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第五十一.五話 元服と披露宴とウェディングケーキ

これは、織田信房が江戸に来る前のお話です。

「(長い……つまらない……)」


 光輝の嫡男太郎は、今元服の時を迎えていた。

 信長自らが烏帽子親となり、石山の執務屋敷で元服の儀式をおこなっている。

 太郎は信長から諱をもらって、津田信輝となった。


「(みっちゃん、いちいち名前を変えるのって面倒だね)」


 それは光輝も思ったが、『郷に入れば郷に従え』である。

 だが、津田一族の男子が断固拒否をしたものがあった。


 それは、髷を結ったり、月代を剃る事であった。

 柴田勝家などが文句を言っていたが、光輝はそれを無視している。

 戦になると兜を被るので髪を短めに、あとの髪型は個人の自由に任せていた。

 

 それにその方が、髪の手入れで時間を食わないなど利点が大きい。

 津田家の人間は毎日髪を洗っているし、クシ、ブラシ、整髪料で手入れもちゃんと行っている。

 これらの品は、自然素材を原料にして現在津田領で生産されているものであった。


 髷を結い月代を剃っていると一見清潔に見えるが、毎日風呂に入れる生活を送っている人が少ないので、よく見ると髪にフケが浮いている人も多い。

 信長は身嗜みには気を使っていたが、柴田勝家は暑苦しく、汗臭く、頭にフケが浮いている事もあった。


 そんな事情もあり、信輝も父光輝に習って短髪にしていた。

 服装などは決まりに従っているし、烏帽子を被るのでそれほど問題にはならなかったようだ。


 それよりも、光輝は長い元服の儀式にすっかり退屈していた。

 自分はやらないで済んでよかったと、心の底から思っている。


「(みっちゃん、元服の儀式よりも婚姻の儀式の方が長いんだよ)」


「(それを思うとな……)」


 光輝はこの時代に飛ばされる前に知り合いの結婚式に出た事があるが、それはせいぜいで二~三時間であった。

 それが、この時代だと二日間だというから凄い。

 一体そんなに何をするんだと、光輝は責任者に心から問い質したい気持ちであった。

 だが、織田家と津田家の婚礼の義なので、余計にささやかに行うというわけにはいかないようだ。


「(あーーーあ、正信が羨ましいな)」


 信輝の元服と婚礼に参加すべく石山まで来ていた津田家家臣の内、本多正信は婚礼の儀には参加せずに外で他の仕事をしていた。


「お祝いの紅白餅はこちらです!」


「祝い酒は一人一杯までだぞ! また飲みたいからって二度も並ぶなよ!」


 婚礼の儀の初日、石山普請のために集まっていた人夫達はお休みなのに賃金を支払われ、織田家家臣と津田家家臣が協力して、多くの領民達にお祝いの紅白餅とお酒を配っていた。


 他にも、臨時の屋台、大道芸、楽器の演奏、能の披露がおこなわれ、石山中がお祝い一色となっている。

 勿論、これを取り仕切る津田家側の責任者は本多正信であった。


 長い婚礼の儀には参加しなくてもよかったが、正信が忙しかったのは事実だ。

 何か問題があれば正信の責任になるので、別に楽というわけでもない。


 光輝とは違って、正信は婚礼の儀の方に出た方が楽だったかもと思っていた。

 人間とは、隣の芝生を青いと感じてしまう生き物なのだ。


「どうやら無事に終わりそうですな」


「ええ」


 ちなみに、織田家側の責任者は最近光輝と縁が深くなりつつある堀秀政である。

 正信から見ても、彼は名人に相応しく仕事を効率的にこなしていた。


「本多殿、聞けば津田家側でも婚礼の儀を行うとか?」


「そこまで堅苦しいものではないですよ。何しろ、殿と今日子様が計画しているので」


 江戸城傍に建設された巨大な催し物専用の会場で、ある一定以上の地位にある家臣とその家族を呼び、信輝の妻冬姫を披露する宴が行われる事になっていた。

 

 食事は立食形式で、花婿と花嫁はお色直しを行い、ケーキ入刀や写真撮影も行う。

 未来の結婚披露宴に似たような形式であったが、これを希望したのは今日子であった。


『信輝のお嫁さんを、みんなに見せた方がいいと思うのよ』


 今日子の言うとおりだと思うし、彼女の願いを断れる家臣というのもいないので、今江戸では、不破光治と、武藤喜兵衛の補佐官になった大谷吉継が抜擢されて披露宴なるものの準備が進められていた。


 石山での婚礼の義が終わり、津田家の面々が江戸に戻ったらすぐに行われる予定になっている。


「実は、私も大殿の代理で参加する事になりまして」


「そうなのですか」


 さすがに信長は参加できないので、その代理として織田信房と秀政も参加する事になっていた。

 愛姫と婚姻する信房はそのまま江戸に残るが、秀政は披露宴で撮られた写真を信長に持ち帰るという仕事も引き受けている。

 なぜ秀政なのかといえば、側近衆の中で光輝と一番仲がいいからと信長に指名されたからだ。

 他の側近衆も以前に光輝から缶詰を贈られた事があるので、実は披露宴に出たかった。

 宴で出される料理、酒、お菓子に大いに興味があったからだ。

 だが、信長が秀政を指名した以上は仕方がない。


 もっとも、秀政も物凄く出席したかったのでその辺は上手く動いていた。

 自分が指名されるように上手く動くというのも、名人と呼ばれるのに必要なスキルというわけだ。


「江戸でもよろしくお願いします」


「こちらこそ」


 それと、ちゃんと正信にも挨拶して繋ぎを取っておくのも忘れない。

 名人久太郎は、このような細かい配慮を欠かさずに行うから名人なのだ。


「信房様も合わせて、警備の方はお任せくだされ」


 正信がそう答えてから一週間後、予定どおりに信輝と冬姫の披露宴が江戸でおこなわれていた。


「みっちゃん、お似合いの夫婦だね」


「そうだな」


 信輝は今日子似で光輝よりも美男子であったし、冬姫は織田家でも有名な美女であった。

 そんな彼らが、まずは紋付袴と白無垢姿で家族や家臣に挨拶に回っているのだ。

 参加者達は若い跡取り夫婦の麗しい姿に感心し、飲食をしながら嬉しそうに眺めていた。


「料理と酒は切らさないように! お色直しの時間までもう少しか……」


 そんな中で、不破光治の下につけられた大谷吉継は必死に披露宴を成功させようと奔走していた。

 大切な主君の跡取りとその妻の宴の席である。

 失敗は出来ないと、必死に働いていた。


「吉継」


「殿?」


「忙しいのはわかるけど、あんまり気張りすぎると余計に失敗するぞ。一旦、深呼吸」


「はい」

 

 忙しく駆け回っていた吉継は、光輝にそう言われて深呼吸をした。

 すると、少しだけ緊張感が落ち着いたような気がする。


「よし、これを飲んでからいけ」


 光輝が渡したのは、コップに入ったビールであった。

 吉継はお酒なんて飲んで大丈夫なのかと心配になったが、主君から渡されたものなので断れない。

 一杯だけなのでさほど酔わなかったが、確かに少しだけ気が楽になったような気がした。


「吉継君は真面目だねぇ」


「俺の百倍真面目だな」


 そんな吉継を、今日子と光輝は微笑ましく感じていた。

 能力と才能もあるので、信輝を支える人材になってくれたらと思っていたのだ。


「次は、お色直しの時間です」


 信輝夫妻はお色直しで一旦退場し、その間は家臣達が芸などを見せる事になった。

 ただ、信長のように敦盛を舞ったり、歌を詠んだりと、まだこの時代では披露宴でウケる芸などはさほど開発されていなかった。


 みんな、食事や酒の方に夢中になってしまう。


「久太郎、そなたも何か芸をするのか?」


「はい、信房様。この久太郎にお任せ下さい」


 ここで、秀政が舞台に上がって芸を披露する事になった。

 光輝と今日子は秀政が何をするのか大いに興味をひかれたが、何と彼はトランプを用いた手品を披露していた。

 トランプはポルトガル経由で少数が輸入されており、それを秀政は入手していたようだ。


 見事な手際で、カードを手から消すなどしてみんなを驚かせている。

 勿論手品なのでネタはあるのだが、それを知らない人から見れば秀政は魔法使いのように見えてしまう。


「上手いな」


「そうね、私もあそこまでは上手くできないかな」


 しかし手品まで得意とはと、光輝は秀政の名人ぶりに驚くばかりであった。


「それでは、再び新郎新婦の登場です」


 お色直しが無事に終わり、二人は前に光輝と今日子が着たタキシードとウェディングドレス姿で登場する。

 ウェディングドレスの寸法直しは、今日子が自ら行っていた。


「(誓いのキスとかはないんだな)」


「(みっちゃん、時代を考えようよ)」


 さすがにキスはしなかったが、光輝が贈った指輪を信輝が冬姫の指にはめたりして大いに盛り上がった。


「では、写真を撮ります」


 信長に送るため、津田家専属の写真係が信輝と冬姫の写真を撮り始める。

 昔は光輝や清輝などが撮影していた写真であったが、最近は需要が膨大になり、専門の家臣が担当するようになっていた。

 他にも数名がいて、彼らはあちこちに写真撮影に赴いている。


「すみません、若様。奥方様。ここで一旦動きを止めてください」


 二人の立ち姿ばかりでなく、ウェディングケーキ入刀のシーンなども撮られていた。


「いいなぁ……美男美女って何をしても様になって」


 我が息子と義娘ながらその美しさに、容姿は普通に近い光輝は羨ましくなってしまう。


「みっちゃん、他に言う事ないの?」


「ケーキが美味しそう」


「全部食べられるケーキだから苦労したんだよ」


 ウェディングケーキはかなり大きな物で、これは今日子指揮の下、お市、葉子、津田家の料理人達の共同作業で完成している。


「食べられないケーキなんて意味ないしね」


 入刀が行われたケーキは、料理人達が器用に切り分けて参加者達に配られていく。

 ケーキを初めて見る家臣やその家族も多く、みんな食べるのを楽しみにしていたのだ。


「久太郎、津田家とはお金持ちなのだな」


 信房は、初めて食べるケーキの美味しさに感動していた。

 これならば、婿入りも悪くないと思い始めたのだ。


「これらの物を信房殿も上手く受け入れ、独立した一家の主として奮闘せねばなりませぬな」


「そうだな、父上の仰っていたとおりだ」

 

 信房は、これから津田家でも頑張ろうと決意する。

 名乗りは織田のままであったが、彼は実質的な津田家の婿であったからだ。


「(やはり、出席してよかった。美味しい料理に酒、けーきもとても美味しいではないか)」


 そして秀政は、これからも津田家の宴会に誘われるよう上手く動こうと決意するのであった。







「大殿、冬姫様のお写真をお持ちしました」


 披露宴に参加してから石山へと帰還した秀政は、信長に信輝と冬姫の写真の何枚か渡した。

 これで役目も無事に終わりだと、内心で安堵の溜息をつく。


「冬、綺麗ではないか」


 信長は、綺麗なドレスや装飾品に身を纏った愛娘の写真を見て目を細めていた。

 自分の娘が大切に扱われているのが確認できて、父親として安心したのだ。


「しかし……」


「しかし、何でしょうか?」


 信長は、何か気になった事があるらしい。

 急に口調が変わってしまったので、秀政は少し焦ってしまった

 勿論、それを表に出す秀政ではなかったが。


「久太郎は、これを食べたのか?」


「ええと……けーきですか?」


 秀政はウェディングケーキ……祝いの席で切り分けて分けるけーき……について信長に説明する。


「そうだ、信輝と冬が一緒に刃を入れているけーきだ。なるほど、夫婦で一緒にけーきに刃を入れるのか」


「夫婦で最初に共同作業を行うという意味だそうです。けーきは大勢の参加者に切り分けるので大きいのです。宴の前日に、今日子殿が製作の指揮を執ったそうですよ。お市様もお手伝いなさったとか」


「そうか、お市もすっかり津田家の人間だな」


 信長は、妹のお市も津田家で上手くやっていると聞いて安心した。


「そうか、そういう意味があの大きなけーきに……ところで、久太郎。何か適当に理由をでっちあげて、この大きなけーきを石山で今日子に作らせる算段はないものかな?」


「大殿、それは難しいのでは?」


 信長は、写真に写っていた巨大なウェディングケーキが食べたくなったようだ。

 秀政に無理なお願いをし、彼を困らせてしまう。


 いくら秀政が名人でも、ウェディングケーキは守備範囲外であった。


「代わりに、このような物がありますが……」


「お菓子か?」


「はい、参加者に配られたお菓子です。日持ちのする物が多いですな」


「おおっ! これは素晴らしい!」

 

 信長は、秀政から渡された各種クッキー、ビスケット、キャンディー、ラスク、チョコレート、アルコール入りのパウンドケーキが入った引き出物セットに大喜びであった。


「随分と豪勢なお菓子よな。さて、どれから食べようか……」


 などと信長が考えていたら、横から何者かがお菓子の入った箱を奪い取ってしまう。


「何奴! お濃か!」


 信長から引き出物を奪い取ったのは、信長の正妻であるお濃の方であった。

 文句を言おうにも彼女はあの美濃のマムシ斎藤道三の娘であり、信長が頭が上がらない数少ない人物であった。


「殿、いくら美味しい物でも、これを一日で食べたら健康を害しますよ」


 信長はお濃からピシャリと言われてしまい、それからは一日に食べるお菓子の量を制限されてしまうのであった。

 勿論、彼女にその知識を与えたのは今日子であり、自分も別にちゃっかりと引き出物セットを秀政経由でもらっていた。







「平馬、今日は大変だったそうだな」


「ああ、でも無事に終わって殿から褒められたよ」


「それは凄いな」


 披露宴を無事に取り仕切った大谷吉継は、その日の夜に石田佐吉と長束正家と一緒に宴会を開いていた。


 実は、佐吉と正家はまだ披露宴に出席できる資格がなかったので、吉継が披露宴で残った料理と酒とケーキ、引き出物のお菓子セットを持参して二人にご馳走する事にしたのだ。


「これは凄いご馳走だな」


「今回は間が悪かったが、次のこういう機会には是非呼ばれたいものだな」


 佐吉と正家は、吉継が持ってきた料理と酒を心から堪能していた。

 今までに食べた事はないほどのご馳走ばかりであったからだ。


「確かに、これは美味いな」


「平馬、会場ではやはり食べられなかったか?」


「そんな余裕はなかったよ。だから、殿が残り物を持って帰れと仰ってくれたのだ」


 吉継も今初めて披露宴で出ていた料理を口にし、その美味しさに感動していた。

 少なくとも、江北では食べた事がないご馳走だと。


「そうなのか。だが、余計にやる気が出てきたな。せめて、津田家主催の宴会に呼ばれるくらいの身分にはなりたいではないか」


「そうだな、明日から頑張ろう」


 三人は仲よく料理と酒とお菓子を堪能し、明日からもまた頑張ろうと決意を新たにするのであった。

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