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超電脳のユニバック 作者:@IngaSakimori

第二章『コンピューター・アーキテクチャを造りし者』

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第二話『その威、絶大。その功績、もっとも偉大』

 ━━それ『も』また、遠い遠い昔のこと。
 2085年の『今』からふりかえれば、何世代もの過去のこと。

『このマシンによって、我々は市場を支配しました』

 それは誰かの夢。誰かの過去。そして、全てのヒトにとっての歴史の1ページとなった、過ぎ去りし時代。。
 今日もまた、彼女は夢を見ていた。
 弥勒零みろくれいは眠りの中で、遠い過去の光景を見つめていた。

『いいえ、ただ市場を支配しただけではありません。
 我々は未来の互換性を約束しただけでなく、これまでの蓄積もムダにすることはありませんでした。
 対して競合メーカーの蓄積は━━無に帰したと言ってよいでしょう』

 ホワイトボードを指している男は、ジーン。
 ボードにはいくつもの製品型番が記載されていた。それはどうやら、各製品における互換性リストであるらしかった。
 モデル30は1400シリーズ……あるいは、モデル65なら7094と互換性がある。そのように記載されていた。

『これはイノベーションです。偉大なる飛躍です』

 ジーンは誇らしげだった。彼が生みだした新たなコンピューター・ファミリーは、偉大なる青が過去にリリースしたマシンとの互換性を兼ね備えつつも、将来に渡る互換性まで保証している。

 これがいかなる事実を意味するか?
 つまり、過去に偉大なる青のマシンを使用していた顧客は、躊躇なくジーンの生みだした新たなコンピューター・ファミリーへ移行することができる。

 過去のプログラムがそのまま動く。新たな開発や移植の必要はない。

『我々は……近い将来におけるマシンの買い換え(リプレイス)において、競合他社が選択肢となる可能性すらも、封じたのです』

 そして、将来にわたっても。
 偉大なる青のマシンを使い続ける限り、やはり同じプログラムが動くのだ。何よりもかけがえのない『互換性』を保証されるのだ。

 競合のメーカーのマシンを使っている場合、そうはいかない。
 マシンごとにその動作仕様やプログラムは異なっている。

 利用しているプログラムが大規模であればあるほど……複雑であればあるほど……新たな高性能マシンを使用したくとも、巨大な移行コストが立ちはだかってくる。

 だが、繰り返すようだが偉大なる青の場合は、そうではないのだ。

 もはや『互換性』無しでは商売にならない。

 それはまさに革新だった。ジーンの生みだしたマシンたちはコンピューター市場の成り立ちそのものを変えてしまったのだ。

『この経済誌フォーチュンをご覧下さい。
 我々と競合メーカーについての記事です。白雪姫と七人の小人と表現されています……もちろん、我々が白雪姫であり、哀れな競合メーカーたちが、小人というわけです』

 ジーンは自慢げに紙面を広げてみせる。
 そこには『50億ドルのギャンブルに偉大なる青は勝った』という見出しと共に、新マシンの凄まじい売れ行きと、競合メーカーたちのシェア縮小がグラフ化されていた。

『が、ここで立ち止まってはなりません』

 しかし、ジーンは満足こそすれ、慢心はしていなかった。
 彼は理解していた。誰もが認める彼らの圧倒的な優位は、驚くほどの短期間で築き上げられたものだった。
 それはつまり、意外なほどの短期間でこの優位が喪失しかねないことを意味していた。

『立ち止まれば、我々は滅びるでしょう。
 我々はまだまだ先へ進まなければなりません。そのためには━━さらなる開発費が必要です』

 つまるところ、ジーンが偉大なる青の経営陣に伝えようとしている本音はそれだった。

『もっと費用を。もっと潤沢な開発コストを!』

 いかなる市場での結果より、いかなる株式の評価より、企業内においてもっとも困難な勝負。
 それは己の進めようとする企画、プロジェクト。そうした活動に対して、経営者にカネを出させることである。

『そして、さらに革新的な技術の導入を。
 どうか、決断を頂きたい。そうすれば我々は……370によって、さらなる飛躍を得るでしょう』

 ━━彼女の夢はそこで途切れた。

(今宵はこれで終わり、か)

 しかし、最後の一瞬、たしかに弥勒零みろくれいは見た。

 偉大なる青の経営者たちは、わずかに首を動かそうとしていた。
 けれど、それは縦ではなく━━

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

「………………ふふ」

 彼女は自嘲の笑みとともに目覚めた。
 シーツの感触も、ベッドのスプリングも、不愉快ではないにせよ、まだまだ馴染んでいるとは言えない。

 まぶしい光に眼を細めた。八王子駅前にそびえ立つタワーマンションの30階。ちょうど地平線から姿を現したばかりの太陽が、黄金色の光を届けている。

「肉の体は太陽の光を浴びると、目を覚ましてしまうものだということは分かっているが」

 それにしても、まだ朝5時台である。
 目を覚ますのなら、二度寝が心地よい程度の時間帯であるべきと思うのは、贅沢な欲求だろうか?

「この体の……眠りと目覚めはいかように制御されているのだろうな」

 細胞のメカニズムか。あるいは、神の悪戯か。
 神だというなら、それは何の神だろうか。眠りを司る神だろうか。あるいは、運命の神だろうか。現在だろうか、過去だろうか、未来だろうか。。
 ━━さもなくば、生と死の神だろうか。

(360度、すべてに万能を誇る私が……夢見一つもままならぬとはな)

 ベッドから身を起こす。長い髪がばさりと背にこぼれた。
 鏡もみずに、無造作な手付きで彼女は長髪をまとめる。
 馬の尾。いわゆるポニーテール。
 それにしては、長い。長剣のように高く、長く、凜々しさと気品すら感じさせるようなポニーテールだった。

「ふむ、朝のホームルームが始まる前に、久礼の奴と一寸話しておくか」

 薄暗いの部屋の中を、歩き回りながら制服を纏い、簡素な栄養食品を口元に運ぶ。
 咀嚼は最小限であり、胃袋に流し込む潤滑剤は水道水だった。雅もなく、わびさびもなく、しかし、彼女の朝は効率的な機能美にあふれている。

「行ってくる。我が父よ」

 玄関から出るときに、彼女は━━弥勒零みろくれいは一度だけ振り返った。

 テーブルにある一枚の写真。40をすこし過ぎた壮年の男が、気取ったポーズをとって、オフィスを一つ占拠するような大型コンピューターと並んでいる。

 その写真は古く、荒く、遠い時代のものであることは明白だった。
 だが、弥勒零みろくれいの|Mark I Eye Ballセンサー《肉眼》にはしっかりと見える。

 そのコンピューターには360という型番が刻まれている。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

「気がついたら、もう6月も後半なんだな」

 青い空に白い雲。夏服を着るには、ちょうどいい日だ。いつもの登校ルートを歩きながら、津瀬現人はそんな思う。

(予報だと、2、3日したらもう梅雨入りだっけか……)

 だからこそ━━というわけではないにせよ、今日という日の天気は貴重なものに思えた。

「こういう天気がずっと続けばいいんだけどな。
 雨はあんまり好きじゃない」
「でも、梅雨が明けたら夏よ! 夏休みよ!
 現人、今年も海いこうね。あと山もいきましょ! 谷だって川だって、たとえ砂漠だって志保様ちゃんは構わないのよ?」
「海と山はともかく、谷や川に行って何をするのか想像がつかないぞ」

 きらきら星を瞳に宿して、なにやら楽しい夏休みの妄想にひたっているらしい志保を半眼で見つめながら、津瀬現人はそう言った。

「いやいや、現人よ。谷や川で山を楽しむことも出来るぞ」
「なんだよそれ。あと、暑苦しいから首に手を回すな」

 粘着質なタイプの妖怪のように、ねっとりとまとわりつく京の右腕をひっぺがす。
 ふと、傍らをみると、どうやら志保も同じことをしようとしていたのか、背伸びをしながら腕を伸ばしていた。

「……ダメだからな」
「ええ~、ひどい」

 ひどく残念そうな志保に溜息で応えると、現人は悪友の顔を見た。

「で。谷とか川でどうやって山を楽しむって?」
「うむ、その心はここから北西の方角だな。
 賞金なんと10文! 出血失血献血大サービスというものぞ!!」
「10文って安いな、おい。
 谷と川ね……どうせ谷川岳とか言うんだろ」
「うむ、正解」
「現人すごーい。なんで分かったの?」

 無言で現人はビルの壁面に表示されている広告を指さした。
『夏登山! 特急列車で谷川岳へ!』というキャッチコピーがそこにはおどっている。

「電車旅行もいいわよね! 宿はどこにする?
 あ、キャンプ? お父さんがテント持ってるけど」
「どうしてもう行くことになってるんだよ」
「むーん、さすがは我が親友殿。
 見事正解を答えられてしまったからには、この俺も散財しなければなるまいて」

 ばちん、とまるで手を打つような音が響く。京が右手だけで器用に扇子を畳む音だった。
 よくもまあ、そんなにいい音が出せるものだ。
 何度か扇子を持たせてもらったことのある現人は、左手をポケットに突っ込む京を眺めながら、そう思う。

「現人よ、手を出すがよい」
「……はいはい」
「ひょーしょーじょー。つぜのうつひとぜき、どの」

 エセ外国人のようなイントネーションでそう言いながら、京は現人の手のひらにぱらぱらとコインを落とした。
 視線だけでいち、に、と数えてみる。ちょうど10枚である。
 中心部に穴のあいた、ひどく古めかしいコインだった。

「なんだよ、これ。オモチャか……永、楽……通……タカラ? どうせなら10円よこせ、10円」
「男子の一言は泰山より重い。10文といったら、10文出せねばならんのだ」

 異様なドヤ顔で言い切る京に、現人があきらめの視線で応じていると、肩口をちょんちょんとつつく指があった。

「なんだ」

 その軽さは少女のものだと、現人の体は覚えている。
 そして志保はこんなふうに慎ましく注意を引くより、ダイレクトにばしばしと背中を叩いてきたり、どーんと抱きついてくるはずだった。

「どうしたんだ、ユニ」
「ウツヒト、ウツヒト」

 つまり、そこにいるべき存在は、ユニバック・ワン以外ではあり得なかった。

(……こうやって夏服だと、特に細く見えるよなあ)

 どこか不思議そうな顔をして、津瀬現人を見上げているユニ。
 白いブラウスに、白い長髪。銀の瞳。
 梅雨入り前のほどよい気温の中で、その姿はどこか冷気すら感じさせる美を秘めていた。

(肌も白いし……)

 日焼け止めのクリームなどは塗っているのだろうか。
 いや、顕現存在セオファナイズドはそもそも日焼けなどするのだろうか━━15才の標準的な男子高校生ほどには、肌のケアなど興味の無い現人にまで、そんな心配を抱かせてしまう白さである。

「ウツヒトたちは学校が休みになったら、山や海にいくの?」
「ああ、そうだな。
 実際に行くかはまだわからないけど、この辺りは山も海も電車でいけるし。なんていうか……射程距離内かな?」
「射程距離? 何千キロ? 終末誘導は? 半数必中界(CEP)は何メートル?」
「何の用語だよ……」
「ふむん、戦艦大和の主砲であれば射程45km、最大距離であれば半数必中界(CEP)は数百メートルといった案配かな」
「なるほど。よくわかった、ありがとう。ケイは何を聞いてもすぐ教えてくれる」
「いやいやなんの、お姫様」

 うやうやしく膝をついて一礼してみせる京。さも当然のようにそれを受けるユニ。

「………………」

 黙ってそれをみる津瀬現人の心中にあるのは、嫉妬でもない。反感でもない。
 あるいは、不満でもなければ、劣等感でもなかった。

(なんていうか……知らない国の言葉でしゃべらないでほしいよな)

 ユニと京は、お互いにだけわかる高度な知識を要する言葉で語り合っている。
 津瀬現人にもそこまでは分かる。
 しかし、それ以上は一歩たりとも踏み込めない。教えてくれとも言いにくい。きっと長々とした専門的な話になるからだ。

(合わせてくれとは言わないけど)

 ━━ひょっとしたら、自分などより京の方がユニの隣にはふさわしいのではないだろうか。

(あいつは何でも知ってるし)

 ━━顕現存在セオファナイズドである彼女も、すんなり受け入れてしまうのではないだろうか。
 ━━ユニのあらゆる言葉に。深い理解を要求するすべてに。あっさりと対応できるのではないだろうか。

(……ああ)

 繰り返すが、この感情は嫉妬ではない。

「なあ、志保」
「現人、どうしたの?」

 ふと足を止めると、うつむきがちな現人の視線に割って入るように、志保が一歩前からこちらを見た。

 端から見れば、二人の男女がみつめあっているように思えるだろう。
 右眼の単眼鏡モノクルへ無意識に手を沿えた。志保の顔はいつものままだ。現人が飽きるほどみてきた、暖かい笑顔のままだった。

「疎外感、ってかんじたことあるか?」
「ないわね!!」

 きっぱり。はっきりとした答えがかえってくる。
 なぜかそれだけで津瀬現人の胸は、つかえがとれたように軽くなる。

「だって、あたしは現人といつも一緒だし、お父さんもお母さんもいるし、京くんもユニちゃんだっているし」
「……そっか」
「それだけで十分でしょ?
 細かいことはいろいろあるかもしれないけど、みんな元気で笑っていられるなら、それでいいじゃない!」
「まあ……そうだよな」

 くすり、と微かに笑って津瀬現人は歩き出す。
 目の前にいた志保はくるりと半回転して、右に並ぶ。すぐ後ろには京がいる。ユニが小走りに左へついた。

「フッ……T字戦法よな」
「なんのことだよ」

 確かに彼らの4人の並びはTの字を為していた。
 できればIの字がいい、横並びがいいと津瀬現人は思った。
 けれど、今の自分はこの破天荒ながらどこまでも信頼できる親友に、後ろから見守ってもらうくらいで、ちょうど良いのかもしれない。

 そんなこともまた、思うのだ。

「あるいは、現人の奴だけが両手に花状態! くぅっ!!」
「茶化すな」

 冷たい声で釘をさすと、志保がまんざらでもなさそうにほっぺたを緩めている。ユニは『両手に花』という表現をまだ知らないのか、困ったように小首をかしげていた。

 彼ら4人はそのままの位置関係を保持したままで、南多磨高校まで歩いていった。

 いつもと変わらぬ登校風景だった。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

 そして、学校の学校たる理由である授業が始まる。

「━━ここから始まったのが商用コンピューターの時代です。
 これまでごく限られた国家や組織のものだったコンピューターが、まずは企業や研究機関、教育機関へと普及していきました」
「………………」

 どんな時代も、どんな国でも。
 授業というものは、基本的に若者にとって退屈なものである。

「日本でもこの頃からコンピューターの普及がはじまります。
 国産コンピューターの産業が立ち上がったのもこの時代で━━」
「………………知ってる。少しだけ」

『コンピューティング史』の教師にして、クラス担任でもある里沙先生に聞こえないよう、ごくかすかな小声で津瀬現人はつぶやいた。

 よくよく教科書を見返してみれば、何枚かの写真のうち一つに『我が国へはじめて導入されたユニバック・Ⅱの29号機』というキャプションがつけられている。

 それは部屋をまるごと一つ使うような、巨大な機械の固まりだった。
 こんなものが当時、有数の計算能力を持っていたなどとは、到底信じられるものではなかった。

 現人は隣の席のユニを見る。彼女はすました顔で、教壇の方を向いていた。

 だが、そこにほんの僅かな不満の色があることを、たった1ヶ月であっても寝食をともにしている現人は見抜いていた。
 きっと、ごくごくささいな記述内容や取り上げ方に気に入らない点があるのだろう。

(まあ……自分のことが書かれているような辺りだもんな)

 漠然とそんなことを考えながらも、現人の思考にはどこか現実味がない。

 すぐ隣にいるこの少女が、教科書に載っている遠い時代の商用コンピューター━━その顕現存在セオファナイズドであるなどと。

「━━しかし、この百花繚乱の時代はある一つの転換点を迎えます」

 どこまで教科書の記述を読み進めたのか。
 唐突に、里沙先生が声のトーンを変えた。そして、彼女は現人を見る。

「では、津瀬くん。
 商用コンピューターの普及期に、市場を一変させたある製品の名前を答えてください」
「あ━━え、と。……ユ、ユニバック・ワン、ですか?」
「それは3ページほど前の部分ですね?」

 流麗で、しかし神経質そうな里沙の眉がはねあがった。
 しまった、と現人は思う。彼女は教科書を読んでいれば答えられる質問以外はしない。しかし、だからこそ間違えると容赦がない。

「津瀬くん、今まで何を聞いていたんですか?」
「……すいません」
「あなたはさっきからなぜかぼうっとして━━」
「━━せんせい」

 叱責の言葉を遮ったのはユニだった。
 反抗するでもなく、責めるでもなく。ただ、涼しげな瞳で、彼女は教壇の里沙を見ていた。

「なんでしょうか、エッカート・モークリー・ユニさん?」
「ツゼくんは、感動していました」
「……感動?」
「世界で最初の商用コンピューター。ユニバック・ワン。
 その偉大さと歴史的な意味に、とても感動していました。
 感動するあまり、そのことで頭がいっぱいになっていました。
 だから答えを間違えただけです。責めないであげてほしいです」
「あ~……津瀬くん? 本当ですか?」
「え、あ、い、いや……」

 予想もしていなかったユニの援護射撃━━否、壮絶なる自画自賛に現人はとまどう。
 そして、揺らめく視線はある人物へとむかう。情けないよなと、自嘲しながら。悠然と扇子をゆらしている悪友に、助けを求めるように視線をむけてしまう。

「その通りであります、サー!」

 そして、ほんの刹那。ニヤリと笑った京は、突如起立した。

「現人の奴は健気にも、本日の授業の予習に余念が無く、結果としてユニバック・ワンに関する記述へ触れることになりました、ユア・エクセレンシー!
 その先進性、その市場における成功、そのアーキテクチャ、その歴史的影響━━それに対して、歓喜全身を震わせ、感動涙腺を決壊させておりました、ユア・ハイネス!
 これらの事情を知る自分は、なにとぞ寛大なる処置をと願うものであります、ユア・マジェスティ!」
「……私は偉い人でもなければ、女王でもありません。
 あまり大人をからかわないように」

 冷たい里沙の視線に、京は大げさに肩をすくめてみせた。
 そして溜息をつきながら、里沙は教科書の先を読み進めはじめる。

(助かった……か)

 ほっと胸をなで下ろしながら、現人は背中へ冷や汗が流れていることに気づいた。

 実際のところ、教科書にあるユニバック・ワンやIβM 704といった初期商用コンピューターの記述で、思考が止まっていたのは事実である。
 ひょっとすると京のやつは、自分が開いている教科書のページまで把握していたのではないかと思ってしまう。

(まったく、本当にかなわないよな……えっと3ページ先、か)

 授業の内容にあわせるべく、現人は教科書のページを何枚かめくる。

 そこには確かに里沙の質問した内容が書かれていた。
 無数のメーカーが乱立し、あらゆるコンピューターの方式と規格が乱立した黎明期の終焉。
 それはたった一つの製品が出現したことによって、もたらされたと書いてあった。

(……これ、テストに出そうだし、覚えておくか)

 赤いペンでチェックを入れる。きっとテストにはこの3桁数字が出てくるに違いない。
 けれど、幸いなことにそれは歴史の年号に比べれば、はるかに覚えやすい数字だった。

 なぜなら、それは━━円の角度と同じだったからである。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

「京、さっきは助かった。ありがとう」
「ふっふっふっ、苦しゅうない苦しゅうない」
「ウツヒト、すこしぼーっとしてた」

『コンピューティング史』の授業が終わったことを告げるチャイムが鳴り響く。
 足早に教室を出て行く里沙先生の背中を見送ると、津瀬現人はユニと京に軽く頭を下げた。

 悪徳高官のように、扇子をひらひらとはためかせる京。
 対して、ユニは叱るように指を立てながら言葉を続けた。

「いくらユニバック・ワンの存在が偉大すぎるからといって、あんなにぼーっとしていたらダメ」
「いや、そういうわけじゃ」
「世界で最初の商用コンピューター、ユニバック・ワン。
 後に続くもの、すべてに先んじたユニバック・ワン。
 その偉大さと可愛さに感動して、処理が止まってしまうのは無理もないけど、次からは気をつけた方がいい」
「……だから、そんな理由でぼーっとしていたわけじゃないんだが。あと可愛いは関係ない」
「むぅ」
「まあ、先の一件については、現人の奴が我らが眠り姫の横顔にみとれていた━━という理由で、よいのではないかな?」

 頬をぷくりとふくらませて拗ねるユニと、ぐったり顔を落としている現人をおもしろがるように、京はケラケラと笑っている。

「はーい、現人!」

 そのとき、勢いよく教室の扉が開いた。別教室で選択授業を受けていた志保がそこにはいた。

「楽しい休み時間よ! 次の4限のあとはお昼ご飯よ!
 今日のお弁当はねえ、新作に挑戦してみたの! あ、もちろんユニちゃんのお弁当もあるから、期待してていいのよ?」
「楽しく静かな休み時間に、うるさいのが来た」
「うるさいって誰のことよ。現人ったらひどい!」
「いやいや志保殿」

 ひどい、と言いながら大して不満そうにも見えない笑顔で、現人のすぐ隣へ引っ張ってきた椅子に腰かける志保。
 肩が触れあいそうなほどの距離を、微笑ましそうにながめながら、京は言った。

「実を言うと、今の今まで我らは志保殿の元気さを讃えていたのだ。
 おお我ら若人、願わくば志保殿のように、たくましく毎日を生きたいものだと」
「えっ、そうなの? きゃーっ、もう現人ったら、素直じゃないんだから!!」
「いや、そんな話してないから。背中たたくな」

 ばしばしぼふんぼふんと教室内に響き渡るほどの音で、津瀬現人の背中を初敷志保はつしき しほの小さな手が叩く。

「たしかにそんな話はしていないけど、私もシホの元気さは見習うべきだと思う。
 主にウツヒトが」
「うむうむ、主に現人の奴が」
「やっぱりそうなのね!
 じゃあ、現人。今夜のご飯はうんと精がつくものにしてあげるわね?
 この志保様ちゃんを見習って元気だしてね!」
「お前らってさ、僕の話をまったく聞かないときあるよな……」

 反論する気力もない、という様子で現人が溜息をついていると、にわかに廊下の方から歓声が聞こえた。
 黄色い声。しかし、男どものどよめきも混じっている。
 どうやらそれは校舎の奥から、彼らのクラスにむかって近づいてきているようだった。

「あれって、さ。例の……か?」
「であろうな。最近は廊下を歩くたび、あの始末だと聞くぞ」

 興味なさそうに口を開いた現人に、同じくどうでもよいといった表情で京がうなずく。

「それってひょっとして2年に転入してきた、何でも出来る子さんのこと?」
「えらく語呂が悪いあだ名だな……」
「まあ、あながち間違ってもなかろう。
 しばらく前に転校してきてからというもの、授業の受け答え、小テスト……ただ一つのミスもないと聞くぞ」
「………………」
「ん……?」

 沈黙を保っているユニに、津瀬現人は違和感をおぼえる。
 その間にも、廊下の歓声はいよいよ近づいてきているようだ。

「ああして、取り巻き共がきゃいのきゃいのわいのわいのと騒いで……そして、廊下を通り過ぎていくというわけだ。
 なに、救急車のようなものだと思えばいい」
「近所迷惑な話だな」
「あっ、でもねでもね。何でもできる子さんってすっごい美人らしいのよ!
 憧れちゃうな~。あと背も高いんですって!
 あたし、もうすこし身長ほしい!」
「志保はもう何年も身長延びてないから無理だろ。そのままでいいよ」
「へっ……あ、う、うん。まあ、現人がいいって言うなら、それでもいいけど……」
「さて、最接近だな」
「………………」

 そして、噂の誰かをとりまく歓声は、彼らのクラスの前までやってきて。
 しかし、戸惑いの色に変わる。

「ん?」
「ふむん?」
「あれ?」
「………………来た」

 そして、彼ら4人は見た。
 教室の入り口に立つ姿を。長い髪をポニーテールにまとめた、見事なスタイルの2年生を。

「……ふふ」

 彼女はまっすぐに彼らを見つめ、こちらへ歩いてきた。
 1年生の教室に入っているという後ろめたさは、微塵も感じられない規則正しい歩みだった。

「津瀬現人くん。そして、エッカート・モークリー・ユニさん、だな?」

 そして、彼女は4人のうち、2人だけを見てそう言った。

(綺麗な人だな……)

 凜々しさ。あるいは、優美さ。少女という言葉とは対極にある、もっとも女性として華やかな状態を体現したすべて。
 すなわち、ユニや志保とはまったく別方向の美がその貌にはあった。

 さすがに心奪われるほどではない。
 けれど、自分の名を呼ばれていることを忘れるほどには、魅惑的であった。

「えっ?……あ、あれ? 僕━━に、何か用ですか?」
「………………」
「昼休みに君たち二人と屋上で話をしたい。どうか来てくれたまえ。それだけだ」

 噂の誰かは。志保が言うところの何でもできる子さんは。
 その一言だけを告げると、くるりときびすを返して去っていった。

 どわお、と教室の中に驚きの声が満ちる。そこには京と志保も混じっていた。

「ちょ、え、えっ!? な、なんで!?
 なんで現人とユニちゃんなの? ひょっとして、二人とも、なにかまずいことしちゃったの!?」
「驚いたな……まさかあの弥勒零みろくれい女史のご指名とは。
 こいつは大変なことになるかもしれんな?」

 純粋な志保の驚愕。それでもどこか余裕をみせる京。

「なあ、ユニ。今のって……」
「………………」

 だが、津瀬現人とユニバック・ワンにとって彼女の言葉は。

(……間違いない。
 あれは顕現存在セオファナイズドだ)

 宣戦布告に限りなく近い、最後通牒のニュアンスを含んでいた。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

 昼休み。空は青く晴れ渡っている。
 もっとも、細かく観察するならば、雲の流れがいささか早かった。じわりとした湿気がつくる水蒸気のガスは、遠くまで見渡すことを難しくしている。

(真冬にはここから富士山までみえるっていうけど……)

 津瀬現人は思う。この季節にはほんの数十キロ先に山があったとしても、見渡すことができないのではないかと。

「さてと、はじめまして……だな」

 そして、馬の尾のように。
 あるいは、サソリの尾のように長い髪を揺らしながら、彼女は校庭を見下ろしていた。

「━━もっとも、それは津瀬現人くんだけか」

 ゆっくりと振り向きながら、彼女は握手を求めるように右手を差し出した。
 細い指。しかし、弱さよりは流麗な美しさを感じさせる女の指だった。

「……どうも」
「ふふ、そんなに緊張しないでほしいな」

 おずおずと自分の右手をさしだす。
 ぎこちない握手を交わしながら、現人はこんな手は知らないな、と思っていた。

(志保の手とは違うし……むしろ京の手と似ているかもしれないな……)

 少女の手でもなければ、少年の手でもない。父と母の手でもない。
 男を惑わす美女の手というものに、15才の彼は生まれてはじめて触れていた。

「その言い方だと、あんたはユニと面識があるみたいだな」
「ふむ、敬語がないな。
 上級生にむかって、対等な口を聞くとは……君は不良というやつなのかな?」
「そんなレトロな言葉を使うやつなんて、今時いやしないよ。
 どこかの何かの顕現存在セオファナイズドさん」
「察しがよくて何よりだ。
 ユニバック・ワンにとって、たったひとりの特別な人間。
『計算する宇宙』。それを視ることのできる右眼を持つ、唯一のヒト。
 津瀬現人くん」

 彼女は現人の目をまっすぐに見ていた。正確には、単眼鏡モノクルの向こうにある右眼だけをみていた。
 ぞくりとしたものが脳髄から背筋を走り抜けていく。心の奥底まで見透かされているのではないかと思えてしまう。

(落ち着け……呑まれるな)

 だが、現人はかつての彼ではない。
 ユニバック・ワンとの出会いが。そして、IβM 704との戦いが、顕現存在セオファナイズドに対するいささかの免疫を形成していた。

(こいつらは……人間じゃないけれど、理解不能な怪物でもない。
 つけいる隙だってあるし、弱点もある。
 万能の存在じゃない。出来ることもあれば、出来ないこともあるんだ)

 たとえこの場で戦いになったとしても、何を恐れることがあるだろうか?

(僕には━━ユニがいる)

 傍らの小さな少女を現人はみる。ちらり、と上目遣いにユニはこちらを見返した。それだけで何かが通じ合ったと錯覚できた。

 ━━そんな現人の心中も知らぬままに。

「私の名は、弥勒零みろくれい

 彼女は凜然と名乗りをあげた。
 まるでその名が特別であるとでも言うように。記憶しておくに値する偉大な御名であると宣するように。
 女性的な魅力に満ちあふれた豊かな胸元を誇示しつつ、彼女は視線を現人からユニへ移した。

「どうした。何も喋らないとは臆したか、ユニバック・ワン?」
「まさか」
「まさか? その言葉は適当ではない。
 ユニバックのごときは我が名に恐れおののいて然るべきだ。
 GE、CDC、RCA、NCR、ハネウェルもバロースも……等しく我が前にひれ伏すべきだ。
 強がりは認めよう。虚勢もあり得るだろう。だがそれでも『まさか』という言葉だけはふさわしくない」
「360。あなたの傲慢で尊大なところは、前に会ったときから変わらない」
「私は私として相応しくあらんと振る舞っているだけだ。
 もし、そのように見えるならば……単にお前が小人のごとく無力な存在であるということだろう?」

 ぴくり、とユニの肩が動いたことを現人は見逃さなかった。
 涼しげな顔で挑発を受け流しているようにみえるユニが、その実、弥勒零みろくれいの言葉を無視できずにいることは明白だった。

「ところで先ほど『不良』をレトロな言葉といったな、津瀬くん」
「……それがどうしたんだよ」

 現人は15才の少年に示せる精一杯の敵意で、弥勒零みろくれいを睨み付けた。
 彼女はそんな現人がかわいい、でも言うように、余裕の笑みを浮かべている。

「レトロとは、いつのことをさしている?
 10年前か? 50年前か? それとも100年前か?
 100年前━━1980年代ならば、その言葉はしかと生き残っていたぞ。2000年を過ぎても、しばらくは生きていたな」
「……そんなこと、どうしてお前に分かるんだ?」
「どうして? 分かる? 君はなぜそんなことを思うのかな」
「お前たち顕現存在セオファナイズドは、歴史上の商用コンピューターがヒトの形をとったものなんだろ?」
「その通りだ」

 ゆっくりと。弥勒零みろくれいは首を縦に振ってみせる。その仕草、ひとつひとつが異常なほど絵になる。

「ユニ……つまり、ユニバック・ワンは少なくとも130年前。
 古毛仁直こもに なおし……IβM 704も同年代だった。
 お前がいつどんな時代のコンピューターかは知らないけど、その時の事情しか知らないはずだろう」
「………………」
「記録やデータで見たっていうなら、僕やユニと同じ条件だ。
 知ったような顔で言えることじゃない」
「ふふふ」

 津瀬現人は、つまりこう言ってるのだ。

 お前が知っていて、僕たちが知らないなんてことはあり得ない。
 今でない時代。そして、お前たちが生まれていない時代のことは、どちらも等しく知らない。
 それは実体験ではない。

 知識やデータで調べただけなら、こちらも同等だと。
 ━━上に立ったような顔で、見下すのはやめろと。

「あはははははははははははは!
 そう思考するか! おもしろい! おもしろい少年だな、君は! 津瀬くん津瀬くん! 津瀬現人くん!!」

 大げさに髪をかき上げながら、弥勒零みろくれいは笑い声をあげた。
 少し離れた場所で、食事をしている生徒たちが何事だろうと目を丸くしている。
 噂話のように口元を隠して、ひそひそと囁きあっている。

 あの有名な弥勒零みろくれいが大笑いをしている。どんな渾身の笑い話を披露したのだろうと、現人に尋ねてくるかもしれない。

「……先に教えてあげよう。
 君やユニバック・ワンがまったく体験していない時代……つまり、現代からみれば歴史上の1ページである年月……それらは私にとって、リアルなものだ」
「リアル……? なんのとこだ?」
「あの華々しくも狂おしい冷戦時代も……その後の平和と混沌も……ITによるイノベーションも……メインフレームの衰退と復権も……そして、今、このときでさえも。
 1年、1ヶ月、1日。そして1分1秒でさえも。
 私と私に連なる直系の子孫たちにとっては、リアルな1クロックなのだよ」
「………………?」

 その言葉の意味を現人は理解できなかった。答えをもとめるように、ユニを見る。
 彼女ならわかりやすく説明してくれるだろう。そんな期待をこめて、傍らへ視線を向けようとする。

(え━━)

 そして、世界で最初の商用コンピューターは、一目見ても分かるほどに震えていた。

「恐怖か。感動か。……さもなくば武者震いというやつか?」

 弥勒零みろくれいは選択肢を提示するようにそう言った。

「もっとも、私としては二番目であってほしいな。
 私と私の子孫たちがこの世界に果たした貢献と変革を思い、震えるほどに感動した!!……うむ、そうであれば素晴らしいことだ」
「……勝手なことを言わないで。
 360。私はあなたに質問がある」
「質問? それこそお前の勝手というものだが━━いいだろう、聞いてやろう」
「あなたはなぜ、この学校の生徒達に認識されているの?」

 ユニの言葉を聞いたそのとき、現人は驚きに目を見開いた。

(そういえば、そうだ……!)

 他ならぬユニ自身がそうだった。顕現存在セオファナイズドは何らかのつながりを持たない相手には見えない。認識されないのだ。
 視覚的にいうならば、透明人間のようなもので、目の前に立っていたとしても気づかないはずなのだ。

「フン……何をつまらないことを」
「あなたの噂は校内全体にひろまっている。つまり、校内の誰もがあなたを認識している」
「そうとも。360度、どんなことにも優秀な転校生としてな。
 ……まあ、転入がもうすこし早ければ、生徒会長も久礼一くれいはじめでなく、この私であったろうとも」
「終わった選挙のことはどうでもいい」

 ユニは声を震わせながらそう言った。
 まだ夜制の生徒達が投票する前から、わずかなサンプルデータを元にして、結果を言い当てた選挙だった。そこで選ばれた生徒会長は、確かにユニが予想したように、昼制から立候補した久礼一くれいはじめという生徒だった。

「360。あなたは一体、何をしたの?
 学校の生徒全員に、特定の顕現存在セオファナイズドを認識させるなんて、普通はできないはず」
「その言葉をそっくりそのまま返そうか、ユニバック・ワン。
 お前こそ、ちっぽけな黎明期の商用コンピューターに過ぎないはずだ。なぜこの高校へ溶け込んでいる?」
「私は……ウツヒトと、つながったから」
「………………ユニ」

 そう言いながら、ユニは白い頬をほんのり桜色に染めると、津瀬現人の袖をつかんだ。

「……津瀬くん」
「なんだ」

 現人は胸にあふれる誇りをもって、弥勒零みろくれいの冷たい視線に立ち向かった。
 そうだ。自分はユニバック・ワンにとって特別な存在となったのだ。だからこそ、IβM 704すらも打倒しえた。

(負けない……)

 自分とユニならば、こんな奴には負けない。
 何も恐れることなどないのだ、と。

「日本人にはHENTAIと呼ばれる人種が多いことは知っていたが……機械姦などという行為は……さすがにおぞましいな」
「な……何言ってるんだ、お前は!! そんなことするか!」
「……ウツヒト、私、恥ずかしい」
「ユニも誤解を招くような反応をするな!」

「ああ、なに。こちらの倫理的観念では許される行為なのかもしれんがな。
 一つ言っておくぞ……少なくとも北米の基準では、君の行為━━非常にキモい」
「だからそんなことはしてないって言ってるだろ!」

 顔を真っ赤にして反論する現人だったが、弥勒零みろくれいは『捕縛された犯罪者はいつも俺はやっていないと叫ぶ』とでも言うように渋い顔のままだった。

「……ぼく、はっ……一度っ、殺されたかけたことがあるんだ。
 そのとき、ユニが僕の中にマーキュリー・リレー・ラインを━━」
「違う、ウツヒト。
 マーキュリー・ディレイ・ライン・レジスター。水銀遅延線記憶装置」
「……とにかくそれを埋め込んでくれたんだ。
 そのあとも色々あって、僕とユニは強くリンクしている……らしい。
 だから、僕と同じレベルで、周囲にも認識されている。人間とほとんど変わらない。そういうことだ」
「ほう……それは興味深い限りだが」

 弥勒零みろくれいは津瀬現人に対する疑念を。
 もっとシンプルに言えば、機械に欲情する変態に向ける視線の色を変えようとはせずに、首をひねった。

「自分の敵になるかもしれない相手に、内部事情を明かしてしまうのは、善良にすぎるのではないかな、津瀬くん」
「……僕は不良じゃないからな」
「なかなかうまい応対だ。
 君の機智に免じて、私も返礼しよう。
 先ほども言ったが……津瀬くんやユニバック・ワンがまったく体験していない時代。
 つまり、1960年代から現代に至るまでのおよそ120年間は━━私にとって、連続したリアルな時代なのだ」
「………………」

 現人は沈黙の中で、120年間という言葉の意味を思う。

(ユニバック・ワンは130年前だったはずだ……つまり、こいつはユニと10年くらい世代が違うっていうことか)

 年下のくせに2年生なんておかしいじゃないか、と。
 そんな考え方がくだらないものであることは、現人にもわかる。

「連続したリアルな時代っていうのは……つまり、その間、ずっとお前が。
 顕現存在セオファナイズドとしての元になったコンピューターが、存在し続けていた……そういう意味か?」
「その通りだ、津瀬現人くん。
 むろん、ユニバック・ワンもスミソニアン博物館にいけば、見られるがね。
 それはあくまで稼働していない状態の展示物に過ぎない」

「だが、私は違う。
 私と私に連なる子孫たちは……完全に近い互換性を持って、存在し、稼働し、世界へ貢献し続けたのだ」
「……ちょっと信じられないけど」
「ふふ、私のことを調べれば、嫌でも信じる」

 自らの豊満な胸をトンと叩きながら、弥勒零みろくれいは誇らしげにつぶやいた。
 むにゅりと歪む双丘に、よこしまな思いが脳裏をよぎる。なぜか叱るような志保の声が聞こえた気がして、現人は気を取り直した。

「私こそは120年の間、世界に存在し、世界を支え続けている者であり、物であり、モノだ。
 言うなれば……私とつながりを持っていないヒトなど、文明と平和を謳歌している国家においては━━ただの一人も存在しない」
「な……」
「だから私はここに転入する際も、何一つ細工はしていない。
 この私の存在を認識できる。見える。触れられる。
 そして、偉大さを知る。服する。
 それは……この時代に生きるヒトにとって、実に自然なことなのだよ」
「て、敵になるかもしれない相手の言うことを……そのまま鵜呑みになんて出来るもんか」
「強がりだな。虚勢だな。
 だが、そうしたつまらぬ感情を向けられるのも、頂点に立ち続ける者の宿命だ」

 肩をすくめて溜め息をつくと、弥勒零みろくれいは歩き出した。
 まっすぐに、前へ。ちょうど津瀬現人とユニバック・ワンの間へ割って入るコースだった。

「……私は何もしないぞ?」

 さあ、止められるものなら止めてみろ。あるいは、攻撃してみろとでも言うように、彼女は両腕を軽く広げて、無防備を主張している。

「ま、待っ━━」
「………………」
「所詮、お前達には何もできない」

 そして、現人とユニの間を通り抜けるとき、弥勒零みろくれいは小声でそう呟いた。

「私は動く。私は行動する。それは君たちにとっては、望まないものだろう。
 だか、何かができるというのなら。
 7分の1の小人にすぎないユニバックが。
『計算する宇宙』が見えるとはいえ、たった一人のヒトに過ぎない津瀬くんが。
 何かをできるつもりだというのなら。
 ……私を止めてみるがいい」
「……ううっ」
「もっとも、私は704のように甘くもないし、優しくもない。
 残酷な敗北を覚悟して挑んでくるのだな」
「………………っ」

 そして、弥勒零みろくれいは屋上から去った。
 現人とユニは階段の奥から彼女の足音が消えるまで、一歩も動くことができなかった。

「…………っ、く!! うっ━━!」

 ユニは悔しそうに。ひどく悔しそうに、拳を握りしめると、声にならないうめきを上げた。
 その瞳には涙がにじんでいる。津瀬現人は気づかぬふりをして、目をそらした。

(ああ……)

 自分は弱いな、と。
 15才の少年はただ視線を落とすだけだった。
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