両目を細めてみたのだけれど、私は何も持っていないらしい。
お金も無い。記憶も無い。地位も名声も何も無い。
小さな猫すら持っていた名前でさえも私は持って無かった。
空を見上げれば星がある。
それから今日は月喰らしい。
丸い月は徐々に夜に犯されて、私は空を見つめた。
あの場所は、見覚えがある。
いびつに欠けた月を見て思う。
右手を伸ばす。月へと伸ばす。
宵風は冷たく頬を掠めて、伸ばした髪は重たく揺れる。
実は案外この世界は、汚いものなのかも知れない。
此処から逃げたい。何処か遠くに。黒い影は刻々とあの月を包み隠していく。
黒い空に向かって身を乗り出す。開け放した窓際、カーテンが揺れた。
淡い光が私を包む。私は月迄歩いてゆける。
そう確信して、一歩踏み出す。
私には何も無いのだけれど、それでも私は存在するの。月迄歩いていける事は、まさにその証拠でしょ。
口許が微かに綻ぶ。
私の居場所は此処には無い。
けれどあそこにならあるかも知れない。
手を伸ばした所で届かない満月は柔らかい光で包んでくれた。
私には何も無い。
所詮ただその程度だと思っていた。
今なら行ける。
何処へでも行ける。
お気に入りの枕を片手に持って、月への道を歩いていくのだ。
桟へと足をかける。
怖いもの等何も無い。
さようなら。
何もかも、さようなら。
私は月へと飛んで逝く。
一歩、二歩、三歩。月へと続く道はどんどん狭まり細くなり、やがては息を潜めた。
私は立ち止まる。
殺した様に真っ暗闇で何も無い。
誰かが嘲る声が、耳の奥で響いた。
そして何も無い。
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