ハヤンの憂鬱(1/54)縦書き表示RDF


基本的に明るい話ではないです。
時間の余裕が有る時にでも読んで頂ければありがたいと思っています。
何話で終了するか分かりませんが、必ず最後まで書きますのでよろしくお願いします。
ハヤンの憂鬱
作:愁華錬我



序章


 だだっ広い草原だった。

 足元を生えている草の長さは、どれも膝までは届かない、脛辺りまでだ。
 それなのに妙に足に纏わりつくような、そして一歩踏み出すごとに強い草の匂いが、鼻を衝いた。
 この草原を、丸一日も歩いたら嗅覚が麻痺してしばらくは使い物にならないかもしれない、と、そういう想像が勝手に頭に湧くほどだった。

 その草原を1人の男が歩いていた。

 ぼろぼろの服装をしていた。
 いや、正確に言えば外から見えるのは旅人が着衣する全身を頭から全身を覆い隠す型のローブのようなものだけだが、それがひどくうす汚れている。
 よほど長い旅をして、そして道中に満足に洗濯もしなければこういう汚れになるだろうと言う感じの汚れ方だった。
 あちこちに解れが目立ち、そして何やら所々にローブに深く染み込んだ血痕のような物が見えた。
 街中を歩いていれば、僅かに眼を惹くが、常識有る人間ならば正視をしたりしないタイプの人間だった、どういう理由にせよこういう人間と係わり合いを持ちたいとは思わないだろう。

 草原の広さは、凡そ人の足で端から端まで歩いて2日、足が遅い人間ならば3日以上は軽くかかる。
 通常、この草原を抜ける人間は、隣接する街から馬車に乗り横断するが、この男にはそういう金が有るのか無いのか、とりあえず馬車に乗る気は無いようだ。
 横を馬車が通りかかり、無料でもいいから乗っていかないか? と聞かれても、素直に了承するとは思えない、何か頑なな物がその表情に隠されていた。
 もっとも、このご時世に何か無料で奉仕するような人間は稀有だ、大抵が何か含む物が有ると思って間違いないから、断るのも正しい判断なのだが。

 突然だった。

 何かが急に風を切る音がし、男は前のめりに倒れ込んだ。

 見ると、何と背中に一本の矢が突き刺さっていた、場所は背骨に近いあたり、普通なら運が良ければ死なないかもしれないが、どれほど運が良くても医者の世話にならない訳にはいかない場所に矢が刺さっていた。

 「やっりぃ!」
 歓声が沸いた。
 
 見ると、馬に乗った、明らかに粗野で、そして荒々しく、薄汚れている10人ほどの集団。
 恐らく、常識有る100人が見ても、その100人ともがその集団の職業を見誤る事は無いだろうと言う集団がそこにいた。

 盗賊である。

 「へへ、当たったのは俺の矢だぜぇ、おめぇのは、どっか違う的を狙ってたのかい?」
 恐らく、あの矢を放ったであろう男が、満足気に笑みを浮かべて仲間を見回していた。
 自分の技術を仲間に褒めて欲しいようなそういう仕草が妙に滑稽だった。

 「けっ、風だよ、風。突風が急に吹きやがったから、本当は外れてたお前のが当たって、俺のが外れたんだ」
 どうやら、当てた男と一緒に矢を放った男が、悔しそうに唇を噛みながら言った。
 
 「言い訳かよ、情けない野郎だ」
 「何だと!?」
 2人が、言い争いから、本格的な争いに発展しそうな雰囲気になった時、野太い声が響いた。
 2人は身を竦めた。
 
 「どっちでも良い、くだらん争いをするな」
 一番体が大きく、そして一番凶暴そうな顔をしている男だった。
 恐らくこの集団の頭領だろう。
 背中に背負っている青龍刀の大きさが、常人ならばその重さに潰されてしまいそうなのに、体が大きすぎる為に刀の巨大さが目立たないほど、男の体は大きかった。
 
 「早く誰かあいつの懐を探って来い、情報通りなら当分は金に困らんはずだ」
 「へぃ!」
 盗賊の一番下っ端らしい小男が、威勢の良い返事と共に軽やかに馬から飛び降り、倒れている男に近寄った時、信じられない事が起こった。

 矢が背中に突き刺さっているはずの男が、むくりと起き上がったのだ。
 「ひぃ!」
 小男が、情けない声を上げた。
 腰こそ抜かさなかったが、思わず全身に電気が走ったように、飛び上がっていた。

 背中に矢が刺さっているはずの男は、起き上がり、そしてそのまま何事も無かったかのように歩き出した。
 普通なら、背中に何が刺さっているのかを確認する、そしてそれを抜こうともするだろう、それに背後にこれだけの剣呑な集団がいるというのに、そちらに一切の視線を送らないわけが無い、いや、そもそも普通の人間ならば背中に矢が刺さっていながら立って歩けるわけが無いのだ。
 歩いていくうちに、矢が自重でぽとりと地面に落ちた、先端に血がまるでついていない。
 何か背中に仕込んでいて、たまたまそれに当たったので無事だった、そう普通ならば思うが、それにしてももう少し人間らしい反応が有ってもおかしくない。
 男は平然と、歩みを進めている。
 
 数分間、盗賊達は言葉を失い、危うくその背を見送りかけたが。
 「何している!? お前ら、早く追いかけろ!」
 頭領の厳しい一言に、まるで冷水を浴びせられたように、全員が馬を駆り、男を追った。
 得体の知れない男よりも、自分達の頭領の方が恐ろしいと骨まで染みているようだった。
 
 最初に男に攻撃を仕掛けたのは、先ほど矢を放ちそれが外れてしまった男だった、先ほどのミスを挽回しようとしているらしい。
 手に持った刀で、歩いている男に馬上から走りながら斬り付けようとした。
 初めて、悠然と無関心に歩いていた男が、背後から迫る盗賊に視線を送った。
 死んだ魚のような目だった。
 生きている者が浮かべる、希望の色、あるいは喜び、そういった物が体がから抜け落ちているような瞳だった。
 生者が必然的に持っている物を、この男からはまるで感じられないのだ。
 盗賊の男は、もしもこれが馬上でなければ一瞬怯んだかもしれないが、馬は止まってくれない、攻撃を仕掛けるしかなかった。
 「りゃっ!」
 気合と共に、刀を振り下ろした。
 
 が。

 死んだ魚のような目をした男の横を、馬が走りぬけた。
 馬だけだ。
 その馬の背には誰も乗っていない。
 
 乗っているはずの男は、宙に浮いていた。
 打撃を受けて、馬上から吹っ飛ばされたわけではない。
 ただ、単純に。
 刀を振り下ろした瞬間、その手を男に捕まれたのだ、そしてそのままの姿勢で止まり、馬だけが走りぬけたのだ。
 信じられない腕力だった。
 しかも死んだ魚のような目をした男は、片手でそれをやってのけたのだ。
 片手にしろ、両手にしろ、馬で駆け寄ってきた人間を、しかもその相手は刀を振り下ろしていたのだ、そのような相手を掴み、持ち上げる……。一体どれほどの腕力がそのようなことを可能にするのか、想像も付かなかった。
 盗賊の男は、不恰好なまま宙に浮いたままの足をバタつかせていた、痛みこそ無いが、異常な事態と自分が遭遇しているのだけは分かる、顔には恐怖の色が濃く浮かんでいた。
 まるで水を泳いでいる時に、得体の知れない奇妙な生き物が足を触れたような、気色悪い感触も恐怖と同時に味わっているらしかった。
 死んだ魚のような目をした男は、凄い眼で盗賊の男を見詰めていた。
 その眼は”関わるな”と言っていた。
 もしも、自分が1人だけならば、思いつく限りの命乞いのセリフを並べて、この場から逃げ去っただろうと男は確信していた。
 
 その時だった。
 
 癇癪球が破裂するような乾いた音が草原に響いた。
 盗賊の仲間が、捕らえられた仲間を助ける為に銃を使ったのだ。
 今の状況よりも異常な事など、もう起こらないと思っていた宙に固定されたままの男が見たそれは、また想像をはるかに超えていた。
 銃から放たれた弾は、見事に命中していた。
 死んだ魚のような目をした男の左頬に。
 普通ならば死ぬしかない位置だ。
 ただ、その場所で弾が止まっていた、見えない何かがその弾丸を止めている、そうとしか思えなかった。
 弾は、頬に触れながらまだ回転をしていた、その動きが酷く不気味だった。
 弾の衝撃で、男の頭部を覆っていたローブがはだけていた。
 男の髪は、一本残らず真っ白だった。
 
 盗賊の男の背に、ぞくり、とした物が走った。
 それは恐怖とも戦慄とも区別がつかない、男が生まれて始めて味わう感情だった。 

 駄目だ、もう助からない。
 一番近くで、その男を見詰めていた盗賊は確信していた。
 そして、それは的中した。


                    ・

 だだっ広い草原に、1人の男が立ち尽くしていた。
 辺りに散らばっている者は、既に原形を留めていなかった。
 かつて、人と呼ばれていた物と、馬と呼ばれていた物が、冗談のようにそこに散らばっているのだ。
 凄腕の剣士などなら、数名の盗賊を相手に勝って退ける事も可能だろう。
 しかし、見た所、一切の武器を纏っていないこの男がどうやって、このような惨状を創り上げたのだろうか。
 あるいは、何らかの格闘技の使い手ならば、盗賊を退ける事も可能だろう。
 しかし、馬までをここまで殺せる技術が、果たして存在するのだろうか。
 
 その中心地点に総白髪の男が立っていた。
 年齢は、若い。
 どれほど多く見積もっても20代の後半にいかないだろう、せいぜいが24かそこらに見える。
 元の色がすっかり抜けた薄汚れたローブと、純白の髪。
 その両手だけが、濃い色を残していた。
 赤である。
 血の赤。
 自分の肉体からは一切流れていない赤だ。
 その血に塗れた両手を、表情の無い顔で見詰めると、無造作に両手を振った。
 普通ならば、それほど血が付着していると、洗っても中々落ちないはずなのに、まるで手についた水滴を振り落とすように振っただけで、その色がまるで嘘のように消えていた。
 男は、ローブを被りなおし。
 また歩き出していた。

                    ・ 

 その歩いていく男を見詰める視線が有った。
 視線は二つ。
 1人は、やや背の曲がり始めの50代くらいの白髪混じりの男、もう1人は金髪のどこか飄々とした雰囲気をまとっている20代くらいの男だった。
 「見たか、見たか? あれが幻闘獣の中でも最も獰猛と伝えられるファレイよ、いやはや何とも恐ろしい力だな」
 「そうですねェ」
 興奮した口調で語る男に、金髪の方が本当にそう思っているのか、軽い口調で答えている。
 「あれだけの力があれば、そんじょそこいらの王国の警備だって止められん、いきなりやってきた1人の男が、その国の中枢を一晩で粉々に出来ちまうんだ、たまらんなぁ。これが知れ渡れば世が乱れるぞ」
 「師匠は乱世がお好きですねェ」
 「当たり前だ、太平の世の何が楽しい、乱れに乱れきった世こそが真の実力主義の世界よ、あの国の連中にはそれが分かっておらん、軍事国家として成り立っているのに、あの平和ボケの防衛大臣めが、縮小を図りおってからに……、我らのような者が地位と金を手に入れるには、太平の世ではいかん、せいぜいが小間使い扱いしかされん」
 「今の任務も小間使いみたいなもんですしねェ」
 普通なら、自分が師匠と呼ぶ人間に対して、もう少し丁寧な気を使った口調で話すはずだが、この男にはそういうつもりがまるで無いらしい。
 また師匠の方も口の利き方についてとやかく言うつもりは無いらしい。
 「構わん、この仕事は後に実りある役目よ、ああいう力の存在を確認出来るのは悪いことではない、敵になるにしろ味方になるにしろ、情報が有るのと無いのとでは大違いだからな」
 「あいつを仲間に引き込むんですか? 無理っぽいなぁ、あいつの目を見ました? あれは立身出世とは縁も興味も無い目ですよ、師匠とは正反対の性格ですよ多分、倒すのも僕は遠慮したいですけどね」 
 「そうかもしれんな、しかし、我々が直接関わらなくても、あれだけの力を持つ人間を火種に絡ませれば後はどうとでもなろうぞ。クァルゴよ、いざとなれば我らが奴を消す場合も有る、しっかりと奴の行動を目に焼き付けておけ、仕事の際の役に立つ」
 「怖いな」
 それは二つの意味が込められていた。
 盗賊達を苦も無く殺戮しつくしたあの男と戦うのが怖いと言う意味でも有り。
 また、自分の横に立つ師匠も、腕力や戦闘能力でこそ、あの男には劣るかも知れないが、知略なども含めた部分、総合殺傷能力とでもいうのだろうか、そういう部分では負けず劣らない怪物だと、クァルゴは思った。

 その時、いきなり野太い声が2人に浴びせられた。
 
 「テメェら……、よくも……、よくも……」
 その男は、先ほど壊滅した盗賊団の頭領だった。
 その目は怒りに血走っている。
 これだけ大柄の人間が怒気を発していると、常人ならば竦み上がり、思考すらも停止してしまいそうだが、2人はまるで微風が吹いた程度にしか感じていないらしい、表情を毛ほども変えなかった。 

 「おやおや、先ほどからこちらを見ていて、いつ声がかかるかと思っていたよ、そのまま逃げれば放っておこうと思っていたのだがね」
 師匠と呼ばれている男は、その頭領の存在にかなり前から気付いていて、それを放置していたと言う意味を言外に込めていた。
 
 「へぇ、あ、そうか。あの時一番遠くにいたから逃げられたんだ、仲間を見殺しにするなんて酷いなぁ」
 クァルゴがまるで心の篭っていない口調で軽く言った。
 
 頭領の怒りがさらに増したようだった。

 「お前らが、良い情報が有ると言うから、あの男を襲ったんだ! それが……あんなバケモノとは聞いてなかったぞ!」
 どうやら、この2人が盗賊を唆せて、あの男の力を視るために襲わせたらしかった。
 
 「当たり前だろうが、言ったら襲わんかったろうに」
 まるで頭の悪い息子にでも言い聞かせるように、師匠は言った。

 「殺してやる、ぶっ殺してやるぞ!」
 仲間を皆殺しにしたのは、先ほどの男だが、その原因を作ったのは間違いなくこの2人である。
 そしてあの怪物にはとても歯が立たないから、代わりにこの二人を殺す。
 そういう単純極まりない構図が頭に浮かんでいるらしかった。
 背負っている普通の青龍刀の倍以上の大きさの刀を手に持ち、凄い勢いで2人めがけて襲い掛かってきた。

 「クァルゴよ、お前がやるのだ」
 「えぇ〜、嫌ですよ、荒事は嫌いなんで」
 「師匠命令だ」
 「……仕方ないなぁ」
 
 クァルゴが、その頭領の前に立った。
 その時には、頭領がその青龍刀を振り下ろす瞬間だった。
 クァルゴは、右腕を軽く上に持ち上げた、クァルゴがやった仕草はそれだけだった。
 まるで、自分に迫ってくる刀を手で受け止めようとしている――そのようにしか見えなかった。

 「ぎぃ!」
 頭領は呻き、それを見た。
 それは目で確認しても、脳が正確に把握できない状況だった。
 右手の肘から先と青龍刀の半分以上が嘘のようになくなっていたのだ。
 鋭利な刃物で斬られたような断面ではなく、まるで獣に齧られた様な跡になっていた。
 右手からはとめどなく血が溢れている、頭領は意味不明の言葉を叫んでいた、頭が半分以上おかしくなっているらしかった。
 それは仕方が無い、盗賊団の仲間が得体の知れない男に壊滅させられ、そして自分の腕がこんな状況になっているのを直視したら、精神を保っていられる方がどうかしている。
 あらん限りの声で、頭領は叫んでいた。
 ふっ、と。その背後にまるで何処からとも無く飛んできた蝙蝠のように、師匠が現れ、指で頭領の頭部を突いた。
 その瞬間に、目が白めになり、口からは泡を吐き、頭領は前のめりに倒れ、絶命していた。
 「うるさくて、たまらんわい」
 「さすがですねェ、師匠。最初から師匠がやれば早かったのに」
 「貴様の力も使わんと錆びるぞ」
 「分かってますよ、お師匠様」
 「行くぞ」
 「どちらへ?」
 「あの男の後を追う」
 「気付かれたら危険じゃないですか」
 「あの男はわしらにとっくに気がついておる、もちろんおおよその見当だけだろうがな、何の行動もとらんのは興味が無いだけだろうな」
 尾行する相手に気付かれても、平然としているのはさすがだった。
 「へェ、そこまで分かるんですか」
 「あの男、あのまま真っ直ぐ行けば面白い事になるが、あの男は人込みを避けて旅をしている、これまでと同様に野宿を続けるだろう、とりあえず追うぞ」
 「あ、ちょっと待ってくださいよ」
 そう言うと、クァルゴは無造作に右手を振った。
 ぼとりと、重量感がある音を立てて何かが草原に落ちた。
 見ると、それはさきほどの頭領が持っていた青龍刀の一部であった。
 しかし、一体何処から出したのか? 
 「やっぱりこういうのは邪魔ですねェ」
 「貴様もあやつと同じく幻闘獣憑き、わしらにとってはどちらもバケモノよな」
 師匠が、その言葉を発したと同時に、師匠は音も無く走り出した。
 「師匠も、十分にバケモノですけどねェ」
 クァルゴは、そう言いながら、やはり同様に音も無く草原を走り出した。

 草原には風と、地面に落ちた青龍刀だけが残されていた。
 
 












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