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。るす費浪を年少は僕
作:椎名さかな


 俺は都会の中心からちょっとだけ離れた過疎化が進む町で生まれた。
 この頃の俺には何と無く気になる人がいた。その人は一つ上の学年で、でも一年留年しているらしく、俺はその正確な年を知らない。でも別に年上に変わりはないから俺はその人を「先輩」と呼んでいた。
 先輩にはその頃好きな人がいた。
 俺は先輩が、好きな人の事について話している時の、困ったように眉毛を下げてはにかんで笑う顔が好きだった。
 先輩はよく放課後の音楽室にきて、俺は放課後よく音楽室にいた。

「君、さ。結局何部?」
「……さあ、俺は趣味でやってるだけなんで」
「ふーん。私が初めてここにきた時も、そうやってアコギ引いてたよね」

 先輩はそう言って、ぐるりと教室内を見渡す。
 四時を回った窓の外は、紫がかった夕焼けの赤が宵闇の中にほんの少しだけ残っていた。
 その他は、曲にならない音の断片がぽつりぽつりと響いていて、先輩はそれを何も言わずに黙って机に頬杖ついて聞いている。
 伏目がちに机を見ていたが、そのうち目を閉じて、結局俯いた。
 俺はそれを黙って盗み見て、それから独り言のように呟いた。

「先輩、今日こそフラれましたか?」

 そしてもう一度人差し指で投遣りに弦を弾いた。
 その音が音楽室に響いて、吸い込まれるように何処かに消えて、夕焼けの色も無くなった頃に先輩はやっと顔を上げる。
 奥歯を噛み締めているのが、傍目にもわかった。
 恨めしそうで今にも泣きそうなくせに気丈な黒い眼だった。
 僕は飄々と何も言わない。図星か、と思った。
 そのうち先輩は鞄の中からファイルを取り出した。そのファイルの中から、今度はルーズリーフを取り出す。一枚机の上に置いてから、はぁと溜息を零した。

「あの人ね、南高校に彼女いるんだって」
「はあ。それはそれは御愁傷様で」
「本当、どーりでうちの学校の女に目もくれないと思ったら、そんなオチ」
「でも、むしろモテねえ方がおかしいかと。川原先輩、サッカー部でしたか? 俺は近くで見た事ねえけど、カッケーらしいですからね」
「……ふぅー、ん」

 そして先輩は天井を仰いで、普段より少しだけ高い声で笑った。
 アハハハハハハハハハハ。って。
 目許を片手で覆った、どっか壊れたみたいな、やり切れない笑い声だった。

「……先輩、泣きたいなら泣いた方がいいんじゃないですか? 一人になりたいなら俺は帰りますよ」

 先輩の声が切れ切れになった頃、俺は一言短く告げた。
 見開き二ページの楽譜を二時間半掛けて引き終わった後だった。
 興味本位で買った楽譜をぱたんとたたむ。殆んど先輩には目もくれず、ギターをケースにしまって、楽譜に書き込む為に広げた百均色鉛筆も片付ける。
 先輩の返事は無かったけれど、俺はそのまま帰る。帰りのバスが無くなるから。

「……馬鹿ねぇ」

 別れ際、先輩は自嘲気味に笑った。
 その台詞は俺に向けられたものだったのかも知れないが、先輩は、自嘲気味に笑っていた。
 困ったように眉毛を下げて、その表情に涙は無かった。

「こういう時だから、誰かと居たくて此処に来たのに」



 俺は帰りのバスに揺られて、人も疎らなバスの最後尾に脚を怠惰に伸ばして座る。
 隣でアコースティックギターがバスが揺れる度椅子から落ちそうになった。
 あの時先輩に何か言葉を掛けてあげるべきだったのだろうか。そう思って首を振る。
 失恋の痛みなんて精々本人にしかわからない。俺が肩代わりしようだとか何だとか、非現実的な話はしたくないし優しい言葉を掛けられるほど俺は出来てる人間じゃないし。
 あのタイミングで「じゃあ俺と付き合いましょうよ」とか、ふざけられる程軽い人間でもないし。
 時々俺は本当に先輩が好きなのだろうかと思う時がある。
 本当に好きならこんな冷めた目で見ることもないんじゃないだろうかとか、バス乗り過ごしても一緒にいてあげられたんじゃないだろうかとか、何かしらの一言や二言かけてあげられたんじゃなかろうかとか。
 そういう事を考えていたら、結局眠くなってその日は早く布団に入った。




「……私、水城君の事好きになってもいいのかなあ」
「そういう愛情なら他あたってくれますか」
「アハハ、やっぱり水城君は冷たいね」
「…… ……」
「でも、その方がいいと思う」
「俺も、先輩はもっといい人探すべきだと思いますよ」
「そうかな」
「さあ」
「でも、良い人か良い人でないかって、一体誰が決めるんだろう」
「…… ……」
「幸せの痛みってなんだろう。喪失の正義ってなんだろう。夢を見るものじゃないというんなら、私の理想の未来は一体何と言ったんだろう」
「……先輩」
「私は、川原君が好きだったのよ。本当に好きだったのよ。でもどれだけ私が望んでも、何一つ変わらない。他人の幸せ奪い取れる程、私は強くないしね。だって川原君、今、本当、楽しそうなんだもの」
「…… ……」
「ま、私は神様になれないのよ」

 そう言って先輩は、片付けかけた俺の色鉛筆を一本取って握った。逆手で、綺麗に伸ばしてた爪が手の平に食い込むんじゃないかって位、強く握り締めた。
 一瞬先輩は躊躇った。俯いた白い顔に、黒くて長い髪が影を作った。
 その空白の後、先輩はまるで殴りつけるみたいに、白いルーズリーフを塗りつぶしだした。明るい紫がひたすら擦りつけられる音を、俺はただ呆然として見ていた。
 削れた芯の先が弾け飛んだ。色鉛筆の先が丸くなってそして潰れるまで、先輩は手を動かし続けた。
 ルーズリーフの三分の二が雑に塗られた紫で染まって、完全に芯が潰れた色鉛筆が手の平零れる様に解放される。
 先輩は黙って紫を見つめていた。

「……先輩」
「……あのね、水城君」

 先輩の声は震えていた。
 小刻みに震える肩が、乱れた呼吸に合わせて上下に揺れていた。
 もしかしたら泣いていたのかもしれない。

「私の今日のラッキーカラーは、ダリア・パープルだった」

 そう言って頭を上げた先輩は、まるで顔が無かった。



「……バカみてえ」

 天井に向けて片手を上げて、意味も無くグーパー握っては開く。
 枕元の目覚し時計は、午前五時半を指し示していた。窓の外は、未だ暗い。
 一度眼が醒めたらなかなか眠れなくて、おまけに後数時間足らずでまた学校が始まる。朝風呂でもはいるかと立ち上がって、ゾクリとした。
 今迄先輩が夢の中に出てきた事なんて無かった。そう思って急に怖くなった。
 気がした。
 早朝で暖の無い部屋を見渡した。何故だか酷く殺風景に見えた。
 箪笥の中から着替えを出した。序でに二、三着、ベッドの上に投げ捨てた。電気ストーブの電源を入れてから、退室際にもう一度入り口から室内を見渡して、俺は足早に風呂場へと向かった。




「――水城!」

 悠長に長々と風呂に入って学校に着いたら早々、いきなり玄関で呼び止められた。
 訝しげに眉を寄せて振り返る。一応校内に足を踏み入れたから遅刻にはならないが、こんなギリギリの時間に何の用だと思う。
 見覚えの無い顔。他学年……長身と健康的に焼けた肌からきっと先輩なんだと思った。

「お前、水城昴、だよな。ちょっと……」
「そっちは、どちらさまで?」

 俺の無骨な問い掛けにその男の先輩は一瞬露骨な瞬きを繰り返した。

「三年の、川原秋晴。サッカー部の、一応部長をやってる」

 ああ、この人が、川原君、か。そう思って俺は緩慢な仕草で頬を掻く。
 雪降る朝の外気に晒された自分の頬は、想像してたのよりずっと冷たかった。
 カワハラセンパイは、そんな俺にまるで、蔑むみてえな視線をくれたんだ。

「佐倉奈津が、昨晩自殺未遂した」




「……先輩、薬なんかでよく思い立ちましたね」
「呆れてる?」
「少し」
「そう」

 その日、俺は学校をサボった。
 川原先輩はよく佐倉先輩が放課後の音楽室にいた事を知っていて、俺を問い詰めにきたらしい。
 HR委員長、として。
 それを聞いた時に俺は、先輩が好きだって言っていた人の顔を見ておこうだとか全く思えなくなって、今朝あったはずなのに川内先輩ってどんなツラしてたっけ。

「……あのね、水城君」

 そしてその日、俺は初めて先輩の名前を知ったんだ。

「バファリンじゃ死ねなかった」
「そうですか」
「胃洗浄、凄く苦しかった」
「そうですか」
「鼻から水入れて、ゲボゲボ、って、空っぽなるまで吐いて」
「…… ……」
「川原君は来てくれなかった」

 先輩は俺に背中を向けてベッドに丸まって、一滴一滴落ちる点滴をぼんやりと見ながらぽつりぽつりと話す。
 俺は適当な相槌を打ってそれを聞いていた。
 なんでそんな事したんですか、って、聞こうと言葉は出掛けたけれど、結局先輩に聞く事は無かった。
 俺は目を細めて先輩の背中を見る。
 それからテレビをつけた。何も考えてなかった。
 真っ暗な液晶がぼんやりと光って、映像が鮮明になるまでのタイムラグ。

「……でも、私、多分貴重な体験したよ」
「そうですか……」

 先輩の言葉は語尾が震えていた。昨日の放課後よりずっと肩が細かく震えていた。
 俺は傍らのティッシュ箱を取って、肩越しに先輩の前に落としてやった。
 適当な相槌以上に、なんて言ったらいいのかわからなかったけど、先輩は小さく頭を下げた。

「だって私は川原君が、知らない事を知ってるんだもの」

 先輩はいくら嗚咽に言葉を詰まらせても、それでも涙声で笑っていた。そこに皮肉が聞こえなかったのは、一体なんでだろうかと思う。

「……それじゃ、良かったですね」

 俺が好い加減な台詞の先で、昼間の天気予報士が明日から、徐々に寒気が緩む事を告げていて。
 午後の空は薄い紫に染まる。














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