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  夢わたり 作者:猫乃 鈴
第一章・2
―2―

 少女は自転車を止めた。本屋の裏口前。
 少女はいつも週末の夜はここでアルバイトをしていた。いつものように自転車の鍵をかける。背中の真ん中あたりまである長い黒い髪が顔にかかり、少女は片手で髪をかきあげた。
 そのとき、背後で物音がして少女は振り返る。

「誰?」

 ビルの隙間の闇に向かって少女は言った。
 返事はない。

「……誰かいるの?」

 もう一度少女が呼びかけると、ふいに闇が揺らめいて男が一人出てきた。
 薄汚れたカーゴパンツに黒い膝まで隠れるコートを羽織り、同じく黒いニットの(つば)付き帽子を深く被っていて、顔は見えない。

「何か用ですか?」

 少女が警戒心をあらわにした声で尋ねる。
 そして、少女は男の右手にナイフが握られているのに気づいた。少女の顔がこわばるが、すでに男は少女に向かって走り始めていた。

「キャーッ!!」

 悲鳴を上げ逃げようとする少女を捕まえると、男はナイフを振り上げた。

「待て!」

 男に飛び掛ったのは常磐。二人はもつれるように地面を転がった。

「警察だっ!」

 常磐は男を取り押さえようとするが、

「ウオォォオオオ!」

 男は奇声を発しながら、ナイフを振り回し暴れ始めた。
 ナイフが常磐の左目の下をかすめる。

「うっ」

 ピリッとした痛みに常磐は顔をしかめ、男を押さえていた手を放してしまう。
 再び男に目を戻すと、男は常磐に向かってナイフを振り降ろす所だった。思わず身を庇おうと前に出した左腕。
 次の瞬間、焼け付くような痛みが走り、常磐はうめいた。

 斬られた!?

「ウオォォォッ!」
 
 男が奇声を上げ、常磐は自分の血がついたナイフが、もう一度振り上げられるのを見た。

 殺される。

 常磐は逃げようとして足がもつれ、ビール瓶ケースの山に突っ込む。転んだ常磐の頭上で、ナイフが空を斬る音がした。
 
「わ……」

 体制を立て直すより早く、男が常磐の方へ向かってくる。
 常磐は必死で近くに転がっていたビールケースをつかんで、男に投げつけた。

「くそ、くそっ!」

 手に触れるものを手当たり次第に投げつける。
 男がそれを手で払いのけながら、常磐を狙う。

「ウオオォォォォッ!!」
「わああああっ!」



◆◆◆◆◆◆

「誰か、誰か来てください!」

 少女の助けを求める声に、ひったくりの男を覆面パトカーに押し込んでいた東田はそちらを見た。路地から少女が取り乱した様子で駆け出してきた。

「西山、こっち頼む」

 ひったくりの男を西山に任せると、東田は少女のもとへ走った。少女の顔は青ざめ、体は小刻みに震えている。

「どうした」
「ナイフ……ナイフを持った男が」
「なんだと?」

 少女にその場にいるように言うと、東田は上着のポケットに手を入れ拳銃を確認し、少女の指差す方へと慎重に進んだ。

「おい、警察だ!」

 路地の暗闇に向かって、東田が呼びかける。
 ひたりひたり、と足音が近づいてくる。
 東田は闇の中に浮かび上がってきた人影を確認しようと目を細めた。

「……ん?」
「……東田さん……」
「常磐ぁ?!」

 ふらりと路地から出てきたのは常磐だった。
 コートの右腕は肩の縫い目から裂け垂れ下がっていて、左目の下から顎にかけて血が帯を作り、なんともひどい有様だ。

「犯人、確保しました」

 そう言うと、常磐はその場にしゃがみこむ。

「なんだと? おい、どういうことだ」
「連続婦女暴行事件の……そこのパイプに繋いであります……」
「なんだって?」

 見ると、男が一人排水用のパイプに手錠で繋がれ、ぐったりと横たわっていた。

「すいません。犯人、ビール瓶で殴っちゃいました……」
 
 申し訳なさそうに報告する常磐。
 とりあえず、やらなきゃやられると、理性もへったくれもなく取った行動でなんとか助かったが、やっぱり刑事としてはどうなんだと思う。

「ああ。まあ、死んでなきゃいいんじゃねぇか? 死んでも正当防衛だし」

 東田がまた、刑事らしからぬ適当な言葉を返してきて、常磐は少し笑った。とたん、ズキリと走る痛み。

「ううっ!」
 
 顔をしかめて左腕を押さえる常磐。見るとコートの左腕は血の染みがどんどん広がって、アスファルトの上には指先から垂れ落ちた血で血溜まりができている。

「常磐、お前刺されたのか!」
「左腕を……っつ……斬られて……」
「西山!」

 東田は無線で車にいる西山を呼んだ。

『はい、西山』
「婦女暴行犯を確保。常磐が斬られて左腕を負傷した。応援を呼んでくれ」

 事務的に用件を伝えると、西山が一瞬息をのんだのが分かるが、

『わかったわ』

 西山も事務的に答える。余計なことは言わない。今、するべきことを最優先に。

「腕だせ」

 東田は常磐の腕の付け根を、ポケットから出したヨレヨレのハンカチできつく結んだ。

「うあっ!」
「しっかり押さえてろ。血がなくなるぞ」
「……はい」
「しっかし、お前が一人で犯人確保なんて。いったいどうしたんだよ」

 感心したような、呆れたような声で東田は言った。

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