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超電脳のユニバック 作者:@IngaSakimori

第二章『コンピューター・アーキテクチャを造りし者』

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第一話『投票、あるいは民主主義的おままごと』

 それは遠い遠い昔のこと。
 2085年の『今』からふりかえれば、何世代もの過去のこと。

『つまりはこれがこのマシンを特徴づける「コンピューター・アーキテクチャ」であり、単なる回路の実装とは異なる新しい概念なのです』

 彼の名前はジーンという。
 ジーンが熱っぽく語りかけているのは、彼が所属する企業の重役たちであった。

 偉大なる青。やがて世界のコンピューティング市場を制覇することが運命づけられている企業。
 その意志決定権を持つ者たちへ、ジーンは語りかけているのだ。

『確かにこのマシンの開発には、大変な費用がかかるでしょう。
 10億ドル……いや、20億、30億━━あるいは、50億ドルかかるかもしれません。
 それでも我々には、このマシンを開発するに値する理由があるのです』

 ジーンはここぞと言うように、声へ力を込めた。

『このマシンはすべてを統合するのです。
 およそ0から360まで、すべてを。
 あらゆる角度をその射程に収めるプロダクトとなるのです』

 まだ重役たちの反応は渋かった。

『このマシンにおいては、まず「コンピューター・アーキテクチャ」が定義されます。
 それは言うなれば、マシンが動作する根本を決定づける仕様書のようなものです。
 そして、ユーザーはプログラムを「コンピューター・アーキテクチャ」に沿って書くのです』

 ジーンは続ける。
 我ら偉大なる青のメインフレーム、その処女作たる701も……続く704も……。
 そして、大いなる失敗作でありつつも、世界最速を誇った7030こと『ストレッチ』すらも、このマシンには及ばないと。

『なぜなら、このマシンの「コンピューター・アーキテクチャ」に沿って書かれたプログラムは、後継機が登場したあともずっと使い続けられるからです』

 ジーンは大きく両手を広げる。
 それこそがこのマシンの独創である。そして、このマシンがもたらすものは、我らの独走である、と。

『我々の顧客は、もはやマシンを新しく購入するごとに、プログラムを書き直す必要はないのです。
 今、ここにはじめてコンピューターの「互換性」が誕生するのです』

 ジーンは拳を振り上げて言った。
 ひとたびこのマシンの『互換性』を知ってしまったカスタマーは、もう他社のマシンは使えない。

『なぜなら、顧客はずっと同じプログラムを使い続けられる。
 我々の製品を購入し続けるかぎり』

 しかし、他社のマシンを購入したならば、すべてのプログラムを書き直さなければならない。

『ひとたび、コンピューターの「互換性」を知ってしまった顧客は、そんな恐ろしい不便には耐えられないのです。
 そう、今ここに生まれる「互換性」は顧客にとっては巨大なメリットであり、そして━━我々偉大なる青にとっては、競合相手を封じる最高の切り札なのです』

 ジーンは迫った。

『賭けましょう、会長』

 重役たちの中でも、もっとも強大な権力を持つ相手へ決断を迫った。

『確かにこれはとてつもない賭けです』

 莫大な開発費。費やされる時間と人員。
 賭けの抵当は、偉大なる青そのものだった。もし失敗すれば、パンチカードの時代からの伝統を誇るこの企業は吹き飛ぶだろう。

 だが、もし賭けに勝てば━━

『我々は360度。見渡す限りすべてを手にすることができます』

 場所は米国。
 時は黄金の1960年代であった。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

「……夢、とはな」

 どこか憂鬱さを感じさせる表情で首を振りながら、彼女はベッドから身を起こした。
 時計の針は今が深夜であることを示している。
 この国の古典的な表現にならえば丑三つ時であり、彼女の故郷であれば女性が出歩いていれば、どんな犯罪に巻き込まれるかわかったものではない時間帯だった。

「ふむ。そういえば、704の奴も夢を見ると言っていたな」

 この地は日本。東洋のちいさな島国。
 しかし、彼女にとっては苦しい競争の記憶を思い起こさせる国であり、そして決して油断ならない産業スパイの国でもあった。

 もっとも、ここ100年というもの、日本を指して産業スパイの国などと言う者は、世界中を探しても滅多に見つかるものではない。

「こんな国までわざわざ足を伸ばす。我ながら奇特なことだ。
 ならば、夢などというものを見てしまうのも、その内というわけか……」

 窓のそばに立ち、下界を眺める。

 地上30階。八王子駅前にあるタワーマンションの一室から見下ろす深夜の地方都市。
 ひっそりと静まりかえったその姿は、ニンジャが息を潜めているようにも思える。

「発展はしているが、いささか田舎だな。もっと都心の方に部屋を調達すればよかったか━━」

 振り向くと、そこには彼女の流麗な美貌に似つかわしくない、模型の数々が並んでいた。
 スペースシャトル。B-52戦略爆撃機。F-15戦闘機。
 日本に到着したその当日、秋葉原へ寄って入手した完成品のプラスチックモデルだった。

「……気に食わない国だが、模型だけは昔から良いものをつくるからな」

 そっと戦闘機のキャノピーをなで回し、爆撃機の腹を撫でる。
 スペースシャトルの重厚なエンジンに熱い視線をそそぐ。
 それはまるで、慈しむように。血を分けた我が子を愛おしんでいるかのようだった。

「どうせ夢を見るのならば、こんどは空を飛ぶ夢でも見たいものだ」

 そう呟きながら、彼女は━━弥勒みろくれいはベッドへ身を沈める。

 クロゼットには制服がかけられていた。
 女子用のブレザー。それは都立南多磨高校の制服であった。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

 同じ夜。
 しかし、時刻をやや遡った、夕食を終えたばかりのある邸宅。

「ウツヒト、私の話をちゃんと聞いてほしい」
「聞いてるって……だから、君がみんなに見えるようになった理由だろ?」
「君じゃなくてユニ。私の名前はユニバック・ワン」
「はいはい、ユニ。
 エッカート・モークリー・ユニさん」
「むう。それはあくまで学校での登録名に過ぎない」

 静かな夜のリビング。
 ソファには世にも珍しい単眼鏡モノクルをつけた少年がひとり。
 そして、その向かいには季節外れなこたつに下半身を沈めたひとりの少女が、不満そうに頬を膨らませていた。

(とにかく……色んなことがありすぎたよな)

 あっという間に過ぎ去ったゴールデンウィークを、ひたすら自宅で怠惰に過ごした後悔はない。
 少年の心は未だ癒えない倦怠感に侵されつづけているからだ。

 少年の名は現人。
 姓は津瀬。すなわち、津瀬現人ツーゼ・ウツヒト

(右眼がひどい乱視で、単眼鏡モノクルをかけていないと、視界に無数の数字が覆い被さってみえる━━なんて)

 自らのことながらに、物語じみた馬鹿馬鹿しい症状だと思う。
 それでいて、要するに単眼鏡モノクルをかけていればいいのだから、日常生活を送るにはなんの問題もない、ささいな奇病。

(僕は……平凡な人生を送ってきたつもりなんだけどな)

 そう。
 彼はただその右眼に抱える異常においてのみ、平凡という言葉から外れていたに過ぎない。

 津瀬現人つぜうつひと
 彼はどこにでもいる、15歳の高校生であるはずだった。

(でも、僕の毎日は突然変わってしまった……)

 彼は出会った。巡り会った。
 そして、知らなかったことを知り、知りたくなかったことを思い知らされた。

「私の名前はユニバック・ワン」

 目の前の少女が言う。季節外れのこたつに身を沈めた外国人の少女である。
 光ファイバーほどに透明なその長髪は、白く。
 月の砂ほどに煌めくその瞳もまた、しろく。

「……君は、顕現存在セオファナイズド

 いかなる国の辞書にも載っていない単語を、津瀬現人はその唇でつむいだ。

「遠い過去、在りし日の商用コンピューターが人間の形をとって、顕現した存在。
 それが君だ」
「正しい認識。
 ウツヒトが私のことを正しく理解していてくれるのは、とても嬉しい」
「……そりゃどうも」

 ユニバック・ワン━━ユニは満足げに微笑むと、続きを求めるように小首をかしげた。

 光ファイバーほどに透明なその長髪は、白く。
 月の砂ほどに煌めくその瞳もまた、しろく。

「……君たち、顕現存在セオファナイズドは。
 本来、僕たち人間には見えない」
「物理的な接触で認識を交わさないかぎり、ヒトと顕現存在セオファナイズドは接点を持たない」
「だから、僕もユニを見ることができない……そのはずだった」

「でも、ウツヒトは違う。ウツヒトの右眼は違う。
 ウツヒトの右眼は『計算する宇宙』を視ることができる眼。
 情報としての宇宙を認識し、私たち顕現存在セオファナイズドも正確に捉えることができる」
「僕は……あのとき。
 ユニと一緒に戦った」

 ぐったりとした疲労感が波のように少年の心へ押し寄せてくる。

古毛仁直こもに なおし。IβM 704の顕現存在セオファナイズドと戦った」
「私は。ユニバック・ワンは一度、敗北した。
 情報としてこの宇宙から消え去る寸前だった」

「……僕は、ユニをこの宇宙から消し去ろうとする処理を、強制的にロールバックした」
「そのとき、私とウツヒトはつながった」

 嬉しそうに笑ってユニは言う。
 思わず『天使のような』という形容詞をつけたくなる笑顔。見とれてしまいそうになる自分を何とか制して、現人は言葉をつづける。

「つながった、って言う意味は今でもよくわかっていないけど。
 おかげで僕や志保にしか見えなかったユニが、今ではみんなに見えるようになっている」
「そういうこと。ウツヒトは現状について正確な理解をしている。
 とてもえらいので、褒めてあげます。これは志保の真似」
「……あいつのそういうところは真似しなくてもいいからな」

 そう言いながら、現人は誰もいない玄関を見た。

 ほんの十数分前に、そこからおせっかいな幼なじみが出て行ったばかりである。
 すこし気を緩めれば、「また明日の朝ね!」と言いながら振り向く姿が見えそうになる。あるいは、スーパーの袋をぶらさげて、夕食のメニューを自慢げに宣言する幻影が見えてしまいそうになる。

「ゴールデンウィークも今日で終わりだ。明日からまた学校だな」
「日本のカレンダーはすこし面白い。
 春と秋に連休があるけれど、一番休みが長いのは夏。でも、大人は年の変わり目に一番長く休んでいる」

「まあ、年末年始でも休めない人たちはいるけどな」
「確かにそういう人達もいる。
 夜の仕事をしている人達。あるいは、コンピューターに深く関わっている人達。
 そうした人達は、24時間365日、自分の仕事を全うし続けている」
「……24時間365日か」

 津瀬現人はひとりの男の言葉を思い出す。

『なんだ、これは!?
 なぜヒトがコンピューターシステムの都合で、働かされている!?
 我々コンピューターが世界に広まったのは、コンピューターを扱う人々を悲惨な環境で働かせるためではない!』

 古毛仁直こもに なおし。偉大なる青が生みだした第3代のメインフレームである、IβM 704の顕現存在セオファナイズド
 彼は怒っていた。自分たちコンピューターこそが、休日に、あるいは深夜に働くべきなのに、と。

(人間の代わりにコンピューターが働く……それが正しくて。
 コンピューターのために、人間が夜中や休日に働かされている……)

 そんなことは許されないと。
 こんな時代は腐っていると、断じたのだ。

「なあ、ユニ」
「なにウツヒト。私は今、こたつのぬくもりを楽しむのに忙しい」
「……人を話に巻き込むときは好きなだけ巻き込んでおいて、勝手な奴だな。
 君たちみたいな商用コンピューターっていうのは、暖かい環境が好きなのか?」

「そんなことはない。
 私たちコンピューターは基本的に少し寒いくらいの環境が、その最大性能を発揮できる。
 でも、それはあくまで低温でスイッチング速度が安定する半導体ベースのコンピューター」
「……半導体ベース、っていうと、今当たり前にあるコンピューターのことだよな」

 習い始めたばかりの『コンピューティング史』の知識を総動員して、15才の少年はそう答えてみせる。
 根拠はまだまだ薄く、確信はどこにもない。しかし、ユニから否定の言葉が返ってこないということは、おおむね正しい回答だったのだろう。

「そう。真空管を使っていないコンピューター。とっても新しい」
「あくまでもユニに比べて、だろ。
 どっちにしても100年は前だし」

 正確には130年だろうか。あるいは120年だろうか。
 どうあれ、2085年を生きる少年にとっては、有意な差があるのとは思えないほどの過去である。

「でも、絶対温度が低いことより重要なのは、温度が安定していること」
「安定っていうと?」
「たとえば、昼あつくて、夜は寒い。そういう環境はコンピューターによくない」

 水平にした小さな手を、上げ下げしてみせながら、ユニは言う。

「私はユニバック・ワン。世界で最初の商用コンピューター。
 主記憶装置に水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターを使っている。
 この記憶装置は周辺温度の変化にとても弱い」
「……すまない。今の僕にはまだ理解が追いつかないんだが」

「一言でいうと、私のメインメモリにあたる、水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターは、周辺温度が急激に変化すると、ちゃんと動作しない」
「なるほど、それは重大問題だな」
「だから気温が下がる夜は、こたつでぬくぬくする必要がある。
 ウツヒトは賢いから、これで理解できたはず」
「理解できても、納得できるかは別だけどな……」

 ぐてりとこたつの天板にほっぺたを預けているユニを半眼で眺めつつ、津瀬現人は思う。
 ひょっとしたら、今の理由はすべて口から出任せで、この少女はただ単にほどよく暖かい場所が好きなだけではないか。
 たとえば、野良猫がひなたへ集まるようなものではないか。

「……変化に弱い、ね」

 もっとも、その一言だけは彼自身も共感できるように思う。

「ユニがこうやって居候するようになったのは、僕にとってもの凄い変化なんだけど」
「居候じゃなくてホームステイ。
 これはウツヒトがシホを納得させるために、自分で言い出したこと」
「実態は居候だろ」

「でも、ウツヒトの家は両親が仕事で海外に出ている。
 シホという押しかけ女房までいる。
 ホームステイの私がひとり増えたくらい、なんてことはない。このくらい変化とは言えない」
「……どこの誰が押しかけ女房だ。
 あいつはただのおせっかいな幼なじみだよ」
「ウツヒトはそう思ってるかもしれないけど━━」
「あいつはただの幼なじみだ」

 決して譲れぬ一線を示すように、現人はユニの言葉を遮った。

「今は、少なくともそうだ」
「……では、そういうことにしておく」
「ああ、そういうことにしておいてくれ」

 ユニは反論することもなく目を閉じると、すやすやと寝息を立て始める。
 世界で最初の商用コンピューター。その小さな背中に毛布をかけると、津瀬現人もまた自室で眠りにつくのだった。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

 翌日。
 夏への扉はまだ鍵を開けたばかりという五月の半ば。南田磨高校へ向かういつもの通学路には、津瀬現人の他に三つの背中がある。

「ウツヒト、今日はとても暖かい。私はこういう日にお昼寝をしたいと思う」
「朝一から昼寝の話をしてどうするんだよ」

 まず一番ちいさな背中。
 だが、光ファイバーほどに透明なその長髪は、白く。月の砂ほどに煌めくその瞳もまた、しろく。
 その後ろ姿は、日本人の平均的な容貌から隔絶したものを感じさせ、そして正面に回れば、愛らしさに誰もが驚嘆の息を漏らすだろう。

「運用スケジュールにおいて、メンテナンスシャットダウンは必ず必要」
「よくわからないけど夜にちゃんと寝れば、昼は起きてられるだろ」
「稼働率が高くなかった時代は、昼間でも落としていた。私は矛盾していない。えっへん」
「……0といえば、1と言う奴だな……」

 遠い過去。歴史上のコンピューターが人の形をとって、この世界に顕現したモノ。
 すなわち、世界で最初の商用コンピューター『ユニバック・ワン』の顕現存在セオファナイズドこそが彼女である。
 しかし、そんなユニの秘密を知っている人間は、今のところ現人だけだった。

「ホームステイにいらっしゃったプリンセスは、眠り姫の傾向がおありらしいな、現人よ?」

 現人より少し高い位置。ユニからはあおいで見上げる位置。そこには開いた扇子をゆらゆらと揺らす、切れ長の目がある。

「寝る子は育つっていうから、そういうことだろ」
「然り然り。
 されども、然るに然るに我らは思春期。育ち盛りというのは一種の詭弁でな。既にして、成長が止まる者も出てくる年代と言えようぞ?」
「京くらい育ってれば、今更文句もないんだろうけどな……」

 非難めいた視線を長身の男にむけながら、現人はそう言った。
 けい。現人は友人をそう呼んだ。

「はは、はっは。はっはっはっ」

 ぱしり、と音がしたかと思うと、けいが手にした扇子は、綺麗に折りたたまれていた。
 そして背の高い少年は笑った。からからと笑った。

 すべてが楽しくて仕方ない。
 現人の反応も、今日という日も。風が吹き、太陽が空にのぼることも。
 ただそれだけで、この世はすばらしいのだと。そんな笑い方だった。

「でも、ユニちゃんがあたし達のクラスに転校してくるなんて、びっくりした~!
 これで、あたしとユニちゃんと京くんと……一緒に登校するのが四人になったよねっ。ねっ、現人はどう思う?」
「どうも思わない」
「またまた、本当は嬉しいくせに~」
「嬉しくない。また騒がしくなったな、とは思ってる」
「嘘ついちゃいけません」

 たしなめるような声と共に、ユニよりほんの僅かだけ背が高い━━そんな少女が現人の前方へ先回りすると、にっこりと笑った。

「ねっ、現人もみんな一緒で嬉しいよね?」
「………………」

 太陽のような。あるいは、ひまわりのような。
 どんなに冷たく凍り付いた心であろうとも、溶かしてしまうような笑顔がそこにはあった。
 頼りがいがあるとは言えない。乱暴に触れれば、折れてしまいそうな細い首だった。強く握れば、壊れてしまいそうな肩だった。

「ねっ?」

 もう一度、少女は念を押すように小首をかしげてみせた。その拍子に、華奢な体つきとは正反対によく育った胸元が揺れる。

 津瀬現人は、まるで周囲に見られてはいけない秘密が漏れてしまった時のような顔で、あたりを見回した。
 ユニは驚きの顔で、彼女の双丘を眺めている。京は見ていませんよと言う顔で、遠くに掲げられた広告板を見つめていた。

「ねっ、現人」
「……まあ、そうだな。志保がそう言うなら、それでいいよ」
「えへへ」

 やった。何もかもうまくいった。きっとこれからも、ずっとそうだろう。
 そんな笑顔で、津瀬現人つぜうつひとの幼なじみは笑った。初敷志保はつしき しほはたまらなく幸せそうな笑顔だった。

(まあ……)

 本当のところ、現人には言いたいことがいくつかあった。
 しかし、志保が楽しそうなので、これでいいか、と忘れてしまう。

(騒がしくなったけど……悪くはないよな)

 元々、毎朝肩を並べるのは、現人と志保と京の3人だけだった。
 だが、ユニが加わって、今は4人になった。

 その中で、現人だけがユニの正体を知っている。

(……エッカート・モークリー・ユニ。わざわざそんな偽名まで作って、僕と同じクラスに転入してきて)

 ゆえに、志保と京にとってユニは、現人の家にホームステイしにきた、単なる外国人であり、クラスメイトに過ぎない。

(……僕だけがユニの正体を知っている)

 少年・津瀬現人と、顕現存在セオファナイズド・ユニバック・ワンは、秘密を共有していた。
 それは誰にも言えず、誰にも知らせてはならない秘密だった。

 これから何が起こるのだろう。
 何が変わってしまうのだろう。得ることもあるかもしれない。しかし、失うかもしれない。
 期待もあれば、途方もない不安が押し寄せてくる時もある。

「……ウツヒト。そんなところに立ち止まっていたら、遅刻する」
「何をぼさっとしているのか、我が親友殿。さあさあ、学生の本分を果たしにいこうぞ」
「現人、早く早~く!! 今日のお弁当はおいしく出来たのよ! 昼休みに期待してていいんだからね?」

 ━━けれど、それでも。

「……ああ、そうだな」

 志保がそう言うなら。京が笑っているなら。
 そして、ユニバック・ワンが呼ぶならば。

(僕は今……嬉しいのかもしれないな)

 津瀬現人の毎朝は、すばらしいものであり続けているのだ。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

「それにしても、誠に眠り姫であるな」
「まあ……そうかもな」

 1限、そして2限が終わる。
 授業時間ごとの休み時間になると、ユニはいつも机に突っ伏して、眠っていた。

 白い滝から清水が流れ落ちるようにこぼれた長髪と、細い腕の間からのぞく寝顔は、絶世という形容詞をつけてもいいほどであり、好奇の視線を向けない男子はおらず、女子にしても嫉妬より先に溜め息が出るほどだった。

「……ふむ。それにしても、よく眠る」
「………………」

 けいもまた、ユニの寝顔を見ている。
 だが、その視線は他のクラス男子とは本質的に異なっていた。
 好奇でも憧れでも、さらにいえば恋愛感情にもほど遠い。

(研究者というか、医者というか……)

 観察。あるいは診断ダイアグノスティクスといった方が良いような視線だった。

「ユニちゃんの寝顔、かわいいよね~」

 対照的なのは志保だろう。これまた、好奇も憧れも遠く、むろんのこと、羨望や嫉妬にも離れている。

「うーん、一日くらいユニちゃんの寝てるところを見ているだけでもいいかも」
「何を馬鹿なこと言ってるんだ、お前は」
「あたし、将来はユニちゃんみたいな娘がほしいな~。あっ、お買い物とかご飯つくってるときは現人と交代だからね?」
「……僕も付き合わされるのかよ」

 さらに言えば、現人もまたクラス一般の反応とはかけ離れている。

(あんなに寝る意味はなんだろう……)

 現人にとってユニは、この南田磨高校に転入してきた外国人生徒、エッカート・モークリー・ユニではない。
 世界で最初の商用コンピューター、ユニバック・ワンの顕現存在セオファナイズド。それこそがユニである。

(本当は僕以外にはそもそも見えていないんだよな……)

 現人との『つながり』によって、彼女が人間から認識される存在になったとはいっても、決して人間そのものになったわけではない。

(眠る……そもそも、どうして人間は眠るんだっけ)

 疲労の回復。記憶の整理。
 そんなどこかで聞いたワードが現人の脳裏に浮かぶ。

 15才の少年が自信を持って言えるのは、その中で疲労回復に関することだけだったが、たとえそれが眠りの効能だとしても、ユニの場合は筋が通らない。

(人間じゃないのに、ユニはどうして眠るんだろう)

 どうして食事をするのだろう。どうして疲れるのだろう。

「………………ん」
(……やめた)

 津瀬現人が思考を中断したのは、次の授業開始を知らせるチャイムが鳴り響いたからでも、ユニが目を覚ましたからでもなかった。

(僕が一人だけで考え込んだって……答えなんて出ないのは、わかりきってるもんな)

 そして、それこそは自分の悪癖であると。
 津瀬現人は渋々ながらも、思い知らされているのだ。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

「私が寝たり、ご飯を食べる理由?」
「ああ。なんだか、気になってさ」

 夜の一歩手前。津瀬宅。
 夕飯の材料をぶら下げた志保が、そろそろやって来ようかという時間になって、現人は昼間の疑問をユニにぶつけていた。

「疑問を持ったとき、あれこれ自分だけで考えず、相談するのはとてもいいこと。
 私のことは私に聞くのが一番、手っ取り早い。
 ウツヒトは正しい行動をした。えらい。褒めてつかわす」
「いつから殿様になったんだ。……どうせ京からなにか吹き込まれたんだろ」
「ケイはすごい。おもしろい。私に古い言葉遣いをたくさん教えてくれる」
「まあ……あいつはそういうの詳しいからな」

 日本の故事どころか、世界各国のそれにまで精通している。かといって、歴史マニアかと言えば、そうでもない。

(なんていうか……『何でも』知っているんだよな、あいつ……)

 辞典を参照することもなく。調べ物をするから待てというわけでもなく。
 言葉をぶつければ、対応する結果が次から次へと無尽蔵に流れてくる。しかも、そこには彼独自の見解すらも付け加えられている。

 インテリゲンチャ、という古い言葉を教えてもらったこともあった。
 現人はそのとき口にしなかったが、それはまさに京のようなやつだろうと、納得したものだった。

「で、ユニが何で寝るかだけど」
「それは簡単。私にとって眠りはバッチ処理だから」
「バッチ……なんだって?」

 そう言いながら、津瀬現人はいい加減にソファへかけてあるブレザーを見た。
 胸元に光っている南多磨高校のバッジ。しかしこんなものより、地域の人々は制服のデザインそのもので、所属校を見分けているはずだった。

「ウツヒトは勘違いをしている。
 バッジ(badge)ではなくて、私が言ってるのはバッチ(batch)
 びー・えー・てー・しー・えっち。ビクトリーのVに、アルファのA。トーキョーのTにカナダのC。最後はホテルのH」
「……一文字ずつ言われても、いきなりは覚えられないけど、同音異義語だってことは分かった」

「人間の記憶装置はとても不確か。
 何度も何度もライトして、それでもうまく読み出しできないことがある。
 一度記憶したのに、いつの間にかあたいが変わっていることもある」
「それは仕方ないだろ。
 脳っていうのは、ええと……ユニの水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスター……だっけ?
 それみたいに正確じゃないんだからさ」

 肩をすくめながら津瀬現人は言う。

(それでも、たとえば京の奴なら……)

 たった一度でも見聞きしたことは完璧に覚えてしまうのだろう。そして、それが必要とされるあらゆる時と場所で、自在に引き出してくるのだろう。

(あいつはきっと……下手なコンピューターより、よっぽど正確で優秀なのかもしれないな……)

 羨望も嫉妬もなく、津瀬現人はそう思える。
 あくまで対等な立場から、京が自分よりも優れているのだと、はっきり認められる。

バッチ(batch)とは、簡単に言うと、最初から決まりきっている連続処理のこと」
「えーと……単発の処理じゃないってことか?」
「たとえば、ヒトが一つ一つ入力して、対話して、それにコンピューターが答えていくのがリアルタイム処理」

「ウツヒトがご飯を食べにいきたいと思う。地図でサーチする。その答えをみる。気に入らなかったら、別の店を探す。また新しい答えが表示される。
 こうやって、コンピューターの結果と対話して、さらに入力したりするのが、対話型。リアルタイム処理と呼ばれるもの」
「……つまり、僕らがコンピューターに触れるほとんど全て、っていうわけか」
「この時代ではそう言ってもいいかもしれない」

 その時、ユニがほんの少しだけ寂しそうな顔をしたのを、現人は見逃さなかった。

「バッチ処理はその対極。
 夜間とか休日とか。月の初めとか、終わりとか。決められた時間に、決められた処理をまとめて実行する。
 それが『バッチ』。
 たとえば今、この家には電気がついている。電気料金は月の終わりまでカウントされて、翌月に使用量が請求される」
「まあ……そうだよな。家によっては、10日とか20日でカウントを区切るみたいだけど」
「つまり、月末までに電気の使用データがそろう。
 これは膨大なデータ。そうして集めておいたデータを、たとえば5日とか8日とか。そういう決まったタイミングで、一気に計算する。
 電気料金のバッチ処理なら、こういうことになる」

「なるほどね、イメージは掴んだよ。
 でも、ユニがしょっちゅう眠ってる理由の説明にはならないな。そんなに決まった計算処理がたくさんあるわけでもないんだろ?」
「そんなことはない」

 ユニバック・ワンは首を振った。当たり前の顔をして。ごく淡々として。
 起きて。食べて。学んで。会話して。
 そうした日常を徐々に積み上げつつある同居人は、津瀬現人の言葉をはっきりと否定した。

「私はウツヒトとつながった。
 そして、この世界のヒトびとと、濃密なつながりを持った。
 シホも、ケイも、クラスの人達も、教師達も。
 そこから流れ込んでくる情報は莫大で、まったく最適化されていない。私自身の処理方法も、確立していない。
 だから、今の私には眠りが必要。たくさんのバッチ処理が必要。
 もう少しすれば、いろいろなことが最適化されて、もっと少ない眠りで済む……と、思う」
「最適化……か」
「コードが吟味されると言い換えてもいいし、コンパイラが進化すると言ってもいい」

 現人にはまったくわからない単語を、真顔で口にするユニ。

「なるほど……うん。よくわかった。
 僕にはさっぱりわからないってことが。だけど、ユニには眠りが必要なんだっていうことが。
 よくわかったよ」

 15才の少年が返せるのは、ただ曖昧な苦笑だけだった。

「うん。今はそれでいいと思う」

 世界で最初の商用コンピューターは、にっこりと笑った。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

 翌日。
 相変わらず休み時間にこくりこくりと、眠りの世界へ旅立っているユニを眺めていると、現人の耳元で志保が何かを囁いた。

「ねえねえ、現人ってば」
「ん……なんだよ。聞いてなかった」
「まったくもう! しょうがないんだから。
 だからね、今日の生徒会選挙はどうするのかっていう話!」
「ああ……そういえば、そんなのあったな」

 呆れたように腰へ手を当てている志保の傍らでは、校内新聞を手に取りながらにんまりと笑っている京がいた。

「こういうことは分析が得意な奴に聞いた方がいいだろ」
「京くんのこと?」
「ふっふっふっ、残念ながら、投票というものは自分の意志で決めるものだ。
 選挙運動をするつもりはないぞ、我が親友達よ」
「……それはそうかもしれないけど、どっちが勝ちそうかくらいは知っておきたいだろ。
 ええと……なんだっけ。会長は昼制と夜制の一騎打ちなんだよな」
「うむ、我らが昼制からは久礼一くれいはじめ氏。
 夜制からはトミー・コロッサス氏が立候補しているな」
「外国人か」
「うちの夜制には多いぞ。
 昼働き夜学ぶ苦学生━━という時代でもないが、いろいろ融通が利きやすいからな。
 昔は夜制のことを『定時制』と呼んだそうだ。まあ、古い時代の話ではあるが」

 そう言いながら、京はちょうど目を覚ましたばかりのユニを見る。

「それに我がクラスにも外国人の眠り姫がおられるだろう」
「まあ、そうだけど」
「……ケイ。何の話? そのニュースペーパー、なに」
「おお、麗しの我らが姫。
 これは放課後に控えし、選挙(Election)の予測が載っております。ええ、Electでありまして、Erectではありません。どうかどうか誤解なきよう」
「ウツヒト。ケイにせくはらされた。訴える。裁判所はどこ?」
「地方裁判所ならすぐ隣にあるけど……すまない。二人にしかわからない同音異義語で揉めないでほしいんだが」

 麗しだの、姫だのと、よく本人を前にして言えるものだ━━と。
 そんな現人の認識は、苦虫をかみつぶしたようなユニの表情にかき消される。しかし、彼女がなぜ不興のうちにあるのか、その意味がさっぱり分からない。

(いや、もっと言うなら……)
「くっくっくっ」

 京は愉快至極といった様子で笑っている。
 現人と志保には、自分とユニのやりとりがわからない。それを知っているからこそ、楽しそうに扇子を揺らして笑っているのだ。

(……性格悪いよな、ほんと)
「むうむう」
「あ、そっか」

 頬を膨らませたユニと共に、現人が非難を込めた視線で京を見つめていると、突然、志保がぽんと手を打った。

「わかった! 選挙って英語でエレクトって言うんだもんね! 何がセクハラなのかはわからないけど、きっと京君のことだからどうでもいいことよね!」
「なんと! 志保殿におかれては、さらりとひどいことをおおせになられて、この俺は大ショックにございます!」
「嘘つけ」
「ケイは嘘をついている」
「はっはっはっ」

 ぱちん、と。
 反省するかのように、畳んだ扇子で己の額を叩きながら、しかし京は相変わらず笑っていた。

「う~ん、あたし英語苦手だから、気づかなかったな~。ちょっと、現人もしっかり勉強しなきゃダメよ?」
「ああ、そうだな。志保よりは僕の方が英語の点数いいけどな」
「む~、たった5点差なのに。その前は4点差だったのに。あとその前は━━」
「僕の方が点数いいことは変わらないだろ……」

「さささ、眠り姫様。ここにございます夫婦漫才でも見て、どうかご機嫌を直してくださいませ」
「夫婦漫才。よくわからない。ケイ、意味を教えて」
「本人達はいがみ合ってるつもりなのに、いちゃついてるようにしか見えないのが、その一例でございます」
「わかった。ウツヒトとシホは夫婦漫才。記憶した」
「……そこ、聞こえてるからな。ちゃんと僕には聞こえてるからな」
「え~。夫婦だなんてそんな~」

 ぎろりと睨み付ける現人の眼光も、隣で頬を染めながら身をくねらせる志保の前では、台無しに等しかった。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

 放課後。
 正確には生徒会選挙投票のため、1時限分が繰り上げられた、大方の生徒達にとっては気楽な時間。

「ウツヒト、あれはなに?」
「ん……」

 無難に昼制の立候補者へ投票を終えて、教室に戻ろうとしたところで、ユニが現人を呼び止める。

 それは一階の玄関先にある、少し開けた多目的スペースだった。
 人だかりの向こうでは、メガネを掛けたいかにも文系という生徒達数名が、ボードに『正』の字を大量に書き込みながら、何かを喋っている。

「なんだろう。賭け……なわけはないよな」
「どうやら出口調査の結果を速報しているようだのう」

 現人が首をひねると、背中から息が吹きかかるほどの距離で、落ち着いた低音が響いた。
 驚きはない。驚かせようとしている、相手の手に乗ってやることはない。
 だから津瀬現人は努めて冷静を装いながら、大きく溜息をついてみせた。

「京。近い。離れろ」
「こちらへ顔も見せずにとは、つれないことだ」
「耳は悪くないんだ。もっと遠くで言っても聞こえるぞ」
「ふむん、やはり甘い囁きは志保殿にしてもらいたいというわけか」
「なんでそうなるっ!!」

 ああ、してやられてしまった。また、あいつの手に乗ってしまった。
 そう思いながら、声を荒げて振り向くと、前を向いたまま床を滑るかのごとく後退する、京の姿があった。

「神のギフトを持つ歌手。月面歩行」
「……意味がまったくわからない」
「うむ、英語で言うところのムーン・ウォークというやつだ。100年以上前には、世界中で無数の老若男女が習得していたというぞ」
「また意味のわからないことを……それで? 出口調査っていうのは開票のことか?」
「いや、まったく違う。
 投票を終えて出てきた者に、逐一、誰へ投票したか聞くのだ。原始的だがな。その統計を取れば、選挙の傾向がつかめるというわけさ。
 まあ、一種のサンプルデータだな」
「ふぅん……」
「………………」

 京の言葉を聞いたユニはどこか真剣な顔になる。
 そして、出口調査を速報しているボードへと歩み寄っていく。

 日本人離れした美貌の少女が突然、近づいてくるものだから、人だかりはまるでモーゼが海を割ったかのように割れていく。
 その光景を眺めながら、くっくっと京が笑った。現人も釣られて微笑みを浮かべずにはいられなかった。

「………………じー」

 ユニは出口調査の結果を見つめ続けている。
 何がそんなに興味深いのか。調査結果か。あるいは『正』の字で数をかぞえる。そんな日本特有の文化にだろうか。

(まあ、邪魔になるわけでもないだろうから、好きなだけ見させてやりたいけど)
「うつひとー」

 ふと、投票所のある体育館の方をみると、志保が手を振りながらやってきた。正確には小走りだった。
 廊下は走るな。これは日本全国どの学校でも同じはずだが、初敷志保はつしき しほという少女は、何度注意されても、どんなときでも、春も夏も秋も冬も晴れでも雨でも、津瀬現人を見つけると走り寄ってくるのだった。

「……言ってもムダか。犬に歩けっていうようなものかもな」
「なに? 現人、犬飼いたいの? ダメよ! ちゃんとお散歩とか、出来ないでしょ! 元のところに戻してきなさいっ」
「拾ってないし、ペットショップで買ってくるつもりもないからな。
 ただでさえ、手がかかるのがいるのに」

 呆れながら現人はそう言って、志保をみる。
 ふわふわの髪に犬のような耳の幻影。しかし、志保の右手はなにやらリードを手にしている。幻影をたどっていくと、どうやらリードは自分の首につながれているようだった。

「……おかしい。こんなことは間違っている。ふつう逆だろ」
「もう、何ひとりでぶつぶつ言ってるのよ!
 あれ、ユニちゃんは? 投票終わったし、今夜の夕ご飯なにがいいか、聞こうと思ったんだけど」
「我らが愛しの姫君ならば、あそこだ」

 京は出口調査のボードに相変わらずかじりついているユニを指さす。その口調には、なんの照れもなければ、嫌みも、そして賞賛もない。

「ふむん、何かを一心不乱に見つめる様は、さながら一枚の絵画だな。
 どう思う、現人よ?」
「僕に振るなよ……お前、よくそんなこと平気で言えるな。普通はためらうぞ、いろいろと」
「何をためらう?
 美しいものを美しと形容し、愛らしいを愛しと詠う。悠久の過去から継がれてきた伝統の表現というものだろう。
 そして、美の形容と恋愛感情はまったく別のものだ」
「だから、そういうことを当たり前の顔で言えるのが……」
「別に姫君をお前から取りゃせん」
「そ、そういう話をしてるんじゃないっ!!」
「━━ウツヒト。ケイにシホも、少し待たせた」

 顔を赤くしながら、京に食ってかかろうとしたその時、いつの間にかこちらへ戻ってきていたユニが目の前にいた。

 その瞳に見つめられた瞬間、津瀬現人の頬はさらに紅潮してしまう。
 志保がほんの僅かに眉をひそめた。しかし、その変化は微細に過ぎて、第三者にはわからないものだった。

「とても有意義なデータを得た。私は選挙の予測は得意」
「ひょっとして、出口調査の結果を分析していたのか?」
「ふむん、それでは姫君。
 得意分野について意見を求めるが、校内新聞の事前調査では夜制のトミー・コロッサス氏が優勢……あの出口調査では、甲乙付けがたい結果が出ている。
 むろん、このあと夜制生徒の投票も控えている。それを踏まえて、姫君の予想は?」
「昼制。久礼一くれいはじめが勝つ」

 ユニは断言した。
 現人はこれまでの流れでなぜそうなるのかと首を捻り、志保は少年のブレザーの裾を指でつかんだ。
 京はじっとユニの目を見つめる。探るように。奥底まで見透かすように。

「私は選挙の予想は得意。1%のサンプルデータがあれば、当ててみせる」
「なるほど、我らが姫君は自信家のようだ。
 では、明日の開票結果を楽しみに待つとするか」
「もちろん。私の予想に間違いはない」

 ユニは自慢げに小さな胸をそらした。京は何も言わずに微笑んだ。
 津瀬現人と、初敷志保はつしき しほはまるで置いて行かれたように、二人のやりとりを眺めているだけだった。
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