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超電脳のユニバック 作者:@IngaSakimori

第二章『コンピューター・アーキテクチャを造りし者』

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第三話『七人の小人に囲まれし白雪姫だった者』

『なるほど、これが我々を破滅的なまでに追い詰めたものか』
『顧客に将来の互換性を保証することで、プログラムに対する投資が長期にわたって生きるということだ』
『しかし、それだけではない』
『あの青はそのメリットが直ちに生きる製品ラインナップを用意した』
『それが青の360ファミリだ』
『テキサスの片田舎にある会計事務所ですらも、モデル20から使い始めることができる』
『成長してサンフランシスコへ進出したら、モデル30や50へとアップグレードできる』

 それは歴史には残らない。
 残ってはならない7人の小人たちの会合であった。

 密談と呼ぶには、あまりにカジュアルであり、談合と呼ぶには、あまりにも彼らの力は弱すぎた。

『私の所属する会社はU。世界で最初の商用コンピューターといったら、私のところの製品だ』
『私はHだ。航空分野についてはちょっとしたものだよ』
『私はG。この合衆国でその名を知らない市民はいないだろうがね』
『私はC。いろいろあってUから流れてきた社員が多いよ』
『私はRだ。元々はGでもあったがね』
『私はN。歴史の長さでは青にもひけはとらんよ』
『そして私がBだ。コンピューターが生まれる前から計算機を扱っている。
 さて、哀れにも青に担当事業を叩き潰されそうな我々7人の小人は、こうして会合を持ってみたわけだが━━』

 どうやら幹事役にあたるのはBであるらしかった。
 彼は居並ぶ仲間達をじろりと見渡すと、忠告するように付け加える。

『言うまでもないが、我々がこうして集まっていることが記者にでも嗅ぎつけられたら、スキャンダルだ』
『もちろんだ、B。これは内密のことだ。歴史に決して残ることはない。
 だが、これは必要な作戦会議だ。我々にとっては生存のための会合とも言えるのだ』
『Cの言う通りだ。なすすべなく青に潰されるわけにはいかない』
『Hの言葉に同意する。状況がより深刻になれば、我々7社の公式な提携すらもあり得るだろう』
『Uに賛同する。我々にとって青はナポレオンほどに強敵だ』
『Gの表現は適切だ。つまりこれは対青大同盟というわけだ』
『だが、Rの言うような同盟だとしても、勝利に終わるかどうかはわからない』

 最後に溜息をついたのはNだった。
 彼らは等しく高等教育を受けた人間であり、専門的でないにしても、一般的な知識としてナポレオンを戴いたフランスの猛威を凌ぐために、ヨーロッパ諸国がどれだけ苦労したか、十分に理解していた。

『どうするのだ、B。このままでは我々は敗北する』
『G。あなたの言ってることは正しい。だが、青とて完璧ではない。今この時にも大失敗をするかもしれない。その時が勝負だ』
『たとえば、U。彼らが互換性で優位に立つなら、我々も青の互換機をつくってはどうか』
『R。あなたのアイディアは面白い。いよいよとなればそうするだろう』
『C。コンピューターは本体だけではない。周辺機器も青の互換機を製造してはどうだろう』
『N。そのやり方はきっとうまくいく』
『しかし━━どちらにせよ短期的には青の覇権は揺るぎそうにない』

 議論を引き取るようにそう言ったのはHである。
 彼ら7人は等しく憂鬱な溜息をついた。失敗を待ち、つけ込む。互換機を製造する。それは一つの戦略ではある。

『結局、我々は受け身の戦いしかできないということだ』

 しかし、Bが言うように、それは受動的なものであった。
 彼ら7人はそれぞれに技術を持ち、実績を、そして能力を有していた。
 そんな彼らが青という1社にここまで受け身の姿勢を強いられることは、屈辱以外の何物でもなかった。

『それでも、私は戦い抜いてみせる。独自の技術で』

 Bは力強くそう言った。歴史はその言葉が真実であることを証明している。青には勝てなかったが、その独特のDNAは永く永く生き続けた。

『戦いぬいて滅ぶくらいなら、私は撤退する』

 Gは肩をすくめた。産業機械、発電設備……合衆国を代表する企業の一つである彼らには、いくらでも力を注げる分野があった。身の振りように困るほどではないのである。

『私は私の強みを生かして、生き抜いてみせる』

 Hは言った。航空、そして軍需。Hには青の力もまだ及ばぬテリトリーがあった。遠い将来にもそのテリトリーは、揺らぐことはないだろう。

『いざとなれば、独自性を捨ててでも、良い製品をつくるさ』

 Nは気楽に笑った。そうは言っても、実際のところ彼らはかなり長い間、青との戦いを継続することになるのであった。AT&Tとの縁はまだ先の話であった。

『私は……どうするかな。いざとなれば、元の鞘におさまるとするさ』

 RはGを見ながらそういった。
 独立、買収、スピンアウト、分かれたはずの企業にまた吸収される。それは合衆国企業にとって、よくあることだった。Gは困った顔をしながらも、うなずいていた。

『私には世界ではじめての商用コンピューターを生みだした企業という誇りがある。
 戦い抜く。いざとなったらBと共に』

 Uは言った。果たしてその言葉は現実となる。21世紀になっても、その血は途絶えていない。

『私はうまくやってみせるさ。
 少なくとも製品のひとつひとつなら、青に勝てないとは思わない』

 Cはシニカルに笑った。その言葉は半分真実であり、半分は間違っていた。

 ここにいる7人の小人たち。彼らはまだ誰も知らなかった。
 遠くない将来、Cが世界最速のコンピューターを連続して生みだし、少なくとも性能面では青をも圧倒することを。

 ━━そして、歴史に決して記録されることのない会合は、残響を刻むことなく、ひっそりと終わった。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

「コンピューターアーキテクチャの確立……?」
「そう。
 360……つまり、弥勒零みろくれいはそれを史上初めて成し遂げたコンピューター」

 夜である。
 津瀬宅の台所からは、志保の鼻歌が聞こえている。
 そして、リビングのソファで、夕食ができあがるのを待ちながら、津瀬現人は弥勒零みろくれいの正体について、ユニに問いかけていた。

(もちろん、おおっぴらに話せることじゃないけど……)

 視線をめぐらすと、楽しそうに鍋をかきまわしている志保の横顔がみえる。
 彼女に聞かれてはいけない。知られてもいけない。
 だから、小声だった。ぼそぼそと密談するのがせいぜいである。

「もともと、私━━ユニバック・ワンや、IβM 704の時代、コンピューター・アーキテクチャは個々にバラバラだった」
「まず、アーキテクチャの意味から説明してくれ」
「アーキテクチャとは、そのコンピューターを指し示す根本的な構造」
「……構造?」
「設計仕様と考えてもらってもいい。
 計算ユニットがいくつあって。命令はどのようなもので。どんな入力に対して、どのように振る舞い、出力はどんなふうにするか。
 これを定義したものが、コンピューター・アーキテクチャ」
「設計仕様って、つまりスペックっていうことか?
 トランジスタ━━じゃないか、ええと、真空管の本数とか、そういうことか?」
「すこし、違う。
 真空管やトランジスタ……記憶装置……そして通信バス……それらすべて構成されたコンピューターが、動作するうえで、どんなふうに動くのか。
『どのように振る舞う』のか。それがコンピューター・アーキテクチャ」

 ユニは真剣な声でそう言ったが、現人には今ひとつ理解できなかった。
 動く。振る舞う。
 そんなものを定義してどうするのだろう? 何の意味があるのだろう?

「コンピューター・アーキテクチャを定義すると、とても大きな利点が生まれる」
「利点って?」
「そこに互換性が生まれる。
 たとえば、ここに生卵があったとする。この生卵は10の力で割れる。9の力では割れないと定義する。
 ウツヒトは生卵を自動で割る機械をこれから設計すると考えてみてほしい。機械の力はいくつに設計する?」
「そりゃあ10の力だろ」
「どんなふうに10の力を出すの?」

 ユニの質問に現人はほんの少しだけ不愉快なものを感じた。

(そりゃあ……)

 いささか乱暴な答えではあると思いながらも、未熟な15才の少年は口走らずにいられない。

「別になんだっていいだろ」
「そう、ウツヒト。それで正解」
「え?」
「10の力を出すことができれば、やり方は問わない。
 手で握りしめてもいいし、機力をつかってもいい。
 電気モーターでも、油圧でも……何なら爆薬だって。
 正しく『10の力』を出すことができるなら、それらのやり方にはすべて『互換性』がある」
「………………」

 津瀬現人は安堵する。心底ほっとする。
 自分の口からこぼれた言葉が、少女を傷つけていなかったことに対して、良かったと心から思う。

「すこし意地悪な質問をしたかもしれない。謝罪する。ごめんなさい」
「いいよ。僕も考えが足りなかった」
「ん。
 コンピューター・アーキテクチャとはつまり、今、話したようなこと。
 定義されたコンピューター・アーキテクチャのもとに設計された製品は、それぞれに互換性が生まれる。
 高速な互換品も、低速な互換品も、正しく同じ結果を導き出す」
「……まあ、表面だけは理解できたような気がするけど」

 それでも津瀬現人は、首をひねらずにはいられなかった。

(定義……互換性っていうけど……)

 それはネジの頭がプラスとマイナスであると定義されているようなものだろうと。
 コンピューターが生まれる前から、いくらでもあったことだろうと。

弥勒零みろくれい……あの顕現存在セオファナイズドが最初だって?)

 彼女はユニバック・ワンより10年も年下なのだ。はじまりのコンピューターよりはさらに年下と言えるだろう。
 ネジの1本ですら、遙かに以前から実現していたことが、コンピューターの世界では10年以上も実現されなかったというのだろうか?

「ウツヒトの疑問はわかる。
 だけど、コンピューターというものは、とても複雑なもの」
「それはもちろんだけど」
「設計もそうだし、動作も複雑。
 そして……コンピューターを動作させるためのコード、つまりプログラムもすごく複雑」
「………………」
「360が確立したアーキテクチャは、プログラムの互換性を生み出した。
 最初に書いたプログラムがずっと、ずっとずっと使えた。
 私と私の妹も、プログラムレベルでは互換性があったけれど。
 コンピューター・アーキテクチャとして定義して……そして、未来に渡っても互換性を保証することは……360が世界で最初に成し遂げたことで。
 私には━━できなかった」

 しょんぼりと肩を落とすユニの姿が、現人には意外だった。
 彼女はどうやらこの点について、自分が敗北者であることをはっきりと認めているようだった。

(いつもは『世界で最初の商用コンピューター』って……決まり文句みたいに言ってるのに)

 誇りとともに。勝者の満足感とともに。
 自らに言及するユニバック・ワンを見なれている現人には、その敗者の表情は意外なものだった。

「………………」
「ウツヒト?」

 気がつくと右手が伸びていた。
 頭の上にぽんと手を乗せてやるだけのつもりだった。けれど、勝手に右手は動き回る。
 柔らかい。そして1本1本が細かい髪だな、と現人は思った。

「えへ……ウツヒトになでなでされるの、きもちいい」
「そりゃどうも。
 あのさ。僕には難しいことはよく分からないけど、遠い昔のことを落ち込んでも仕方ないと思うけどな」
「うん……そう。ウツヒトが正しい。
 だから、私はウツヒトの言う通りにする」

 光ファイバーほどに透明なその長髪は、白く。
 月の砂ほどに煌めくその瞳もまた、しろく。

 なでりなでり、と手を動かすたびに、ユニはほんのりと頬を上気させ、子猫のように目を細める。

「………………」
「ん……」

 もういいだろうと、現人が動きをとめると、ユニはまだ足りないと言うように、頭を押しつけてきた。

(なんだかな……)

 それなら、満足するまでなでてやろうか━━
 苦笑しつつも、そんなことを考えた津瀬現人だったが、突如、背中へ冷たいものを感じて振り返る。

「ず・い・ぶ・ん、楽しそうなことしてるのね?」
「し、志保……いや、これは、その。違うんだ」

 浮気現場を押さえられた男の口調そのままに、現人はあわてて首を振る。対して、志保のジト目は揺るぎもしない。

「何が違うの。納得いくように説明して」

 怖い。
 同年代の幼なじみである彼女に対して、津瀬現人はためらいなくその言葉を使える。

「……えっと、だな。
 その、ユニはすこし落ち込んでいて」
「ふーん、それで」
「つい勢いでだな……そしたら、気持ちいいみたいだから。
 そのあとは、その、流れで」
「………………」

 無言の志保は、現人とユニを交互にみた。

「ユニちゃん、無罪。現人、有罪」
「……はい」

 理由も酌量もなく言い渡される判決を、津瀬現人はただ受け入れている。ユニバック・ワンはそんな彼を、ただ不思議そうに見つめている。

「さてと」
「……えーと、その、志保、さん?」

 ぼふり、と大きな音を立てて、初敷志保はつしき しほは津瀬現人の隣にすわった。
 隣といっても、ほぼ肩が触れあうほどの至近である。ソファに並んだ男女ふたりを、ユニバック・ワンはこたつに下半身をつっこんだまま、何が始まるのだろうと興味深げに見つけている。

「僕は……その、何をすれば許してもらえるでしょうか?」
「志保様ちゃんにも、ユニちゃんと同じことをしてもらいます」
「……こ、こうか」
「はぁぁぁぁぁ~ん☆」

 ぽふり、と頭の上に左手を乗せただけで、志保は笑顔になった。わしゃわしゃと髪をかき回しながら撫でてやると、そのまま昇天しそうな表情になる。

「ねっ、ねっ、現人。もっと。もっとして☆」
「あ、ああ」

 ぐねぐねと体をくねらすのはなぜなのだろう。身もだえする、という肉体反応を知らない津瀬現人は、いささか疑問だったが志保の機嫌が直るなら、なんだっていいか、とも思う。

(ユニに比べると、芯があるっていうか、コシのある髪だなあ……)

 右手がふたたび勝手に動き、ユニバック・ワンの頭頂部に乗った。

「んっ……ウツヒト?」
「うん、やっぱりこっちとは違う」
「現人! ワン・モアっ! もっともっと!!」
「はいはい……」
「ふぅぅぅ~ん☆ ああん、たまんな~い☆」

 なでりなでり。わしゃりわしゃり、と。
 少女二人の髪質を、両手でくらべながら、津瀬宅の夜は更けていった。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

「……っていうことが昨夜はあってさ。
 参ったよ」
「現人よ━━」

 翌朝。いつもの登校風景。
 前をみれば、志保とユニが何事かを言い合いながら、じゃれている。
 子犬と子猫の喧嘩ごっこにも似た微笑ましい光景には目もくれず、昨夜の状況を愚痴る現人に対して、京は畳んだ扇子をびしりと突きつけた。

「その話、俺以外の誰かにしたか?」
「……だから昨夜の話だって。お前以外の誰に話せるんだよ」
「電報とか速達とか伝書鳩とかエニグマ暗号とかトンツートンツー我奇襲に成功せりトラトラトラなどと、地球の裏側の誰かに話したりしてはいないか?」
「だからするかって。なんだよ、電報って。あ、伝書鳩は知ってるぞ。
 手紙をくわえさせて飛ばすんだよな?」
「ええい、その誤った認識を正すのも後回しにしたくなる、鈍感ぶりよ!!」
「なんだ、僕は何か間違ったこと言ってるのか?
 それにしたって、そんなにオーバーに頭かかえることないだろ」

 お前の態度が不満だ。そんな意志を視線に込めてそう言った現人に、京は特大の溜息をこぼすと、前方の少女ふたりに視線を移した。

「俺が思うに」
「なんだよ」
「たとえば我がクラスの誰でもよいわけだが、ありのままに、ただお前の日常を語る━━つまり、お姫様と同居していて、朝夕には押しかけ妻がやってくる━━どうだ、命を狙われても仕方ないと思わんか?」
「物騒な冗談だな。そんなことあるわけないだろ。
 志保はただの幼なじみだし、ユニはホームステイに来ただけだろ」
「ああ、然れども。この救いがたき鈍感とはいえどもっ。
 我が友を死地に追いやることは、俺には……俺にはできん!
 だから今は助けてやる。
 命拾いしたな、現人よ!! 昨夜のことは黙っておくがいい! 俺も言いふらさないでやろう!」

 ばさり。扇子を広げる動作のままに、仰々しいポーズをとって、京は言い放つ。

「あー、はいはい」

 いつもの奇行だ、と言わんばかりに歩みを止めない現人。
 そして、彼は前方の志保とユニに視線を移した。

(それにしても、あの二人……すぐ仲良くなったよな)

 ベッドの上に押し倒されているところを見られる、などという。
 およそ最悪に近いファーストコンタクトだったにもかかわらず、ほんの一ヶ月ほど経ってみればどうだろう。今の志保とユニは、まるで親戚か姉妹のような仲だった。

(ああ言うの、コミュ力っていうのかな……)

 元よりその感慨は志保に対してのみ、向けられたものである。

 エッカート・モークリー・ユニ。その名でクラスに在籍するユニが、積極的に他人と親睦を深めようとしている様子は、一切ない。
 それでも反感を彼女が受けないのは、日本人離れした美少女ぶりと、外国人であるという側面が大きかった。

(つまり、クラスの連中からしたら、ユニはもともと近寄りがたいんだよな……)

 それでいて、志保にせよ、京にせよ、何より津瀬現人にせよ。
 すでに仲の良さそうな相手が何人もいるのだから、今更、手を出そうという者は、せいぜい彼女に思春期ならではの感情━━要するに恋心でも抱いている男子にかぎられるだろう。

 耳を澄ませば、志保とユニの会話が聞こえてくる。
 駅前のおいしいスイーツショップ。可愛い新作の服。少女らしい会話だった。それでも、会話の主役は基本的に志保であり、ユニはうなずいているだけだ。

(志保はいつでも誰かを引っ張っていくよな)

 そして、ほとんど自動的に津瀬現人の脳裏には京の存在も浮かぶ。
 そう、この二人こそは他人を引っ張っていく側の筆頭である。では、引っ張られるのは誰だ?

(……僕だ)

 他ならぬ津瀬現人自身だった。
 志保と京。この二人の個性に津瀬現人という少年は引っ張られて、毎日を過ごしているようなものだ。

(それが紐か……鎖か……わからないけど、僕はそれを掴んでいる側で。
 志保と京は引っ張ってくれているんだよな……)

 目の前にまっすぐな赤い紐と、ぐちゃぐちゃに絡まった鋼鉄の鎖があるような錯覚。
 どちらを掴んでも、悪いようにはならないと彼は知っている。

 けれど、彼には右手と左手があるのだ。だから、いつもその双方を掴んでしまうのだ。志保と京の二人に引っ張ってもらうばかりの自分に甘えてしまっているのだ。

(でも、今はどうなんだろう)

 そして、彼はいつから下を向いて歩いてしまっていたのか━━

「って」
「あう」

 軽い衝撃に津瀬現人は揺らめいた。誰かにぶつかってしまったらしい。
 慌てて前を見れば、歩道のアスファルトにへたりこんでいるユニが見えた。

「ご、ごめん」
「ウツヒト」

 名前だけを呼んで、ユニバック・ワンは津瀬現人を見た。
 正確には彼の右眼を。単眼鏡モノクルに覆われた瞳をみていた。

計算する(Rechnender)宇宙(Raum)』を。
計算す(Calculati)(ng)宇宙(Space)』を。
 ヒトの身でありながら、捉えることのできる、たった一つの眼━━見とれるように、ユニバック・ワンはそれをみつめていた。

「………………ほら」
「ん、ありがとウツヒト」

 現人が右手を差し出すと、ユニは当然のように手を重ねてきた。
 ぎゅっ、と握ってくる力は弱かった。その時、現人はなぜか力をこめてユニの手を引っ張っていた。

 自分の足腰でも立ち上がれるだろうに、津瀬現人はただ、己の右手にある力だけで、彼女を立ち上がらせようとしていたのだ。

「っ……とと」
「………………」

 果たしてその努力は勇み足だった。
 立ち上がるどころか、いきなり引っ張りあげられた形のユニは、もつれるように現人の胸に飛び込んでしまう。

「あ、い、いや、ちが。これは━━」

 現人は慌てて志保の方を見る。昨夜の『怖い』顔がまたそこにあるのではないかと危惧する。
 けれど、志保はにこにこと笑っていた。京もまた優しく微笑んでいる。

「えへへ、現人はやっぱり優しいねっ」
「うむ、あれでいて困ってる相手は助けずにおられん性格だからな」

 そんなことを二人は言い合ってる。
 違う。そんなことはない。自分はいつも助けられている側なんだ。そして、自分を助けているのは、他ならぬお前達じゃないか。
 そんなことを口走ってしまいそうになる。

「………………ウツヒト」

 けれど、吐息のかかるほど近い距離で聞こえたユニの声が、少年を静止させる。

「ありがとう、ウツヒト」
「………………!!」

 津瀬現人の胸の中で、ユニバック・ワンは天使のように微笑んでいた。
 少年はその笑顔を直視できなかった。まるで逃げるように顔を背けて、しかし掴んだユニの手は離さずに歩き出した。

「あ、あの、さ」
「うん。なにウツヒト」
「僕も気をつけるけど、あんまり……ぼーっとしてたら駄目だからな」
「うん。わかったウツヒト」

 世界で最初の商用コンピューターは、ただ彼に手を引かれるまま、学舎への道を歩いていった。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

 同時刻━━

「ははぁん」

 それはありふれたビルの屋上だった。

 建築の歴史とは効率の最適化でもある。
 絶対的に土地が少ないこの国において、商業ビルが高層化の一途をたどることは必然と言える。

 その者が立つ場所は地上数十階の高み。
 一望する富士。一望する山塊。むろん、都心の摩天楼もいささかぼんやりとしているが、視界に捉えることができる。

 もっとも、超高層ビルが効率化の運命的到達点であるならば、それを制限するたった一つの要素は人口である。

 20世紀後半からゆるやかな人口減少が続く、この日本という国。
 それも都心への通勤者が主体となる、ベッドタウンとしての側面が強い多摩地域においては、摩天楼のごとく超高層ビルが林立するとはいかない。

 ━━つまるところ、そのビルはこの八王子市におけるたった一つの超高層ビルであり、最上層はタワーマンションとして運営されている。

「どうやらどうやら……ワタシの知らないうちに、ずいぶんと距離が縮まっているようで」

 その者の髪は長く、燃えるような赤色。
 そして、纏う服もまた━━赤を基調としている。

 太陽の光を背にして、その者は眼下の道路をみおろしている。

 女だった。成熟した女性である。
 肉体の豊満さは、ユニバック・ワンとあらゆる面で対照的であり、初敷志保はつしき しほと比べるならば、唯一、胸のサイズだけが似通っているだろうと思われた。

「……それにしても、やっとの思いで日本まで来てみれば、こんなことになっているとは」

 ざわり、と。風が鳴った。

 そのとき、屋上の入り口から、一人の警備員があらわれた。
 何のことはない。定時の巡回である。彼は律儀に屋上の隅々まで……水タンクや太陽光発電パネルの影まで入念に見回ってから、階下へ姿を消していった。

「……これは、ワタシも少し考えなければいけませんね」

 その間、赤髪の女は平然と同じ場所に立っていた。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

 午前の授業が終わり、昼休みのチャイムが鳴る。
 廊下に、あるいは校庭に、生徒達の姿があふれ、開放感にあふれた空気が、南多磨高校を包む━━そんな時刻。

「ほう、授業にも出ずこもりきりか。
 この国の生徒会とは聞きしに勝る特権的階級なのだな?」
「それは主にフィクションがつくりあげた幻想だよ」

 凜とした女の声が責める。淡とした男の声が応じる。
 去年までは単なる空き教室だったが、今は南多磨高校生徒会室と呼ばれている場所。

 しばらく前におこなわれた生徒会選挙の結果によって、その主となった金髪の者━━久礼一くれいはじめは、未だ並ぶ者のない円卓をただ一人で占拠していた。

「僕としては、君にも幻想の一員になってほしいのだけどね」
「この私に生徒会などという、つまらぬ組織の一員となれと?」
「ああ、そうだよ。
 この高校の生徒会長には、庶務にあたる生徒を直接任命する権限があるんだ。だから、選挙の洗礼を受ける必要もない」
「ふん、しかし任命者の生徒会長が次の選挙で落選すれば、一緒に失業というわけだ。
 日本人が猟官制を採用していたとは知らなかった」

「気に入らないかい?」
「これはシンプルな話だ、久礼一くれいはじめよ。
 確かに生徒会といえば、日本の学舎における権力階級だ。そこに魅力は感じる。
 だが、お前の部下として入ることは、まったく気に入らない」
「つまり……僕と対等ならばいいと? それは少し難しい話だね」
「ならば、久礼一くれいはじめよ。
 その身の至らなさを思い知って、この弥勒零みろくれいに会長職を譲るというのはどうかな?」

 ゆらり。風もない室内で、ポニーテールが揺れた。
 挑戦的な笑みをうかべながら、弥勒零みろくれい久礼一くれいはじめをみる。王に刃を突きつけた簒奪者の獰猛さで、彼女は彼を見据える。

「ふふふ」

 その視線に、まるで深窓の令嬢のような穏やかな微笑みで、久礼一くれいはじめは応じた。

「君の……説明不能なほどの自信は、どこから来るんだい?」
「何を言うか。
 私こそはコンピューティングの歴史における、王であり帝であり、皇にも等しく覇も唱え尽くした存在だ。
 思い返してもみよ、20世紀を。
 ぽっと出の久礼クレイごときに何ができた?
 わずかに四半世紀も栄光を保持できなかったお前たち一族より、この私の方がよほど上に立つ者としてふさわしい━━明々白々ではないか」

「歴史的な経緯や事実をここで議論するつもりはないし、君の言う四半世紀にはCDCの時代が含まれていない。
 ……それに『栄光』という表現を使うなら、等しく万人にその威光は知られているべきじゃないかな?」

 ぴくり、と弥勒零みろくれいの眉が跳ね上がった。

(怒っているんだね。そんな仕草すらも、君は絵になるね)

 久礼一くれいはじめはそんなことを思いつつも、自らもまた一枚の芸術画のような、柔和な微笑みを保ちつづけていた。

「黙れ、久礼一くれいはじめ。久礼のいちたる成り上がりよ」
「ずいぶんとひどい言われようだね」
「お前は宣伝をうまくやったに過ぎない。
 東西冷戦という情勢が、スーパーコンピューターという存在を後押ししたに過ぎない。
 コストも効率も度外視の、絶対性能だけを求めるお前たちに何ができた?
 せいぜいが核爆弾の設計を手伝い、気象を予測する程度のものではないか!?」
「でもそれは……当時の合衆国では最優先事項だったよ」

 遠い過去を懐かしむ目で久礼一くれいはじめは言う。
 ひどく不完全な液体燃料のICBMが、海面に浮上した無防備の潜水艦から、撃ち上げられる光景が目に浮かぶ。
 たった一発で数メガトンという、『非効率的な』破壊力の水素爆弾が炸裂し、巨大なキノコ雲を形作る実験の映像が再生される……。

「久礼よ、私と私の眷属はお前とお前の一族とは違う。
 私と私の眷属は、常に人々と共にあった。世界中の組織と共にあった。社会と共にあった。
 なにより、万国にあった」
「………………」
「およそ大企業と呼べる組織は、私の影響下にあり、私がいなければ立ち行かなかった。
 私は膨大な会計データを処理した。巨大な工場の制御を担当した。
 電力システムを束ね、全米を覆い尽くす監視網すらも支えていた。
 あのソビエトですら私のクローンを作り、その性能をあてにしていた!
 私は戦闘機に載っていた。私は爆撃機に載っていた。私は艦戦に載っていた。
 そして……私は宇宙にすら行ったのだ!!」

「NASAや各国の宇宙機関には、僕だって力を貸していたけれど?」
「だが、少数でしかない。この私に比べれば例外でしかない。
 私はあまねく世界に存在した。存在し続け、世界を支えてきた。
 この私こそが頂点なのだ!!
 私はそれを知っている。お前もそれを知っている!
 さあ、私に屈するがいい、久礼一くれいはじめよ。
 そして、万人に知らしめるがいい! 久礼クレイの一族などは、偉大なる青に比肩しうる存在ではないのだと!!」

 しん、と喝破する弥勒零みろくれいの声が空気を鳴らした。
 しん、と揺るがぬ久礼一くれいはじめの瞳が彼女を見返した。

「それこそが正しい認識というものだ。
 かつて、この世界に撒かれた……コンピューティングに関する認識は、根本的に間違っているのだ!!」
「ふ、ふふ。ふふふ。あは、ははははは」

 何がそんなに不満なのか。どこの誰に対して、そんなに強い敵意を燃やしているのか。
 久礼一くれいはじめ弥勒零みろくれいの激情が可笑しくてたまらなかった。

(君は自らを誇るけれど……どんな存在であろうと、絶対不敗はありえないんだよ、360)

 この自分にしても、日本という国のコンピューターたちにどれほど熾烈な追い上げを受けたことか。
 その苦々しい記憶は、今でも消えることはないというのに。

「君は……偉大だ」
「当然だとも!」
「けれど、すこし滑稽で、かわいそうだ」

 ふたたび弥勒零みろくれいの眉が跳ね上がるのを確認してから、久礼一くれいはじめは次の言葉をつむいだ。

「僕と違って、君は何もしなくてもこの学校の生徒全員に認識されていた。
 そんな顕現存在セオファナイズドは……この世界でも唯一、君だけだろう。
 君はそれだけの影響力がある……そして、今この時も人類社会に貢献し続けている……」
「その通りだとも!」
「けれど、そんなに偉大な存在でありながらも、君への認識は徹底して、無意識的なものだ」

 がちん、と歯ぎしりの音が聞こえた。
 それは女性らしからぬ乱雑な音だった。
 パンチカードをさん孔する音にも似て。あるいは、磁気テープが詰ま(ジャム)った時の音にも似て。

「意識されぬことの……何が問題か!!」
「問題とは言っていないよ」
「我らは意識されぬほどに当然のものとして、常に在り続ける!
 決して落ちぬ! 決して止まらぬ! それが信頼性をきわめた我らの在り方!!
 米粒のようなパソコン、麦の穂ほどに貧弱なワークステーション、それらの流用発展に過ぎぬサーバーども……だが我らメインフレームの堅牢性は! 信頼性は! 圧倒的に優れている!
 だからこそ、激動のITイノベーションをも生き抜き、今このときにも存在しているのだ!!」
「━━けれど、当たり前のものに、栄光は付随しない」
「………………!!」

 久礼一くれいはじめが他人事のようにそう言ったとき、弥勒零みろくれいは自らの持つ攻撃的なすべてを顕現させようとした。

(待て……待つのだ!)

 だが、寸でのところで思いとどまる。
 ここは学舎である。いや、こんな学舎の一つや二つどうでもいい。
 しかし、ここには生徒がいる。彼女を何でもできる最優秀の存在として慕う生徒たちが無数にいる。

(そうだ……栄光というなら、ここにもあるではないか)

 つまるところ、南田磨高校の生徒達はもっとも身近で、もっとも新しい彼女の栄光である。
 それをわざわざ壊してしまうこともないのだ。

「━━失礼する」
「帰るのかい?」
「戻るだけだ。教室では生徒たちが待っている」
「そうか。一つ忠告しておくよ。
 君が計画している件だけど、影響範囲が大きすぎやしないかい?」
「何を言うか。
 日本中の電力を止め、少なからぬ犠牲を出そうとした男が言う台詞か」

「あれは君のイトコが進めたことで、僕は承認しただけだよ」
なおしのやつがお前を仕えるべき対象として仰いでいるなら、同じことだ。
 ……私は360度すべてに完璧だ。不用意な犠牲など決して出しはしない」
「それならいいけれど、ね」

 背を向けた弥勒零みろくれいには見えないと知っていながら、久礼一くれいはじめは皮肉げな笑みをうかべてみせた。

「人智も、そして僕たちのプログラムも、処理能力も。
 あらゆるフォールトトレラント設計も……どうしても及ばない例外は、あり得る」
「………………」
「かつて東北に存在していたあれの同族が壊れた原因は、誰も想像しなかった自然の惨禍だったというよ」
「たわけが。自然現象などは予測しきってみせる」
「だけど、僕たちには事故や災害に備えた緊急停止機能がそなわっている」
「そんなものはおよそ機械ならばすべてに存在しているものだ。
 工場のプレス機に安全装置がないとでも言うのか?」

 そう言いながら、弥勒零は不意に胸元にしのばせた小さなブローチへ目を落とした。
 赤い色をしたブローチ。制服の奥に隠されたその存在を知っているものは、恐らく誰もいないだろう。

「備えあれば、という。例外があり得ると知っているからこそ、僕たちには備えがある」
「……すべて予測しきってみせると言ったろう」
「勇敢なことだね。
 まあ、今の時代なら可能かもしれないね。この星そのものをシミュレートしようとした試みも、この国にはあったからね」

 去りゆく弥勒零みろくれいの背中を見ながら、久礼一くれいはじめはやはり笑っていた。

「けれど━━シミュレートは所詮、シミュレート」

 そして、最後の一言だけは。

「それはリアルではない。エミュレートでもない……」

 笑っていない無表情から紡がれていた。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

「ウツヒト。あしたの予定を教えてほしい。
 あしたは暇? あしたは何もジョブを実行する計画がない?」
「いや……特に予定はないけど」

 金曜夜の津瀬宅。
 やたらと量の多かったポトフではち切れそうな腹にうめき声をあげながら、ソファにもたれていた現人へ、唐突にユニが問いかけている。

「それなら、あしたは君を帰さない。びしっ」
「……なんだそのポーズ。あと、誰から聞いたそんな言葉」
「ケイから教えてもらった。
 この言葉には、まる一日対象を拘束するという意味があるらしい。こうやって、ポーズをつけるとかっこいいと教えてもらった。えっへん」

 アイドルというよりは、ヒーローが決め口上を述べる時のような姿勢で、ユニは言った。

「あ~……えっとな、ユニ。
 それはたぶん女の子用じゃないから、さっさと忘れなさい」
「むう。一度記憶したことを削除するのは、よほどの時に限られるべき。
 ウツヒトの言葉でも、それは聞けない。だから無効フラグだけ立てておく」

 不満げに頬をふくらませるユニ。
 他にもどんな怪しい言葉を京から仕込まれているのだろうと、現人は背筋が冷たくなる。

「それではかっこいいセリフとポーズの第二弾をプレゼンする」
「やめなさい。忘れなさい。
 とにかく、京の言うことはあまり聞かないようにな」
「ウツヒト、それは了解できない。
 京はとてもしゅごい。私の知らないことをたくさん知っている」
「いや、確かに京が博識なのは認めるけど、あいつが教えることなんて、どうせふざけた━━」
「私の知らないウツヒトも、たくさん知っている」
「………………」

 ああ━━恐らくは。

(……こう言ってやれ、って)

 こう言えば、現人の奴は黙るから、と。
 ニヤニヤ笑いながら、京はユニに教えたのだろう。

(あいつめ……)

 次に会ったとき、どうしてくれよう。
 怒りには満たない、しかし不満にしては少し強すぎる。
 そんな感情に悩まされながら、結局、津瀬現人は悪友の思惑通りに、黙りこくるしかないのだった。

「しゅごい。本当にウツヒトが黙った」
「………………そうだよ。黙ったら、いけないか?」
「別にいけなくはない。
 だけど、今はあしたのことが大事。
 だから、ケイに教えてもらった『ウツヒトをいいようにもてあそぶたったひとつのさえたやりかた』は今度にしたいと思う」
「そ、そうか……」

 ひな鳥のように両腕をばたばたと動かしながら、ユニはそう言った。とても楽しそうだった。
 対する現人は、これから廃鶏とされて、食肉にされるニワトリ程度には、うつろな目をしていた。

「私はあした、ウツヒトを帰したくない」
「だからそれは忘れろって」
「むう。まだ無効化処理をコミットしていなかっただけ。
 ━━簡単に説明する。
 あした一日ウツヒトは私と行動を共にしてほしい」
「行動を共に、っていうからには……外に出るんだよな?」
「もちろん」

 こくこくとうなずきながら、ユニはキッチンの方を見た。
 ほんの30分ほど前まで、志保が洗い物をしながら立っていた場所。
 しかし、明日あさってと誰も立つことのないであろう場所だった。

「志保は……今度の土日は来ないはずだ。
 問題ないと思うよ」
「それはわかっている。
 私が気にしているのは、作り置きのご飯をどうするか。おべんとにして持って行ければいいけど、汁物だからすこし難しい」
「外で食べなくちゃならないほど、遠くまで行くのか?」
「かなり遠くまでいく。
 顕現存在セオファナイズド━━弥勒零みろくれいの計画を止めるために」

 その言葉をきいたとき、津瀬現人は紛れもない悪寒を覚えた。

「あいつ……か」

 脳裏にその凜とした姿が。超然とした言葉が。響き渡る。

(ユニはあいつと戦うつもり……なのか?)

 弥勒零みろくれいが一体何をするつもりなのか。
 想像もつかなかった。しかし15才の少年に言えるのは、それは『ろくでもないこと』だろうという一点だ。

古毛仁直こもに なおし……IβM 704……あいつのときもそうだった)

 日本中の電力を止める。
 そんな『ろくでもないこと』を止めるために、ユニバック・ワンと704は戦ったのだ。
 そして、津瀬現人はその戦いに巻き込まれ、命を落としかけたのだ。

(でも……ユニに助けてもらった)

 さらには、彼自身がユニを助けたのだ。

(……また、あのときみたいに)

 自分は命を落としそうになったりするのだろうか。
 あるいは、ユニが存在を消去されてしまいそうになったりするのだろうか。

「やっぱり危険……なんだよな?」
「あしたはそうでもないと思う」

 ユニの言葉にほっとする自分をしかりつけたくなる。
 それでいいのか、と。そんなことで、彼女の手を引いてやれるのか、と。

「でも、何かの間違いであした360と対決することになれば、危険度は704の比じゃないとも思う」
「そんなにやばい相手なのか」
「360は704と違って、交渉するつもりが最初からない。
 そもそも私たちを障害として認識していないかもしれない」
「………………」

 360というのは、どうも弥勒零のことを指しているらしい。
 現人に理解できるのは、そんなささやかなレベルである。

「私と360の能力には、埋められない差がある。
 まだアメリカにいたとき、私の妹も360と戦った……でも、妹も……」
「ユニの妹が……?」
「うん。今はどうしているかわからない。
 やられてはいないと思うけど……」
「そうか……」

 驚くほど深刻な様子で、表情を曇らせるユニ。
 気の利いた言葉は思い浮かばなかった。場を明るくするジョークなどもってのほかだった。

(くそっ)

 本当に自分はこういうあたり、ダメな奴だなと思う。

(京なら。志保なら)

 自分よりずっとうまくやれるだろうに。そう思って、自らを責めてしまう。

「その……なんていうか、さ。
 こういう表現が正しいかわからないんだけど、ユニには━━勝算ってあるのか?
 弥勒零みろくれい。あいつ相手に、さ」
「それは━━」

 ユニバック・ワンはしばらくの間、沈黙した。
 津瀬現人が、ずいぶん長いなあと感じるほどに。
 商用コンピューターにとって、どれほど長大な時間だろうと思ってしまうほどに。

「………………わからない」

 イエスでもノーでもなく不明である、と小さな唇は言葉をつむいだ。
 けれど、ふるふると横に振られた首の動作は、限りなく否定に近かった。

「360は……私がみる限り、商用コンピューターとして。
 圧倒的な『格』を持っている、顕現存在セオファナイズドとして完全無欠に近い」
「そんなに凄いのか……」
「もちろん、どんなコンピューターにも絶対はないし、完璧もない。
 一度もダウンしなかったシステムなんてないし、欠陥がゼロのプログラムだって、存在はしない。
 ひょっとしたら……思いがけない弱点があるかもしれない。
 だけど、それを知る手段が私にはない」
「……厳しい戦いだな」
「ただ、私にはウツヒトがいる」

 それはすがりつく目だった。
 捨てないでほしいと懇願する子犬の目だった。

「ウツヒトの右眼は、『計算する宇宙』を視ることができる唯一の目」
「………………」
「それは360が相手でも例外じゃない。
 ウツヒトは……ウツヒトの理解が及ぶかぎり、360のすべてだって、視ることができる……そこにはきっと決定的な弱点もあると思う」
「僕にはあいつの弱点が探せる……だけど、僕自身の理解が届かない場合は━━」
「うん……見つからないかもしれない」
「わかった。努力はしてみるよ」
「………………ウツヒト」

 どうも最近、自分の右手は独立した意志を持ち始めたのではないか。
 そんな疑いを抱いてしまうほど勝手に。そして自然に。
 津瀬現人の右手は、ユニバック・ワンの頭をなで回していた。

「んっ……」
「どれだけやれるかわからないけど、できる限りの力を尽くしてみる。
 今の僕に言えるのはそのくらいだけど、いいかな?」
「うん……それで、いい。
 ウツヒトはそれだけで、いい。
 私はそれだけで……とっても。
 とってもうれしい」

 喜びを。

「ありがとうウツヒト」

 そして幸せを笑顔に宿して、世界で最初の商用コンピューターはそう言った。
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