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夢の国のアリス
作:神崎亜実



第十の国 「三月ウサギの狂気」


 待ちに待った桜花祭当日、それは吾吏須にとって不満だらけだった。
 まず、一つ目の不満というのが、今回の吾吏須の服装、吾吏須のクラスである2年5組は『アリス喫茶』をやることになったのだが、そこで吾吏須の役柄が少年アリスになった。
 そして、愛がいろいろ衣装を調整したいということで、本日始めて衣装を着たのだが、その衣装というのがやけにフリルのついた可愛らしいものだ。
 緑色の半そでのジャケットに、膝上5センチの半ズボンというまさに純情少年の元素たる服で、ふちというふちにフリルが豪華絢爛に付いている。
 いくら室内とはいえ10月の季節では半そで半ズボンというのはかなり寒い。足は白と黒の縞々の長いソックスのおかげで守られているが、腕はそのまま露出しているた肌寒い。
 元々はここまで可愛らしい服ではなかったのだが、愛の要望でこうなったらしい。もちろん吾吏須は講義したが全て却下された。他にこの衣装が切れる男子も居なければボーイッシュな女子も居ない為、仕方なく吾吏須はそのフリフリな可愛らしい服を着ることになった。
 しかし、吾吏須の不満はそれだけには留まらなかった。これは誰のせいとも言えないのだが、吾吏須が一番楽しみにしていた松山のウサ耳姿、見た瞬間絶対に笑ってやろうと決意していた吾吏須は松山の姿を見て唖然とした。
 三月ウサギの薄いこげ茶色の耳は、何故か悔しいほど松山に似合っていた。これは嫌味などでは無く、本当に似合っているのだ。
 元々松山のスタイルが良いせいなのかウサ耳までも着(?)こなしている。どうして同じ可愛いもの同士なのにこうも差が出てしまうのかと吾吏須は不満でならなかった。
「ったく、啓太も啓太でなんか似合ってるしさ。同じ男なのにどうしてこうも差が出るんだよ」
 呟くように愚痴を言った吾吏須は、お盆に紅茶を乗せて運んでいる白ウサギ姿の啓太を見る。その表情は真剣そのものだった。白ウサギの衣装はまるでタキシードのようなもので、後ろには尻尾が付いていた。それにはさすがの吾吏須も笑ってしまった。
 真剣なの啓太に限ったことではなく、このクラスに居る全員に感じられるものだった。
 理由は桜花祭という学校行事だからちゃんとやらないといけないという純粋な思いからでは無く、演劇部から借りた豪華な衣装を汚してはいけないという思いからだろう。
 吾吏須もさすがに汚してはならないと野生の感が言っている為、絶対に汚さないように必死だった。
「お客様の入店です。アリス達、準備をお願いします」
 メイド風女王様の格好をした愛の声を聞くと、すぐに吾吏須は入り口へと向かった。このアリス喫茶はやけに本格的なものだ。このアリス喫茶は全10席でワンオーダーにつき15分間居られる。最高30分まで居られるのだが、一番安いそれほど量の無い飲み物の値段が450円とやけに高い。一番高いケーキがプチサイズで1000円だ。これではお客さんがやってこないのではと思うがその心配は無かった。
 コスプレ見たさにやってくる客や、その接客目当ての客が多くかなりアリス喫茶は大盛況だ。だが一番の理由は――
「分かりました、女王様」
 吾吏須はそう答え、入り口の目の前に立つ、すると愛の手によって扉が開けられカップルらしき男女二組が入ってきた。
「アリス喫茶にようこそ、異世界のお嬢さん、お兄さん。招待状はお持ちでしょうか?」
 すると、女性の方がピンク色の紙を吾吏須に渡した。これは入り口で貰うものなのだが、そこには一番最初の予定時間が記入されている。
――えーと、このお二人さんは15分か。
 もう招待状は使わないので、すぐさまポケットにしまい、深くお辞儀をする。
「今回はアリス達のお茶会に参加していただきありがとうございます。僕はアリスと申します、どうぞよろしく。それではお客様の席はこちらです」
 この喫茶店が大盛況の一番の理由は、店員がその役になりきるというものだった。内装も完璧に作られており、よく一週間でここまで完成したなと関心してしまうほどだった。
 その為、客も自分がまるでその世界に居るかのような感覚に陥る。
 カップルを開いている席へと案内し、お辞儀をしてすぐに厨房と言う名のせまい飲み物を入れたりするスペースへと水を取りに向かう。するとそのには先客が居た。
「よう啓太……じゃなかったな、白ウサギさん」
「あはは、そうだなアリス」
「てか、本名が同じだからあんまり違和感ねーよ。本当に母さんを恨む」
 吾吏須が苦笑すると、啓太も一緒に笑った。すぐに吾吏須は使い捨てのプラスチックの容器に氷と桜花学園の美味しいかどうか微妙な水道水を入れ銀色のお盆に乗せる。
 すると。
「熱ッ!」
 何かが派手に地面に叩きつけられる音と共に啓太の悲鳴に似た声が聞こえた。どうやらポットにお湯を入れようとして落としてしまったらしい、手には痛々しい火傷の痕があった。
「おい、啓太! 大丈夫かよ」
「だ、大丈夫……」
 吾吏須はすぐに水道の水を流し、そこに啓太の手をつける。
「俺、保健室に言って火傷の薬貰ってくるから待ってろ!」
「いいって吾吏須、そんな大したのじゃ」
「馬鹿ッ! 大したことあっても無くてもちゃんと処置しないと駄目に決まってんだろう。大人しく待ってろよ!」
 そう言うと、吾吏須はすぐに厨房から飛び出し教室のドアから出ようとする。
「アリス、どうしたの?」
「啓太が火傷したから保健室行く、あ……さっきのお客さんに水出しといて!」
 扉を強引に開け、込み合っている廊下を全力疾走した。度々ぶつかってしまった人に謝罪をしながら目的の保健室のある一階に続く階段を下りていく、すると後ろから一番嫌いな人物の声がした。
「夢原吾吏須」
 自分の名前をフルネームで呼ぶ人間は、一人しか居ない――松山だ。
「なんでしょうか先生」
 早く保健室へ行きたいもどかしさと、一番嫌いな人物に出会ってしまった苛立ちのせいで、吾吏須の声は非常に低くなった。
 振り返ってみると、何故か松山はウサ耳ではなく普段とまったく同じ服装だった。
「どうして先生、三月ウサギの衣装じゃないんですか?」
「私は教師としてやることがあるので先に抜けさせてもらった、最初にそう報告していたはずだが? それよりも夢原、用があるので来なさい」
「後でじゃ駄目ですか?」
「今すぐにだ」
 松山の声はまるで強迫のような感じがした。仕方ないと肩を竦め吾吏須は松山の後についていった。
 連れていかれた場所は、普段あまり誰も立ち寄らない生徒指導室だった。中に入ると、埃っぽさに吾吏須は咳きをした。普段使われていない証拠かそこら中に埃がたまっている。
 薄暗い室内は少し不気味だった。唯一の明かりは窓から差し込む微かな光だけ、それもすでに午後三時という時間なだけあって本当に僅かだ。
 吾吏須が先に入り、松山が後から入ってくる。ガチャンと扉をやや強引に閉めた松山は、普段とまったく同じ見下すような視線を吾吏須に向けた。
 松山と二人っきりなどご免だ、一刻も早くこの場から離れたい吾吏須は苛々した声で言う。
「先生、早くしれくれませんか? 啓太が待っているので早く済ませてほしいんですけど」
「また白兎啓太か!」
 普段の松山からは想像もできないような感情の篭った叫び声は、生徒指導室に響き渡った。この学園で松山がこんな人間らしい声を出すことを知っている生徒はいったい何%だろう。
 きっと、吾吏須だけしか居ないのではないだろうか。そう思ってしまうほど松山が感情的な声を出すことは珍しい。
「本当に貴様等は仲がいい、とても硬い友情で結ばれている……だがそれが私を怒らせているとは思ってもみないだろう」
「あんた……何言ってんだ!」
 その松山の姿はまさに恐怖だった、怒り狂った声、理性を失った獰猛な野獣のように荒々しい行動に吾吏須は唖然としてその場に立ち尽くしていた。すぐにこの場から離れなければいけないと全身が訴えているにも関わらず、まったく身体が動かない。
「夢原吾吏須、私は君のことをずっと愛していた」
 時間が止まった、そう感じてしまうほど松山の言葉は以外すぎる。今まで燦々嫌味を言っていた人間から告白されれば誰だって驚くだろう。しかも相手は教師であり男だ、そんなこと誰も予想できない。
「何故、私が君を生徒指導室に連れてきたか分かるか? あまりにも口が悪い君を調理する為だよ夢原吾吏須」
「調理って、何意味不明なこと言ってんだよ、この馬鹿教師!」
 次の瞬間、松山は笑い出した。その笑い声は欲望と喜びが混じっているかのようだ。
 てっきり馬鹿教師と叫んでしまったのを怒るかと思っていた吾吏須は、予想外の松山の高い笑い声に固まっていた。
「夢原、本当に君は素晴らしい! 私の性を震わせてくれる。普段私が君のことをどう思っているかなど知らないだろう?」
「気色悪い、知るか、てか知りたくも無い!」
「私はずっと、その罵倒する唇を奪ってみたいと思っていた。そして私が愛した結果、その唇から紡ぎだすのは私を求め快楽に酔う淫らな声だろう」
 正直、この松山という教師は精神が怒れているとしか思えない、教え子に欲情するなど普通の教師がしていいことではないはずだ。
 その時、吾吏須は始めの頃に帽子屋の言っていたことを思い出した。
『強気な子ほど、マゾヒスティックに調理させたくなるものです。それがサディスティックの性というものです』
 つまり、この松山という教師は、何時も睨み反抗的な吾吏須を自分好みに調理したいという真性のサディスティックというわけだ。
 どうやら帽子屋は間接的に松山が危険だと注意してくれたらしい。
――だったら、もっとはっきり言えよ!
 すると、ガチャンという金属音が聞こえ、それが鍵を閉める音だと分かった時は既に遅かった。松山はゆっくりと吾吏須に歩み寄りながら、捕まえた獲物を見る狼のような視線を吾吏須に向ける。その舐めるような視線は正直言っていい気分ではないし怖い。
「松山……てめぇ、んなことしたら絶対に捕まるッ!」
「君にそんなことを言う勇気があるのか? まぁ、私は両親の残してくれた財産のおかげで職を追われてもまったく問題無いのでね」
 松山のその言葉は、此処で吾吏須を犯してもまったく問題無いという意味だ。すると松山は吾吏須にあと10センチという所まで迫っていた。すると。
「おい、吾吏須! 此処に居るのか!」
「啓太?」
 扉がドンドンと叩かれた、外から聞こえてきた声は紛れも無く啓太のものだ。松山は食事を邪魔された野獣のような顔をしながら扉の外に居る啓太を睨んだ。
「よかったな、夢原……だが、残念ながらお友達は君を助けたくとも鍵が閉まって入れない。扉の外で普段の君からは想像もできないような淫らな声を聞くことになるだろうな」
 そんなことはあってはならない、それは吾吏須にとって拷問に等しいのだから。否、むしろ松山にとってはそうなることを望んでいるに違いない。そうやって吾吏須の苦痛に歪む顔が見たいのだろう。
「この悪趣味野朗がッ!」
「さて、さっそくその口を黙らせてやろうか」
 すると、松山は吾吏須に覆い被さり、吾吏須の身体は地面に打ち付けられた。松山の顔があと3センチという距離まで迫ってきている。こんな至近距離で松山の顔なんぞを見たくない吾吏須は目を瞑った。そうでもしなければ松山の欲望に満ち溢れた目に負けてしまいそうだった。
「離せ!」
 必死に叫び胸をドカドカと叩いても、まったく松山には効かない。こんなところで力の差を見せ付けられるなど思ってもみなかった。こんなことならばもう少し筋肉を鍛えておきべきだと吾吏須は後悔した。
 嫌気で目から涙が零れそうになるが、それでは松山を喜ばせるだけだと思い必死に泣かないように我慢する。

――啓太……ッ!

 次の瞬間、信じられないことが起きた。凄まじい爆発音に似た音がしたかと思ったら、薄暗い室内に光が差し込んだ。どうやら、その原因はこの部屋の扉が壊されせいらしい。
 吾吏須と松山は扉の方を向き唖然としていた。そこには扉を壊した張本人であろう人物、白兎啓太がものすごい表情で立っていた。
「啓太……?」
「白兎……ッ!」
 二人の声がちょうど重なった。どうやら啓太は鍵が閉まってした扉にタックルしこじ開けたらしい。啓太は駆け足で二人に近寄り吾吏須から松山を引き離す。
 そして吾吏須の腕を強引に掴んだ、その手の力はものすごく吾吏須は痛みで顔を顰めた。隣に居る啓太の顔は怒りと焦りに満ちている。
「ふざけないでください……ッ! いくら貴方が教師でも許しません! 吾吏須は、吾吏須は俺の……大切な親友です!」
 大切な、の前に何か他のことを言おうとしていたことに、吾吏須は気が付いた。しかし、今はそれどころでは無い。啓太が教師である松山に対して本気で怒っている。
 その怒りは、あの痴漢の時よりも凄まじく、殺気を漂わせていた。松山も啓太の表情に驚いているのか、唖然とした表情をしている。
「白兎啓太……貴様」
「先生には、絶対に吾吏須を渡しません」
 それは、松山に対する啓太の宣戦布告だった。
 高々に言った啓太は満足したのか、吾吏須の腕を引っ張り外へと連れ出した。それから無言のままあまり人の立ち寄らない物陰へと隠れた。
「良かった……吾吏須が戻って来ないから心配したんだ」
「啓太、ありがとう……本当に」
 震えた声で、吾吏須は啓太に礼の言葉を述べた。本当に駄目だと思った時に助け出してくれた啓太を吾吏須はまるで王子様かと思った。ウサ耳も外しているようなので、十分そう見えてしまう。
 しかし、そうなると自分の立場はお姫様だ、いくら事実とはいえそれは少し男として認められない。
「大丈夫か? 松山に変なことされなかった?」
「えーと、その大丈夫。あのさ、けい――」
「ちょっと二人とも!」
 吾吏須が何かを言おうとした時、後ろから愛の声が聞こえた。振り返ってみれば、そこには少し怒っている愛が腰に手をあてながら立っていた。
「早く戻ってきなさいよ、いろいろ大変なんだからね。啓太は早く戻って吾吏須ちゃんは持ってくるものを早く持ってくる! 以上」
 その声は、逆らうことを赦さない声だった。
「は、はい! そんじゃ先に行ってるから後でな吾吏須!」
「ちょ! 啓太」
 すると、啓太は愛と一緒に階段をあけ上がって行ってしまった。吾吏須もその場に呆然と立ち尽くしている訳にもいかず、保健室への道を爆走する。
 吾吏須は混乱していた、二回も自分を助けてくれ、しかも昨日はキスまでしてしまったのだから。嬉しさのあまりこのまま死んでもいいとさえ思えてしまう。
 だが、啓太の心が分からないのだ。確かに助けてくれるのは親友だからということで納得ができる。本人だって吾吏須のことを親友だと言ってくれている。しかしキスは別だ、キスは好きな人にすることで親友だからといってすることではない、ましてや男同士でなど。
 それでは、啓太も吾吏須のことを好きなのではと考えるのは自惚れているのだろうか。
「分かんねーって!」
 ようやくたどり着いた保健室の扉を開けると、そこに居た人物に吾吏須は絶句した――帽子屋だ。












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