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超電脳のユニバック 作者:@IngaSakimori

第一章『顕現存在━セオファナイズド━』

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第一話『万能にして自動にして顕現する少女』

 ━━夢。
 少女は夢を見ている。

「よろしい、これで完成だ」
「万能自動計算機の誕生だ」

 ━━記憶の底にある夢。
 それは産まれたときの夢。『はじめての自分』が造りだされた時の夢。

「チューブの数は5200」
「ダイオードは10000」
「100もの水銀遅延線マーキュリーディレイライン
「100000の加算をたった1秒でこなしてみせる!」

 ━━それは遠い昔の夢。
 産まれたばかりの『自分』の前では、二人のエンジニアがはしゃいでいた。160000ドルもの大金がこれで会社に入ってくると語りあっていた。

「さあ、動いてみせてくれ」
「リン青銅の磁気テープを読み込んでくれ」
「プログラムを内蔵し、実行してみせてくれ」
「世界初。我らが夢の商用コンピューターよ!」

 ━━ああ、確かに自分は夢だった。
 それを造った者たちにとっても。それを扱う者たちにとっても。

 ━━そして、世界そのものにとっても。
 始動のスイッチが押されると、ガコンと音がした。

 するすると音を立てて、金属テープが引き込まれた。
 テープ表面の磁気に記録された、膨大な数字の羅列を、彼女は水銀の臓腑に刻みつけた。
 そして走り出す。
 時は1950年。世界中を巻き込んだ大戦争から、たった5年しか経っていないその時、その日、その場所で、彼女は疾走した。

「やった!」
「遂にやったぞ!」
「テストは成功だ!」
「入出力は問題なしだ!」
「さあ、国勢調査局が待っている!」
「たくさんの顧客が待っている!」
「売るぞ!」
「これがコンピューターというものだ!」
「コンピューターと言ったら、まさにこれなのだ!!」
「世界に知らしめてみせるぞ!」

 ━━夢は、いつも唐突に終わる。
 そこには調律された終幕もなく、整えられた悲劇もなく、待ち受けていたように現れる救世主もない。

 ただ、彼女を産みだした二人の父親は、最後にその名を呼んだ。
「ユニバック!」
「おお、我らのユニバックよ!」

 ━━そして、夢に埋め込まれたコードは、現実へのジャンプを指示する。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

「………………ん」

 光ファイバーほどに透明なその長髪は、白く。
 月の砂ほどに煌めくその瞳もまた、しろく。

「夢。
 とおい。とおいとおい。昔の、夢」

 その存在は少女だった。
 まだ幼さを残した腰つきと乏しい体の起伏。たどたどしさを感じさせる声。それらのすべてが身体的未成熟を示していた。

「………………ああ。
 懐かしい━━」

 だが、少女はそう言った。うっとりと笑った。長い長い時の向こうにある、懐旧を楽しむときの老婆にも似た微笑みだった。

「……んしょ」

 裸の少女はふかふかのベッドから身を起こす。
 それは高級ホテルの一室だった。シングルとは到底言えぬ広大なスペースを持ち、それでいてダブルベッドにしては、どこか幅が狭かった。

(割り込んじゃったから、どこかの社長さんに迷惑がかかってるかな……?)

 いそいそと服を着込みながら、そんなことを思う。
 地方や国外からやって来たエグゼクティヴ用のスイートルームを、少女は独り占めしていた。この部屋から出て、誰かとすれ違ったとしても、家族旅行に連れてこられた富裕層の娘だとしか思われないだろう。

「とりあえずは撒いた……だから、巻いた……」

 窓の外を眺めると、東京湾が一望できる。かつてレインボーブリッジと呼ばれた橋があった方向を見つめながら、少女はそこにカセットカートリッジがあるかのように、細い指をくるくると回している。

「ん……」

 そして、何か満足したよううなずくと、少女の指へ巻き付いてくるものがあった。
 それは指輪でもなければリボンではない。テープだった。金属の光沢が光る、リン青銅の磁気テープだった。
 遠い昔。まだ光学ディスク装置ですらも一般的でなかった時代。多量の情報を効率良く記録するために、世界中で使われていた代物だった。

「……ニューニが頑張って逃がしてくれたんだし。
 はやく見つけないと」

 何かを決意したように、少女は立ち上がった。柔らかな絨毯の上を、てしてしと歩き、ホテルの廊下へ出る。

「ハチオウジは、ここからすこし西」

 迷いなく歩き、エントランスを抜けて、『ゆりかもめ』と言う名の古めかしい交通システムへ乗り込んだ。

(………………ああ)

 そして、東京に立ち並ぶ無数のビル群をみて。

「懐かしい」

 彼女は━━あの頃のマンハッタンのようだと思っていた。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

 ━━もし、この宇宙のすべてが、情報として記述可能であるならば、

『それは宇宙そのものが、巨大なコンピューターということではないか?』

 脳裏に響く声は、コンピューティング史を専門とする父のものではなく。
 さりとて、学校の教師のそれでもない。

『そう、この宇宙はすべて計算によって表現が可能である』
『我々の宇宙は計算されている。いや、計算する宇宙こそが、我々の宇宙なのだ』

 それは年老いた男の声だった。夢特有の都合よさで、明らかに欧州の言葉だと分かっているにもかかわらず、脳が理解する言語としては21世紀末期の標準的日本語として聞こえた。

『私は造り上げた。しかし、理解はされなかった。
 戦火はそれを破壊した。それは知られなかった。私自身ですら、完全なるチューリングであるとは知らなかったのだ』

 声の主は、じっと夢の主人公を見た。
 老人の顔には無数の数字が渦巻いていた。それでいて、ヒトとしての顔立ちも読み取れる。二つの画像を瞬間ごとに切り替えて、表示しているような状態だった。

『君は受け継ぐだろう』

 何を? と夢の主人公は声に出すことなく、問いかけた。

『君は邂逅するだろう』

 誰に? と疑念を覚える前に、夢のブレーカーが落ちる音がした。

『その名は』

 ━━夢からの目覚めは、常に唐突である。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

 夢から現へと意識が切り替わったとき、最初にきこえたのは無機質なアラーム音だった。

「………………ッ」

 まぶたというものは、どうして左右が一度に開いてしまうものなのか、と毎朝のように後悔する。
 その法則を肉体の神経とやらが司っているのだとすれば、殴りつけてでも明日から改めさせてやりたいものだと、彼は毎朝思っている。

「う……っ」

 左目に歪みなく、美しきこの世界。
 しかし右目には意味も知れず、意図も知れず、世界を埋め尽くす醜い数字の羅列があった。

「ッ……痛って……」

 ずきずきと痛むこめかみを押さえながら、少年は手慣れた仕草で、枕元のレンズを手にした。
 それは眼鏡ではあった。しかし、つる(テンプル)もなければ、フレームもない。ただ、一枚の分厚い丸レンズに、短い鎖がぶらさがっただけの代物だった。

「………………ふう」

 モノクルと呼ばれる片眼鏡を右の眼窩へはめこむと、少年はようやく安堵の表情をみせた。

「……とー……っ、て……ひ、と……ってばー……」
「あいつ……もう来てるみたいだな」

 正常な視界を提供するレンズ越しの右目には、まだ軽いやけどのようなヒリヒリとした痛みが残っている。
 だが、習慣的な痛みには慣れることができるのが人間という生き物だった。少年は階下から聞こえる呼び声に意識を移す。

「……と、って……ねー!!」

 残響のようなチャイムと共に、玄関からどたばたという鞄を置き、靴を脱ぐ音がした。

「ねー! ちょっと起きてるー!? うつひとー! うーつーひーとーってばー!!」
「………………相変わらずだな」

 ベッドに腰掛けたままで、少年はどんどん近づいてくる少女の大声に眉をひそめる。
 慎ましさや品性というものを感じさせない、ずかずかという足音の発信源は、階段を急速にかけあがる。

 そして、少年の━━津瀬現人つぜ うつひとの自室前までやって来たかと思うと、刹那の躊躇もみせずに、ドアを開け放った。

「おっはよー、現人うつひと!!
 今日もこの志保様ちゃんが起こしに来てあげたわよ! どう? お元気?」
「ああ……そうだな。
 お前の大声で叩き起こされて、実に快適な春の朝だよ」
「ふふーん、そう?
 それじゃあ、あしたも起こしに来てあげるからね! 期待してていいからね!」
「………………」

 非難を込めた少年の半眼にも動じず、太陽のような笑顔を見せているのは、ブレザー姿の少女だった。
 身長は低めながらも、妙によく育った胸元が、母性と包容力を主張しているように思える。栗色の長い髪はぶらさげるように一本のリボンでまとめられ、活動的な表情はコンディショナーの香りよりも、健康な汗と石鹸の匂いが似合うように感じられた。

「さあ、朝よ! うぇいくあっぷタイムよ! まずは着替えましょ?」
「……ああ、着替える。だから、とりあえず出て行ってくれ」
「今日はねえ~。ちょっと気温が低いから……はい!
 インナーはこれ! あったか素材で、体冷やさないようにしないとね! シャツはアイロンかけてあるから━━」

「いや、わかった。着替えるから。出て行ってくれ」
「現人は朝弱いから、ぼーっとしちゃうかもしれないけど、頑張ろうね!
 それじゃ。着せてあげるから。はいっ」
「……出て行けと言ってるだろ。なんだ、その両手は」
「ばんざーい、って。早くして?」
「……はあああああああああ~~~~~~~~~」
「?」

 肺の中に吸い込んだ空気を残らずはき出すような、超大型の溜息を前にしても、少女は━━初敷志保はつしき しほは、不思議そうに首をかしげるだけだった。

「あのな。
 なんでお前に着替えさせてもらわなくちゃいけないんだ。
 たとえば、僕が……お前の着替えを手伝ったことなんて、あるか?」
「7歳の冬にはじめて着たコートがおっきくて袖がうまく通せなかったとき!」
「ばか。即答するな。
 ……質問を変えるぞ。僕たちは今、何歳だ?」
「15歳よ! あ、現人はあと2ヶ月で16歳よね!」
「そうだな。お前の誕生日は10月22日だから、もう少し先だよな」
「うん、そうよね! えへへ~、ちゃんと覚えててくれてるんだね~」
「……そりゃ毎年のことだからな」

 にこにこというより、にへらにへらと笑う志保しほの表情からは、いかなるマイナスの感情も見受けられなかった。

「……で、話を続けるけど。
 なんで15歳の僕が、同じ15歳のお前に服を着替えさせてもらわないといけないんだ?」
「まったまたー! 現人はいつも理詰めで考えるんだから!
 そんなこと気にしなくていいのよ?」
「わかった。お前を論理的に納得させようとした僕が間違いだった」
「そうそう。期待してていいんだからね?」
「……お前みたいな奴は、こう言わないと分からないんだよな……」

 えっへんと腰に手を当てて、胸を張る志保を前に、現人は溜息ではき出した量と同じだけの空気を吸い込む。

「とーにーかーく………………僕一人で着替えられるから、出て行けぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
「ええ~……あたしはぜんぜん気にしないのにぃ~……」
「女子に見られながら、着替えなんて出来るわけないだろっ! い・い・か・ら、下で待ってろっ!」
「ぶ~ぶ~……現人のいじわる~」

 心底の不満を表情に浮かべながら、志保は開け放たれたままのドアから一歩廊下へ出ると、くるりと振り返った。

「あっ、それとね。朝ご飯いまから作るけど、パンとライスと━━」
「任せるから、とにかく出ろっ!!」
「それじゃあ、パンにするからね~」

 上がってきた時とは真逆のリズミカルな歓喜のステップが、一階へと遠ざかっていく。

「あいつ……父さんと母さんが海外に出てるときは、毎日保護者気取りだからな……」

『迷惑』とはっきり言い切れる世話の押し売りが、それでも嫌悪感ではなく諦観へとつながっているのは、彼女が昔からそういう存在だったからだろう。

「……で。これがいいとか言ってたっけ」

 志保がタンスから取り出しかけたままのインナーに手足を通しつつ、少年は呟く。

「確かに……まだすこし冷えるよな」

 窓の外には風が運んできた緑の葉。
 季節はもうすぐ五月。それでも朝の空気はいささかの冷たさが残っていた。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

「ほんと春にしては寒い朝だよな……」
「え? なに? 今夜のご飯の話?」
「一体どう聞き違えたら、そうなるんだ」

 うんざりした声を発しながら、現人が自分の肩より少し下へ視線をむけると、そこには好意という概念を濃縮して集めたような、幼なじみの笑顔がある。
 毎朝あるく道。けれど、いつもの通学路、というほどにはまだ慣れ親しんでいない。
 同じ学園へ通う制服姿は視界にあふれているが、こんな朝を三年間繰り返していくのかと思うと、感慨よりは憂鬱さが押し寄せてくるように思う。

志保しほ
「なあに現人うつひと?」
「母さんに何言われたか知らないけど、その、なんていうかな。
 家事とか色々、手伝いに来なくていいんだからな」
「えー! 手伝いなんてひどーい!
 そもそも現人は家事なんて何もしないじゃない! 洗濯物は出しっ放しだし、掃除もしないし! ご飯はインスタント買ってきてそのまま食べるだけだし!」
「う……そ、その気になれば僕だって家事はできるんだよっ」
「またまた強がっちゃって~。
 そんなことしなくても、あたしが全部やってあげるから。期待してていいのよ? ね!」

 ドヤドヤと胸を張る志保に、津瀬現人つぜうつひとは返す言葉が思いつかない。

(……確かに言われてみれば、何もやったことない気がするけど……)

 果たして15の春に、大の男がそんなことでいいのだろうか。

(いやまあ……大の男なんて考え方自体、古いのかもしれないけどさ)

 少年はふと前方の駅ビルを見る。
 数十階建てビルの北側。本来であれば、窓が並んでいるスペースは巨大な一つのディスプレイと化していた。

 だが、2085年の日本において、こんなテクノロジーは珍しいものではない。
『種の限界』と言われた科学技術全般の停滞がはじまってから、すでに半世紀近くが経過しているが、それでも津瀬現人の日常は20世紀を━━あるいは二千ゼロ年代を知る者にとって、魔法のような技術の集積と言える世界だった。

(……でも、人間はまだ火星にも行ってないし、男と女の差だって克服できてない……)

 昔と何が変わるのだろう。大事なところは何も変わらないではないか。
 そんな自分の思考を老人じみているな、と嘲笑したくなった……その時。

「とぅおっ!」
「って」

 少年の後頭部に何かが叩き込まれた。

「ふっふっふっ、いかん。いかんぞ、現人。痛みを感じるほど強くは叩いていないぞ?」
けいか。
 お前な……まともな挨拶はできないのかって、いつも言ってるだろ?」
「いやあ、失敬失敬!
 現人の叩かれ待ちな誘い受け頭をみると、ついつい手が出てしまってな! ふっはっはーっ!!」

 時代錯誤な扇子を手にしながら、高らかに笑っているのは、現人と同じ制服の少年だった。
 悪戯っぽさの感じられる、しかし年不相応に達観した笑顔である。こんな表情ができる奴は、きっと数え切れないほど誰かをからかい続けてきたのだろうと、津瀬現人は勝手に思っていた。

「いやはや、寒い朝だな!」
 けい
 現人にそう呼ばれた男は、軽く手首をふった。すると、畳んだ扇子がばさりと音を立てて広がる。まるでバネ仕掛けでも施されているかのように、その開閉は鮮やかだった。

「そんなに寒いなら、扇子なんて仰がなければいいだろ」
「風を冷たいと思うからこそ、暖を尊しと感じ入る。
 そういうものを俺は大事にしたいものなのだよ」
「顔を近づけるな。肩に手を回すな。気持ち悪い」
「あー! 京くん、現人にくっついてずるーい!! あたしもする!」
「……志保も離れろよ」
「暖かし暖かし、善き哉善き哉、我らの友情。なあ?」
「……僕は暑苦しい」

 愉快そうに笑う京を、忌々しげに現人は見返した。
 つまりは、こんな光景が彼らの毎朝であった。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

 八王子、という地名は実に500年以上の歴史を持つらしい。

(そう言われても、ピンと来ないけどな……)

 196年の歴史を持つ八王子駅と、160年の歴史を持つもう一つの八王子駅を前後に眺めつつ、彼ら三人はいつもの学舎へと向かう。
 遠い昔は女学校だったという。長らく公立高校として存在したのち、21世紀の初頭にはいったん中等学校へと変更されたが、彼らの生まれた頃には元の高校へ戻った。

 そして、公立でなくなったという意味では、運営母体も元に戻ったと言えるかもしれない。

私立南多磨みなみたま高校、か」

 校門に掲げられた銘を見つめつつ、現人はつぶやいた。
 どんな学校でも、そのあらましくらいは覚えさせられるものだ。何度か聞かされたこの高校の歴史はあまりにも節操がないというか、私立が公立になり、また私立に戻るようなことがあるのかと思ってしまう。

「ねえ現人、そんなところに止まってどうしたの?」
「歴史と過去に思いを馳せていたんだよ」
「なにそれ……何かのギャグ?」
「我らの親友殿は、知才旺盛にして若熟温故だからな。
 なにか思い当たるところがあったのだろう……うむっ」

 扇子で手のひらをたたくパシン、という音が響き渡ると、校門を通り過ぎる生徒の群れが『またこいつか』という顔で、京を見ていた。

「いつも思うけどさ、京。
 お前ってほんと悪目立ちするよな」
「健全だからな」
「……健全?」
「健やかなるを全うする、と書いて健全。
 この俺にぴったりだろう?」

 にんまりと笑う友人に、現人は最大限の非難をこめた視線を送る。隣ではなぜか志保が納得いったように手を叩いている。

「わかったわ! 京くんはぜんぜん風邪とかひかないもんね! 健やかだもんね!」
「おお、まぶしきはその思考回路の純なるよ!
 しかし、現人の生活も何かと不健康だからな。志保殿の働きには、草葉の陰から期待している俺であるぞ?」
「それ死んでるだろ……」
「まっかせといて! この志保ちゃん様がついてるからには、毎日現人には栄養のつくご飯を食べさせてあげるんだからね!」
「うむっ、どうにもこの腹周りが痩せすぎなのでな、幸せ太りするくらいでよろしく頼む」
「っ……は、腹をつかむな、このバカっ!!
 志保もいちいちこいつの言うことを真面目に聞くんじゃない。適当なこと言ってるだけなんだからな」
「えー」
「えー、じゃありません」
「Aー。ギリシア文字ではα。音声電話で伝えるときは、『アルファのA』というぞ、現人よ」
「そんな豆知識はどうでもいい」

 胃袋が痛むような感覚と共に溜息をつくと、過去も今もかわらない、人間の行動を統制するための予鈴が鳴った。

「ほら、走るぞ。志保、鞄出せ」
「えへへ、鞄くらい持ってても走れるのに」
「……前に鞄持ったまま走って転んだことあるだろ。
 それにお前の鞄持ってても、僕の方が速いから言ってるんだよ」
「睦まじきかな睦まじきかな」
「お前は走るときくらい扇子しまえっ」

 慌ただしく、あるいは可憐に、あるいは優雅に。
 一人の少年と、一人の少女と、そして一人の男が玄関口へ向かって駆けていく。

「なるほど、彼が……というわけだね」

 その光景を屋上から見おろしていたのは、金髪の━━或る者だった。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

 うららかな春の風は締め切られた窓の外で木々を揺らす、揺らめきから感じ取れるのみ。

「これら世界にもっとも影響を及ぼした10のコンピューターとして挙げられているのが━━」
「………………」

 担任が読み上げる授業のテキスト。
 それはどんな時も興奮や感動とは遠いものだ。若い魂には退屈の一言でしかない。
 津瀬現人にとってもまた、そうだった。手元へ視線を落とすと、一見、紙にしか見えないその薄いディスプレイには、『コンピューティング史』と表示されていた。

「今からおよそ150年前━━世界ではじめて成功した電子計算機として、ENIACエニアックが生まれました。これらに続き、歴史的なコンピューターとしては━━」
(150年前なんて……古典の授業と何が違うんだろう)

 15才の少年にとって、150年前も1500年前も大して変わりはしない。
 教科書と呼ぶには薄すぎるディスプレイの端を指でなぞると、ごく僅かな低音と共にページが切り替わる。

「━━これら商用コンピューターの他、IβM PC、Apple II、Altair8800といった個人用コンピューターが━━」

『コンピューティング史』。
 すなわち『計算すること』そのものに関する歴史。
 遙かな古代、石を並べて数える行為そのものにはじまり、遠い昔、歯車やネジを使って製作されたアナログ式計算機について。

 そして、デジタル式のコンピューターが極限の進歩をきわめ、『種の限界』とこの時代で呼ばれている技術上の壁にいきあたるまでの歴史を、おおまかになぞるのが、この南田磨高校における『コンピューティング史』の授業である。

(……失敗したかな)

 しかし、津瀬現人つぜうつひとの胸にある感想は、やはり、退屈の一言である。

(父さんと母さんが専門にしてることを、すこしは理解できるのかと思ったけど)

 世界を飛び回るレベルの研究者である両親に、高校の授業一つで追いつこうとは、さすがに無謀だったかもしれない━━

「このように、我々の歴史における変革点となったのが、デジタル式コンピューターの登場です。
 ━━さて、津瀬くん」
「……はい」

 そんな思考の散漫さを見抜かれたのだろうか。
 壇上に立つ女教師は、古式ゆかしき指し棒を現人へ向けると、鋭い目つきで問いを投げかけた。

「個人向けのコンピューターが爆発的に普及したのは、いつですか?」
「えっと……1995年です。
 革新的な家庭用OSが発売されて、世界中でコンピューターが当たり前のものとなりました」
「その通りです。
 ……まあ、革新的というか姑息な後追いというか、商売として上手だったのは否定しませんが……とにかく、そういうことです」
「………………?」

 なぜか渋々とうなずく女教師。首をひねりながら現人が着席すると、隣の席に座っている京がニヤニヤと笑いながら囁いた。

「我らが里沙りさ先生は、エムエスが大嫌いなのだよ」
「エムエスってOS作った会社だっけ? 個人的な好みを授業に持ち込まないでほしいけど」
「まあ、教える者の特権と言うものだな。
 教師は己の好悪を生徒に伝染させる権利がある━━孔子の頃から、皆、そう思っているものさ」

 開いた扇子で口元を隠しながら、ニヤニヤと京は笑う。
 到底、真面目に授業を聞いているとは思えぬ態度なのだが、風の噂ではこの男、入学試験でトップの成績だったという。

(……本人はビリで補欠だとか言っていたけど)

 そんな冗談にもならないホラを真に受けるけど、津瀬現人はこの男と浅い付き合いではない。トップとはいわないまでも、かなりの上位に食い込む成績であることは確実だろうと思っている。

(なんていうか、天才型、って言うのかな……。
 こういうやつが将来凄い発明でもするのかな……)
「ふふふ、至極。至極。愉快愉悦至極であるなあ」

 扇子をひらひらとくゆらせる京を半眼で眺めながら、そんなことを考えていると、授業の終わりを知らせるチャイムが鳴る。

「次回は簡単なテストをします。今日の授業内容を復習しておくように。
 平均点の半分を下回った人は、爆弾マークです」

 ホワイトボードに導火線のついた爆弾をチョークペンで描くと、『コンピューティング史』の教師であり、現人たちのクラス担任でもある里沙りさはそう言った。

 胸元に光るリンゴのブローチが印象的な彼女は、なぜかドヤ顔だった。もっとも、教室内の生徒たちの表情をみるかぎり、ただの一人にも意味は伝わっていないようだったが。
 その代わり教室内に満ちたのは雑多なざわめきである。なんといっても、昼休みなのだ。高校生にとって、これほどに楽しい時間は他に放課後があるくらいなのだから。

~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~

「さて、と」

 いささか疲れた思いで津瀬現人は席を立った。
 廊下へむけて歩き出すと、いつの間にか京が並んでいる。無意識に近くへ志保の姿を探した。そして、彼女は『コンピューティング史』を選択していないという当たり前のことに気づく。

「あいつは……調理実習だっけ」
「む、志保殿か?
 然り、だな。きっとお前のために腕を振るっているだろうとも」
「ああ、そうか……それで今日は弁当なかったんだな……」
「誘い受けの類いであったならすまんが、我が友よ。
 弁当の有無は重大事。もう少し早く気づいておくべきだと思うが」
「なんだ誘い受けって。
 僕はただ、毎朝あいつが出したものを持ってきてるだけだからさ。僕が弁当を持っていなかったら、あいつが出し忘れたってだけだろ。気にすることか?」
「重度の慣れ、あるいは中毒症状が引き起こした事態とはいえ……恐ろしいというか、無自覚こそ最悪というか……むむむ、むん」

 京の表情からは余裕が消えている。

(……こいつがこうなる時は)

 姉が近くにいるときか、あるいはドン引きしているときだと、現人は心得ている。
 しかし、今の会話にどんなドン引き要素があったのだろう。自分はただ、日常の一コマを当たり前のように説明しただけだ。どこにもおかしなことはない。おかしいとすれば、京の方だ。自分は間違ってはいない。
「むーん」
安澄あんすねえが近くいるはずもないけど……まあ、いいか」

 そう呟いて、津瀬現人が疑問を忘却に彼方へ消し去ろうとした━━その時だった。

「失礼」
「っ、あ……」

 前から来た金髪の生徒と現人の肩がぶつかった。
 それは決して珍しいことではなかった。
 ぶつかった側の金髪は、まるで事前に予測していたかのように、姿勢を乱さない。だが、相手よりやや背の低い現人はぐらりと体を揺らした。

(━━━━━━え?)

 現人にとって良くなかったのは、その動作が耳にかかった単眼鏡モノクルの鎖をも大きく揺らしたことだった。
 本来、落下を防ぐためにある細い鎖。だがそれは、絶妙のタイミングで現人の耳から解き放たれる。そして、彼の眼窩にはめこまれたレンズも、緩やかに落下を始める。

(や、ば)

 思考だけは電気の速度で先走る。だが、体は思考ほど迅速ではない。
 単眼鏡モノクルが。レンズが落ちる。手に取らなければ。割れたりしたら大変だ。そう考えつつも、腕が動き出すには時間がかかる。
 結果として、彼の視界はただ落下していく単眼鏡を見送るだけで━━

「━━とっと。うむ、危なし危なし」

 パリン、とレンズが割れる音の幻聴が聞こえたように思えた。
 だが、眼前に展開されている光景は180度異なっている。
 まるで薄皮一枚で金魚をすくいとるように、開いた扇子で現人の単眼鏡を受け止めた京がそこにはいた。

「……すまない。助かったよ」
「はっはっはっ、何のこれしきよ。
 さぞかし高価な代物だろうからな。割れては大変事大変事。無事にて万事は善き哉善き哉というわけだ」
「あ、ああ……そうだな。ありがとう━━っ!?」

 そして、そこまで口を開いて津瀬現人は硬直した。

(なんだ……あれ)

 その驚愕は、自分にぶつかった金髪の生徒が意味ありげな笑みを見せて、悠然と去ろうとしていたからではない。
 むろん、廊下の向こうから手を振りながら志保が走ってきたからでも、不思議そうに首をかしげる京がいたからでもない。

「……あ」

 津瀬現人。今、彼の視界には━━

 朝とおなじように無数の数字があった。単眼鏡モノクルを外した右目が見てしまう数字の世界。それは不愉快ではあっても、目覚めと共に毎日見慣れている光景に過ぎなかった。
 頭痛が起きる。ギスギスと脳が歪むように。けれど、それすらもとっくに手慣れた いつもの痛み(ルーチン・ペイン)と言えた。

(これ……おかしいよ、な……?)

 医師の説明によれば、それは極度の乱視のようなもの。
 数字のように見えているのは、精神的なところが原因に過ぎない。
 だからこそ、両親は彼らに特注の単眼鏡モノクルを与えてくれたのだ。さあ、いつものように右目を正常に戻そう。ごくごく当たり前のように、単眼鏡を眼窩へはめ直せば、視界は元通りになる……だが、しかし。

(なんだよ……あれ……)

 窓の外。
 校舎裏の方向に、見たこともない濃密な数字の渦が映っていた。膨大な虫がうごめいているように。あるいは、肉にむらがるカラスの群れのように。

(……こんなの)

 津瀬現人は、こんな光景をいままで見たことがなかった。

「っ……う、は」
「……どうした、現人。気分でも悪いのか?」
「な、なんでもない……大丈夫」

 京が心配そうに肩へ手を置いた。心臓の鼓動が極度に早まっているのを感じながら、現人は単眼鏡モノクルをはめ直す。

「やっほー、現人! あのね、実習で肉じゃがつくったのよ、肉じゃが!
 おいしく出来たから、お昼に食べましょ、ねっ!! ちゃんと三人分あるんだから!!」
「……っ、はあ……ぜ、は、ぁ……」
「現人? どうしたの?」
「わるい……少し……出てくる」
「ね、現人ってば! ちょっとどこ行くの? お昼ご飯食べましょう、って!!」
「いやいや、志保殿。どうやら現人はすこし気分が悪いらしいのだ。
 なに、少しそこらで休めばよくなる……そういうことだな、現人?」
「……あ、ああ。そうだな。ちょっと待っててくれ」

 ぜえぜえと荒い息を吐きながら、現人は気の利く親友に微笑みをみせる。
 とっくに視界は正常に戻っていた。
 それでも脳の片隅がギシギシと痛み続ける。背中には冷たい汗。のど元には嘔吐感。耳の中ではぐわんぐわんと何か忌まわしい音が鳴り続けている。

(なんだよ……あれ……)

 近づかない方がいいかもしれない。何か嫌なものかもしれない。
 それでも、はじめて幽霊の後ろ姿を見てしまった幼子のように、彼はその正体を確かめたいと思った。
 足は前へ進み、手は虚空へと伸びた。

(校舎裏……一階の裏口近くだな……)

 転びそうになりながら階段を駆け下り、すれ違う生徒たちのいぶかしげな視線を無視する。ごった返す購買前の空間を駆け抜けて、校舎裏へ出た。

「━━━━━━っ、な」

 そして、彼は見た。

「はっ……は、はだか……の、女の子……!?」

 壁にもたれかかるように。あるいは、誰かから隠れるように、何かが。誰かがそこにいた。

「………………ん」

 その存在は少女だった。
 まだ幼さを残した腰つきと乏しい体の起伏。たどたどしさを感じさせる声。それらのすべてが未成熟を示している。
 光ファイバーほどに透明なその長髪は、白く。
 月の砂ほどに煌めくその瞳もまた、しろく。

「君は……一体」
「……あなたは、だれ?」

 かくして、彼と彼女はここに出会いを遂げた。
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