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第四十四話 上杉景虎と古河公方

 時は進み、天正四年。

 津田家による関東経営は順調に進んでいた。

 強固な要塞城江戸城はほぼ完成し、ここのところは反抗勢力による一揆や反乱なども発生していない。


「領地の経営は順調ですが、気をつけねばならぬ事があります」


「津田家は、大きくなりすぎたか」


「はい」


 津田家において内政の責任者となっている堀尾泰晴が、光輝の返答に頷く。

 最初は信長から湿地帯を与えられただけの光輝達が、今では東海、関東、南奥州にまで領地を広げている。

 このまま織田家が天下を取れば、強力すぎるナンバー2として討伐される可能性もあった。


 泰晴は、元々信長に敗れた岩倉織田家の家老であった。

 主家が滅亡して浪人し、そこから信長に拾われるも日陰の身であったのが、返り咲くどころか大出世を遂げたのは光輝のおかげである。


 だから、もしもの時があれば信長を討つくらいの覚悟はできていた。


「殿は大殿の義弟にして、勲功第一位の重臣から、服属大名扱いにまでなっております。今は大丈夫でしょうが、先の事など誰にもわからないのです」


「左様ですな。今回遠江を手放すにしても、殿の所領はまた増えましたので」


 内政官でナンバー2の地位にある山内康豊は、前日に遠江の引き渡し業務を終えて戻ってきたばかりであった。

 康豊からすると、新しい領地を得る度に、今まで懸命に整備した尾張海西郡、伊勢、伊賀、紀伊を津田家が手放した事は仕方がないとは思うが、気に入らないのも事実であった。

 今回も、南陸奥を得た事で遠江を織田家に返還する事になった。


 半分を徳川家に、もう半分は織田家の直轄地となるが、将来的には信長の娘婿である信康にすべて与える予定になっている。

 これは、対石山戦で奮戦している徳川信康への褒美でもあった。


 予想外の家康の討ち死にで、信長は徳川家との関係を見直さなくてはいけなくなった。

 対等な同盟関係など不可能で、光輝と同じように服属大名扱いにする。


 ところが、徳川家の家臣達から不満が出ているので、信康に遠江を与える事でそれをかわそうという狙いがあった。


「暫くは、領地の移動は勘弁してほしいですな」


 関東と南陸奥の開発には時間がかかるし、今は大人しいとはいえ北条家を始めとする関東諸侯と南陸奥諸侯の残党の蜂起に気をつけないといけないからだ。

 ただ、康豊は時間が解決すると思っている。


 今の津田家による統治の方が、圧倒的に領民達の支持を受けているからだ。

 康豊は『お前は若いから学べ!』と、主君光輝が持参した資料を元に新しい統治システムを学びながら実践してきた。

 まだ三十にもなっていないのに、多くの若い官僚達の教育も行っている。


 老齢で経験豊富な泰晴を上司として置き、兄一豊とは違ってほとんど戦場に出ず内政ばかりを担当してきた。

 他の武家では軽く見られてしまうが、津田家には綿密な人物評価制度がある。

 

 戦以外でも功績があれば評価され、泰晴と康豊はいまだに内政官では序列一位と二位の重臣であった。


「もう数年で、ある程度は落ち着くと思うが……」


「そうですな。第二次の開発計画も終わっているでしょうし。ところで、畿内への出兵はないのでしょうか?」


「いや、越後の龍がいるからな」


 織田家と上杉家との関係は微妙である。

 正式に不可侵条約は結んでいないし、関東管領である上杉謙信には関東に出兵する大義名分がある。

 光輝は戦を防ぐべく、越後の鉱物と青苧を食料に交換する交易を行っていた。

 他にも、色々と贈り物をしてご機嫌を取っている。


 光輝から言わせると、あの謙信がその程度で戦を止めるとは思っていなかったが、彼はこの情勢を上手く利用した。

 定期的に反乱を起こす揚北衆の本庄家、新発田家などを容赦なく殲滅し、越中と能登の一揆衆や不穏分子を粛清、上杉家の支配力を強化している。

 更についでとばかりに、津田家の南奥州攻めに便乗して出羽酒田を落としていた。


 信長からの手紙では、いまだに山城で頑張っている将軍義昭から『信長追討命令』も受けているはずなのだが、今はその機会ではないと加賀にも関東にも兵を出していない。


 その態度に、義昭から命令を受けた古河公方足利義助が詰問の手紙を出したと風魔小太郎から報告を受けたが、それで謙信が関東に兵を出すという話もなかった。


「ちょっといいか? 康豊」


「何でしょうか? 殿」


「そこで、なぜ古河公方が出てくるんだ?」


 信長の庇護下にある将軍義昭に任じられた古河公方が、関東を安定化させた津田家を討つべく謙信に早く兵を出せと詰問した。

 光輝には、古河公方の考えが理解できなかった。


「それは、古河公方領を津田家が横領しているからでは? それを関東管領たる上杉謙信に回復してもらいたいと」


「なるほど。だが、それは駄目じゃないのか?」


 古河公方の正当性は義昭が保証しており、その義昭の将軍位を保証しているような立場にあるのが信長だ。

 それなのに、その家臣の領地を攻めろというのはおかしいのではないかと光輝は思った。


「その辺を真面目に考えると、頭がおかしくなるので考えない方がいいですよ。どうも謙信は、古河公方など眼中にもないみたいですし」


 康豊も随分と酷い言い方であるが、謙信からすれば関東管領の職など勢力拡大のための名目でしかないのかもしれない。

 そんな謙信は、なぜか世間では『義将』などと呼ばれているようだが。


「謙信が動くと大変だから、畿内への出兵は免除されているものな。津田家は」


「だから、石山戦は終わらないとも言えますか……」


 石山に籠る本願寺は、とにかく強い。

 彼らに呼応した丹後、丹波、播磨戦線に、大和の松永久秀、河内の三好義継に、阿波の三好長治もいて、戦線は膠着状態が続いていた。

 毛利家が水軍を出して石山への補給を行っているので、これも石山が落ちない原因になっている。

 

 おかげで秀吉や一益まで兵を出しているので、留守中の彼らの領地を守るのも光輝の仕事であった。


「暫くは、地道に忍耐ですか。ところで、殿。愛姫様の嫁ぎ先ですが……」


「あーーーっ! 俺は聞こえないよーーー!」


「殿、またですか……」


 泰晴と康豊のみならず、家臣達はみんな光輝に呆れている事があった。

 それは、自分の娘達に対する扱いである。

 正妻今日子が産んだ長女愛は十四歳、とっくに嫁ぎ先を決めなければいけないところを猫可愛がりして家に置き続けている。


「まだ早いから」


「そうでしょうか?」


「今日子もそう言っている」


「奥方様の意見であれば納得できますな。ですが、婚約者を決めるくらいは……」


「俺は聞こえないぞぉーーー!」


 今日子は高名な医者でもあり、その実績は驚異的である。

 羽柴秀吉の正妻ねねの不妊を治し、康豊の兄一豊の正妻千代の治療も行っている。


 秀吉の寄騎である竹中重治の労咳を治したとも噂され、彼女は忙しいのであまり患者を見られないが、その指導を受けて医者になった者達が津田領内や警備隊で軍医として大活躍していた。


「体が成長しきらない内の妊娠は、危険であるというお話でしたな」


 これを聞いた家臣や領民達は、娘を嫁がせる年齢を少し遅らせるようになった。

 実際に十二~三歳で妊娠出産し、産後の肥立ちが悪くて死んでしまう女性が多かったからだ。


『最低でも十六~十七歳! 女性の方が長生きなんだから、少しくらい年上でも構わないじゃないの。私もそうだし』


 今日子は光輝の一歳年上で、二十歳を過ぎてから二男三女を産んで健康そのものであった。

 なので、彼女の言う事を聞く家臣や領民は多く、健康や衛生に関する知識なども特に抵抗なく受け入れている。


『戦で負傷して馬糞を傷に擦り込むなんて、怪我を悪化させて死にたいの? 化膿してしまうじゃない』


 蒸留酒かアルコールで消毒をしたり、野生の草花で怪我や病気に効くものやその加工方法を領民達に教えたり、赤ん坊や子供には水を煮沸してから飲ませるなどの指導を行い、そのおかげで津田領内では領民の死亡率が大きく下がっていた。


 他にも、疫病が発生した時の対処方法の指導や、疱瘡と呼ばれ恐れられた天然痘も牛痘法の実施で患者を大幅に減らしている。


「だから、愛はまだいいんだ。あのアホ公方に嫁がせるくらいなら、小太郎に暗殺でも頼むぞ」


「殿、不謹慎な発言ですぞ。今の古河公方がアホなのは同意しますけど」


 再び、康豊が酷い事を言う。

 義昭の肝煎りで畿内から下向してきた足利義助であったが、光輝は古河公方領を横領して銭だけ与えていた。

 元の古河公方足利義氏は北条家と共に津田家と戦い、その時に家臣団と共に壊滅していて、とても古河公方領を治められるような状態ではなかったからだ。


 義助が連れてきた、血筋だけはいい家臣連中も使いものにならなかった。

 主君に媚びておべんちゃらばかり使い、揚句に勝手に領民から税を取ろうとし、それを断った領民を斬ってしまったのだ。


 光輝は激怒し、その家臣を捕え、罪人として遺族の前で首を刎ねさせた。


『津田家の法に従っている善良な領民を斬るなど、いくら公方の家臣でも重罪だ! 切腹など認められない!』


 当然、お気に入りの家臣を切られた義助は激怒し、両者の関係は冷え込んでいる。

 そこで、義助に付いてきた家臣の一人が融和策を考えたらしい。

 細川藤孝の異母兄三淵藤英が使者となって、義助と愛姫の婚姻話を持ち込んできた。


『俺がそれを喜んで受け入れるとでも?』


 いつ関係が破たんするかもしれない名ばかり古河公方に、可愛い娘を嫁がせるはずがない。

 光輝の顔にはそう書いてあり、聡い藤英はすぐにそれに気がついた。


『藤英殿とやら、貴殿は大殿と義昭公との関係に気がついているのでは?』


 義昭が各地に信長追討を命じる文を送っていて、それに気がついている信長がわざと無視しているのをだ。


『せっかく天下が纏まりつつあるのに、それをまた壊すのですか? 義昭公は悪知恵ばかり思いつくが、自ら兵を率いて戦った試しがありませぬな。征夷大将軍なのに、これは考えものだと思います』


 光輝だって、軍勢を率いて戦うくらいはしている。

 例え、すべてを家臣に任せ切りでもだ。


『俺は思うのですが、藤原氏の権勢も、鎌倉幕府も、中華を含むどこの国でも、栄華を誇った国家や政治体制もいつかは駄目になる。足利幕府ももう限界なのでは?』


『……』


 光輝の無礼な発言に、藤英は反論できなかった。

 藤英は義昭に、各地の大名に対し信長追討を命じる文を送らないようにと忠告し続けた。

 主君が大事だからこそあえて諫言したのに、その結果が関東への下向だ。

 

 要するに、自分は義昭からいらないと言われた人間なのだ。

 以上のような経緯と、藤英が新参者という事もあって義助からも避けられてしまった。

 だから、どこか義助と光輝との諍いを他人事のように見ているのだ。


 そんな藤英が婚姻を纏める使者に選ばれた理由の一つは、時間稼ぎである。

 実は、義助はある人物と連絡を取って津田家を討とうと計画していた。


 義助が連絡を取っているのは、上杉謙信の養子にして北条氏政の弟である上杉景虎だ。

 景虎は兄達の仇を取るため、義父謙信にも黙って関東への出兵計画を立てていた。


『古河公方が何か目論んでいるようですが、あまりにも無謀ですな。藤英殿も、ご家族のために決断が必要なのでは?』


『しかし、私は……』


『弟君くらい、割り切る方が重要ですよ』


 光輝が嫌いな細川藤孝であったが、実は信長に義昭の動向を逐一伝えているのは彼であった。 

 普段は義昭お気に入りの重臣として振る舞っているので、風魔小太郎がいなければ気がつかなかった事実だ。


『藤孝がですか?』


『彼は頭がいいから、もう足利幕府が長くない事に気がついたのでは?』


『……』


『藤英殿、反乱は危険です。無理にあなたほどの方が参加する必要はないのでは?』


 光輝は、藤英が外交や朝廷との折衝でも使える人材なので引き抜こうと考えていた。


『反乱が起こった時に、これに参加しないでいただければ十分ですよ』


『わかりました……』


 こんな経緯もあり、古河公方と光輝との仲は完全に決裂していた。


「反乱への対処が忙しいから、愛の事は後で」


「また誤魔化しましたな……まあ、反乱でせっかく開発した領地を荒らされるのも何ですから……」


 再び話を再開するが、そこには本多正信、武藤喜兵衛、風魔小太郎、堀尾吉晴、山内一豊、島清興なども参加していた。


「計画は大規模なものです」


 小太郎による報告が始まる。

 彼が領内どころか領外にまで広げた諜報網のおかげで、反乱の計画はとっくに漏れていた。


「上杉景虎が越後から兵を出して南下、同時に古河公方も蜂起し、他にも北条家残党、その他諸侯の残党、伊達輝宗も兵を出すそうです」


 伊達家は逃げ込んできた南陸奥諸侯の一族や残党を先頭に領土拡大を狙ってると、小太郎が報告する。


「なぜ景虎なんだ? 謙信じゃないのか?」


「謙信殿は、景虎殿の蜂起を知っていて無視していますから」


 景虎が率いる軍勢は、謙信に反抗的な越後国人衆、先に滅ぼされた揚北衆の残党、旧北条系の家臣達が主であった。


「思いっきり、不穏分子の処分を謙信に押し付けられたな」


「もし我らが負ければ、謙信も兵を出すでしょう」


「あのおっさん、清々しいまでに効率的に動くな」


 最近、謙信と養子景虎との間で『義父上は、なぜ関東管領なのに関東を横領する津田家を討伐せぬのか?』と言い争うようになっていたらしい。


「景虎以下の不穏分子を俺達が討てば、自分の領地は安定化するものな」


「あの謙信殿が、景虎の動きに気がつかないわけないよな……」


 謙信には、景勝という養子もいる。

 自分の言う事を聞かないもう一人の養子を処分する事に、躊躇いはないのであろう。

 元の実家である北条家が滅亡し、利用価値がなくなった景虎にはもう存在理由がないというわけだ。

 彼を表立って処分すれば謙信の評判が落ちてしまうが、景虎が勝手に兵を出したとなれば勘当してしまえばいい。

 光輝と信長に、反乱分子が出たので処分しておいてくださいと言い訳がきく。

 万が一景虎が津田軍を破ってしまえば、今度はこれに呼応して兵を出せばいいのだ。


「可哀想にな、景虎も」


「謙信殿に逆らわないで兵を出さなければ、死なずに済んだかもしれませぬ」


 その場合は、彼の死後に景勝との間で壮絶な後継者争いが起こりそうな気もするが、それを防ぐためにも景虎の勝手な出兵を止めなかったのかもしれない。


「どのみち、謙信には罰が必要だな」


 これは、後に正信を越後に派遣すると、謙信は北信濃と上野にある上杉領の放棄を条件に出してきた。

 極秘裏に信長へ伝えると、彼は畿内に謙信が兵を進めるのを恐れているようだ。

 あくまでも上杉家の反抗勢力が関東に兵を出しただけだというスタンスで、謙信の罪を問わなかった。


「完全に詰んでいるな。反乱軍は」


 諸勢力、残党混合なので、光輝は彼らを反乱軍と呼んでいた。

 唯一頼りになるはずの人数も、小太郎の調べでは大した数を揃えられていない。

 津田家中では、討伐が面倒な大きめの一揆勢扱いであった。


「北条幻庵は、一族を抑えられなかったのか?」


「はい、そのようで」


 小田原城にいた北条一族は、北条幻庵が纏め役となって軟禁生活を送っていたが、大半の男子が反乱に参加するために脱走してしまった。

 残ったのは、幻庵と女子供ばかりだという。


「幻庵殿に伝えておけ。その軟禁先から出た者は討伐対象だと」


 こうして、天正四年の秋に最後の関東内乱が発生した。

 越後から上杉景虎が北条高広を先陣に南下を開始、これに呼応して古河公方足利義助の元に集まっていた関東諸侯の残党も兵を挙げている。

 南陸奥も、伊達家の二本松侵攻と共に滅ぼされた豪族残党が決起した。


「同時に三か所の蜂起、これで関東を取り戻せる!」


 一万人の兵を率いている景虎は己の勝利を確信していたが、情報が伝わらないとは悲惨なものだ。

 三か所合わせても三万人に達しない軍勢で、現在八万人以上いる津田軍と戦わないといけないのだから。


「数が少なくないか?」


「おのれ! 余は古河公方なるぞ!」


 元から関東鎮圧の過程で多くの反抗勢力が消滅しており、末端の領民からすれば津田家の統治に文句などない。

 いくら権威があるとはいえ古河公方の蜂起に参加する者はほとんどなく、集められた軍勢は千人にも満たなかった。


 彼は、義昭が上方から下向させた公方で本来の血筋でもない。

 余計に反乱に参加する理由がなかった。


「伊達輝宗からの援軍は?」


「難しいものと……」


 津田家が統治して間もない南陸奥方面は、伊達軍と合わせて一万五千人ほどになったが、古河公方を応援に行く余裕もなかった。

 なぜなら、そこには佐竹義重と島清興が待ち構えていたからだ。


「全員、討つか捕えるかだ! 決して逃がすな!」


 光輝の命令により、三か所で同時に蜂起した反乱軍は事前に準備されていた津田軍によって撃破されていく。


「我が上杉軍の精強さを見よ!」


 景虎は、常に義父謙信が率いる軍勢を見ているので、津田軍など簡単に撃破できると勘違いしていた。

 精鋭越後勢は最強であると。

 だがそれは、謙信が編成し、指揮した軍勢だから強いのだ。

 景虎が指揮すれば少し強い程度の軍勢であり、津田軍の射撃、砲撃で次々と討ち死にしていく。


「逃げるな!」


「しかし、先陣の北条高広様も討ち死になされ……」


「まだ一刻も経っておらぬぞ!」


 いくら越後衆が精鋭でも、鉄砲の弾を受けて無事なはずがない。

 彼らは関東に兵を進めなければいけない以上、津田軍に突撃して銃撃に晒され、無駄に命を落としていく。

 大損害が出ているにも関わらず、彼らは撤退しなかった。

 大した度胸だと光輝は思うが、越後兵も甲斐の兵達と同じなのだ。


 元々越後は貧しく、景虎が率いる兵達は謙信による国人粛清の余波で居場所を失った者や、景勝が後継者として有利になりつつある現状で次第に冷や飯食いになっていた者達が多かった。


 彼らは、何が何でも関東に領地を得てそこから収奪をしないと生きていけないというわけだ。


「これでは戦にもなりません」


「おのれ津田光輝! あの男の首を必ず獲るのだ! 獲らねば、我らは生きていけぬのだぞ!」


 激高した景虎は、自分も含めて全軍に津田軍本陣を目指すように命令する。

 だが、それこそ無謀な戦法であった。

 本陣のみならず、左右の軍勢からも十字砲火を浴び、上杉軍はわずか半日ほどで壊滅してしまう。

 死傷者は八千人を超え、生存者の中には勿論景虎の名はなかった。


「万策尽きました。このような無謀な反乱は止めた方がいいと、何度もお諌めしたのですが……」


 古河公方足利義助は、古河御所に家臣や反乱に参加した関東諸侯残党軍と共に立て籠もった。

 この反乱に反対した三淵藤英は諌めたが、遂には命の危険もあったので、同心する同僚や家臣、家族と共に光輝の元に逃げ込んできた。


「仕官を希望する場合は歓迎だが、旧主に対する感情の折り合いもあるだろうから、今はゆっくりと休んでくれ」


「ありがたき幸せ」


 藤英達は、津田家が開発中の温泉地箱根へと休養のために旅立っていった。

 さすがに藤英達を、古河公方討伐に参加させるのは酷だと思ったからだ。


「越後からの上杉軍は、渡辺殿、本多殿、蜂谷殿が率いる軍勢が討ち果たしました。南陸奥の戦線も……」


 すぐに伝令が飛び込んできて、そちらも決着がついたと報告が入る。

 今回初めて武官として軍勢を預けられた佐竹義重と島清興の両軍が、競うように伊達軍を撃破して二本松から叩き出し、逆に本拠地である出羽国置賜郡にある米沢城を包囲するまでに追い込んだ。


 更に、この混乱に乗じて伊達家と懇意にしている大崎氏が兵を出し、これの対応も行う事になった。

 島清興が、当主義隆以下多数を討ち、志田郡、玉造郡、加美郡、遠田郡、栗原郡と次々に落とし、大崎氏と険悪の仲であった葛西氏がこの機に乗じて大崎領の併合を行おうと兵を出す。

 これも、清興が指揮する軍勢が完膚なきまでに撃破し、葛西氏も当主葛西晴信を失ってすべての所領が津田軍によって占領されてしまう。


「凄いな、清興は」


「大勲功ですな」


 光輝と正信は、清興の戦功を絶賛した。


「ただ一つ問題がある」


「問題ですか?」

 

 光輝の言う問題は、上杉景虎の反乱行為を防げなかったからという理由で謙信がわずかにあった信濃と上野の所領を放棄し、伊達家は出羽国置賜郡以外の領地を失って小大名に転落、旧大崎、葛西領を併合した後に発生した。


「清興は大幅に加増だな」


「ありがたき幸せ」


 今回の戦で勲功第一位となった清興は、光輝から大量の褒美と大幅な加増を与えられて喜んでいた。

 義重も、伊達家を米沢に押し込んだ功績で勲功第二位となって清興とほぼ変わらない褒美と加増を贈られている。


 他にも、上杉軍と古河公方軍を殲滅した諸将にも大幅な加増と褒美が贈られた。

 みんな、懐が温かくなって大喜びである。


「ただなぁ……」


「どうかしましたか? 殿」


「まだ関東の開発が終わってないのに、また奥州に領地が増えてしまった……」


 ただ領地が広ければいいというものではなく、いかに開発していくかで常に悩む光輝からすると、短期的には厄介なお荷物を抱え込んでしまったという感覚が先に浮かんでしまうのだ。


「義重、奥州担当として頑張ってくれ」


「えっ! 私がですか?」


 今の黒川城代だけでも大変なのに、義重は旧伊達領、大崎領、葛西領と広大な領地の統治と開発を光輝から任されてしまう。

 あまりのハードワークぶりに、大幅加増と褒美の喜びが一気に吹き飛ぶような衝撃であった。


 義重の表情が、一気に絶望感で歪んでいく。

 これからどうしようかと思ったからだ。


「清興殿は参加しないのですか?」


「拙者は武官ですから」


 清興は、自分が武官であると言って統治への参加を拒否した。

 得意な戦で活躍でき、それが認められて大幅に加増されて自分も家族も豊かな生活が送れる。

 無理に、得意でもない内政に参加して苦労を背負い込む気はないというわけだ。


「私は元々は内政担当ですが、武官もしましたよ」


「いやいや、名門佐竹家の当主ともなりますと、どちらも器用にこなせて羨ましい限りですな。武骨な武官である拙者には真似できませぬ」


「なっ!」


 清興は新領地の治安維持や軍の編成と訓練はやってくれたが、伊達領、大崎領、葛西領が消えた後で混乱するこれら領地を苦労しながら安定させたのは、後に『津田家の名人』と呼ばれるようになる佐竹義重であった。

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