お守り
「……さんの携帯でしょうか?
用件だけ残します。落ち着いて聞いてください。
奥様と娘さんが事件に巻き込まれました。
今現在病院で治療を受けていらっしゃいます。病院は……」
携帯電話に伝言が入っていた。
あまりのことに驚いてしばらく身動きが取れなかった。
同じ内容の伝言が何件も残っている。しばらく地下にいたのがまずかったらしい。
なんとか正気を取り戻すと、タクシーを掴まえて伝言にあった病院へ向かった。
深夜に近い時間だということもあり、道が空いていたのは幸運だった。
『幸運? こんなことになってなにが幸運だろう?』
自嘲の笑いが込み上げる。感情のコントロールができなくなっているようだ。
気付くと右手でお守りをしっかり握り締めていた。
胸ポケットに入れていたお守り。母の形見のお守りだった。
『大丈夫。このお守りがあれば心配無い。きっと大丈夫だ。
……頼む。母さん。助けてくれ』
ぶるぶる震えながらタクシーの中で必死に祈りつづけた。
タクシーは大きな病院の入り口に滑り込むようにして止まった。
俺は支払もそこそこに飛び降りた。
とりあえず救急と書かれてある場所を目指していると、途中で看護士にであった。
「すいません。妻と娘がここ運ばれたっていう連絡を受けたんですが」
看護士はすぐに状況が飲み込めたらしく、俺を処置室まで案内してくれた。
「妻はいったいどんな具合なんですか?」
よく分からない機械に繋がれて、妻はかろうじて生きていた。
医者は重い表情でうつむいている。
「どうなんですか? 妻は。
助かるんですか? どうなんですか?
はっきり言って下さい」
俺はもどかしくなり医者の胸座を掴んだ。
そこへ別の手が伸びてきた。
「落ち着いて下さい。御主人」
地味なスーツを着た40代くらいの男だった。
「ちょっとこちらへ」
男に促され、病室をでると、廊下の隅のベンチに座らされた。
男は警察の人間だと名乗った。
「話なら早くして下さい。俺はまだ娘の様子も見なきゃいけないんだ」
「大変申し上げにくいのですが、娘さんは、すでに……」
刑事は言葉を濁した。
俺は力が抜けてベンチに腰掛けたまま、頭を抱え込んだ。
手にしたお守りをずしりと重く感じた。
刑事は気を使うように状況を説明し始めた。
「お宅に強盗が入ったようです。
奥さんと娘さんは1階のキッチンで刺されていました。
お隣りから通報が入り、すぐに駆けつけたのですが……」
「もういいです。わかりました。もう。
俺は今は、今は妻に付いててやりたいんです。頼みます」
処置室から看護士が飛び出てきた。
俺を呼んでいる。
急いで処置室にもどった。
妻のまわりを何人かの医者や看護士がこわばった表情で行ったり来たりしている。
激しい言葉のやり取りの中、俺は看護士の一人に場所を譲られ、妻の側に座った。
「手を握ってあげて下さい」
そう言われる前に、俺はもう妻の左手を握っていた。
二人の手の間にあのお守りを挟んで。
知らず知らずに涙がこぼれ、視界がゆがんできた。
周囲の物音も一切聞こえなくなった。
感じられるのは、ベッドの妻と自分の存在だけ。
妻の手を握り俺は必死に祈った。
妻の指が俺の手の中でピクリと動いたような気がした。
俺は全身全霊でお守りに祈りを込めた。
『頼む。お願いだ。
母さん。助けてくれ。
早く……。
頼む……』
そうしてどれくらいの時がたったのか、誰かが俺の肩にそっと手を置いた。
顔を上げると、俺が胸座を掴んだ医者がいた。
医者は俺に向かってゆっくり首を横に振った。
「残念ですが……」
その言葉に全身の力が抜ける思いだった。
回りの全てがゆっくりと片付けられ始め、医者が臨終の時間を記録した。
なにもかもが夢の中の出来事のようだった。
俺はふらふらと廊下にさまよいでてベンチに一人腰をかけた。
じっと右手を見つめる。
いつも俺を助けてくれた母の形見のお守り。
受験の時も、結婚の時も、子供が生まれた時もいつもいつも俺を助けてくれたお守り。
お守りはなぜかとても重かった。
まるで妻と娘を刺したときのように右手が疲れていた。
『……死んでくれて、よかった……』
また今回もお守りに助けられた。