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龍女記

作者: 西洋

 この世の栄華を極めた平家は壇ノ浦の合戦で滅び、幼き帝は海に沈んだ。三種の神器とともに。


 神器を帝とともに沈め奉ったのは、二位尼。帝の祖母である平時子であった。しかし、尼の弟である平大納言時忠はそのうちの神鏡を保全し、己が身の無罪放免を求めた。結果、時忠は死一等を減じられ、能登国への配流となる。ともあれ、神鏡は新帝のもとに戻ったのであった。

 源氏方にすれば、戦に勝ったとはいえ、三種の神器のうちの二つを海底に沈めてしまったことは大きな失態であった。地元の海人が多く集められ、何度も捜索が行われた。しかし、見つからない。


 五郎左が父より与えられた所領は、壇ノ浦からさほど遠くない深見村という小さな漁村だった。

 田畑はあまりない。村人が食べる僅かな菜が採れるだけである。されど、寂れているわけではない。この村では、海女の稼ぎが大きな収入となっていた。この村で潜りは女の仕事。男は、農作業とわずかな賃稼ぎをしている。


 父の下で合戦に参じたが五郎左であったが、手柄らしい手柄もなかった。父も結局はもともとの所領の地頭職を安堵されたにすぎない。小地頭の庶子である五郎左には、この一村だけでも御の字だったのである。

 しかし、この戦乱にうまく立ち回って立身出世をしたものも少なくはない。それを思うと、まだ若い五郎左は小さい漁村で燻っている自分が情けなく、苛立ちを感じるのだった。


 そんな時、奇妙な噂を下人が聞きつけてきた。

「海女の連中が、龍神の宮と呼んでいる場所がございます。帝がお隠れになってから、夜に舟で通ると海底が光って見えるという噂でございます。そこは海底で潮が渦をまいていると言われていて、海女は誰も潜りはしません。」

 

 それは単に噂に過ぎないことであったが、五郎左には捨て置けない話であった。もし帝とともに沈んでいるという「御神物」を引き揚げることができれば、自分にも立身出世の運が巡って来るかも知れない。


五郎左は、村の海女の棟梁を召し出した。棟梁の海女は、はつといい、二十歳ほどの、ぎらぎらとした強い眼をした女だった。肌も髪も日に焼けており、小柄ながら体には麻の衣を着ていてもわかるほどに逞しい筋の肉がついていた。

「御館さまは、あそこへ潜れとおっしゃるか。あそこへ潜る海女はおらん。」

 女は挑むような物言いをする。はつの母も、その母も、代々棟梁を務めた腕の良い海女であった。はつは、己が技量に自信を持っていた。

「国の一大事じゃ。潜ってくれぬか。褒美は致す。」

 はつは、若い女に似合わぬふてぶてしさで暫く考えた後、にやりと笑う。

「では、御館さまはわしの婿になれ。御館さまがわしの婿になるなら考えてもいい。」

 何を言いだしたものかと、五郎左は、はつの顔をうかがうが、冗談を言っているようにも見えぬ。

「この村では、女子は自分で自分の婿を決める。当たり前じゃ。わしら女は、稼ぎ頭じゃ。この体一つで、家族も養う。わしはここでは棟梁じゃ。御館さまを婿にとって、我が身内にするも悪くはない。それが褒美なら、考えてやらぬこともない。」

「賤しき身の分際で!今、おまえを斬って捨てることもできるのだぞ。」

 五郎左は刀に手をかけて怒鳴りつけたが、はつは動じない。

「わし以上の海女はおらん。わしを殺せば、あそこへ潜れるものはいなくなる。」

 五郎左は言葉に詰まり、そのままはつを帰した。


 翌朝、村の者が、海辺に流れ着いた女を、五郎左の屋敷に担ぎ込んできた。唐衣に唐髷を結った異形の姿で、ただの行き倒れには見えぬと運ばれてきたのであった。血の気を失ったような白い顔は、この世のものとは思えぬほど美しかった。女たちが介抱すると、女は目を覚ましたが、口はきかない。

「異国のものか?それとも、新しい意趣の遊び女か?」

 尋ねても、返事をしない。五郎左は、女が唐人で言葉を解さないのではないかと思った。それなら、それでいい。機会を見て、ことばのわかる商人にでも見せればよい。


 それにしても、その女は美しく、神々しく、まばゆかった。五郎左が見たことのないものだった。自分のようなものには、縁がないように思えた。


 そうだ、自分のようなものには、だ、と五郎左は思った。


 数日後、海が穏やかな日に、五郎左とはつは、龍神の宮にむけて舟を漕ぎだしていた。五郎左の下人が舟を漕ぐ。やがて、海の底から光が放たれる場所に着いた。

「わしは、必ず拾いあげてみせる。御館さま、約束じゃ、約束じゃぞ。」

 白装束のはつは、緊張した面持ちで念を押し、深く潜っていった。

 はつが姿を消すと、間もなく、空は曇り、海面は激しく波立ち始めた。下人は気持ち悪がり、念仏を唱え出す。五郎左は舟端をつかみ、まばたきもせず、空を見詰めた。

「ひくことは出来ぬ。決して、出来ぬ。」

 五郎左には手に入れたいものがあった。


 長い時間がたったように思えた。波はおさまっている。人の呼吸はこのように続くものか、と思った時に、舟端を蒼ざめた手がつかんだ。

 海面に浮上したはつは、唇を紫にしている。日焼けした肌ですら隠せぬほど、血の気を失っていた。漆塗りの木箱を海面に押し上げ、舟に押し込む。

「あったのか?」

 五郎左は、はつに手を差し伸べた。はつは、顔面蒼白で、額には血を滲ませている。見るからに弱っていた。

「御館さま、わしはやった。約束じゃ。」

 はつは弱っていたが、目ばかりはぎらぎらと光っている。

「約束じゃ。」


――婿になるわけにはいかぬ。


 五郎左は、海辺で拾われた女を思い浮かべた。


――婿になるわけにはいかぬ。


 はつは、五郎左の手をつかんだ。五郎左は、はつの目を見た。潮に流され、海底の岩に打ちつけられ、血を流しながら神器を探すはつの姿が思い浮かんだ。

「約束じゃ。」

 五郎左は、はつを船べりに引き寄せた。はつは、最早、自力で舟にあがることすらできない。はつの体を十分に舟に引き寄せ、持ち上げて、五郎左は左手で握った小刀でその喉を一息で掻き斬った。

「御館さま!!」

 下男が顔をゆがめて、絶叫した。はつは、首からぶくぶくと血を吹きながら、目を見開いたまま沈んでいく。

「他言は無用だ。」

 言い聞かせたが、下男は放心してその場に座り込んでしまった。


 五郎左が、漆箱の中を確認すると儀礼用の太刀と玉らしきものが入っている。五郎左は、箱を抱えた。酷く疲労を感じて、己もその場に座り込んだ。


 それから、どれぐらいたったろう。五郎左は、ぼんやりと前を見た。舟の上には、海辺で見つかった女が立っている。女は、美しい笑顔を見せた。五郎左は、ただ恐怖を感じた。「なぜ、ここにいるのか」と尋ねることも恐ろしく、狭い舟のなか、後ずさりもできず、箱を抱えたまま上半身を後ろにのけぞらせた。女はゆっくりと近づいてくる。

「それがそんなに欲しいか。」

 女は顔をぐっと五郎左の顔に寄せる。五郎左はかろうじて頷くことだけできた。

「されど、妾は一度手に入れたものは離さぬ。妾のものは、妾のものじゃ。」

 女は、五郎左ごと箱を抱える。五郎左は、抗うことのできぬ強い力で海へ投げ出されるのを感じた。体の自由がないまま、水の中にひきこまれていく。

――約束じゃ、約束じゃぞ――

 五郎左の手足には、何本もの手がまつわりつく。

――わしの欲しかったものは…

 後ろから細く逞しい女の腕が首に巻きつく。目の前には青い氷玉のような目をした女が、美しい笑顔を浮かべている。五郎左は目を閉じた。

――なにもかもが幻……

 息が続かなくなっていく中で、たくさんの手に絡みつかれた五郎左は、もがくこともできず、底へ底へと引きずり込まれていった。


 下人の乗った舟は、夕刻に村に流れ着いた。

 男は怯え、「あそこには、近寄ってはならぬ。潜ってはならぬ。」とだけ繰り返した。



神器は、いまだ海の底にある。


随分前に書いたもので、自分でもあらは見えているところもあるのですが、捨てがたいものもあるので、少々の手直しだけして出しています。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 短い中にもストーリーが完結しており大変良い [気になる点] 1段落、1文。当たりの文字数が多い。 もっと、登場人物の心情描写がなされても良かった。 [一言] テーマが特徴的で斬新だった。
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