輝く金髪に甘い微笑み。優雅な物腰に典雅な衣装。
王子様と聞いてまず浮かぶのは、そんな典型的な人物像だろう。
王様の子供なら何歳でも王子様だろうが、そんなことは考えてはいけません。
王子というからには年は若く!
顔は美しく!
そして気品に溢れて輝いているのが鉄則なのである!!
もっとも、魅力で言えばレメクほど魅力的な殿方はいないのだがッ!!
さて、ゴホン。
それはともかく。
先の条件を踏まえて目の前の少年を見てみよう。
年は若く、おそらく十一か十二。
上品に整った顔立ちは、少年と言うより少女のそれに近い。
整った鼻梁に、薄い唇。肌は白く、瞳は綺麗な琥珀色で、髪はちょっと深みのある銀色をしていた。
絹服の上に着ているのは黄色のベストとワイン色の上着。
スカーフももちろん絹製で、上着の襟元には銀糸金糸の縫い取りがある。
裸にひん剥いて服を売り払えば、一年は遊んで暮らせそうだ。
(金の塊だわ!)
ビカッと目を光らせたあたしに、その少年は笑顔を不審そうに曇らせる。
整った鼻梁はちょっとだけレメクっぽくて好印象。
目が笑ってないので作り笑顔バレバレだが、それでも形的には申し分ない美少年ぶり。
改めて見れば、なかなか目の保養ではありませんか!
レメクの少年時代(の写真)には遠く及びませんが!!
(というか、あれに勝てる人はきっといないッ!!)
ふんぬーっ、と熱く結論を下して、あたしは目の保養を切り上げた。
(さて。バルバロッサ卿を探しましょう)
愛するおじ様の元に戻るためには、なんとしてもあの巨熊を捕獲しないといけないのです。
とはいえ、相変わらず廊下には他に誰もいないのだが。
(……まぁいいや)
三秒で諦めてちまちま歩き出す。
とりあえず、大広間に戻れば誰か気づいてくれるだろう。
よちよちよち。
「「…………」」
よちよちよち。
「ちょ……ちょっと待て!」
ちまちまと歩くこと十数秒。
横を通り過ぎようとした瞬間、妙に慌てた顔で美少年が呼び止めてきた。
はて?
「僕は名前を聞いてるんだぞ!? 普通、無視して歩き出すか!?」
首を傾げたあたしに、相手は驚愕の表情でそう叫ぶ。
(ああ、そういえば)
すっかり忘れていたが、そういえば聞かれてましたね、何気なく。
ハタと思い出して見つめると、何故か相手の視線が斜めに逃げた。
……どういう意味ですか?
あたしは胡乱な目になって小さくぼやく。
「……というか、誰だっけ?」
名前も言われた気がするのだが、興味なかったので覚えられませんでした。
「……シーゼル」
ぼやきが聞こえたのか、少年がむっとした顔で告げてくる。
先の作り笑いと違い、その表情は素の顔のようだった。
(ふむふむ。シーゼル、と)
とりあえず脳みそに名前をたたき込む。
三秒で忘れそうだが。
「それで、そのシーゼルさんが、どうしてあたしの名前を尋ねるの?」
あたしの問いに、何故かシーゼルはビックリした顔になった。
だが、すぐにまたあの作り笑いを浮かべる。
今度の笑みはちょっと皮肉気味だ。
「何故って……知りたいから尋ねるんじゃないか。そうだろう?」
「そうね」
理には適っている。
笑みは気に入らないが。
「でも、あたしはあなたを知らないから、名前を教えられないわ」
「? 何を言ってるんだ? 知らないから、教えてもらおうとしてるんじゃないか」
首を傾げたシーなんとかさんに、あたしは呆れたような目になった。
「だって、あなたの存在って不透明なんだもの。どこの誰なのかも分からない、全く見ず知らずの人だわ。それにね、嘘の笑顔で名前を告げてくる人に、不用意に名前を告げちゃいけないのよ」
じゃあね、と片手をあげてよちよちと歩き出す。
さてさて。
熊さんはいったい何処でしょう?
「ちょっと待ってくれ! なんなんだ、その理由は……というか、君、僕の名前は知ったのに、自分は名乗らないのか!? 非常識じゃないか!」
追いかけてきた相手に、あたしはジロッと振り返った。
……しつこいなぁ。
「心配しなくても、あなたの名前はもう忘れたわ」
シーさん、絶句。
「だいたい、非常識って言うのならあなたはどうなのよ。それとも、お手洗いから出てきた女性にいきなり名前聞くのは貴族の常識なの?」
うっと言葉に詰まった相手に、あたしは口を尖らせる。
「怪しいなんてもんじゃないわ。それこそレディに対する礼儀がなって無いじゃないの。そうでしょう?」
あたしの声に、シーさんは苦虫を噛みつぶしたような顔になった。
その顔を眺めながら、あたしは名前を教えたくない最たる理由を告げる。
「怪しくて笑顔も嘘っぽく、なおかつ自分から名乗ってくる相手っていったら、普通は悪魔か詐欺師じゃない。そうじゃない証拠が何もないんだから、名前なんて教えられないわ」
途端にシーさんは呆気にとられた顔になった。
妙にまじまじとあたしを見つめながら、素っ頓狂な声で叫ぶ。
「そんな迷信を信じてるのか!?」
迷信!?
「馬鹿馬鹿しい! 悪魔なんているわけないのに、そんなのと間違うだなんてありえない!! 言い訳ならもっと上手いこと言うんだね!」
「言い訳!? というか、いるわけないだなんて、どうして言えるのよ! 聖書にだって書いてあるのよ!?」
無学だからと侮るなかれ!
最近はレメクにしごかれ……いや、教育されてせっせと聖書の書き取りだってやっているのだ!
レメクがあの低い美声で音読してくれちゃったり!
すると不思議なことに聖書の内容がするすると頭に入っちゃったり!!
そのくせ未だに文字がサッパリだったりするんです!!
……しょんぼりだ。
い、いや、それはともかく!
「『汝名を問うなかれ。其は神が与えたもう試練なり。汝名を告げることなかれ。其は悪魔が囁く誘惑なり。偽りの笑みにて近づきたるは悪しき者にして邪なる者。名を以て契約を結びしその後に、永劫の闇へと落とされたくなくば』」
レメクの蕩々とした口調を真似て諳んじたあたしに、相手は小馬鹿にした顔でフンと鼻を鳴らす。
「聖書は聖書じゃないか。そんなもので名乗りを控えてたら、どうやってこの王宮でやっていくんだ? 君はそれでもあのクラウドール卿の身内なのか? 信じられないな」
「なによ。お手洗いから出てきた女性を待ちかまえていきなり名前を問うてくるような人に言われたくないわ」
これには反論のしようが無いのか、相手はむっと口を噤んだ。
あたしはこの隙に話を切り上げようと口を開き、ハタとあることに気づいて相手を見つめた。
(……ちょっと待って……)
「……あなた、ここにいたバルバロッサ卿に何かした?」
あたしを待ちかまえていたのなら、ここにいたバルバロッサ卿とも会ったはずだ。
義理人情に厚くレメクからの信頼もある彼が、あたしを放ってどこかにいきなり消えるはずがない。
何かあったのだとすれば、今この目の前にいる少年に関係することではなかろうか?
「バルバロッサ卿は何処?」
あたしの問いに少年は軽く笑う。
「さぁ?」
「……何をしたの?」
「何もしてやしないさ。伝言を頼んだだけだよ。……それにしても君は人に問うばかりで、自分は問いに答えないんだね」
「嫌ならあなたも何も言わないことね。あたしはあなた個人には興味ないもの」
皮肉な声にキッパリと答えると、ムッとしたように相手が口を噤んだ。
あたし達は一歩分の距離でにらみ合う。
ふいに冷えた相手の眼差しに、あたしは負けじと目に力を込めた。
……本当はわかっている。
問答の内容を考えれば、あたしの方が失礼なことをしていることも、彼の言うことが正しいことも。
けどそれが分かっていても、どうしても素直に正しい対応ができない。
理由をあえて言うなら、そう、直感だろうか。
なにかが引っかかる。
なにかがおかしい。
彼の言葉は正しいけれど、彼の存在が正しくない。
嘘つきが嘘の土台に乗った状態で正しい言葉を語っているような、それこそ詐欺師が詐欺を働いているような、奇妙な違和感を感じるのだ。
あたしは相手と睨みあったまま足を動かし、真正面から向き直る。
やや金みがかった琥珀の瞳。
その瞳が宿すものに、あたしは自分の直感が正しかったことを悟った。
「あなたの言葉には真実が無い」
真っ直ぐに見上げた先にある瞳には、真摯な色が欠片も無い。
「あなたの笑顔にも心が無い」
最初に向けられていた笑顔だって、ハッキリとわかる作り笑いだった。
貴族というものがそういう生き物なのか、
それともこの少年がそういう人なのか、
あたしには判別がつかないけれど──
「心の無い言葉は人に届かないのよ。あなたがどんな理由であたしの名前を聞いてきているにしても、本当の意味で名を欲していないあなたに告げる名前は無いわ。もしかしたら名前を集める趣味を持っているのかもしれないけど、それにつきあう義務もあたしには無い」
どんな思惑があって近づいてきたのか分からないけれど、あたしを『あたし』として必要としてないことだけはハッキリしている。
そんな人に、告げる名前などどこにあるだろうか。
「あたしの名前は、あたしを呼んでくれる大切な人だけが知っていればいい。あなたにあげる名前は無いわ」
ハッキリと言いきると、はじめて相手の瞳の中に動きがあった。
皮肉や虚無とは違う色。
あたしの直感が正しいならば、それはある種の興味と好意だ。
(……なんで?)
意外な反応にあたしは眉をひそめる。
もしかして、つれなくされると燃えちゃうタイプだったりしましたか?
「嬢ちゃん!」
思わず首を傾げた瞬間、あたしの後方から声が飛んできた。
慌てて後ろを振り返ると、大広間の出入り口から偉丈夫のでっかい影が!
「バルバロッサ卿!」
顔を輝かせたあたしの近くまで走り込み、バルバロッサ卿はあたしにニカッと男臭い笑みを浮かべる。
巨体がかもしだす存在感と熱気に、少年が気圧されたように一歩後退った。
「悪ぃ悪ぃ! ちょっと野暮用で席外しててな。事情話すのにも手間取ったもんだから遅くなっちまった」
(事情を話す?)
首を傾げたあたしに、バルバロッサ卿は意味深な笑みを浮かべる。
そうして、あたしの近くに立つ少年へと硬い視線を向けた。
少年。いつのまにか三歩分ぐらい離れてます。
「そういうことで、クレマンス伯爵。こちらのご令嬢は保護者が探しておりますので、連れて行かせていただきますよ」
「……僕は、僕が連れて行くから、と言ったはずだが?」
バルバロッサ卿の声に、不機嫌そうにあの少年が呟く。
あたしは思わず少年に視線を戻した。
なんと! 彼は伯爵様でしたか!!
えらくちっこい伯爵様もいたもんだ!
しかもやっぱりバルバロッサ卿がいなくなってた理由は彼にあった模様です!!
(おのれぇッ!!)
やはりあたしの直感は正しかったのだ!
目をギラギラと光らせたあたしに、伯爵(もう名前忘れきった)はフンとそっぽを向く。
そして、チラッと大男を見上げた。
「貴男がこんなに気の利かない人だとは思いもしなかったな。夜会の席で、無粋だとは思わなかったのか?」
「残念ながら、気を利かせるべき相手が違っていましてね。伯爵こそ、パートナーのいる相手に無粋な真似はおやめになるべきじゃありませんかねぇ?」
「パートナーといったって、あの人は保護者だろう。別に、僕が彼女と親しくすることに不都合はないはずだが」
「いぃえぇ、大ありなんですなぁ、これが。どうやら伯爵は先の騒動をご覧になってはいらっしゃらない模様! 近くにはいらっしゃらなかったのですかね?」
「……あれだけ人が集まっていれば仕方なかろう。……言っておくが、僕はあそこにいた連中とは違うぞ! 目新しい噂好きの連中や、何も理解していないのに人々が集まっているからと好奇心を刺激されてその輪に加わるような連中と、この僕を一緒にしないでもらいたい」
「けど、その人達に負けて遠巻きになってたんですよねークレマンス伯爵様は」
「……ッ!」
おお。熊さん言う言う。
あたしは徹底抗戦体勢に入っているバルバロッサ卿を見上げ、こっそり拍手するフリをした。
「言っておきますがね、私が一度この場を離れたのはあなたのためじゃあないんですよ」
熊さんはため息混じりにそう言って嘆息をつく。
「こっちのお嬢様のために、あえて場を一度空けさせてもらったんです。……まぁ、そのせいでちょっと心細い思いをさせてしまったかもしれませんが」
あたしはバルバロッサ卿を見上げて「うんうん」と深く頷く。
なぜか少年伯爵が胡散臭そうな目であたしを見た。
どういう意味だ?
「ここで私があなたを言い負かせて追いはらうより、お嬢様の大事な大事な相手を連れてくるほうがいいと思いましたしね。だいたい、大人である私が子供相手にムキになるわけにいかない。大変、大変格好が悪いですし」
あたしは「うんうん」とさらに深く頷く。
少年伯爵がムッとしたのがわかった。
しかし相手が何かを言うよりも早く、バルバロッサ卿はニッコリと迫力のある笑顔を浮かべてこう言った。
「故に、この事態を収拾すべく動いたわけでございます。やぁ、私はここに宣言しなくてはいけませんなァ。我々はお払い箱だと言うことを。──なぜなら、保護者本人がここに来ておりますから」
言うや否や、バルバロッサ卿がサッと横に退いた。
(……ぉぉ)
あたしは息を呑んだ。
「……ぁ」
少年伯爵も思わず声を漏らす。
ぽかんとした顔は妙に無防備だったが、あたしはそちらに注意を払えなかった。
会場から漏れる明かりを後光のように纏って、その人物が姿を現す。
凛とした気配に相応しい怜悧な貌に、深い叡智を湛えた神秘的な瞳。
思わずウットリと見惚れてしまうその人物は、もちろんレメクに他ならない。
(……おじ様ッ!)
背後から聞こえてくる荘厳な音楽を従えて、王者の如く悠々とレメクが歩いてくる。
その全身が淡く煌めいているのは、おそらく服に施された真珠の光沢のせいだろう。
深い色の銀糸がその中で控えめに輝き、全身を使って大胆に描かれた模様を鮮やかに見せつけていた。
流れるような優美なフォルム。
服の下は筋肉で引き締まっていようとも、レメクはどちらかと言えば細身なほう。長身と相まって、その姿はまさに優雅の極みだった。
鼻血が出そうです。
(女王陛下ッ!!)
あたしは心の中でこの衣装を用意した女王陛下を賛美した。
(あなたはこれをご存じだったのですね!!)
あたしは今、初めて気づきました!
この服、格好良い美形が纏うと、男の色気満載なのです!!
(グッジョブッ!!)
その瞬間、悠然と歩いていたレメクがピタッと止まった。
……惜しい。あと五歩で飛びつけたのに。
そうして、何故か恐れを宿した瞳であたしを見下ろす。
……どういう意味ですか?
「……クラウドール卿」
きょとんと首を傾げたあたしの三歩向こうで、わずかに怯んだように伯爵が呟いた。
レメクは視線をあたしから伯爵へと転じる。
感情を払拭した目で相手を見つめ、丁寧に頭を下げた。
「お久しぶりですね、クレマンス伯爵」
「は……はい。ご無沙汰しております」
慌ててぎくしゃくと伯爵も頭を下げる。
レメクの丁寧さは相手にも影響を与えるようだ。
「最後にお会いしたのは五年ほど前でしたか。ずいぶんと大きくなられましたね」
「い、いえ。まだまだ小さいものです。いずれは父のように立派な人になりたいのですが」
レメクの声に、伯爵は小さく首を振る。
あたしはバルバロッサ卿をチラッと見上げた。
バルバロッサ卿もあたしをチラッと見下ろした。
(別人がいるヨ?)
あたしの無音の目線言語に、
(レメクの前じゃアァなんだよ)
バルバロッサ卿も目で返答を返す。
あたしは呆れたように小さな伯爵様を見つめた。
(……おのれ。こんな所にライバルが!)
「時がくれば自ずとなるべき姿に成るでしょう。今は焦らず、ゆっくりと成長なさることです」
「……貴方はそう言ってくださいますが……ですが、私は……」
伯爵は小さく俯く。
その瞳は、どこか暗い色をしていた。
あたしは大小二人を見比べてから眉を顰める。
あたしの時とは全く違う伯爵の応対も気になるが、それにも増して気になるのがレメクだ。
なんでさっきから、そんなに徹底した無表情なんだろうか?
もともと顔の作りも綺麗だから、淡々としていると妙に酷薄っぽく見えてしまう。
微笑んだ彼は無敵に素敵なのに。
そう思ったのがいけなかったのか、その途端にレメクの表情がちょっと揺らいだ。
「伯爵」
呼ぶ声も、ちょっとだけ暖かい。
顔を上げた伯爵に、レメクはゆっくりと言った。
「自らが誇れる自分とは、他の誰でもなく自分自身で己のあり方を決められる人でしょう。それは急げば成せるものでは無く、また誰かから押しつけられたものでもないはずです。ましてレンフォード公爵はあなたに無茶を要求するような方では無いはずですが」
「……えぇ、父は……」
「他者の言葉に耳を貸すのも、上に立つ者として持つべき姿勢です。ですが、それはあなたを束縛するものではありません。……あなたはまだ若い。無限の可能性があなたの前にあると言っていいでしょう。それを自分で狭めてはいけませんよ」
「……はい」
どこか呆然とした顔で伯爵は小さく頷く。
眼差しはレメクに注がれっぱなしで、傍にいるあたしやバルバロッサ卿は眼中外だった。
……別にいいけど。
あたしはレメクの方を見上げ、力を込めて瞳を閃かせた。
伯爵がレメクしか見ていないのはどうでもいい。問題なのは、レメクも少年伯爵しか見ていないということだ。
こっちは大変よろしくない。
(さぁ、おじ様。振り向け。振り向けぇええッ!!)
祈りが通じたのか、レメクがちょっぴり汗を浮かべてチラッとあたしを見た。
あたしは目をキラリと光らせる。
そっと視線を外された。
(何故!?)
「ところで伯爵。このたびは、私のベルのために案内を申し出てくださったとか」
「え、あ。は、はい」
微妙に早口になったレメクの声に、伯爵が「そう言えば」といった顔で頷いた。
レメクはそれに対して淡々と言葉を綴る。
早口で。
「ありがたいお申し出ですが、彼女のエスコートは私が勤めることになっております。どうぞ伯爵はご自身のパートナーをエスコートしてさしあげてください」
(『ご自身のパートナー』?)
あたしは首を傾げる。
伯爵も首を傾げたが、レメクが掌で丁寧に指し示した場所を見た途端、ものすごい勢いで血の気を引かせた。
「フェ……フェリシエーヌ姫……!?」
「……ごきげんよう。クレマンス伯爵」
どう聞いても悲鳴にしか聞こえない伯爵の声と、異様に底冷えのする少女の声。
青ざめた伯爵をチラ見してから、あたしはレメクの掌が指す方を見やった。
場所はレメクの後方、大会場側。あたしからはゆうに十歩以上離れた所。
今までレメクに注目しすぎて気づかなかったが、そこには優雅に立つ一人の少女の姿があった。
(おお)
さすがのあたしも思わず唸る。
レメクよりも数歩後ろにいたその人は、それほど美しい姫君だったのだ。
同性にドキドキする趣味は欠片も無いが、やはり美しいものはウツクシイと感激してしまう。
闇をも霞ませる黄金の髪に、幼いながらも匂い立つような清楚な美貌。
唇は淡く艶やかな桃色で、大きな瞳は鮮やかな海の蒼。着る人を選ぶだろう薔薇色のドレスが、眩しいぐらい似合っている。思わず拍手したくなるほど目の保養だった。
うん。きっと末はアウグスタ並みの美女になるに違いない。
紛れもなく絶世の美少女だ。
(ナマお姫様! ナマお姫様!!)
感動のあまり、あたしは思わずグッと握り拳を作ってしまった。
いろんな意味で『女王様』な人は間近で見たが、お姫様はまだ見たことがなかったのだ。
おそらく十二・三だろうその美少女は、顔立ちといい優雅な立ち姿といい、まさに絵に描いたようなお姫様だった。
……ちょっと眼差しが剣呑ですが。
(……てゆか、誰だろう? あのお姫様)
優雅で立派な名前(忘れた)からして、貴族のお姫様には違い無いだろう。
だが、それにしてはこの眼差しの鋭さが尋常では無い。貧民街で生きてきたあたしですら怯んでしまう眼力だ。
そしてその眼が睨みすえているのは、冷や汗をダラダラと流している少年伯爵である。
(……おやおや?)
「少しでも早く会場内の雰囲気に慣れたいからと、早めに入場したのは一時間ほど前のことでしたかしら?」
一歩踏み出したお姫様に、伯爵は斜め後方へと半歩後退る。
「え……ええそうです、姫」
「まだ社交界に出席する栄誉を賜っていないワタクシは、この夜会をとても楽しみにしていたのですよ」
「それはもう、存じておりますとも」
スタスタと近寄る姫に、ジリジリ逃げる伯爵。
二人の距離は縮まる一方だ。あたし達からは離れて行ってるが。
「ワタクシも貴方も貴族の生まれ。そして共に年若く未熟な身。ワタクシも自分に課せられた義務を承知しております。故に、卑小なる身ではありますが先達の方々のお言葉を拝聴し、会話に加わらせていただくことで様々なことを学んでおりました」
「す、素晴らしいことです、姫」
「ええ。ワタクシもそう思いますわ」
そう言って微笑んだお姫様は、素晴らしく愛らしかった。
……目が笑ってさえいれば。
「それで、伯爵」
「はいっ」
「そのワタクシをエスコートするはずの貴方は、いったいこんな所で何をなさっておいででしたか?」
ニッッッコリ! と力一杯微笑まれて、伯爵はぎょぐっと喉を鳴らせた。
じりじりと後退っていた伯爵は、背中にあたった壁でそれ以降の後退を阻まれる。
おそらく心理的にそちらに後退るよう、計算して動いていたのだろう。
ぎょっとなって背後の壁を見た伯爵に、姫君が悪夢のような素晴らしい笑顔になった。……ちょっと恐い。
(……貴族って……)
目の前で突然始まった王子様的美少年伯爵対美しいお姫様のやりとりに、あたしはちょっと遠い目になった。
それはまぁ、この国の王様が想像と違ったように、いかに外見が物語に出てきそうなほど美しい王子様&お姫様だろうと、現実なんて物語のようにキラキラしたもんじゃないとわかってます。
わかってますけど、もうちょっとこう、夢を見させてくれてもいいと思うんです。
わけのわからん理屈でトイレ帰りの女を待ち伏せするエセ王子的少年伯爵とか、
笑顔で殿方を壁際へと追いつめる美貌のお姫様とか、
そんなのばかり見せなくてもいいと思うのですよ。
あたしは遠い眼差しで薄暗い廊下の天井を見上げる。
夜の庭園を見せるための工夫なのだろう、この廊下の明かりはとても少ない。だから天井は暗く沈んでいるのだが、あたしの気持ちはもっと暗く沈んでいた。
(嗚呼)
思わず思う。涙もほろり。
(……儚かったな……あたしの夢……)
華やかで美しい王宮の夜会だというのに、夢物語以上に素晴らしかったのは宮廷音楽にあわせて踊る男女の姿(見れたの一瞬)と、レメクの艶姿だけとは……。
あたしはそっと涙を拭き取ると、未だあたしから三歩ぐらい離れた場所に立っているレメクへと視線を向けた。
常の黒一色の姿も素晴らしいが、煌々しさが違う今宵の艶姿。
ええ、これだけでもう救済完了ってなもんですよ。
(……ありがとうレメク。ありがとう!)
涙まじりの目に感謝を込めたあたしに、レメクがなんとも言えない困り顔になりました。
「そ、それは……」
ひきつった弱々しい声を聞きつけて、あたしは視線をレメクから修羅場を演じるお二人へと戻した。
美しいお姫様を見つめながら、伯爵は今にも泣きそうな顔で無理やり微笑んでいる。
……ちょっと可哀想なぐらい、情けない泣き笑いだ。
「い、いえ、初めての夜会においでになった方を、その……案内しようと……」
すでにあたしから十歩以上遠くに離れている伯爵は、助けを求めるようにあたしのほうへと視線を向ける。
いや、向けられても困るんだけど。
正直、どう反応していいのかわかりません。
助ける気も起きなければ関わりたいとも思えない。
というか関わりたくありませんです。はい。
だというのに視線に気づいたお姫様は、一度だけあたしの方へ一瞥をくださいました。
おっそろしく剣呑な一瞥を。
(……こ、恐ぁ……ッ!)
一気に心の臓が冷えました。
視線だけで人を射殺せそうな一瞥である。
なんかこう、抹殺対象にされちゃったかのような嫌な予感。本能が危機を訴えます。
ぶるぶる。
「それは素晴らしいことですね。伯爵」
あたしを殺人目線で睨んだ後で、お姫様は伯爵に笑顔で向き直る。
「パートナーであるワタクシも、今日が初めての夜会ではありますが」
わー最悪だー。
あたしの口も半開き。
レメクとバルバロッサ卿がいるあたりからは、最大なため息が聞こえてきた。
ああ、やっぱりイカンのですね、彼の行いは。
「い、いえその、ご不浄の場からの帰り道のようでしたし」
「女性のご不浄の場からの帰り道に、貴方は何故、わざわざ! 出向いていらっしゃったのかしら?」
「ぐ、偶然で……!」
「あら、ワタクシはお付きの者に大切な用事で席を外していると伺いましたが? 貴方の大切な用事はどこにいきましたか? それとも、女性のご不浄の場からの帰り道を待ち伏せするのが貴方の大事な用事ですか?」
距離を縮めながらたたみかけるようにして怒濤の追求。
その様子を逐一観察しながら、あたしはこっそりと音なしの拍手を送った。もう拍手するしかないだろう。
(……どうでもいいが『女性のご不浄の場』ってのを連呼しないでほしいなぁ……)
どう綺麗に言いつくろっても、トイレはトイレだ。
蛇と蛙のにらみ合い(一方的)を見つめながら、あたしは深い嘆息をつく。
その間にてくてくと近寄ってきたレメクがあたしの頭にぽすっと指を乗せた。
何故、指。
チラッと目線を左斜め上に向けるが、位置がずれているの相手は見えない。
ただ、どこか嘆息混じりの声が聞こえてきた。
「……あまり心配をかけさせないでください」
おじ様ッ!!
あたしはバッと勢いよく振り仰ぐ。
ついでに飛びつこうと思ったのだが、横にいると思ったレメクは微妙にズレた場所にいた。
詳しく言うなら、一歩半後ろ斜め後方。
そこからちょいと指を伸ばしてあたしの頭にワンプッシュ。
何故!?
「ここは宮殿です。いつものように飛びつかないように」
指ポスはそのために!?
ショックのあまりガーンッとなったあたしに、レメクが苦笑を浮かべる。
「クレマンス伯爵は公爵家の嫡子です。もめると事ですからね。あなたが爆発する前に回収できて何よりです」
爆弾みたいな扱い。
さすがにムスッとなると、レメクは距離を一歩縮めてあたしの頬を軽く撫でた。
「それでも……心配しましたよ、なかなか戻って来なくて。いっそあのまま手元に置いておけばよかったと思いました」
(おじ様ッ!!)
さらりとそんなことを言われて、あたしは輝く瞳でレメクを見上げた。
思わずぐっと両手で握り拳。
(その発言は卑怯だわッ!)
「……なにが卑怯なんですか……」
(心読まないッ!!)
あたしの抗議に、レメクはちょっと困り顔。
『別に読もうと思って読んでいるわけではありません。あなたの場合、あなたの側から言葉が飛び込んでくるんです。……離れてても』
遠距離心話もバッチリ可能。
なんて太い愛で繋がっているのだろうか、あたし達は。
『…………』
あ。なぜソコで沈黙の気配ですかおじ様ッ!!
そっぽ向かないッ!
びしびし抗議の波動を送るが、レメクは微妙に引きつった顔でそっぽ向くばかり。
おのれおのれッ!
「そ、それよりも……ルドからだいたいの所は聞いてますが、クレマンス伯爵とどんな話をしてたんですか?」
必死に話題を変えてくるレメクに、あたしはジト目で抗議しながら答えた。
「名前聞かれたの」
「…………」
何故沈黙だろうか。
妙に真顔になったレメクに、あたしは首を傾げる。
「それがどうかしたの?」
「いえ……それで?」
「断ったわ」
「……断ったんですか?」
レメクが奇妙な表情で声をあげる。
なんだろう? その安堵したような呆れ顔は。
「だって、素性の知れない怪しい人じゃない。嘘っぽい笑顔ふりまくし。そんな相手に名前を名乗れないわよ」
「……賢明です」
褒められた。
「あたし、間違ってないよね?」
「まぁ……夜会の中ではやや不調法ですが、今回の場合あちらにも落ち度がありますからね。さして問題にはならないでしょう」
「うっ……!」
やっぱり問題アリなわけだ。
いやでも、今回はオッケーということで!
とりあえず、終わりよければすべてよし、だ!!
(……それにしても)
未だに頭の上に乗っているレメクの指をワシッと掴んで引きずり降ろしながら、あたしは疑問に思ったことを送信する。
『あの二人は、いったい何者?』
「……ベル。ちゃんと声に出して問いなさい」
『わざわざ声に出して会話する意味あるの? あたし達』
「声を出さないと、無言で見つめ合ってるように思われますよ」
「え。それはそれで素敵なような……」
「……いやぁ……できればやめて欲しいなぁ……レメクの緊迫感ばかりひしひし伝わってきて、周りにいる連中は死にそうになるから」
どういう意味だ。
あたしは微妙に距離をとっている熊さんを睨む。
なぜか深く頷くレメク。
本当にどういう意味ですか!
「話を戻しましょう。あのお二方のことですが……。ベル。あなたも大概大事ばかり引き寄せますね……」
オオゴト?
「……レメク。話が逸れそうだぞ」
「ああ、失礼」
通路の闇に同化しちゃってる熊さんの忠告に、レメクはちょっと咳払い。
「クレマンス伯爵はレンフォード公爵の末の公子です。母親は先王の妹君であるマルグレーテ姫。降嫁されているので王族では無いのですが、現王家の嫡子が少ないので、王位継承権をどうするかで少し問題になっています」
ふむふむ。王族一歩手前の貴族なわけですね。
かみ砕いて納得したあたしに、レメクは微妙な困り顔。
「……かみ砕きすぎですが……」
気にしない。
「フェリシエーヌ姫は陛下の十一番目の姫君ですね。クレマンス伯爵の婚約者です」
ほぅほぅ。なるほど。
「…………」
あたしはキツイ表情をした美少女をしみじみと眺め、次いでレメクをしみじみと見上げた。
ほぅほぅ。
…………。
「「…………?」」
あたしとレメクは見つめ合う。
首の角度は六十度。
なぜか互いに不思議そうな顔。
「ベル。理解してますか?」
「?」
あたしは目をぱちぱちと瞬かせる。
もう一度お姫様を眺め、再度レメクを見上げた。
(……んん?)
何だろう?
なにか異様なものが脳みそに浸透していきます。
「お姫様?」
問うたあたしに、レメクはあっさりと頷く。
「ええ」
「……王様の娘でお姫様?」
「そうです」
コックリ。
「……どの王様?」
「うちの王様ですが」
レメクの答えに、あたしはお姫様をもう一度見つめた。
無意識にパカッと口が開く。
そして声が飛び出した。
「アウグスタの娘ぇッ!?」
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