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夢の国のアリス
作:神崎亜実



第九の国 「約束」


 買い物をした後、啓太が吾吏須のことを心配してくれて電車ではなくタクシーで帰ることになった。金は買い物代を少しちょろまかして(元々、愛も余ったら使っていいと言っていた)残りは啓太が払うことになった。
 もちろん吾吏須は猛反対した、本来ならば啓太は電車で帰れるのだから、自分が払うと。
 しかし啓太もなかなか譲らず、言い合いの果て吾吏須は敗北し啓太が払うことになった。だが吾吏須も納得できず何時か必ず返すと啓太に宣言してきた。
 できるだけ料金を少なくという吾吏須の意見はなんとか了解され、駅前で降りることになっていた。そもそも、駄目なのは電車だけなので、それ以上は子供では無いのだから普通に歩ける。
「絶対に返すからなッ!」
 タクシーから降りて、最初に発したその一言に啓太は苦笑した。先ほどからずっとこの言葉ばっかり飽きもせず言っているのだから。
「だから別にいいって」
「駄目だ、それは俺の美学に反する。それに、人の好意は黙って受け取れってんだよ!」
「それは吾吏須も同じだろ? 俺は別に払わなくてもいいって言ってるんだから」
「俺が納得いかないんだよ! つーわけで、絶対に返す! いいな!」
 啓太はあははと笑っていたが、きっと吾吏須ならば地獄の果てまでも追いかけ絶対に返すだろう。それこそ夢に出てきそうなほど恐ろしい人相に違いない。
 すると、啓太が何かを発見したのか近くの公園の大きな樹の所まで走っていく。すでに5時なので、あまり人は居なかった。
「吾吏須! 見ろよ、懐かしいの発見」
「あ、そういやこの近くだったっけ?」
 啓太は一目散に走っていった公園は、昔啓太と吾吏須が始めて出会った公園だった。都会では珍しい緑の生い茂った公園は、綺麗に管理されているらしく、昔とあまり代わっていなかった。
 たしかに、昔は無かった遊具なども少し増えたが、この大きな樹はまったく同じだった。この近くに二人が通っていた幼稚園があったのだが、もう12年も前に卒園したのだからあまり記憶には残っていない。
「懐かしいな、もう啓太と出会ってから12年も経つのかよ」
「その時よりは身長伸びてるみたいだな」
「あたりまえだッ! ったく、昔はさ同じくらいの身長だったのに俺に許可無く抜かしやがって」
「それは俺のせいじゃないだろ」
 小学生になった頃も、よく身長で対決していたことがあった。しかしここまで体格に差が出たのはきっと中学生の頃だろう。何時の間にか3センチ、7センチと身長に差が出てきてしまった。
 吾吏須はとても悔しそうだったが、テストでは完璧に吾吏須が勝利していた。
 学年1位はあたりまえ、中学は進学校に行った方がいいと何度も周りに言われたが啓太と一緒の中学がいいということで、推薦も全て断った。
 そして、その頃から興味の出るものに差があった。吾吏須は勉強、とくに心理学に興味を示したが、啓太はスポーツなどに専念するようになった。
 しかし、二人の仲が薄れることなど無い。今でも二人とも同じシリーズのゲームが好きだし、何かと服の趣味なども合っている。
 すると、啓太が何かを思い出したのか苦笑した。
「そういえば、昔此処で……」
「苦い思い出を引きずり出すなッ!」
 どうやら吾吏須も啓太の言葉で思い出したのか、顔を赤く染めた。
「あの頃は幼かったから、意味とかよく分かってなかったんだよ」
 吾吏須の言っている幼い頃の思い出というのは、啓太と吾吏須が始めて会ってから小学校にあがる時のことだった。
 一緒のクラスになれるか心配だった二人は、離れても友達でいようと、ずっと一緒だよという子供らしい『約束』をした。
 それを言い出したのは啓太だったのだが、いったい何処で間違った知識を得てしまったのか、約束の仕方がキスをするというものだった。

――キスが約束の証って……今、考えるとすごく恥ずかしい。

 たしかに、本当のキスの意味を知った時はファーストキスを男に奪われたことがショックだった吾吏須だが、今は微かに嬉しかった。
「本当に、何処でんなの知ったんだよ」
「たぶん、あんまり覚えてないけど結婚式とかだと思う」
 たしかにやり方は結婚式に似ていたなと、吾吏須は思い出す。やり方は片方が『両方ともずっと一緒に居ますか?』と言い、もう片方が『約束します』という方法だった。まさに結婚式と同じやり方だ。
「考えてみると、ずっとその約束を守ってるんだよな」
「たしかに、今此処でこうやって話してるんだもんな……」
「でもさ、俺……今まで約束を守ってくれたの啓太だけなんだぜ」
 ふと口にした言葉に、啓太は少し驚いたような表情をする。その啓太に気付かないで吾吏須はそのまま話を続けた。
「父さんと母さんと一緒に食事しようとか、一緒に遊園地行こうとか。一度もその約束守ってくれたこと無くてさ」
 その言い方は吾吏須は意識をしていなかったのだろうが、寂しさが混じっていた。
 共働きだった吾吏須の両親は、いくら約束をしても守ってくれるような人ではない。しかし、それは仕方ないことだと吾吏須は理解しているし、それを望んだりはしていない。
 もしかしたら、こちらを見てくれるかもしれない。約束を守ってくれるかもしれない、という期待は幼い頃だけだ。今ではそんな期待を抱くことさえ馬鹿馬鹿しく感じてしまう。
「俺にとっての『約束』って、絶対に守られないものだったんだよ」
 それを聞いた啓太はとても辛い顔をしている。ようやく啓太の様子がおかしいのに気付いた吾吏須は声をかけた。
「啓太?」
「俺は! 俺は……ッ!」
 いきなり叫びだした啓太は何かを言いたそうに口を開く。
「俺は……絶対に吾吏須との約束守るから! これからもずっと! 何があってもこの約束だけは果たすから!」
 ようやく口から出た言葉は、とても必死なものだった。
「啓太……お前」
「だから、そんな悲しそうな声出すなよ」
 お前の声自体が悲しそうじゃないか、とツッコミたかったが吾吏須はしなかった。それよりも本当に自分は啓太に想われているのだなと、心の中で痛感していた。
 今まで自分は、こんなにも啓太に想われているのに、その想いを返せただろうか。きっと啓太は見返りなど求めていない、しかし吾吏須はそんなものでは納得できなかった。

――与えられているのすら分からないなんて、馬鹿だよな

「啓太、俺だってその約束は守るから。それに悲しそうな声なんて出してねぇよ!」
「ゴメン……でも、なんか吾吏須すっごく寂しそうで」
「そ、そんなことねぇって……」
 少しの沈黙が流れた、それはとても静かなもので、どちらも会話を続けようとしたが話題が見つからないらしい。
 すると、吾吏須は何を見つけたのか地面にしゃがみこんだ。
「吾吏須? どうしたんだ」
「ちょっとな」
 吾吏須は地面に所狭しと生えている葉っぱ――シロツメ草を摘んだ。

――あった、これだ。

 立ち上がり、啓太の前に積んだシロツメ草を差し出した。それは普通の三枚葉のシロツメ草ではなく、四枚葉のものだった。
「これの名前、覚えてるか?」
「シロツメ草だろ、覚えてるよ……その、キスした日に教えてもらったものだから」
 啓太はどうもその時のことが未だに恥ずかしいのか(それは吾吏須も一緒だ)ふいと顔を逸らした。
「そんじゃあ、この花言葉は覚えてるか?」
「花言葉……? えっと、たしか……」
 忘れてしまっているのか。まったく、といった少し呆れた表情で吾吏須は口を開いた。
「シロツメ草の花言葉は――『約束』だよ」
「お、覚えてたよ! ただ、少し忘れたけで」
 嘘だろと言う吾吏須に、啓太は苦笑した。昔から気になることは調べるようにしていた吾吏須は花の名前や花言葉をほとんど覚えていた。よく調べたものを啓太に教えてあげるなどしていた吾吏須は、きっと恋愛感情やそういったものは関係なく、啓太が喜んでくれるのが嬉しかったのだろう。啓太が何を聞いてきてもいいように、たくさんのものを勉強していた。
 それが今の成績に繋がっているのだから、啓太には感謝しなければならないかもしれない。

――とは言うものの、男子高校生ですぐに花言葉が出てくるってどうよ。

 そのあたりに関してはため息が出てしまうが、啓太が喜んでくれるので良しとする。
「あの時も、お前にシロツメ草を渡したの覚えてないのか?」
「覚えてるよ! 初めて吾吏須からもらったものだったし……それに」
「それに?」
「な、なんでも無い!」
 何かを隠しているのは一目瞭然だったが、いったい何を隠しているのだろうか。しかし、こうやって啓太が吾吏須に何かを隠すのは珍しい事だ。もしかしたらあまり探られたくない事なのかもしれない。
「なぁ……まだ、俺と一緒に居てくれるか?」
 吾吏須の静かな声は、今すぐにでも消えそうなほど小さかった。
 やはり、現実で啓太の危機をまの辺りにして、この儚い夢の世界に居るのだから不安なのかもしれない。制限時間まであと一日、その間までに理想の関係にならなければいけないのだから。
 もしも、失敗すれば。

――もう、約束が守れなくなるんだよな。

 すると、啓太は胸に手を当て自身たっぷりな声で言った。
「あたりまえだよ、さっきも言ったとおり! 俺はずっと吾吏須と一緒に居る」

――ありがとう、啓太

 心の中だけで、そうお礼を言った。まだ啓太に向かってはっきりとお礼を言うのは恥ずかしい、だからこそ、心の中だけでも素直にお礼を言いたいのだろう。
「そうか……そんじゃ、これ上げるよ」
 すると、吾吏須はシロツメ草を啓太に差し出した。吾吏須にとってこれはきっと『約束』の証のようなものなのだろう。昔はキスだったが、今はさすがにそんなことできない。だからこそ思い出のシロツメ草なのだろうか。
 啓太は笑顔で吾吏須の渡したシロツメ草を受け取った。その笑顔につられ吾吏須も微かに笑った。
 きっと啓太も吾吏須の言いたいことの意味を分かっているのだろう。だからこそこうやって吾吏須に微笑みかけてくれたのだ。
「なぁ……けい――」
 名前を呼ぶ前に、吾吏須の視界にはとても近い啓太の顔があった。そして唇に触れる柔らかな感触、それは昔に一回だけした行為とまったく同じだった。
 今、現実で起こっていることが理解できない。ありえないくらい近い距離にいる啓太と唇に何かが触れる感覚。そうやくその柔らかいものが唇だと気付いた時にはすでに啓太の唇は離れていた。
 それはきっと触れるだけのキスだったのだろう。それは体験した吾吏須でさえ分からなかった。それほど吾吏須は混乱していた。

――これって、つまりその……

 キス、英語表記で『Kiss』古式表記では『接吻』と書く。意味は国によってさまざまだが、日本では一般的に口と口でするのは恋人同士。
 啓太と吾吏須はもちろん恋人同士ではない、たしかに吾吏須はそれを望んではいるが、まだその関係には達していない。
「吾吏須……俺は」
 啓太のその声は、吾吏須にとってただの音声としか認識されない。それよりも今、目の前にある現実が信じられなかった吾吏須は呆然と立ち尽くしていた。
 何か喋らなくてはと口を開けるが、何も言葉が出てこない。
「その、俺は吾吏須のこと……ッ!」
「あ、ああああのさ! 俺が女王様に荷物届けてくるから先に帰っててくれ!」
 啓太の持っていた買い物袋を強引に引っ手繰り、すぐに学校への道のりを走っていく。
「吾吏須!」
 名前を呼ばれた気がしたが、振り返ることなどできなかった。何故ならば心臓の鼓動がありえないほどに高鳴っている。きっと今、脈をはかったら180は軽く超えているだろう。
 そして何より、顔が熟した林檎のように真っ赤に染まっている。身体が熱くてどうにかなってしまいそうだ。
 今までこれほど早く走ったことがあるだろうかと思ってしまうほど爆走した吾吏須は、いったん止まり息を整えた。そして先ほどの行為をよく思い出す。
 啓太の唇が自分の唇と重なった。そのことを考えるだけで吾吏須は壊れてしまいそうだった。
 そっと、啓太の唇が触れた部分を指で触ってみる。すると、その時の柔らかい唇の感覚が鮮明に蘇ってきた。
「キスって……キスって何だよ」
 何も考えられない、考えればそれだけで頭が爆発しそうだった。吾吏須はそのまま意思の無いうちに学校に着いていたが、その後いったいどうやって愛に買い物袋を渡したのかも覚えていない。
 ただ、唇に微かに感じる熱を感じながら。












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