Prologue
——帝国歴2378年、4月上旬。
春。花々は春の到来を祝福して咲き誇り、霞がかった空はどこまでも続いている。淡い青色の空の下を、人を乗せた絨毯がはためきながら飛んでいき、箒に乗った人々が空の中を泳ぐように飛んでいく。街の中では杖を持った人々がそれを一振りして日常生活を送っていた。
ここは魔法が栄える『ユートピア帝国』。遥か何千年と昔から栄えてきたこの国には、魔法が伝統の一つとして人々の暮らしに根付いていた。火をおこすのも、電気を生み出すのも、マジック・オブジェと呼ばれる魔法道具や、杖などの法具に頼って生活している。人々の足となるのも箒や絨毯が主流だ。
そんな国の一角に、“ダウンタウン”と呼ばれる一つの街がある。この国の中心街の一つだ。
「らっしゃいらっしゃい! 今朝とりたての、新鮮な薬草はいかがー? 」
「マジック・オブジェの調子が悪い時はすぐにハールン店へ! 」
『学生のみなさん、法具の点検は行いましたか? ——学生御用達ブランド法具店 “広園法具店”』
『いたずら好きの魔獣を見かけたら、すぐに“魔獣ハンター”までご連絡下さい! 』
『精霊とは仲良くしましょう』
その街のメインストリートは、新生活を前にした若者たちや新学期を控える学生などで溢れ、数ある露店からは、威勢のいい声が響いていた。各店の前には看板が立ち、絨毯の上からは拡声器を使った広告運動が行われている。
「……マー、マー? 」
また、そんな人々にまとわりつくように飛んでいるのは“精霊”と呼ばれる生き物である。手の平サイズのまあるい球型、柔らかな白い毛並みで覆われたそれは、人にくっついては可愛らしい牙を見せて声を発する。
「……マームー……? 」
くっつく人間の感情——喜び、悲しみ、楽しさ、苦しみ——によって、毛並みの色を変えるそれは、老若男女問わず様々な人にくっついては、赤、黄、紫、青、緑と次々と色を変えていた。人々は彼らを見て、苦笑しながらも頭を撫でてやっている。
「……マーっ! 」
人々の声、精霊達の声が響く、賑やかで温かい街。その日常は、一時の“サイレン”によって非日常へと変わった。
「——ウウウウウウウウウウウウ……」
けたたましいサイレンの音。街に響き渡った突然のサイレンに、人々はざわめき、空を見上げる。
空襲警報。この国に住むものならば、誰でも知るサイレンである。
「……タイミング悪いなー」
「……今日って大佐も、高等部の上級連合生もいないよね? 」
サイレンが鳴り響く中、風に乗って聞こえてきた二人の少年の話し声。非常時であるにもかかわらず、彼らの声音は冷静で落ち着きを払っていた。
「……うっし。じゃあ手伝ってくるか」
「……わかってると思うけど、中等部生はたとえ“上級連合”に所属していても、実戦は許されてないよ」
「……それさあ、オレって適用外になんねえのかなあ? 」
「……さあね。僕に聞かないでくれよ」
低空の一画。ふよふよと浮かんでいる絨毯の上に、声の主達はいた。一人は左目の近くに痛々しい傷跡がある少年。もう一人は、童顔で黒髪の黒縁メガネという、典型的なガリ勉のような顔つきをした少年である。
「んじゃ、行ってくるわ。箒サンキュー」
「あ、うん。父さんに伝えとくよ。気をつけてー。死ぬなよー」
「どーも」
絨毯の上から箒を持った1人の少年が飛び降りた。黒縁メガネの少年に見送られながら、彼は素早く箒の足かけに片足を引っ掛けると、一直線に箒を飛ばす。
その場に残った黒髪の童顔少年。絨毯の上で彼はにやりと不敵に笑う。
「さーて。準二級取得者君の、お手並み拝見といきましょうか」
先ほどの少年が飛んで行った方向を見据えながら、ガリ勉顏の少年はそう呟くのだった。
★★
ユートピア帝国は、他国も恐れる魔法軍事国家である。
何千年と受け継がれてきた魔法を、軍事力として戦闘魔法に特化させたのが、今からおよそ200年程前のこと。他国より、戦闘力を一歩も二歩もリードさせたユートピア帝国は、その後、より広大な領土を得るため、侵略戦争を開始した。長く続いた戦いに他国は怨嗟の声を上げ、恨みの連鎖へと繋がっていったのである。
しかし1世紀ほど前、ユートピア帝国は突然、隣国それぞれと休戦協定を結んだ。やっと訪れた平和に人々は歓呼の声を上げたが、十数年前、隣国の一つであるフロンティア皇国との戦争が再開され、再び悲惨な戦いの幕は開けられてしまう。
年々激しさを増す戦闘。今でも、国境付近では激しい攻防が行われているのだった。
「——空襲警報発令。空襲警報発令。市民の皆様は、シェルターへと避難して下さい。繰り返します。市民の皆様は、シェルターへと避難して下さい」
帝国軍ダウンタウン支部から、拡張機を使ったアナウンスが行われる。皆が駆け足で、地下にある魔法攻撃防御シェルターへと向かっていた。
フロンティア皇国は、ユートピア本国の弱体化のため、内地への空襲を頻繁に行った。そのため各街は常時、半円形の大きな守護魔法をかけて空襲に対処していた。
立て続けに響き渡る爆音。空から降り注いできたのは、何かの光の塊らしきもの。それが街に到達する前に守護魔法に遮られ、爆発した光の塊が爆音をたてている。上空には、敵国の国章の入った大きな絨毯が悠然と浮き、攻撃はそこから落とされていた。こちらの軍の者も、その絨毯に攻撃魔法を飛ばしているのだが、何しろ距離があるため、ほとんど当たっていない。
特に変化のない戦況——相手が一方的に攻撃し、こちらはひたすら防ぐ——は続いていたが、突然、相手が大きく仕掛けてきた。
「何だあれは……! 」
ひときわ大きな光の塊。紫色をした不気味な攻撃魔法が街へと迫ってくる。街を覆う守護魔法だけで、それを受け止め切れるかどうかは、全く判断がつかなかった。
「おいおい……今日は大佐が不在なんだぞ! 」
「あんなの俺達だけでどう対処すればいい! 」
軍と言っても、所詮街の警護を任されるだけの者しかここにはいない。敵国との戦いの前線で健闘出来るだけの実力者は一人いるが、その頼みの綱である一人、オルコット・クライスラー大佐は、今日に限って不在であった。そもそも、こんな大型の攻撃魔法を一般の街に飛ばすなど、今までなかったことなのだ。
焦燥は焦燥を呼び、その場で凍りついてしまう軍。
——その時、一人の少年の声が、軍の者達の耳に飛び込んできた。
「すいませーん、オレがあれぶち壊すんで、ちょっとだけ守護魔法、強めててもらえますかー? 」
見ると、左目近くに生々しい傷跡を持つ少年が笑顔で軍の者たちに手を振っている。明るい声音だが、その瞳は恐ろしく真剣で、歳に似合わぬ力を秘めていた。
「援護は巻き込んじゃうかもしれないんで、なくていいです。んじゃ、お願いしまーす! 」
軍の者が止める間もなく、あっという間に街を覆う守護魔法の壁を抜けて、攻撃魔法へと迫るその少年。呆気にとられた軍の者たちは、次の瞬間、見たのだった。
少年の姿が消え、直後あのデカイ攻撃魔法に風穴が開いた瞬間を。風穴の向こうで箒に乗った一人の少年が、杖を持った手を前へと突き出すような姿勢で、静止している様子を。
一拍を置いて、辺りに大きな爆音が響いた。不気味な攻撃魔法は一気に霧散し消えていく。ビリビリ……と街の建物は揺れ、目を点にした軍の者たちは口をあんぐりと開け、紙吹雪のようになった攻撃魔法の残りカスをいつまでも見ていた。
敵国の絨毯はいつの間に去ったのか、もう姿を消していた。箒に乗って空を飛んでいる少年は、満足そうな表情で辺りを見回す。
「あっ! 」
突然声を上げる少年。何を思い出したか、彼は両手を合わせて合掌ポーズをとると軍の者たちに伝えた。
「あの、出来ればオフレコで頼みます——規則違反なんで」
頼もしい白色の制服を着ているその少年の背中は、どこまでも大きく見えるのだった。