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超電脳のユニバック 作者:@IngaSakimori

第一章『顕現存在━セオファナイズド━』

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第二話『世界で最初の商用コンピューター』

 それは遠い遠い昔の話。

「これこそは皆様がまこと驚くべき、世界ではじめての商用コンピューターなのです」

 広大な室内では、二人の男が居並ぶ政府機関や大企業の重役たちへむけて、デモンストレーションを行っていた。

「パンチカードで計算するだけのタビュレーティングマシンではありません」
「いかなる機械式コンピューターでもありません」
「先の大戦が終わってまもなく造り上げた、巨大頭脳ジャイアント・ブレインENIACをも凌駕するマシンなのです」

「私の名はジョン」
「私もまたジョン。私たちは姓こそ違いますが、名は同じです」

 二人の男は明らかに年齢が離れていた。
 一人はそろそろ50にもなろうかという老境を見据えた顔立ちであり、もう一人はまだ30前後といった若々しさがあった。

 しかし、その瞳に共通するのは先駆者の輝きだった。誰も成し遂げたことのないフロンティアへ到達しようとする、合衆国のスピリッツが声に、言葉に、瞳の輝きにこもっていた。

「私たちはこのコンピューターをあなた方の元へ届けます」
「独占されることなく、機密として隠されることなく」
「注文があれば、どんな組織にも、企業にも、個人だろうと届けます」
「これこそは世界初の商用コンピューターなのです」
「ここから始まるのです。コンピューターの計算力が世界を変えるのです」
「さあ、この莫大な計算力をぜひあなた方の物にしてください」
「このコンピューターの名前は、ユニバック!」
「このユニバックが世界を変えます!!」

 重役たちの反応は様々だった。力強くうなずく者。呆れたように肩をすくめるもの。困ったように隣の顔色を見る者━━

 だが、二人のジョンはそれでも確信していた。
 我々の造り上げたものは、世界を変える。
 比喩ではなく、コンピューターは文字通り世界を変える物なのだと。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

「う……あ、あっ……! ち、ちょっ……き、きききき、君っ……!!」
「………………?」
 15歳の少年が、いきなり現れた裸の少女を目の前にして出来る行動と言えば、限られているだろう。

「あっ……! そっ、その……あのっ……!!」
「……あなたの下腹部から、イジェクトしようとしてるデバイスがある」

 津瀬現人つぜうつひとが選んだのは、ごくごく標準的な反応━━声にならないうめきをあげつつ、体を震わせることだった。
 ゆえに、男性が男性であるゆえんが、ブートアップを始めているのは、彼の意志と無関係である。

「とても興味深い。はじめて見る。触っても……いい?」
「さささ、触ろうとするなっ! い、一体なんなんだ、君は!?
 こんなところにはっ……裸っ、で……何してるんだ!?」
「……ああ、そういえば服を着ていなかった」
「そういえばって、君は……」
「━━━━━━見つけたぞ!!」

 その時、津瀬現人は背中から男の声を聞いた。
 反射的に振り返る。
 説明しなければならない。大変な誤解を招きかねない。何てことだ。ひどいタイミングだ。そんなことを思いながら、ゆっくりと視線を180度転換する。

「な━━」

 そこから先は言葉にならなかった。思考もまた、正常に機能しなかった。
 振り返った彼が見たものは、同じ南多磨高校の制服を着た一人の男が、長い剣を振り上げ、投擲しようとしている場面だったからだ。

(なんだよ……それ……!)

 そう。
 それは場面だった。現人は少なくともそう認識していた。自分に降りかかった現実ではない。誰かの、何かの見ている、或いは演じている一つの『場面』。
 そうとしか、認識できなかった。

ったぞ!!」
「………………っ、くそ!」

 男が剣を投げた。投擲には向いていないはずのそれは、驚くほどの速度でまっすぐ飛んだ。
 その時、なぜ右足に力をこめたのかは分からない。背中に目がついているわけでもないのに、なぜその剣が背後にいる裸の少女を狙っていると理解できたのかもわからない。

「っ、ぐ、あ」

 ただ、言えることは一つ。
 津瀬現人は体を動かした。ほんの数十センチ、左へ動き、まっすぐに飛んだ剣から背後の少女をかばった。
 その結果として━━彼の左胸には、剣が突き刺さった。

「ぁ……」

 ぐらり、と両足から力が抜けた。膝を突く。熱さはなく、冷たさだけが左胸にはある。

「………………ご、は、ぷ」
「……なんだと?」

 剣を投げた男は、ゆっくりと歩み寄ってくる。そして、いぶかしげに眉をひそめた。

「馬鹿な……なぜお前にこれが刺さる!?」
「っ、あ!!」

 そう言いながら、乱暴に剣を引き抜いた。苦悶に身をよじる現人。しかし、そんな彼を見てもなお、男は疑念の表情を変えない。

「━━ちっ」

 そして、次の瞬間には何かを諦めたような顔で舌打ちした。

「奇襲失敗というわけだ。
 どうやら命拾いしたようだな。ひとつ聞くが、この男はお前の仲間か?」
「そんなことはない。今、ここで会ったばかり」
「……たまたま顕現存在セオファナイズドだったとでも言うのか?
 あり得ん……まあ、いい。次はないと思え」
「私は戦いを望んでいない」
「なるほど、結構なことだ。
 お前が今すぐ我々の軍門に降るのなら、戦いは避けられるだろうな」
「……それは出来ない」
「ならばそういうことだ」

 冷酷を感じさせる笑みをみせると、男は走り去っていった。
 同時に津瀬現人は仰向けに地面へ倒れ込む。

「っ……ぅ、ぐ」
「……苦しい?」

 寝転がった拍子に、右眼の単眼鏡モノクルが外れた。
 視界に忌々しい数字の羅列が現れる。
 だが、現人の瞳を覗き込む裸の少女だけは、なぜか数字の羅列に侵されず、ひどく鮮明な姿だった。

「ああ……苦しい……冷たい……」
FORTRAN(フォートラン)ソード。本当は私を狙っていた。
 ……軌道からすると、致命傷ではなかったと思うけれど。
 私を庇ってくれたのは、どうして?」
「わ、わからない……よ……咄嗟に……体が……動いて……」
「わからないなら、いい。
 じゃあ、もうひとつ聞く。あなたに刺さったのは、どうして?」
「どうして━━って」

 剣は刺さる。そんなのは当たり前のことじゃないか。そう思いながら、傷口に手をやって、津瀬現人は気づいた。

(あれ……)

 そこにはただ、彼の来ている学生服しかない。血のぬめりもなければ、剣で切り裂かれた跡もない。

 ただ、指先から伝わるのは何かがもの凄い勢いで吹き出している感覚だった。それは冷たい。けれど、液体ではない。冷たい気体が吹き抜けているような感覚に近かった。

「いま、何が起こっているのか知りたい?」
「……あ、ああ」
「この宇宙において、あなたを構成する情報が、分解されて、離散しているところ」
「何を言って……ぼ、僕は、刺されて……怪我をしたんじゃ……」
「ふつうの怪我とは違う。
 あなたを構成する情報が傷つき、噴き出している。
 物理の宇宙ではない。情報としての宇宙にあなたを定義づけるもの。それが今、急速に失われている」
「………………ははっ」

 自嘲するように津瀬現人は吐息を漏らした。
 どうやら自分はおかしくなってしまったらしい。死ぬ間際に聞こえる幻覚が、こんな少女からの意味不明な説法とは。

「でも━━だいじょうぶ。
 あなたは私を庇ってくれた。そのお礼はする」

 そして、幻覚はとうとう救済の言葉まで唱え始めた。

「あなたの情報傷を補い、修復を行う。私の記憶装置とリンクさせることで、安定を図る」
「だから……何を言って……」
水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスター

 ぼんやりとした光が見えた。少女の右手にはいつの間にか太い蛍光灯のような何かが握られていた。

「はうっ!?」

 そして、少女はそれを現人の左胸に突き刺した。ずぶり、と沈み込む感覚はあったが、なぜか痛みはなく、暖かい心地よさがあった。
 そして、暖かい熱が津瀬現人の左胸に生まれた。

「な、何を……僕に……君は……なにを……!?」
「圧電素子に電力を供給。以後、超音波が遅延するかぎりの情報を保存する」

 妄想めいた説法のあとは、ずいぶん科学っぽいことを言い出すんだな、と訊ねたかったが、そこまでの余裕はなかった。

「君は……いったい……何なんだ……!
 誰なんだ……!? どうして僕にこんなことを……!」
「私の名は━━」

 そのとき、急にまぶたが重くなった。津瀬現人の意識が予期せぬシャットダウンへ陥ろうとする。
 そして、夢の中で聞いた老人の声が響き渡った。

「私の名は、ユニバック・ワン」『その名は、ユニバック・ワン』

「はは……」

 我ながらずいぶんと錯乱した最期だな、と思いながら、津瀬現人は失神した。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

「ハジメ様」
「━━ああ、君か」

 津瀬現人が意識を失ってから、数分後のこと。
 少しく暗い校舎4階の一室に、長い金髪の生徒がたたずんでいた。

 それは廊下で現人とぶつかった生徒である。
 何かを楽しんでいるかのように、微かな笑みを口元へ浮かべ、入り口に立つ男子生徒を見つめている。

「一体どうしたのかな。どこか慌てているようだけれども」
「いえ、そのようなことは。少々、想定外の事態はありましたが」
「……FORTRAN(フォートラン)ソードを誰かに突き刺してきたようだね?」

 金髪の生徒は服装をみるかぎり、男子だった。しかし、小首をかしげて笑ってみせるその仕草は、どこか深窓の令嬢めいている。

「首尾よく彼女を仕留めてきたのかな」
「残念ながら失敗しました。申し訳ありません」
「謝罪などと……君が? 僕に? それはいささか順序がおかしくないかい?」
「ご冗談を、ハジメ様。あなたこそは世界を変えた十の中の一です」
「それを言うなら、君だって同じことだろう。なおしくん」

 あなたと私は対等である。そう告げているにしては、どこかからかっているような調子で、ハジメと呼ばれた生徒は言った。

「……何にせよ、彼女はまだ存在しています」
「君のFORTRAN(フォートラン)ソードで貫かれてなお、ということかい?」
「それが……彼女を狙ったのですが、一般生徒を傷つけてしまいました」
「君のFORTRAN(フォートラン)ソードは一般生徒━━つまり、人間を傷つけることが出来るのかい?」
「いいえ。見えず、触れず。傷つくこともないでしょう」
「だろうね。
 ただのヒトには、僕たち顕現存在セオファナイズドがそこにいる……その認識すらも怪しいからね」
「……ならば、なぜでしょう?
 校内に我々の知らない顕現存在セオファナイズドがいるとでもいうのでしょうか? 私はその者と出会ったとでも?」
「それは少し違うかな」

 ハジメと呼ばれた者。
 金髪の生徒が浮かべる表情は、答えを知っている者の笑みだった。

 そして、なおしと名乗った者。
 津瀬現人に剣を突き刺した男は、納得いかない憮然でそれに相対していた。

「なに、急がなくてもすぐに分かるさ」
「……あなたがそう言うのならば」
「弥勒くんはもう日本に来ているのかい? 米国で彼女の妹とやりあっていたはずだけれど」
「今はまだ。しかし、遠くないうちに到着するでしょう」
「そうか……それじゃあ、転入手続きは今週中かな……また少しだけ学内のデータをいじらないといけないね」
「あなたにとっては造作もないことでしょう」
「君にとっても、だろう。
 けれども、僕たちにはふさわしくないな。こういった細々したことは……個人用の存在がやるべきだ」
「おっしゃる通りです。
 我々は世界を変えたモノ。世界の根幹に在ったモノ」
「世界のメインであり、世界の骨格フレームであり、世界を……計算し尽くしたのが僕たちだからね」

 パチンと指を鳴らしたわけではなかった。だが、照明はまるで言の葉が途切れるのを待っていたかのように灯った。
 そこに映し出されたのは円卓だった。しかしそれは円の形をしていない。一部が切りかかれた形状━━アルファベットでいうところのCの形をしていた。

「コンピューティングに名誉を取り戻すために」
「コンピューティングに尊厳を取り戻すために」
「どうか楽しくやろう、古毛仁直こもに なおしくん」
「もちろんです、久礼一くれい はじめ様」

 今はまだ、彼らはたったの二人だった。だが、それは圧倒的に強力な二人だった。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

(あれ……?)

 目覚めは、唐突だった。

「あっ、起きた!」
「っ━━あ」

 ほんの刹那、視界に見えていた数字の羅列は瞬時に消え失せる。
 少年がパブロフの犬のように、枕元の単眼鏡モノクルを探るよりもはやく、少女の細い指がその右眼にレンズをかぶせていたからだ。

「っ……と。志保、か」
「もう~!! びっくりしたんだからね!
 昼休み終わっても戻ってこないし、京くんと一緒に探したら校舎裏で倒れてるんだもん!!」
「倒れて……た? 僕が?」
「そうよ、そう!
 何よ、現人ったら。お腹でも空いてたの? 朝ご飯あれじゃ足りなかった?」
「……空腹で倒れるわけないだろ」

 どうやら本気で言っているらしい志保のふくれっ面に呆れながらも、津瀬現人は自分の置かれた状況を理解しつつあった。

(そうか……とりあえず僕は生きているんだな)

 何を当たり前のことを、と頭の中でもう一人の自分が自嘲する。いや、これは重要なことなんだ、と現人は言い返す。

「事情は分かった。
 つまり、僕はお前と京に保健室のベッドまで運んでもらって、そのまま寝ていたと」
「そうそう。さっすが現人! 飲み込みはやいのね!」
「少し考えれば分かることだろ……って、もう午後の授業も終わってるんだな」
 時計を見ると、6限が終わってから、さらに30分経過といったところだった。太陽はすでに傾き、黄昏が迫ろうとしている。

「それじゃあ、早く帰って━━」
「現人が目さましてくれてよかったわ~。
 急いで食べれば、まだお昼ご飯になるもんね!」
「……おい。なんだ、そのタッパーは」
「何って調理実習でつくった肉じゃがよ? おいしいのよ?」
「……で? なんだ、その箸は」
「何って、現人に食べさせてあげようと思って」
「……お前なあ」
「でも、教室で食べさせようとすると、現人怒るじゃない!!」
「当たり前だろ!」
「だけど、ここは保健室よね? 今なら誰も見てないから、いいでしょ?
 ね? ねっ? ね~っ?」
「………………はあ」

 まるで自分の行為が、神の名の下に肯定されているかのような笑顔で、志保はホクホクのじゃがいもを箸でつまむと、口をあけろとばかりに突きつけてくる。

「ほら、あ~ん」
「……はいはい」
「ちゃんと口に出すのっ」
「あーん━━これでいいんだろ」
「うんうん、素直な現人は好きよー」
「んぐ……っむ……そりゃどうも……」

 ほどよい熱さと、ほんのりと甘い味が口に広がるのを感じながら、現人は志保の手にした肉じゃがのタッパーを奪い取ると蓋をした。

「えっ、なんで」
「心底意外そうな顔するな。
 もう夕方だろ。こんな時間に腹一杯たべたら、夜が食べられなくなる」
「たまには残してくれてもいいのよ?」
「……それは食べ物のカミサマにもうしわけございません」
「えー、声が嘘ついてるー」
「いいからいいから……さっさと帰るぞ」
「え~、え~。もっと食べさせてあげたいのに~」
 不満そうな志保の背中を押して、津瀬現人は保健室を出ようとする。
 養護の教諭もいない。わずか一時のプライベートな空間。しかし、気配を消すようにベッドのカーテン、その向こうには扇子を手にした人影があった。

「善き哉善き哉」

 少年と少女の親友は、ただ満足そうに笑っていた。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

 帰宅したところには、すっかり夕焼けが空を染めていた。

(それにしても、今日はなんだったんだろうな……)

 赤い空と雲を横目でながめつつ、自室のベッドへ寝転がりながら、忘れものを探すように、津瀬現人は胸元をまさぐってみる。
 脱ぎ捨てた制服をどれだけ凝視しても、そこには傷一つない。シャツを脱いで、鏡の前に立ってみても、自分の胸には何の異常もない。

(手触りが変わるわけでもない……当たり前、か)

 唯一、変化があるとすれば、どこか暖かい熱を感じることだが、そんな錯覚はいくらでもあり得るものだと、少年は心得ている。

「白昼夢……幻覚……そういうもの、なのかな」

 裸の少女。胸を突き刺した剣。去って行く男。

 どれもあまりにも現実離れしている。何より、自分は怪我一つしていないし、保健室へ運んでくれた京と志保に聞いても、一緒に誰かが倒れていたわけでもないという。

「まあ、きっと……少し疲れているんだよな、うん」

 毎日毎日、騒がしい親友たちに振り回されて、知らないうちに精神的に疲労が溜まっていたのだろう。
 そう考えて、何もかも納得しようとした━━その時、唐突にベランダからノック音が聞こえた。

「………………は?」
「こんにちは」

 津瀬現人は自分がいよいよ幻覚を見ているのだと思った。まず、首を全力で振り、瞬きを何度もした。
 単眼鏡モノクルを一度外して、クロスで拭き上げると、装着する。世界を覆う数字の羅列も、今だけは特に気にならなかった。

「いれてー。いれてー」
「何で……何で、まだ見えてるんだっ!?」
「こんにちはー。いれて。なかに」

 ぷるぷると震える手で、現人は引き戸に手をかける。その時になって気づいたが、鍵はかかってなかった。このまま錠を下ろして締め出してしまえば、すべてがなかったことになるのではないかとも思う。

「はやくいれてー。すこし寒くなってきたから」
「………………なんなんだよ」

 ベランダに立っているのは、昼間に校舎裏で出会った少女だった。 

 まだ幼さを残した腰つきと乏しい体の起伏。たどたどしさを感じさせる声。
 光ファイバーほどに透明な、白く長い髪。
 そして、月の砂ほどに煌めくその瞳もまた、しろだった。

「……今度は服を着てるんだな」
「いれてくれてありがとう。お邪魔します。ぺこり」
「礼儀作法を知ってるなら、玄関から入ってきてほしかったんだけど」

 昼休みに裸だったはずの存在は今、ごくごく当たり前の少女めいた服装だった。
 じっとこちらを見つめる上目遣い。その角度は、志保が現人に向けるそれとほとんど同じである。つまるところ、そんな程度の背丈の差だということだ。

「……こっちはぜんぜん違うけどな」
「胸? 私の胸に何かついてる?」
「あっ、や。別に見ていたわけじゃないんだ。
 ……その、いろいろと混乱しているんだけど。ええと。
 まず、なんでベランダに?」
「あなたを追いかけてきたら、ここまで来た。玄関は鍵がかかっていた」
「インターホン押せばいいだろ」
「呼び鈴のこと?
 だけど、鈴はついてなかった。二階にいるのはわかってたから、あがってきた。私は意外と器用。えっへん」
「つまり排水パイプか何かをよじのぼってきた、と……あんまり威張ることじゃないからな、それ」
「むう」

 不満げに頬をふくらませる少女の表情が、志保にすこし似ているなと現人は思っていた。

「それと、もう一つ聞きたいことがある。
 君は僕を追いかけてきた、って言ってたけど……それ、学校から?」
「少し違う。
 あのあと、私は704から距離を取った。また奇襲されたら困るから。
 ホテルに戻ってもよかったけど、私はこの国で拠点となる場所を早く見つける必要があった。私はあなたの情報痕を水銀遅延線レジスタでふさいだ。あなたの中には私の記憶装置が埋まっている。あなたと私はつながっている。
 だから、あなたとのつながりを追いかけて、ここまで来た。
 えっへん」
「胸張ってもらってもよく分からないから。スゴイことしたみたいな顔されても、伝わってないから」
「むうむう」

 今度は相当に不満だったのか、少女はふくれっ面で足をどたばたと踏みならした。両親が下にいたなら、うるさいからやめなさいと現人は注意していたことだろう。

「まあ、とりあえず君が外国人だっていうことは分かったよ」
「外国人。それは正しい。私の生まれはアメリカ合衆国コネチカット州」
「アメリカ人なんだ。それで、ユーは何をしに日本へ?」
「世界の針を巻き戻そうとする仲間達を止めるため」
「……ハリウッドって今は厨二病の映画もつくるのか?」
「むうむうむう! 全然信じてない! 私は本当のことしか言っていない!
 ウツヒトは疑り深い! 物事を鵜呑みにしないのは、学術的態度だけど、他人を信用しないのはよくない!」
「そんなこと言われたって僕は━━って、ちょっと待」
「よくない!!」
「っ、わ」

 ふわり、とした感触が背中にあった。

 そして、眼前にはすこし怒った少女の顔がある。綺麗な顔立ちだな、と思ってから、津瀬現人は自分がベッドの上に押し倒されているのだと気がついた。
 もっとも、少女からしてみれば抗議のために掴みかかっているつもりなのだろうが。

「ウツヒトは私を信じるべき!」
「……そんなことをいきなり言われても、困るんだけど」
「どうして私のことを信じられないの?」
「君は不法侵入同然で僕の家にやってきた。
 君とは学校で会ったけど、その時起こったことは何もかも現実離れしていた。
 何より……僕は、君に名前を教えたつもりはない」
「私とウツヒトはつながっている。名前くらいは分かる」
「そんなこと言って、実は表札を見たとかそういう話じゃないだろうな」
「……ベリファイのために、一応見た」
「あのな……」

 痛いところを指摘されたかのように視線をそらす少女。大きく溜息をつくと、ぎしりとベッドが鳴り、衣擦れの音がした。
 津瀬現人の過失は、その音に紛れて一階から聞こえる解錠のガチャリという音を聞き逃したことだった。

「ベリファイっていうのは照合のことだよな。要するに表札をみたんだよな? 本当に僕の名前知ってたなら、見る必要なんかないじゃないか」
「知ってた。前からウツヒトの名前は知っていた」
「……本当かよ。
 君はいったい何者なんだ? 君に聞くのも変だけど、校舎裏で僕に起こったことは現実なのか?
 僕は今でも夢を見ているんじゃないか?」
「夢? 夢と現実の確かめ方なら知っている。こうする」

 そう言うと、少女はいきなり現人の頬を全力で張り飛ばした。

「いってえ!!」
「えっへん」
「違うわ! あ、あのな……こういう時は、軽くつねったりするものなんだよ……っ、かなり痛いんだけど……」
「それは知らなかった。謝罪する。ウツヒトがどうしてもと言うなら、私のことを叩いてもいい」
「女の子にそんなことするわけないだろ」

 張り飛ばされた左の頬をおさえながら津瀬現人は言った。彼が重ねてしまった過失は、その痛みに注意を向けていたため、階段をあがってくる足音に気づかなかったことだった。

「で、僕は夢を見ているわけじゃないとして、君は誰だ」
「私はユニバック。ユニバック・ワン」
「……そういえば、そんなことを言っていたな」
 その響きには聞き覚えがあった。ああ、そうだ。今日『コンピューティング史』の授業で里沙先生が挙げていた名前に、そんなものがあった。

(……昼間の授業内容と、記憶がこんがらがっているのかな……)

 それではやはり、これは夢ではないのか。だが、この頬の痛みはなんだ。
 あるいは、痛みを感じることのできる新たなステージの夢体験かもしれない。津瀬現人はまだ目の前の事態が現実でない可能性を捨てていない。

「……ユニバックってさ。
 確か世界で最初につくられたメインフレームコンピューターの名前だよな? 授業で聞いた。教科書にも書いてあった。君の名前はそれにあやかっているのか?」
「少し、違う。
 私は世界で最初の商用コンピューター。ただ、そうあるだけに過ぎない。大型コンピューター、メインフレーム、汎用機。そうした呼称はみんな、後の時代につけられた。
 あやかる、というのはよくわからない」
「……私は? 名前のことだろ? 君のご先祖が関係者だったとか、そういうゆかりがあるから、君の名前に『ユニバック』って付けたんじゃないのか?」
「まったく、違う。
 私はユニバック。ユニバック・ワンそのもの。
 私は世界で最初の商用コンピューター。5200本の真空管と10000のダイオード。そして100の水銀遅延線レジスタを持っている」
「………………ああ、なるほどな」

 やはり、これは━━夢だ。
 津瀬現人がその疑念を確定コミットとしようとした、その時。
 ノックもなく部屋のドアが開け放たれた。

「やっほ、現人!
 今日も志保様ちゃんが夕ご飯をつくりにきてあげたわよ! 今日はね、ビーフシチューよ、ビーフシチュー! おいし~く仕上げてあげるんだから、期待してていいのよ!
 良かったらその前にお風呂入ってき━━て、っ、て」
「………………ああ、なるほどな」

 自宅へ戻り、制服から着替えてすぐにスーパーへ出かけた、と言ったところだろうか。
 そこには買い物カゴをぶらさげた志保が笑顔で立っていた。
 だが、その太陽のような笑顔は凍りついている。なぜなら、ベッドに横たわる現人と、その上にまたがっている日本人らしからぬ少女。危険なほどに体と体が接触し合い、そして顔と顔の距離も近づいた━━その構図を見てしまったから。

「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!
 現人がっ! あたしの現人が変なのに寝取られてるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」
(なるほど……これは現実だ)

 発狂一歩手前の絶叫を聞きながら、津瀬現人は自分の誤った認識を巻きロールバックした。
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