あの日 王太子視点2
彼女はアンジェと名乗った。
予想通り、あの肖像画の女性……ローゼ妃の娘だとわかった。
しかしローゼ妃は苦労のためかすでに亡くなっており、彼女が母と呼んでいた人物は彼女の養母となった乳母らしい。
あの幼い日の出来事があってから、私は肖像画の女性について調べていた。
珍しいピンクの髪のせいで、彼女の素性はすぐにわかった。
しかし、彼女がどうしているのかという話になると、皆一様に口を噤んだ。
自身で王宮の公式の記録を調べてみると、ローゼ妃は失意のあまり命を絶った……と記録されていた。
美しいローゼ妃にほのかな憧れを抱いていた私は少しがっかりしたが、それよりも父王はなぜ彼女の肖像画を飾っていたのかがますます気にかかった。
まさか、父はローゼ妃を……?
父に対するもやもやは私の心の奥に、あれからずっとくすぶっていた。
私はアンジェを連れてエーデルワイス伯爵家の応接室に赴いた。
彼女は自分が王家の血筋だとわかっていたからなのか、伯爵家の私有地に無断で立ち入ったことはなにも気にしていない様子だった。
家令に案内されている間もキョロキョロと屋敷の内部を眺め、驚いたり触ってみたりと忙しそうだ。
アンジェが周りに見惚れているうちに迷子になりそうだったので仕方なしに腕を掴んで先導すると、彼女ははじめこそ驚いた顔をしたものの、満更でもなさそうな表情を浮かべてにんまりと笑った。
私は何故か、愛らしいはずのその笑みに背筋がゾワリとした。
伯爵はすでに応接室で待っており、席を立ち深々と頭を下げた。
「王太子殿下、わが屋敷での茶会に何者かが立ち入ったとか……この度の警備上の不備につきまして心よりの謝罪を申し上げ……」
私は伯爵の言葉を遮ると、頭を上げるように言った。
謝られることよりも、この少女のことを話したかった。
「そのことはよい、父には私から取りなしておく。頭をあげてくれ」
「王太子殿下……まことに、まことにありがたきお言葉……このご恩は必ずお返し致します」
冷や汗すらかいていた伯爵が頭をあげる。それと同時に、その瞳は驚愕に見開かれた。
「やはり、見覚えがあるか」
「ええ……彼女は、ローゼ妃の……?」
「ああ。今回の茶会に立ち入ったのも、彼女の出自が関係しているのだろう。彼女の今後について力になってもらいたいのだが、構わぬか?」
伯爵は、信用の置ける人物だ。
権力欲はなく、妻子を守ることだけを念頭に置いていると評判の、裏表のない男であることは日頃の王宮での彼をみてわかっている。
先ほどからの謝罪の態度をみて、ますます彼に対する信頼は高まっており、アンジェのことを相談するには丁度いい。
「勿論でございます。そちらの……」
「アンジェよ」
アンジェが伯爵の視線を受けてぞんざいに返す。
伯爵はその態度にもなにも言うことなく、柔和な笑みを浮かべた。
「アンジェ様でございますか。私はエドワード・エーデルワイスと申します。アンジェ様は随分お疲れのご様子。湯あみの準備をさせましょう」
「疲れてなんか……」
アンジェは伯爵を睨みつけて反論しようとしたが、伯爵の視線で、自身の衣服が土で汚れていること気づいた。
「まあ、いいわ……湯浴みをします」
「かしこまりました。セバスチャン!」
伯爵が執事に命じ、アンジェは侍女にともなわれて別室へと移動していった。
アンジェが完全にいなくなると、伯爵は真剣な表情で私と向き合った。
私も知らずゴクリと喉を鳴らしていた。
「彼女は、ローゼ妃の血縁……ご息女でしょうか」
「本人は娘だと言っていた。事実かはまだ確認していないが……」
「私が調べさせましょう。しかし、まず間違いはないでしょうね」
「そうだな……」
「ところで、殿下は何故、ローゼ妃のことを?ローゼ妃が……宮廷を去った時には、殿下はまだお産まれになっていないかと存じます」
伯爵の言葉に、私は父王の部屋で見たことは伏せ、肖像画の話をした。
「それで伯爵、聞きたいことがある。答えてくれるか?」
突然の申し出に、伯爵は虚をつかれたような顔になったが、やがて真摯な表情で頷いた。
「私で答えられることでしたら、なんなりと」
「ローゼ妃は先王の死後、どうなった?本当に自ら命を絶ったのか?」
伯爵は、予想していたのだろう。やはり、という顔をして言葉を続けた。
「公式の記録ではそうです。しかし、実際には……宮殿から出奔されその行方はようとして知れない……というのが当時宮廷にいたものなら誰もが知る事実です」
「なぜ、公式には死んだことになっている?……王位継承権か?」
「恐らくはそうでございましょう。ローゼ妃の出奔当時、アンジェ様がお腹にいたことは少しでも情報に聡いものならば知っていたこと。ですので公式に亡くなったことにして、アンジェ様の王位継承権を認めないことをあらわした、ということでしょうね」
「やはりか……しかし、アンジェは生きていた。しかも一目でローゼ妃の血縁とわかってしまう髪をもって」
「これが知れればただでは済まないでしょうね……どうなさいます、殿下」
「どう、とは……」
視線をあげて伯爵の目を見て戦慄した。
彼は、私が命令すれば彼女を秘密裏に消すことも厭わない、と暗に言っている……。
アンジェの命は今、私の手の中だ。私自身を守るならば秘密裏に消してしまうのが1番いい。
しかし……私には、その決断は出来なかった。
私は伯爵の視線を避けるように下を向くと、知らず震えていた手を握り締めた。
「どうにか……生かす、手立てはないのか」
伯爵は微笑ったような気がした。
「そうですね……私としても、娘と同年代の少女を手にかけるのは忍びない。殿下の慈悲深いお言葉を嬉しく思います」
「だったら……!」
「しかし。それはご自身の身の安全、ひいては王国全体にも火種を落とすことにもなりかねない。その覚悟はおありか」
伯爵の真剣な瞳が、ひたと私を見据えた。
「覚悟……覚悟は、ある!」
いま思えば、それはただのやせ我慢と、意地だった。
何故か伯爵に負けたくないと……見損なわれたくないと思ったのだ。
伯爵は今度こそにっこりと微笑んだ。
それは我が子を見守る父親のような優しい笑みだった。
「かしこまりました、王太子殿下。このエドワード、全力をもって殿下のお力になりましょう」
「そうか……!ありがとう!」
「お礼はまだ早いですよ。アンジェ様につきましては……対外的に王位継承権を捨てて頂きましょう」
「……そんなことができるのか?」
「私の旧知の男爵のところに彼女を預けます。そして、そこで生まれ変わってもらいましょう。そして平民として籍をもたせて学園に入れます」
「そうか、学園にはいるには確固たる籍が必要……平民としていれてしまえば、もはや国に対して自分は平民であり、継承権を放棄するといったことと同じに……!」
「あとは、髪の色が同じと言われてもしらを切ればいいのです。なに、難しい事ではありません。公にはローゼ妃に子供などいないのですから。ですが、彼女の気が変わって王位を主張する可能性もありますが」
「しかしそうなれば、命が危うい。私が説得しよう。もし彼女に王位を継ぐ気持ちがあり、その資質があるならば別だが……」
「殿下。殿下は幼少の頃より王になるべくして研鑽を積んでこられた。その自信を持ってください。王位とは、たんに継ぎたいからと継げるものではないのです」
自信を……私は伯爵の言葉に胸が熱くなった。
今まで漫然としてきた王になるための努力が、初めて色を持ったような気がした。
知らず、涙が目から溢れそうになり、上を向いて堪える。
「わかった。ありがとう、伯爵…………アンジェのこと、頼む」
「受け賜わりましてございます」
伯爵は満面の笑みを浮かべると、優雅な紳士の礼をした。