才能を見抜いた。
 それは、紙に自分の魔力を込められる、そしてそれを操る能力である。
 操るだけならば、有る程度魔力を使える人間ならば、出来る芸当であるが、ラルフレスが凄いのはそこからだった。
 例えば鳥だ。
 紙に対して、鳥を思い浮かべながら鳥の形に折ると、それは最初は不恰好だったがただ紙が動くと言うよりも、そこいらの野鳥の体が急に紙になってしまったかのように動いたのだ。
 最初は、紙が鳥のように動くだけだったが、それが修練を積む事により、その外見すらも本物の鳥と見分けがつかないほどになったのだ。
 そして、ラルフレスはその鳥に意識を集中させると、その鳥が見ている物が自分でも見えると言う特性に気付いた。
 それに紙を時限爆布という一定時間過ぎると爆発する性質を持った紙を使用する事により、遠距離での攻撃も可能にした、もっとも最初に込めた命令をこなすだけで、例えば『監視しろ』や『相手に近づけ』ならば出来るが、その場に応じた臨機応変な対応がかなり意識を集中しない限り、出来ないのが欠点であった。
 それから、紙に意識を集中させると鳥だけでなく蛇や馬等の形も再現できた、そして形だけでその能力すらも再現できた、例えば馬ならば実際の馬と同様に走る事が可能なのである、これはかなり汎用性が高いと言える。
 意識を集中し、相手の認識能力を鈍らせる能力と、紙を生き物のように操る能力、それらを徹底して鍛えた。
 そしてプルシコフは、それらの能力を高く評価し、5年の修行と学習を終え一般的な教養を見につけ、そして人とは違う技術を見につけた16歳のラルフレスを自分の傍に置き、色々と仕事の際に手伝わせた。
 ラルフレスにとって勉強は楽しかったが、プルシコフに頼まれてする仕事はもっとずっと楽しかった。
 それから更に5年、ラルフレスはプルシコフの傍で仕事をしていくうちに、自分の中で絆とはっきり呼べる物をプルシコフに感じていた。
 もちろんこれは自分が勝手に思っているだけだ、プルシコフがどう思っているのかわざわざ聞く気は無かった、また聞く必要も無い。
 自分がそう思い、行動する事にこそ意味が有る。
 当時のラルフレスには詳しい事は分からなかったが、プルシコフは、若い内から数々の武勲を挙げ、軍部では異例の出世を遂げていたという。
 何と13という若さから、軍の特殊作戦の任務に就き、それから今まで順調に出世街道を邁進しているというのだ。
 その為に、妬む人間は多かった。
 そういう人間はプルシコフの眼の届かない所で、ラルフレスを見ると、憐れむような眼で。
 「何も知らされずに利用されているだけなのにね」
 「いつかは、お前も簡単に切り捨てられるのさ」
 と言い。
 中には。
 「お前の能力はプルシコフの所で腐らせているのは勿体無い、私の所に来るべきだ」
 本気なのか冗談なのか分からない事を言う者もいたが。
 ラルフレスにとって、分かっている事は1つだった。
 今の自分に対して、何かの意見を言っている人間、そいつらは自分が孤児院でネズミと共に暮らしていた時、あるいは路地裏で人から物をかっぱらって生きていた時、何もしてくれなかったと言う事だ。
 善良な一般市民がくれるのは視線だけだ、”可哀想に”、”なんとかしてあげたいんだけど”等の同情の視線を送る。
 同情する人間は、同情はしてもそれ以上はしない、何故ならば同情する事により、自分が優しい人間であると認識する自己満足に利用しているだけだからだ、口でいくら奇麗事を言っていても、そういう人間に限って、汚い手で服を触ったりすると、激昂し容赦無い行動を取るのだ。
 それをラルフレスは痛感している。
 ラルフレスを人として認識し、その才能を認め、教育を受けさせたのはプルシコフである。
 それ以外の人間は何も何もしてくれはしなかった、何も。
 それ1つだけが真実であり、事実である。
 だから、プルシコフ以外の人間に対して、ラルフレスは興味をまるで抱かなくなっていた。
 あの人がくれた物、それに恩返しをしたい、それは自分を育ててくれた両親に対する恩返しという感情に似た物だったが、ラルフレスには両親などいなかったからよく分かっていない。
 与えられた物、それに値する物を自分はプルシコフ様に捧げなければならない、人並みの生活を与えてくれた、人生と言う物の意味を与えてくれた人にどのような物を捧げれば良いのか、それはそれに相当する物を捧げるしかないだろう、ラルフレスはそう思っている。
 命すらも安い物だ、プルシコフ様の為に使おう、その決心は、誰だろうと揺るがす事が出来ない。
 名前を貰った10年前のあの日。心の奥底の決めたのだ。
 だから、仮面を被った。
 プルシコフ様の役に立つ為に、自分は人でなくなっても良い、ただ1つの道具だ。
 性別すらもどうでも良い。
 作戦に使う為の駒、それで良い。
 獣から人にしてくれた人に対する恩義、それを返すのに人でなくなっても良いと言うのはおかしな話ではあると我ながら思うが、心を突き動かす物が有るのだ、それに従って生きていこう、ラルフレスはそう考えているのだ。
 
 そう、彼女は誓ったのだ――
 プルシコフ様に自分の人生を捧げると。
  
 












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