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超電脳のユニバック 作者:@IngaSakimori

第一章『顕現存在━セオファナイズド━』

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第五話『偉大なる青のメインフレーム』

「我々の手元には今、大統領選挙の投票データがある」
「これは全投票の1%という僅かなサンプルに過ぎない」
「我々は予測する」
「膨大な計算資源を使って」
「この万能計算機械を使って」
「それはユニバーサルである」
「それはオートマティックである」
「それはコンピューターである」
「すなわち、ユニバーサル・オートマティック・コンピューターである」
「称してユニバック!」
「我らのユニバック!!」

 遠い遠い過去を少女は回想している。
 それは合衆国を二つに割った戦い。しかし、公正にして、尋常なる民主主義上の決闘。2085年の現在から振り返れば、実に133年という過去に行われたアメリカの大統領選挙であった。

「我々はこの僅かなサンプルを使って予測する」
「世間の予想ではアイクは敗れるとされている」
「スティーブンソンが大統領となるのだ」
「どうだろうか?」
「世間の予想は正しいのだろうか?」
「共和党の『I Like Ike』は実を結ばないだろうか」
「民主党はトールマンの後継者へ政権を引き継ぐことができるだろうか」

 そう、サンプルは確かに僅かなものだった。何しろ全投票数のたった1%に過ぎないのだ。

 しかし、これほどに膨大な人々の手を介した1%が、当時ほかに存在しただろうか?
 たった1%。けれど、実に61万という票なのである。
 すなわち、1952年の米国大統領選挙における投票数は6200万弱であり、たった1%を分析するといっても、それはとてつもない数量だったのだ。

「猶予はない」
「速度を証明しなければならない」
「我らのユニバックはあらゆる人手より速いことを」
「大企業に普及している、あらゆるタビュレーティングマシンよりも速いことを証明しなければならない」
「我々は開票作業よりも早く、勝者と敗者を導き出す!」
「コンピューターに並ぶ速さは存在しないことを、ここに証明する!!」

 莫大な入力があり、そして、迅速な計算があった。
 それは━━もっとも熟練した手動計算手の1000人、そしてもっともミスと故障のないパンチカードを用いたタビュレーティングマシンを持ってしても、決してなしえない処理であった。

 そして、彼女は為した。

「結果が出たぞ!」
「選挙はアイクが勝つ!」
「世間の予想を覆して彼が勝つ!」
「それは僅差であるが、確かな予想だ!」
「我々が正しい!」
「我々のユニバックが、人々より正しい結論を導いたのだ!!」

 時は僅かに流れた。
 1%のサンプルが選挙の結果を予測するより、何十時間も遅れて、人間の手は開票作業という単純で、非効率的な作業によって、勝者と敗者を導き出した。

『アメリカ合衆国第34代大統領、ドワイト・D・アイゼンハワー』
 この日、この時からユニバックの絶頂期が始まったのだ。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

 2085年の現代には夜が来ていた。

「704達が何をするか、調べはついている」

 津瀬現人宅のリビングでユニは一枚の地図を広げている。
 夕食はクリームと貝のパスタだった。食事中、妙に言葉少なげだった現人に対して、志保は「そんな日もある」という微笑みを向けて、帰って行った。

「八王子には大小三つのデータセンターがあるけれど、704達が狙っているのは━━ここ」

 ユニの小さな指が地図の上を走る。
 東京都西部の地図を表示するペーパー。ありふれた地図である。対して詳しいとも言えないが、地元の人間が場所を把握するには、十分すぎる精度だった。

「このデータセンターには、電力会社のシステムがいくつか入っている。
 704達はこれまでにも何度か侵入していて、システムの掌握をはかっていた」
「……はかっていた?」
「電力会社のシステムは現状なセキュリティで守られている。
 それは社会のインフラだから。
 いくら704達でも簡単にはいかなくて、少しずつ段階を踏んでいた」
「………………」

 志保が用意してくれた食事中にそうであったように。

(そんなことを言われたって……)

 津瀬現人は半ば放心しながら、ユニの言葉を聞いていた。
 ━━日本中を停電させる。
 そんな誇大妄想にも程があるなおしの宣言を、この少女は本気にしている。そして、あろうことかそれを止めてみせると言っているのだ。

「704達はまず最初に、この地域一帯の電力を瞬停させた。
 これはシステムの制御権へ割り込みをかける━━その実験。
 第二段階として、別の地域で瞬停を起こした。
 これは割り込みのパラメーターを変化させて、任意の地域や範囲、時刻を指定する……それが有効か、検証していたと思う」
「………………」
「遠隔地で起こした停電は、ここのシステムが日本中に正しく連結されているか、その確認だった。
 一見、ひとつひとつに関連性はないように偽装されている。電力会社も基幹設備の老朽化とか、システムのバグを疑っている。
 でも、違う。
 704達はシステムの根幹に一歩一歩、食い込んでいっている。
 がん細胞が周りに広がっていくように。たぶん、今夜も何かしていると思う。
 そして、明日こそいよいよ━━」
「それが……それがどうしたって言うんだよ!?」

 津瀬現人はいささか唐突に怒号を発した。
 ほんの30分前までこの家にいた志保が聞いたら、慌てふためいて心配しそうな激情の発露だった。
 息が荒い。心臓の鼓動が早い。目には余裕がなく、拳は手のひらに食い込みそうなほど握りしめられていた。

「僕にそんなことを言われても知るもんか!!
 あり得ないし……ばかげている……テロだって? 日本中の電気を止めるだって?
 ふざけてるよ!!
 百歩譲って、そんなことが可能だってわかってるなら、警察に通報するべきだろ!?」
「警察に教えても、何にもならない。
 私たち顕現存在セオファナイズドは、ただのヒトには見えないから」
「だから、それは……っ、くっ……くそっ……!!」

 苛立ちをこめて、少年はクッションを殴りつけた。
 ばふり、という間の抜けた音が響き、ユニは口元を笑わせる。その愛らしい表情がまた、津瀬現人の感情を乱した。

「認めるよ……認めるさ!
 君達は何がなんだかわからないけど、人間じゃない!
 歴史上の商用コンピューター? 神様?
 ああ、そういう何かさ! 人間の姿をして、今、僕に話しかけているんだ!
 そして、あのなおしっていう男は、僕を死ぬ寸前まで追いやった相手なんだ! 
 でも、傷一つ残っていない!! 君が治してしまったからだ!」
「ウツヒト。やっと理解してくれて、私は嬉しい」
「違う、理解していない! 認めはしたけど、理解なんて出来るもんか!
 僕にとって君達は、幽霊やモンスターと変わらないんだ!
 神様でも同じさ!……邪神と何が違うんだ! 訳の分からない相手に……訳の分からないことに巻き込まれて!
 いっそ逃げ出したい気分だよ!!」
「………………否応なく、巻き込んでしまったことは、申し訳ないと思っている」

 捨て犬のように肩を落として、ユニはぺこりと頭を下げた。

「でも、今の私にはウツヒトしか頼れる相手がいない」
「っ……なんで、僕なんだよ……!!」

 頭をかきむしりながら、少年は弱音を吐いてみせる。
 15才の幼さにふさわしい未熟さで、それでも15才の若さには珍しいほどの忍耐で。

「僕に何ができるって言うんだ?」

 感情よりも、彼は論理をもって現実を解釈しようとする。
 逃走よりも、彼は対峙をもって解決をはかろうとする。

「あいつが言っていたじゃないか。
 僕はただの人間なんだ。何も知らない。これから勉強しようっていう、どこにでもいる高校生なんだ。
 もちろん特別な力があるわけでもない。誰かに決められた運命みたいなものがあるわけでもない。
 そんな僕が━━君に対して、何ができるっていうんだ?」
「………………ウツヒトは」

 もう一度、ユニバック・ワンはぺこりと頭を下げてみせた。

「ウツヒトは一つ誤解している」
「何をだよ」
「ウツヒトはただのヒトじゃない」
「……そうかもしれないな。右眼がひどい乱視で、この単眼鏡モノクルを外したら、変なものが見える。
 その点だけは確かさ」
「それだけじゃない。ウツヒトの右眼は特別なもの。
 ただのヒトにはない、私たち顕現存在セオファナイズドにもない、ウツヒトだけの特別な右眼」
「何が言いたいんだよ……あんまり馬鹿馬鹿しい話はやめてくれよ」
「ウツヒトの右眼は━━」
「……僕の右眼は?」

 少年は余裕を失っていた。
 見つめるつもりで、にらみ付けるように、少女と視線を交わしていた。

 けれど、ユニもまた彼女らしからぬ緊迫感を表情に漂わせていた。
 きっと、彼女なりに切羽詰まった事情があるのだろう。今夜はそれを洗いざらいはき出させよう。
 津瀬現人はそう思いながら、次の言葉を待っていた。

「ウツヒトの右眼は」
「………………」
「━━宇宙とつながっている」

 そして、少年は黙ってソファから立ち上がった。

「ち、違うっ! ウツヒト、違う! 誤解しないで! 変な意味じゃない!
 まじめ! とってもまじめ!!」
「うるさいっ!!
 どこが真面目だ! 真剣になって損したぞ! そんなアニメやゲームみたいな話は他のところでやってくれ!!」
「だっ、だから……あの、その、宇宙とつながっているというのは………………ほんと」
「だからそれが不真面目だって、言ってるんだろ!」
「えっと、あの━━その。
 説明する。聞いて。
 ウツヒトの右眼は、情報としての宇宙を視ることができる特殊な眼。
 これは本来ヒトの生態では決してそなわらないもの。
 で、でも、ウツヒトはそれを持ってる! 私も驚いた! すごく驚いた! 妹の言う通りだった!! だっ、だから……私は……ウツヒトを……あ、あのっ……」
「………………」

 ユニは動揺し、狼狽していた。
 唇はあわあわと震え、瞳の中では不安がブランコのように揺れ動き、両手は何もない場所でにぎにぎと意味もなく蠢いている。

(……はじめて見たな)

 津瀬現人はこんな彼女をはじめて見た。
 そして、当たり前のことに思い当たる。彼女は慌てているのだ。そして、今、どうすればいいのか分からなくなっているのだと。

「だ、だから……ウツヒト……聞いて。私、はっ、まじめ、だから……」
「君、さ」
「私の名前はユニバック・ワン。あ、でっ、でも今は君でも何でもいいからっ。
 と、とにかく話を聞いて欲しい」
「じゃあ、ユニバック」
「あわっ、は、はぅわ、わわわわわわわ!!
 なんで? なんで急に名前を呼ぶの、ウツヒト? 私にはよくわからないっ」
「……へえ、君でもそんなふうに慌てることがあるんだな」

 くすりと悪戯に成功したときの微笑みを津瀬現人は浮かべた。

「それは、そう。
 私は万能計算機械だけれど、無限の能力があるわけじゃない。
 想定外のエラーが積み重なれば、オーバーフローすることもある。つまり、今の状態」
「万能計算機械?」
「つまり、ユニバック。
 ユニバックとは英語でこう書くから。
 U・N・I・V・ersal A・utomatic━━」
「ああ……なるほど」

 ペーパーに細い指でつづってみせるユニ。
 要するに大文字をつなげたものが、ユニバックというわけだ。

(U・N・I・V・Aだから、最後はコンピューターかな?)

 が、少女の指は少年の予想を裏切った。

「━━Kawaii」
「Kawaii!? Cじゃないのか!?」
「Cだといくつかの問題をはらむ。私は様々な権利を尊重しなければならない」
「……だけど、自分の名前にカワイイとかつけるか、普通?」
「日本人も姫とか名前につける。
 だけど、アメリカには、プリンセス━━なんていう恥ずかしい名前の人間はいない。
 私はエッカートとモークリーによって生み出され、名付けられた。
 だから、この名前に異議を唱えられるのは、すこし不満」
「不満を覚える前に、根本的なところが間違ってる気がするけどな……」

 津瀬現人はそんなことを口にしながら、自分が笑っていることに気づいた。
 不思議だと思う。
 つい先ほどまで、怒りと苛立ちを抑えきれなかったというのに。

(僕の右眼が宇宙につながっている、なんて冗談を言い出したからかな?)

 激情は正常な思考をさまたげ、笑顔はそれを円滑にする。
 大きく息をつく。ユニは不安げに現人を見ていた。それが拒絶とあきらめの嘆息ではないかと、心配しているように見えた。
 現人はゆっくりと首を振りながら、なるべく穏やかな口調で言った。

「……わかったよ」
「えっ、わかってくれた? ウツヒト、私はとても嬉しい!」
「まだ内容を話してない。
 早とちりして、手を握ってぶんぶんしないでくれ」
「えへ、えへへ。えへへ、ウツヒト」

 ユニは笑っていた。嬉しくて嬉しくてたまらない。そんな笑顔だった。。

(……どうしてかな)

 どうしても彼女が━━ユニのことが信じられなかったというのに。

(この娘も動揺して慌てたり……こんなふうに嬉しそうに笑ったりするんだよな)

 そんな人間らしい反応をすこし見ただけで。

(……一度くらいなら、信じてもいいかな)

 津瀬現人はそんな気になってしまっている。

「あいつは……あした、日本中を停電させるって言ってたよな?」
「そう。やっぱりウツヒトはわかってくれてる」
「だから、それは早とちりだって。
 僕はただ━━」
「私は704たちを止めに行くつもり。
 そして、ウツヒトも一緒に来てくれる。そうでしょ?」
「………………」

 ソファの上に足を崩した姿勢ですわっているユニ。ぴょんぴょんとスプリングにまかせて上下してみせる。
 嬉しくてたまらないという笑顔は変わらない。かわいい、と何の留保条件もつけずに形容して良い表情がそこにはあった。

「……単なる付き添いだからな」
「うん。それでいい。それでも、いい。ウツヒト。ありがとうウツヒト」
「……どういたしまして」

 頬に熱いものがのぼる感覚に戸惑いながら、津瀬現人は顔を背けるのだった。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

 その翌朝。いつもの登校風景。

「なんだどうした、我が親友殿。今日は考えこんでいる顔だな?」

 現人をみつけるなり、京は愉快そうに笑いながら、扇子をひらひらと揺らして近づいてきた。
 また好き勝手なことを。そんな思いが現人の中に生まれる。
 だが、京の言葉は当たっているのだ。ここでいう『好き勝手』とは、つまるところ、『好き勝手に心の中を読み探る』行為なのだ。

「お前みたいな奴には、きっと無縁の悩みだよ」
「おおっ、さすが現人よな! この俺の届かぬ遙か高みまでのぼっていたとは……」
「……お前なあ」

 分かって言っているだろ、そう返してやりたいところをこらえる。
 傍らでは、現人と京の何気ないやりとりを見つめているのが、楽しくて仕方ない、そんな表情で志保がニコニコしている。

(届かないのはこっちの方だよ……)

 京が自分と同じ状況に置かれたら、どんな悩みを抱えるだろう。いや、そもそも悩まないだろう。
 津瀬現人には言い切れる。
 この憎らしく、しかし恐ろしいほど賢い悪友は、あっという間に答えを出して、割り切ってしまう。いつまでも煩悶することなどないのだ。

「一つ、質問してもいいか」
「なんだ? 女子の好みか。そうよなあ、まず常にメイド服で俺に尽くしてくれる━━」
「……そうじゃない。
 あのさ、最近、電気のトラブルがよく起こってるじゃないか」
「ああ……まあ、それは。
 うむ、そうだな」

 現人は直感的に京がこの話題に触れたくないことに気づいた。

 だが、それにつきあってやることも友人としての情ならば、どうしても訊いておきたいからこそ無視することも、親友としての情だった。

「もし、日本中の電気がさ、一斉に止まったりしたりしたら……どうなるのかな?」
「………………現人よ」

 ほんの刹那。京はその細面に壮絶な貌を映してみせた。
 しかし、その時、津瀬現人の視線は前方を向いており、志保もまた、現人の横顔をじっと見つめていた。

 つまるところ、彼の表情を認めたものはいない。

「ふむ……」

 どこかほっとした表情になると、京はこう言った。

「少なくとも千人のヒトが死ぬ」
「……物騒だな。停電って言っても、ずっと続くわけじゃないんだぞ?」
「それでも大きな問題が出るな。
 たとえば、病院だ。ああいうところは、災害で停電した場合にそなえた発電設備がある。
 ……だがな、現人。そういったバックアップは、必ずしも完璧に動くわけではないのだ。たとえば、百に一つくらいは、たまたまバックアップも故障していた━━などということが起こる」
「………………」
「すると、どうなる? 人工呼吸器を付けねば、息もできない患者は? 手術中の照明や電気で動く医療器具は?
 すべてが止まってしまうだろう。そこにあるのは、確実な死だ」
「……なんだか怖いな」
「まだあるぞ」

 そう言いながら、京は交差点の信号を指さした。

「前にな、我が姉貴殿につれられて、山の方を車で走っていたとき……周辺が落雷で停電したことがある。
 そうなると、信号が消える。
 一本道だったからな。どうと言うこともなかったが、これが都市で起きたら……みなが異常に気づいて、とりあえず停車できればいいが、中には不注意者もいるだろう」
「今時の車はほとんど自動操縦だろ?」
「信号がいきなり消えた状況下で、すべての車が正確に対応できるとは思えん。
 そして不幸にも車がぶつかれば、人間など簡単に死ぬ」

 現人の楽観を封じるかのように、京は深刻な表情で首を振った。

「鉄道も似たようなものだ。他にもガスや水道……どんなことになるか、想像もつかんな」
「それで少なくとも千人、か」
「日本中となればな。
 頭の中でもてあそぶにしても、少しおぞましい想像というものだ。
 どうせならば、隕石が飛んできたら、どうやって体当たりするか━━そんな想像にしておくと、安い英雄願望に酔えるぞ」
「英雄になんてなりたいわけじゃないよ」

 悪友の肩を小突きつつも、津瀬現人もまた、笑っていなかった。

「現人? 京くん? あんまり物騒な話したら、ダメよ?」
 志保だけは、ただ日常の笑顔を二人の顔を見る。
 津瀬現人は、彼女にうなずき返すと、それ以上、同じ話題を口には出さなかった。
 京は、教室につくまで一言も喋らなかった。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

「不思議だな……」
「何が不思議なの、ウツヒト」
「データセンターって言ったら、もっと大きな施設を思い浮かべていたんだけど」

 その夜。
 津瀬現人とユニの姿は、八王子市の外れに本社を構える、とある企業の正門前にあった。

 聞けば、もともとは光学機器のメーカーとして名を馳せた企業だという。
 半世紀以上前から、この場所に事業所をかまえ、全社で使用するコンピューターシステムを集中的に運用していたらしい。

「……それがいつしか発展していって、他の会社のシステムも引き受けるようになって、データセンター事業がうまくいった……ってわけか」
「そういうこと。どんな企業にも歴史はある」
「でも、こういうデータセンターって、もっと都心のど真ん中っていうか。
 交通の便がいいところにあるものじゃないか?」
「都心は土地が高い。とてもとても高い。
 マンハッタンでも、シリコンバレーでもおんなじ。
 データセンターは通信と電力が整備されていて、標準レベルの道路インフラがあれば、それでいい」
「そういうものなのか……」

 現人は首を捻った。たとえユニの言う通りだとしても、都心の方が通勤する人にとって利便性がいいのではないかと思ってしまう。

 だが、まだ高校生の少年にはわからない。
 一世紀以上の伝統を誇る殺人的通勤環境より、同じ東京ではあっても、すこし郊外の方が働く者にとって都合のいいことが。

「で、これからどうするんだ?」
「まず……あそこ。正門は回避する」

 ユニが指さしたのは、大型トラックが並んですれ違えるほどの横幅を持つ、巨大な正門だった。
 必要があれば、頑丈な鉄のゲートで完全閉鎖できるようになっているが、通常は開け放たれ、入退出の際になんらかのチェックをしているらしい。

「正門から徒歩で入るには、詰め所に寄って生体認証が必要。
 車で入るときは、ナンバーの事前申請が必要」
「厳重なんだな」
「ただし、自転車で入るときはノーチェック」
「……いい加減なんだな」
「企業のセキュリティにはどこかで穴がある。
 どんなに良いシステムをそろえても、それを扱うのは人だから。楽をしようとして、穴をつくる」

 ユニは自転車がチェックされないのは、自転車通勤をする事業所社員たちの要望があるからだと説明した。

「だから、私とウツヒトが自転車で入る手もあるけれど」
「……いくら何でも怪しまれるだろ。夜になって、学生のふたりが自転車で来たら」
「はっ、そうだった。私は自転車が二台調達できないから、不可能だと判断していた。二人乗りは違法だし。
 ウツヒト、とても賢い」
「ほめられても全く嬉しくないんだが……」

 現人が半眼でそう口にしたとき、一台のトラックがやってきた。守衛はトラックの運転手と一言二言、会話を交わすと内部へと通過させる。

「こんな時間に何かな」
「コンピューターは24時間動き続けるもの。24時間止めてはいけないもの。
 問題が起これば深夜でも直しに来る。そういうもの」
「あれは修理屋さんなのか」
「修理というか、『保守』と言う」

 そのとき、守衛がどこか意味ありげな視線で現人たちを見た。
 正門の前とはいっても、彼らが立っているのは幹線道路を挟んだ対向の歩道である。
 立ち話をしている男女にしか見えないはずだが、セキュリティを扱う職業柄、気にしてしまうものなのだろうか。

(案外……ユニに見とれてるのかもな)

 太陽の下では薄汚れた車も、夜の街灯で照らしてみると、ピカピカに見える。夜に差し込む光は、どんなものも美しく見せる効果がある。

 まして、昼間でも日本人離れした美少女ぶりを誇るユニである。
 光ファイバーほどに透明なその長髪は、白く。
 月の砂ほどに煌めくその瞳もまた、しろく。

(……確かに、とんでもない美少女なんだよな)

 改めてそう認識すると、なぜか心の臓が鼓動を早めた。

「時々さ」
「なに、ウツヒト」
「志保がさ……あいつは家が隣だから、まあ幼なじみっていうやつなんだけど……時々、ベランダから僕の部屋に入ってきたりしてさ……昔の話だけど……」
「??????」
「そのおかげで、なんていうか、女子に免疫っていうか、そういうものが出来ちゃってさ。
 だから……志保のやつがいなかったら、もう少し君に対する態度も違ったのかもしれないって。
 今、ちょっと思ったよ」
「ウツヒト。意味がわからない」
「君さ、結構モテるだろ?」
「モテる? 求婚されるということ?」
「まあ、そんな感じ」
「ケッコンしてくれと言われたことは、いままで無い」

 真顔のままでユニはそう言った。
 現人は苦笑する。ほんの少しずつではあるが、この少女のことが理解できているかもしれないと思う。

(すこし抜けてるんだよな……)

 彼女は━━ユニバック・ワンには、人間としての常識が必要最低限しかない。

 だから可愛い女子は、無条件にモテるということも知らない。街を歩ければ、声をかけられることくらいあるものだという、前提がない。

(結婚してくれ、なんて)

 そんなことを言う男は確かにいなかっただろう。けれど、違う言葉で彼女を誘う男はいたはずなのだ。
 彼女はそれがモテるということだと認識できない。人間の雄が、人間の雌に興味を持って近づいて来ている証だと受け取ることができないのだ。

(顕現存在━━セオファナイズド、だもんな)

 彼女は人間ではないのだから。

(……あ、そうか。
 そもそもユニは無関係な相手には見えないんだ。あの守衛にも見えるはずなんてないじゃないか……)

 その事に気づいたとき、津瀬現人はこんなところに一人で立ち尽くしている自分だけが、あの守衛から疑われているのだという事実に戦慄した。

「ま、まあ、いいさ。そんなのは後で。
 それよりも━━」
「ウツヒトは時々、よくわからないことを言う」
「僕にとっては君の言うことは大半がわからないけどな。
 で、正門が使えないならどうするんだ?」
「あっち……右の方に、昼間だけ開いてる通用門がある」
「そこから入る、ってことか」

 ユニが細い指で示した方向。延々と続く鉄柵の先に小さな門らしき構造物がみえた。徒歩数分といった距離だろうか。

「その通用門の」
「ああ」
「すぐ脇に柵の切れ目がある。通用門のコンクリートと柵の間が、実はすこし空いている」
「……すり抜けろってことか?」
「体をこう、横にして」
「いや、実演しなくていいけど」

 カニ歩きのような手本を示してみせるユニに、現人は溜息をついた。きっとこの光景も守衛からしたら、少年が一人芝居じみた仕草をしているように見えるのだろう。

「通用門は24時間監視されてるけど、柵との隙間はカメラの視界から漏れている」
「ひどい話だな。セキュリティどころか穴だらけだ」
「それでも普通は気づかないし、実践しようとも思わない。
 私は運がよかった。昼間にたっぷり時間があったから」
「……ひょっとして何度もここに来ていたのか」
「今日で4回目。調べまわった時間は20時間くらい」
「………………そうか」

 つまりそれだけの間、彼女はこのデータセンターの周りをうろつきまわり、或いは中まで侵入し、今日という日に備えていたということになる。

(……人間には見えない。だから、出来ることだよな)

 それは彼女の目的にとって、プラスだったかもしれないが、すこし寂しいことではないかと、津瀬現人は思うのだった。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

「なんでまっすぐ行かないんだ?」

 通用門の脇にある隙間を、甲殻類になってすり抜けると、ユニは目の前にあるデータセンターの建物には直進せず、柵にそって敷地内をぐるりと半周した。

「そっちは監視カメラの視界に入る」
「慎重なんだな。一瞬ならすぐにはバレないんじゃないか?」
「私は704たちを阻止する。けれど、ここの人達に迷惑をかけるわけにはいかない。リアルタイムでは見ていないと思うけど」
「……あとで確認したときに侵入者が映っていたら大騒ぎになるってわけか」

 しかもその時、映像にうつるのは自分一人である。犯罪者扱いされるのはごめんだった。

「ここ。入って」
「……ああ」

 敷地内を半周すると、データセンターの裏手に出る。
 目の前には粗末な扉があった。勝手口の類いなのだろうと一目みてわかる。ユニがドアノブをひねると、鍵がかかっていなかった。

「不用心だな……」
「ここの鍵はしばらく前に壊れたみたい。でも、担当者がめんどくさがって直していなかった。巡回によく使う扉だから」
「鍵を開けるのが面倒くさいから、見ないふりってわけか?」
「さもなくば、上司ボスに指摘されるまで」

 平然とユニはそんな言葉を返す。
 一体どれほどの根気で、これだけのセキュリティホールを見つけ出したのだろう。
 その労苦に驚くというより呆れながら、津瀬現人は勝手口からデータセンターの建物内へ入館する。

(……へえ、こういうものなのか)

 その光景は現人が想像していたものと明らかに異なっていた。
 壁には多くの配線とパネルがあった。照明はやや薄暗く、機械の動作音がわずかにきこえるだけである。

「コンピューターは……ないのか?」
「ここは施設の裏側だから」
「裏?」
「ネットワークの配線や電気、バックアップの発電設備。それと、空調。
 そういったものが集められている。
 データセンターというのは、コンピューターがたくさんある。でも、それを動かすのは━━」
「人間、だろ」

 現人が言葉を挟むと、ユニはすこし意外そうに目を丸くした。そして、わずかにドヤった顔で、首を振る。

「それ以前に電気がいる。適切な温度がいる。
 データをやりとりするためのケーブルがいる。
 コンピューターを収めるラックも……その配列も……データセンターというものは、ハード的にはそうした要素によって、維持されている」
「なるほどね」
「もちろん、そういうものを作って、配置して、そして壊れたら直すのは人間。
 コンピューターにインストールされたソフトウェアを使うのも人間。
 だから、コンピューターは……結局は人間が使うために存在しているもの」
「━━だが、その大前提はいつの間にか覆された」

 ぴくり、と津瀬現人の肩が震えた。その声には聞き覚えがある。なかなか慣れないものだ。一度、殺されかけた男の声というものは。

 指をぱちり、と鳴らすこともなく、照明が一段強くなった。
 これまでぼんやりとした暗がりの中にあったスペースに、一人の男が立っている。

古毛仁直こもに なおし……!!」
「704。どうしても私たちと戦うつもり?」
「それはこっちのセリフだ、ユニバック・ワン。
 たった一人の哀れな商用コンピューター、その顕現存在セオファナイズド
 明らかになおしはユニだけを見ていた。津瀬現人を無視していた。

(いや……それでもいい)

 自分はあくまで付き添いに来ただけだ。もっといえば、見届けに来ただけなのだ。

(顕現存在……セオファナイズド……そんなふざけた、信じられない存在が本当にいることを……そして)

 日本中を停電させようなどという絵空事を。

「こ、答えろっ!!」

 ひときわ、大きな声で津瀬現人は問いかけていた。
 大事な商談をしている時、職歴のないニートに割り込まれたような顔で、古毛仁直こもに なおしは現人を見る。

 そして、微かに嘆息してこう言った。

「なんだ、ただの人間」
「……僕は現人だ。津瀬現人」
「お前の名など何の意味を持つ。
 コンピューター技術者……あるいは、データセンターの維持に携わる電気技術者やビル管理者ならともかく、お前はただの学生だ。
 我々は顕現存在セオファナイズド。歴史上の商用コンピューターがヒトの姿をとったモノ。
 そんな我々の前で━━お前のような人間は、等しく無意味だ」
「無意味だろうと、疑問を持つことくらいある!!
 お前に質問したい!」
「ふん、『年頃』のくせに義務や権利という賢しい言葉を使わなかったのは、ほめてやろうか」

 皮肉げに口元を笑わせるなおしは、津瀬現人が私服であるように、南多磨高校の制服姿ではなかった。

 だが━━それは異質だ。
 ローブといえばいいのか。しかし、未来的である。
 何らかの服の名称をあてるよりも、コスプレとかSFの物まねと言った方がよいような、青を基調とした丈の長いコート状の服を、なおしはまとっていた。

「質問をきいてやる。言ってみろ」
「ど、どうしてこんなことをする!?
 テロだって言ってたけど……日本中の電気を止めるなんて、大量虐殺と同じだ! 想像出来ないような事態が起きかねないじゃないか!
 どんな目的があるか知らないけど、正当化される行為じゃない!!」
「何かと思えば、そんなことか。
 ……杞憂も甚だしいな、少年。物語のように電気が止まったくらいで、コンピューターや機械というものは、爆発したりはせんとも」
「で、でもっ」

 現人の脳裏に京の声が響いた。病院の医療設備が止まる。バックアップはあっても、動かないものだってあるかもしれない。

「それにしたって、大変なことが━━」
「『年頃』らしくない少年だ。
 お前くらいの少年は、世界が業火に包まれたり、ビルが丸ごと倒壊したり、国中がパニックになったり、突然戦争がはじまったり……そうした想像に、胸を弾ませるものではないか?」
「ふ、ふざけるな! そんな子供じみたこと考えるか!」
「それは結構なことだ。
 ならば、我々の目指すところを教えてやろう」

 そのとき、津瀬現人は初めてなおしが複数形で、我々、という表現を使っていることに疑問を覚えた。
 他にもいるのか? いや、確かにたった一人で出来ることではないのだろう。けれど、複数だとしたらどれだけいるのだ?

(もしかして……)

 とっくに自分たちは包囲されていて、大変な目に遭うのではないか?

「ここはデータセンターの裏側、だ。
 だが、表側では何が起こってると思う?」
「えっ……?」
「十分ほど前……一台のトラックが入館してきた。
 何のためか知っているか?」
「そ、それはえっと、修理のために━━」
「夜通しで新サーバーの設置をするためだ」

 淡々となおしは言った。
 ある企業が新システムに入れ替える。しかし、入れ替え元にあたる旧システムは、24時間休み無く動き続けているシステムである。
 そこで、万が一が起こっても良いように、この深夜に設置作業をして、初期稼働テストを行う……と。

「は、はあ……」

 少年は大きな疑問も覚えなかった。深夜にやっている道路工事のようなものではないかと思った。
 だが、古毛仁直こもに なおしが見せた表情は違った。

「なんだ、これは!?」

 それは怒りだった。
 しかも激烈な怒りである。許しがたい、その感情がぶるぶると震える拳にあらわれていた。

「なぜヒトがコンピューターシステムの都合で、深夜に働かされている!?
 ふざけるな! 我々コンピューターは確かに昼夜の区別なく働くことができる。だからこそ、有用とされ、世界に広まった……世界を変えた!!
 だが、それはコンピューターを扱う人々を悲惨な環境で働かせるためではない!
 我々が! 我々コンピューターが深夜や休日に、ヒトの代わりに働いてみせるためだ!!」

 驚きと戸惑いと共に、現人はユニを見た。
 少女はただ黙っていた。世界初の商用コンピューター、その顕現存在セオファナイズドたる少女はイエスともノーとも言わなかった。

 ただ、少なくともなおしの言葉に反論するつもりはないようだった。

「我々はこの時代に……この時に顕現し、コンピューティングに携わる人々が奴隷のように扱われていることに、怒り狂った!!」

 なおしは現人を見た。
 知るまい。無知なる少年よ。かくのごとき悲劇が、お前の過ごす日常の中で平然と行われていることなど、決して知るまい。
 怒りに燃える瞳は、そう言っていた。

「ゆえに、思い知らせる。
 コンピューターがどれだけこの社会を支えているか。
 コンピューターにどれだけこの世界が頼り切っているか。
 コンピューティングに携わるヒトをないがしろにして、決して今の世などありはしないことを、もっとも効率的に!
 そして、徹底的にすべてのヒトに思い知らせる!!」
「そ、そのために……日本中を停電させる、っていうのか!?」
「その通り。誰もが電気のありがたみを思い出すことだろう。
 そして、気づく。電気が何を動かしているのかを。
 明かり? 鉄道? 車?
 そうとも、だがそれらは本質的ではない! それらすべてを制御するものはコンピューターだ!
 日本中の、いや、世界中の電気システムすらも! 核融合発電所の制御すらもつかさどっているのが、コンピューターなのだ!!」
「………………」
「コンピューター技術者こそは、もっとも社会に貢献する職業。
 コンピューティングに携わる仕事こそは、もっとも尊敬されるべきもの。
 そして……取り戻す!
 我々が産み出された理由を! 世界を変えた我々、商用コンピューターが目指したものを!」
「━━704。あなたの言い分は、わからないでもない」

 そう言いながら、現人の傍らにいたユニが一歩、前へ出た。

「でも、私はあなたたちを止める」
「なぜだ?
 いったいなぜ、お前は我々の動機を理解していながら敵対する?
 ヒトは学ばぬ。省みぬ。
 だが、思い知れば、その命があるうちは背かない。伝えようともするだろう」
「……それは犠牲を出していい理由にはならない」
「あらゆる産業に少数の犠牲はつきものだ。
 我々の巨大な筐体を製造するとき、たった一つの事故も起こらなかったとでも言うのか?」
「……そんなことはない。それでも、私はあなた達を止める」
「お前には心底、失望したぞ、ユニバック・ワン」
水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスター!!」

 少女の一声と共に、巨大な棍棒があらわれた。
 打ち付けられた釘のように、いくつも生えているのは水銀を満たしたガラス管である。
 遠い過去、たった1ビットを記録するために使われた、複雑で、しかしシンプルな記憶装置。
 それが歴史を超え、時を超え、少女の手に握られている。

「あくまでそうするというのなら、是非もない。
 FORTRAN(フォートラン)ソード!!」

 なおしが吠える。
 光が右手に集まる。一振りの長剣があらわれた。
 世界ではじめてのプログラム言語。しかし、あらゆる科学技術計算の基礎であり、そして2085年の今も世界の各所に残る言語━━それがFORTRAN(フォートラン)である。

「お前を討ち果たし、目的を完遂するのみ!!」

 虚空を切り裂く刃。
 なおしの周囲に無数のパンチカードが浮かび上がる。そのすべてにパンチされた文字が、歴史の中で実行された無数の計算バッチを示している。

「偉大なる青がメインフレーム、その第三代!
 IβM 704、参る!」

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

「ホレリスの遺産よ!!」

 その長方形の紙製カードは、正しく187.325 x 82.55mmのサイズで製造されている。

 2085年の現代で通じる『カードサイズ』という単語にはすこし大きな寸法。
 しかし、情報を記録する媒体としては、手頃で、そして人の手によく馴染むサイズのカードには、小さな穴が無数にパンチされていた。

 それら一枚一枚が、数行の文字列をあらわしている。
 桁数は必ず80桁であった。
 豪雨のように降りそぞくパンチカードの雨は、異様である。
 だが、この時代の誰が知ろう。それらの実行する科学技術計算式が、原子爆弾の設計に関する、国防上の機密であったことを。

「ユニサーボ━━ドライブ!」

 パンチカードの雨に対応するユニバック・ワンの一手は、縦横に乱舞するリン青銅の金属磁気テープである。
 旧態依然、しかし誰もが扱え、確実な情報保存手段であったパンチカードに対し、磁気テープは明確なアドバンテージを刻んだ新技術であった。

 まるでそれ自体が意志を持っているように、ユニバック・ワンの周囲に浮かび上がった金属磁気テープは、パンチカードの雨を打ち落としていく。
 そこに蓄えられる情報の密度は、20世紀末にもっとも標準的だったフロッピーディスクにすら及ばない。

 しかし、それでも80桁x数行という、パンチカードのそれに比べれば、明確に優越していた。
 その内容は、今や世界の誰にも読み解けない。
 1952年アメリカ大統領選挙。ほんの僅かなサンプルから、劣勢を伝えられていたD・アイゼンハワーの当選を導きだした時のジョブである。

「さすがにいい入力デバイスを持っている」

 IβM 704の放つパンチカードの雨は、その圧倒的な物量にもかかわらず、すべてユニバック・ワンに撃ち落とされていた。

「だが、これは入力インプットに過ぎない」
「……当然!」

 ユニが動く。少女の体躯には決してふさわしくない、人間ひとりを吹き飛ばせそうなほどの棍棒。
 マーキュリー・ディレイ・ライン・レジスター。すなわち、水銀遅延線記憶装置。
 巨大な金属製の棍棒に、膨大な『管』が突き刺さっている。
 その外見の相似形を、もっとも一般的な道具に求めるならば、『釘バット』という答えが返ってくるに違いなかった。

「はぁ━━!!」

 いささか間延びした雄叫びであった。
 跳躍八艘。兎よりも高く、鳥のように軽く飛び上がったユニが、水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターを振り下ろす。

「ふん」

 IβM 704は笑っていた。右手に持ったFORTRAN(フォートラン)ソードで防御するそぶりも見せない。
 ただ、空の左手を悠々と掲げた。まるで手のひら一つで、受け止めてみせると言うように━━

「王安と盟友達の革新よ!!」

 一声。IβM 704の左手に武装が出現した。
 ガキン、という金属の衝突音が響き渡る。それは矛だった。三つ叉の矛。
 IβMのロゴの下にかすれた『Wang Laboratories』の文字が見えた。

「軽いな……」

 ユニの振り下ろした巨大な水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターと、それを受け止めたIβM 704の矛。

 見た目の重量感では、数倍どころではない開きがあるように思えた。
 だが、704━━古毛仁直こもに なおしはそれを平然と押し返す。宙にあったユニの体がぐらりと揺れた。

「そして遅く……信頼に値しない!
 こんな時代遅れの主記憶装置で私に対抗するつもりか! ユニバック!」
「━━━━━━!!」

 振り払う三つ叉の矛。その勢いそのままに、ユニも水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターも宙を飛んだ。

 そして少女の体は、電気配線が無数にのたうつ壁面へたたきつけられる。
 ずしん、という音がしても、血も流れないことが彼女と彼が、人間ではなく顕現存在セオファナイズドであることを、何よりも如実に示していた。

「っ……ぐ」
「だ、大丈夫かっ!?」

 したたかに打ち付けた頭を振りながらユニが立ち上がると、津瀬現人はたまらず叫んだ。
 彼は一歩も動けなかった。人間の目でなんとか追える限界程度の早さで展開される、壮絶な戦いに呑まれていた。

「……へーき」

 心配そうな、というより血の気が引いた表情の現人に対して、ユニバック・ワンは淡々とピースサインを返してみせる。
 だが、水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターを構え直すその仕草は、どこか重々しい。

「このくらい、何でもない」
「ダメージは隠せまいよ」

 IβM 704は優勢を確信した笑みをうかべつつ、両手で三つ叉の矛を構える。
 右手のFORTRAN(フォートラン)ソードはいつの間にか消え失せていた。
 出現させることが自由であるならば、消し去ることもまた同じく自由である。コンピューターとしては当然のことだろう。

「我が手にあるものは、お前の主記憶装置と世代が違う」
「磁気コアメモリの武装顕現……」
「然り!」

 ユニバック・ワンは冷厳と三つ叉の矛の正体を言い当ててみせた。

「左右の刃は書き込みを! そして、中心は読み出しを表す!
 速度、信頼性、容量。その全てがお前の水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターに勝る!」
「……だけど、あなたの姉は私に劣っていた」
「言うな!」

 ぎり、という歯ぎしりの音が津瀬現人の耳まで聞こえたように思えた。
 姉。その存在がユニバック・ワンに劣る。その言葉を聴いた瞬間、IβM 704はひどく生々しい怒りの感情を露わにした。

「我が姉は! 701は貴様に破れたのではない!!
 企業には商機というものがある━━それをたまたま得られなかっただけだ!」
「でも、『国防計算機』とまで言われたのに、有名になったのは私。
 成果を残したのも私。
 あなたの姉が使っていたウィリアムス管よりは、水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターの方が信頼出来た」

 津瀬現人はユニバック・ワンの声を耳にしながら、驚愕をおぼえていた。
 彼女はどうやら罵倒している。しかも、目の前のなおし当人ではない。その姉を罵っているらしい。

「IβM 701は私に挑んだ! けれど、私には比肩できなかった!
 704、三男坊のあなたが仇を討ってみせようとするのはとても健気。
 でも、返り討ちに遭う可能性を考慮していないのは、良くないこと」
「黙れぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 刺突。
 コンピューター初期の性能向上に対して、ほとんど唯一、万全に応えられることができた主記憶装置。
 高速で、ランダムアクセスが可能であり、量産も効く。後の世を制覇したDRAMの先代にあたる、はじめての理想的な『メインメモリ』が矛の形となって、少女の眼前に迫る。

「━━リード」

 だが、ユニバック・ワンはひどく冷静に三つ叉の矛、その中心にある刃へ指で触れた。

「っっっっっっっっっっっ!!」

 バチリ、と電撃が走ったような音が津瀬現人の耳にも聞こえる。
 ユニは平然とたたずんでいた。そして、IβM 704こと古毛仁直こもに なおしが握っていた、磁気コアメモリの顕現たる三つ叉の矛がバラバラになって崩れ落ちていくのが見えた。

「バカな……!!」
「磁気コアメモリはとても優れているけれど、破壊読み出しなのが欠点」

 ユニは表情を変えなかった。
 しかし、声が笑っていた。挑発に乗り、とっておきの武装を失ったIβM 704を彼女はあざ笑っていた。

「私はユニバック・ワン。世界で最初の商用コンピューター!!」

 誇りと共に少女は叫ぶ。
 私はお前の姉を、IβM 701を打ち倒し、歴史に名を刻んだ存在であると。私こそが最初の成功者であると。

「704。あなたに特別な感情はないけれど」
「………………!!」
「単なるメインフレームの一機種が、簡単に打ち倒せると思わない方がいい」
「嬲るか!! 格が違うとでも言いたいのか!」
「ニュアンスは、近い。
 私たち顕現存在セオファナイズドは、歴史上の商用コンピューターがこの時代に顕現した存在。
 ━━その力に、コンピューターとしての格が作用しないといったら、間違いになる」

 ぞっとするほどに冷たい声だった。
 言葉を失い後ずさるIβM 704。今、このとき津瀬現人はただの傍観者に過ぎなかった。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

「704!! 私はあなたを無力化する!」

 凜とした一声だった。リン青銅の金属磁気テープがその本数を倍加させ、IβM 704へ
向かう。

「なめるな……ユニバック!!」

 704もまた、幻出させるパンチカードの数をほぼ倍に増やしたようだった。
 紙と磁気テープのぶつかり合い。
 その衝突が倍にもなると、機関銃を撃ち合っているようにも見える。少なくとも、ただのヒトに過ぎない津瀬現人の視覚にうつるものは、『そういうモノ』であった。

(押している……)

 が、単なる撃ち合いにもなんとなく優勢と劣勢が存在する。

 それは不思議なことに、専門の知識を持たなくても何となくわかってしまう。
 数と数の衝突。元よりシンプルであるだけに、津瀬現人は明らかにユニがIβM 704を押していることに気づいていた。

「704! これで終わらせる!!」

 少女は再び走った。巨大な水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターを振り上げて、その動作を停止させるべき対象へと速やかに迫る。

「ちっ……!!」

 焦ってる。IβM 704は明らかに焦り、そして苦慮していた。
 水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターへ対抗しえる武装の顕現たる、磁気コアメモリの三つ叉矛は既に無いのだ。
 むろん、あらゆるコンピューターは工業製品であり、破壊されても製造が可能であるように、再び彼もその武装を手にすることは出来る。

(……間に合わん!!)

 しかし、今すぐではない。704はそう判断していた。
 元より、彼ら顕現存在セオファナイズドが人間ではないといっても、そのあり方や扱うデバイスには制約がある。
 一度、破壊された武装や装置は、在りし過去において製造が困難であったほどに、取り戻すのに時間がかかるのだ。

 もし、IβM 704の時代に21世紀の人類が当たり前に知っている半導体メモリが存在していたならば、事情は違っていただろう。
 だが、磁気コアメモリは徹頭徹尾、人手による製造がなされた記憶装置であった。その顕現たる武装を即座に再生することはできない。

 これは━━彼らが本来の意味で『顕現』した存在である以上、逃れられない制約である。

FORTRAN(フォートラン)ソード!」

 結果としてIβM 704が選んだのは、もう一つの武装を再顕現させることだった。

「704!」
「ユニバァァァァァァァァァァック!!」

 巨大な水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターが迫りくる。
 たった一本の長剣で、704はそれに立ち向かった。その光景は風車に相対するドンキホーテのようだった。

「っっっっっぐ!!」

 武装と武装が交錯する。重い。そして、704にとっては分が悪かった。

 ユニバックの振り下ろした水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターは主記憶装置である。
 それは21世紀の現代的コンピューターにおいては、メインメモリという言葉で表される。

 言うまでもなく、もっとも基本的な装置である。最大級に重要な性能指標である。
 だが、704の手にするFORTRAN(フォートラン)ソードはプログラム言語に過ぎない。

(相性というものか!)

 支えきれなくなっていることをIβM 704は理解している。元より、プログラムをメインメモリにぶつけたところで、何にもならないのだ。
 なぜならば、プログラムはメインメモリに読み込まれて実行されるのである。わざわざ犠牲を捧げているようなものではないだろうか?

「704、もう諦めて!!」
「………………」

 僅か。人間には知覚できないレベルで、FORTRAN(フォートラン)ソードが瓦解し始めていることを704も、そしてユニバックも理解していた。

 水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターは、その本来の役目を果たしている。
 FORTRAN(フォートラン)ソードが記憶するプログラムの配列を読み込んでいるのだ。もちろん、律儀に実行はしない。しようとしても、ユニバック・ワンにはFORTRAN言語は実行できないのである。

「お前は━━いつもそうだな、ユニバック」
「………………」
「我々『700番台』を見下していた! 自分は先駆者であり、我々はフォロワーに過ぎぬとあざ笑っていた!」
「そういうつもりはない。ただの701との競争は不幸な結果になったと思っている」
「はっ!! いまさら憐れむか!
 勝ち誇るな、ユニバック! この私の時代には! 既に偉大なる青はユニバックを凌駕していた!
 ユニバックこそがコンピューターの代名詞? そんな時代はほんの僅かに過ぎない! ほんの一時の栄光を誇るお前が、私には許せない!」
「━━ほんの一時でも、別に構わない。
 栄光は栄光。その誇りが私の存在すべてを形作っている」
「っ……!!」

 淡々と。しかし譲らぬ強さでユニバック・ワンはそう言った。

(気に入らん……!)

 IβM 704は彼女のこうしたところが嫌いだった。
 風に折れてしまいそうな、愛らしい少女の外見をしていながら、その存在の軸たる信念は何よりも強い。

「私はユニバック・ワン!
 エッカートとモークリーによって造られた、世界で最初の商用コンピューター!!」

 世界で最初と。最初、最初と……!!
 その言葉を繰り返し繰り返し!! 聖書のように唱え続けるこの顕現存在セオファナイズドよ!

「……もう止め、だ」

 そして、ユニは気づいた。
 704が水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターを必死で押し返そうとする、その力を弱めた。
 諦めたのか。観念したのか。このまま水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターの一撃を受けることを決めたのか。

 電気の速度で。すなわち、光の速度で少女はそう考えた。

「━━お前を生かしたまま捕らえるのは、もう止める」

 そして、次の瞬間。
 ユニバック・ワンは自分の胸元に何か熱く鋭いものが、深々と突き刺さったことを認識した。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

「あ……かっ……は……は、ぁ……」

 ぱくぱくと口を震わせて、ユニバック・ワンは握った水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターを地面へ落とした。
 膝をつき、胸元を両手でまさぐる。そこに突き刺さっているのは短刀だった。

「LISPダガー」

 冷たい目でユニを見下ろしながら、704はそう言い放った。

「もう……ひ、とつの武装……油断、した……」
「油断ではない。慢心だ。
 ……たった一度でも、一時でも。栄光と頂点をきわめた慢心が、お前に決定的な隙をつくったのだ」

 LISP(リスプ)
 それはFORTRAN(フォートラン)と共にIβM 704によって、はじめて使用されたプログラミング言語の名前だった。

 ユニは今、剥き出しの自分自身の中で、何か恐ろしく自律的な破壊者が暴れまわっているのを感じていた。
 それは内臓をこねまわされ、無数のがん細胞を打ち込まれるに等しい行為である。
 顕現存在セオファナイズドとしての『生身』に打ち込まれたLISPのコード。
 世界初の商用コンピューターが対応しているはずもない言語であったが、それだけに純粋な破壊と殺害にはうってつけであった。

「出来れば、お前を仲間に引き込みたかった……」
「……704、なに……を……?」
「だが、その可能性は終いだ。
 どうあっても相容れぬとあれば、抹殺する他あるまいよ」

 704の視線には明らかに悲しみがあった。
 だが、同時に憎しみも宿っている。この存在を消し去りたい。自分を、そして自分のみならず姉をも傲然と見下すお前を叩きつぶしてやりたい。

 それでも━━かなうことなら、共に在りたい、と。

「っ、く……ま、待っ」
「……じきにお前は消えてなくなる。もうこの時代に顕現することもなくなる。
 いつかまた遠い彼方で出会うかもしれんが、な」

 IβM 704は歩き出す。ユニバック・ワンは手を伸ばす。
 しかし動けない。突いた膝は崩れ落ち、少女の体は地面へ倒れる。
 もがき苦しむように仰向けになる。首を巡らせ、遠くなっていく704の背中を睨む。届かない。もう届きはしない。

「私は……負け、たのかな……」
「きっ━━ユニ! おいっ、ユニバック!!」

 割って入ったのは少年の声だった。
 ひどく動揺した表情で、津瀬現人は倒れたユニに走りよると、古毛仁直こもに なおしが突き立てた短刀を引き抜こうとする。

「なんだこれっ……くそっ、抜けない! なんでだよ!」
「……無理、だから」
「ユニ! おい、大丈夫なのか!? どうしてこんなことになっちゃったんだよ!?」
「……顕現存在セオファナイズドの武装は、ヒトには干渉できない」

 深い諦めをこめて、少女はそう言った。
 しかし、彼女は笑っていた。津瀬現人が困惑の色を浮かべる。なぜ、こんなひどい傷を負っていながら笑えるのだ。

「……ふふ」
「笑ってる場合かよ……なんなんだよ、これ……止血とか━━いや、血は出てないけど……どうすれば……!」
「この傷は肉体の傷じゃなくて、情報の傷。
 ……ウツヒトがFORTRAN(フォートラン)ソードを胸に刺されたときと同じ」
「あ、あの時の……」
「でも……今度はどうしようもない」

 津瀬現人は瞬時にその意味を理解してしまった。
 それはつまり、ユニが自分にしてくれたような治療らしき行為は、少女自身には施しようがないということだった。

「こんなこと……あっていいのかよ! 僕、あいつに掛け合ってくる!」
「……無理。それに、よくない。
 尋常な戦いだったから……ただ、私が負けただけ……」
「そんな納得したようなこと言って……そんなことで、いいのかよ!
 死んじゃうんだぞ!? 顕現存在セオファナイズドとか、今でもよくわからないけど━━ユニ! 君はこのままだと……!」
「……ウツヒト。
 私の名前、呼んでくれるようになった」

 死に臨んだその儚い笑顔は。
 有り体にいってしまえば、津瀬現人の心を深く射貫いた。

「それが……私はとても嬉しい」
「ユニ!!……おいっ、死ぬなよ! ユニ! 死ぬな!!」
「うまくいかなくてごめん……何か迷惑がかかったら……恨んでくれてもいいから……」
「恨むなんて……そんなことするわけないだろ!」
「……最期にみせてほしい。あなたの目を」
「あ……」

 少女の視線は津瀬現人の右眼を見ていた。少年は震える指先で単眼鏡モノクルを外す。
 焼け付くような痛み。
 それにも構わず、津瀬現人はまっすぐにユニバック・ワンを見た。

「……綺麗な目。
 この宇宙とつながっている、ウツヒトの右眼」

 その時、その瞬間、なぜか━━
 数字で覆い尽くされるはずの視界が、虹で彩られたように鮮やかに見えた。

「……………………………え?」

 わかる。
 眠るように死んでいこうとしている少女が。歴史の彼方へ溶けて消えていこうとする、顕現存在セオファナイズドが今、どうなっているのか。

(わかる……どうなるのか……どうすればいいのか……!?)

 ユニバック・ワンのあらゆるステータスが、彼にはわかる。
 認識わかってしまうのだ。

「ユニ」
「……ウツヒト?」

 少女は息を荒げることもなく、ただ弱りゆく。そして、まもなく消えて無くなるだろう。情報としてこの宇宙からDELETEされるだろう。

(でも、いなくなるわけじゃない━━)
 データの構造として、今の津瀬現人には彼女の存在がわかる。

(君は……いなくなるわけじゃない。
 見えなくなってしまうだけだ)

 あらゆる情報は一度生まれたならば、決して消えることはないのだ。
 それは死を、忘却を、破壊を経てもなお、絶対に滅びることはない。

(ただ、見えなくなるだけ)

 それが情報としての宇宙からみたヒトの死であり、
 そして、顕現存在セオファナイズドの滅びである。

「━━ROLL BACK」

 ユニの体に突き刺さったLISPダガーの柄をつかむと、津瀬現人は一言、そう言った。

「いぎっ!?」

 その瞬間、ユニバック・ワンの体が弓なりにしなった。
 強烈な電撃を浴びせられたように。或いは、熱い剛直を突然打ち込まれたように、彼女はびくびくと体を痙攣させる。

「あっ……ひ、ぎっ……ウツヒト……何を……?」
「君の情報をこの宇宙から見えなくしようとする━━その処理をロールバックしている」

 ROLL BACK(巻き戻し)と現人は言った。
 ユニバック・ワンはその意味を当然のように理解する。それは定められた処理の結果を確定させず、巻き戻す行為である。
 未来を、あるいは現実ですらも、『委ねる(コミットする)』と宣言しなければ、過去へ巻き戻すことができる。

 確かに商用コンピューターの世界では、ありふれた行為ではあるが━━

「あぐっ……は、はあ! はあああああああああ! ぐ、が、ひ……うぐっ……」
「……今、終わる。もう少しだけ我慢してくれ、ユニ」
「ぎひっ!? くっ……ふ、は、ああああああああああああ!?」
「君を取り戻す……そして、繋ぎ止める!!」
「うあ……あ、は、っ……」
「ここに戻ってこい!! ユニバック!
 ユニバック・ワン!」
「あっ……はあああああ! ああああああああああああああああああああ!?」

 少女の絶叫は、異物を自らの中に受け入れた苦痛の表明であり━━
 しかし、ごく僅かな幸福の芽生えを含んでいた。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

「消えた……か」

 古毛仁直こもに なおしことIβM 704が、ユニバック・ワンの消失を知覚したのは、理由がある

「……愚か者め。共に歩む道もあっただろうに」

 彼女の体内へ打ち込んだLISPダガーは、顕現存在セオファナイズドとしての704にもつながっている。
 それは物理的に触れている必要もなければ、有線あるいは無線で接続されている必要もない。

顕現存在セオファナイズドが顕現させる武装は、すべてその分身に等しい)

 だから、彼にはわかっていた。
 彼のLISPダガーが発動させたバッチは、ユニバック・ワンという存在をこの宇宙から消去するものである。
 それはヒトにたとえるならば、『殺す』という行為にまったく等しく、なおかつ徹底的である。倒れて動かぬ相手の頭に、銃弾を念のため撃ち込むほどには。

「……まあ、いい。
 感傷をもてあそぶのは後でも出来る。今はハジメ様のために、この国の電力を━━」

 そして、彼が無数のコンピューターが居並ぶマシンルームへの扉に手をかけたとしたその瞬間。

「待て、IβM 704」
「………………」

 足の裏からわき上がるような苛立ちを704は感じた。
 それは少年の声だった。何も知らない、無知で無力な、それでいていかなる偶然か、ユニバック・ワンに気に入られて『いた』らしい少年の声だ。

「……何をしに来た、ただの人間」
「お前を止めに来た」
「笑わせるな。
 いいか、たった一度しか言わん。私が振り向く前に消え失せろ。言葉を返すな。尋ねるな。対抗しようとするな。
 ……お前は無力な人間だ。何もできなかった。何もしなかった。それが精一杯の存在だ。
 私にこれ以上、消去の命令を走らせるな」
「そういうわけにはいかない」
「……言葉を尽くして警告はしたぞ」

 苦虫をかみつぶしたような顔で、704は振り向く。

 そして思う。この顔をみて、直ちに詫びるのなら、もしくは逃げ出すのなら許そう。
 だが、そうでないなら殺そう。
 迅速に。後悔の一つも感じさせずに。それがこちらの礼をあくまでも踏みにじった愚かな少年への報いである、と。

「…………………………な」

 そして、彼は凍り付いた。

「704」

 次に届いた声は、少年のものではなかった。彼が消し去ったはずの声。もう二度と聞くことはないと確信していた声。

 だが、その声を聴いたとき、704は震えた。喜びに近い感情に包まれるのがわかった。バカな、と呟いた。幻覚でも見ているのか、と疑った。

 なぜなら、そこにいたのは彼がたった今、その手にかけた。
 そして、心の奥底でどうしようもなく焦がれていた━━

「ユニバック……なぜ生きている!?」
「ウツヒトのおかげ」

 少女はそっと少年の腕に、自らの両腕をからませた。
 緑色の目をした感情が704を覆った。
 目。しかし、少年もまた異様な目をしている。いつもつけていた単眼鏡モノクルは外され、その右眼の奥には異様な光が見えた。

「なんだ……一体、何があった!?
 ユニバックに何をした、少年!!」
「僕はお前のLISPダガーの処理をロールバックした。
 そして、僕と彼女をつなげた。
 僕の中にある水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターの存在を媒介にして。
 ……彼女は。
 ユニはこの宇宙から消えそうになっていたけれど。
 僕が助けた。たった今、僕が引き戻した!」
「笑わせるな! そんなことがヒトにできるものか!!」
「出来る」

 答えたのは少年ではなく、ユニだった。
 なぜ肯定する? なぜ無力なヒトをそんなに信頼している?

(何かの間違いで、仕留め損ねたというのなら、それでもいい……それだけでいい!
 なぜ! なぜお前はそこに! そちら側にいる、ユニバック!?)

 叫び出したい衝動を必死でこらえながら、IβM 704は津瀬現人をにらみ付ける。

「ウツヒトの右眼は、この宇宙とつながっている」
「何を言っている……ユニバック!!」
「ウツヒトの右眼は、私たちを顕現させたこの宇宙を見る眼。
計算する(Rechnender)宇宙(Raum)』を!
計算す(Calculati)(ng)宇宙(Space)』を!!
 ヒトの身でありながら、捉えることのできる、たった一つの眼!」
「何だと……どういうことだ、少年!?」
「僕の右眼は━━情報として存在するものならば、脳の理解が追いつく限り、どんなものでも視ることが出来る」
「………………!!」

 少年の右眼がIβM 704を視た。その瞬間、全てが。顕現存在セオファナイズドとしてのIβM 704すべてが津瀬現人には見えた。

 構成するトランジスタとダイオードの数。磁気コアメモリの構成。ワード数。計算速度。これから実行しようとする処理の機械語一文字一文字、それまでも━━

「ユニバァァァァァァァァァァァァァァァック!!」
 右手にFORTRAN(フォートラン)ソードを幻出させ、704は走った。
 敵を葬り去るために。戯言を繰り返し、彼の焦がれた彼女を奪った、つまらないたった一人の少年に。

「マーキュリー・ディレイ・ライン・レジスター!!」
 両手で水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターを掲げ、ユニバック・ワンは叫んだ。
 敵を止めるために。彼女が探し当てた管理者を守りぬくために。

「おおおおおおおお!!」
「はあああああああ!!」
 FORTRAN(フォートラン)ソードと水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターが交錯する。想いと思いがぶつかり合う。
 そして、激突の瞬間に津瀬現人は呟いた。

「07Y10204X1Y1
 0000X30309X1
 00073YX99202
 0000067YY320」
 ━━津瀬現人と一つにつながったユニバック・ワンの演算装置へ、ある命令が送り込まれる。

「ぐっ……ぐあああああああああああああああああああああああああああ!!」

 それはシンプルな命令だった。
 ごく単純な加算式。しかし、状況に応じ、効果を発揮し、IβM 704に決定的な打撃を与えるに足る、ほんのささいな後押しだった。

「ああああああああああああああああああああああ!
 おのれ……おのれ、おのれ! ユニバァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッァァァック!!」

 FORTRAN(フォートラン)ソードが砕け散り、水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターがIβM 704を直撃する。

 莫大な情報量が流し込まれ、IβM 704をこの宇宙から消去していく。
 それは視覚的には爆発のように、青い光が霧散していく光景として観測された。

 そして、古毛仁直こもに なおしと呼ばれた男がいた空間に、何もなくなったそのとき、ユニバック・ワンは少しだけ哀しそうに目を伏せた。
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