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節穴の末路


 周囲の僕に対する評価は概ね似通っている。

『悪運の強い奴』

 死亡率の高い魔物の討伐隊に十五のときに入隊し、勤続十年を超えた。それでも前線を退くような大怪我をしたことがないから、らしい。
 僕は特別身体能力が優れている訳でも、頭が切れる訳でも、魔法を得意としている訳でもない。つまりその評価は随分と的を射たものだった。
 今でこそ、長年務めている分危機回避能力などは上がった、という自負もある。しかし、そうなるまで生き残れたことは本当にもう、運がいいとしか言えない。神の思し召しという訳だ。

 つまり、まあ、うん。
 神様ってやつはきっと、節穴なんだろう。



  ****



 魔物の討伐隊に入隊する理由は、様々である。
 腕っぷしに自信のある者、実入りの良さに惹かれる者、愛する人の平穏を求める者、魔物を憎む者、名誉を欲する者。もしくは僕のように、身寄りも行き場もない者が、最後に身を寄せる場所でもある。
 街には討伐隊用の宿舎があり、食い扶持には困らないので、命の危険があること以外は、なかなか魅力的な仕事と言えた。

 幸い、僕は心配を掛けるような家族も友人も、悲しいことに恋人なんている訳もないので、気楽なものである。十五で教会を出てから、きっと死ぬまでここにいるのだろうと思いながら入隊し、今日もそのつもりで魔物を狩る。

 魔物は動物のような見た目のもの、植物が怪物になったようなものなど様々だが、総じて言えるのは身体が頑丈でちょっとやそっとじゃ殺せない、ということだ。全ての魔物が討伐対象という訳ではない。そんなことを言っていれば、数が多すぎてとてもじゃないが対応しきれない。中には魔物を根絶やしにしろ、という人間もいるけれど、あまり現実的ではないだろう。

 ほとんどの魔物は人間を襲うことはない。草食の魔物も少なくないらしい。危険なのは突然変異種だけだ。昨日まで穏やかに暮らしていた魔物が、ある日突然豹変し、人間を襲う怪物となる。それを討伐するのが僕たちの役目だった。

「ユーグ!」

 名前を呼ばれて振り返れば、同僚が僕の姿を見てうえっ、と眉をしかめた。返り血を浴びた見た目が酷いものだったのか、臭気に堪えかねたのかは分からない。

「ひどいぞ」
「いやあ、伸し掛かられたもんだから斬ったらこう、土砂降りみたいに」
「真っ赤な土砂降りなんざ最悪だな。臭いし、ぬるいし、服は捨てるしかない」

 確かに捨てるのはもったいないので、それは少し残念だった。どうやら、周囲にはもう他の魔物の姿も見られないらしく、引き上げることになる。
 僕は、討伐した魔物のそばに横たわる、まだ少年とも言える身体を担ぎあげる。彼には家族がいると言っていたから、比較的綺麗なままで良かった。



  ****



 討伐隊は魔物の出現の一報が入ると、総員を集め、その討伐に街を出る。それ以外の時間は当番制で街の詰所にいる者、街や近くの森の周辺を見回る者に分かれている。そのどちらにも当たらない日が非番であり、これと言って趣味を持たない僕は、自堕落に過ごすのが常だった。
 朝は昼前まで寝て、宿舎の食堂で朝食兼昼食を済ます。散歩に出ればまだいい方で、それから部屋に戻って二度寝することもある。時々行く、街の酒場での時間が日々の分かりやすい楽しみだった。

「ユーグさん」

 非番の昼日中に丘を下って街の中心部へ向かっていると、西側の路地から声を掛けられた。聞き覚えのある声に目を向ければ、そこには想像通りの人物がいた。
 真っ赤な髪の女の子である。仕事中はお下げにしている髪を今日は下ろしており、長い髪が風に揺れている。確か、十八になったと誰かが言っていたはずだ。ぱっちりとした目、滑らかな頬、赤い唇を持った人目を惹く容姿をしている彼女は、行きつけの酒場の看板娘だった。

「こんにちは、アニー」
「こんにちは」

 挨拶をすれば、彼女もまたにこりと笑って挨拶を返してくれる。明るく、気さくな性格の彼女は、上客とはいいがたい僕に対しても、いつも丁寧に接客してくれるのだ。
 店員と客というだけの関係だが、一度彼女がごろつきに絡まれているときに助けてから、こうして街中で会えば時折世間話をするようになった。愛想がよく、気立てのいい子なのだ。
 アニーの両手には、黄色を中心とした可愛らしい花束が抱えられていた。その視線に気づいた彼女は、花の香りを楽しむように目を伏せる。

「これから、お墓参りに行くんです」

 アニーは両親を亡くし、叔父夫婦の経営する酒場に住み込みで働くようになったらしい。彼女は特別気にする様子も見せず、酒場で聞かれれば普通にそう答えていた。そのため、会話に加わっていなかった僕も、彼女の身の上を把握している。

「そうか、気を付けて」
「はい。ユーグさん、もしよろしければ、今夜店に来てください」
「今夜?」

 聞き返せば、彼女は、はい、と柔らかく答える。

「珍しい果物が入ったんです。ユーグさんは、果物がお好きでしたよね? ……あれ、違いましたか?」

 アニーは途端に表情を曇らせるが、僕が返答しかねたのは図星だったからだ。確かに僕は果物が好きだ。果汁が滴るようなものだと尚いい。多くいる客の内の一人の好みまで覚えていた彼女に感心して、すぐに返事をできなかった。もっとも、酒場なので肉類と酒を頼む客が多い中、果物を好んで食べる男は悪目立ちしていただけかもしれない。

「いや、よく覚えてるなあと思って。じゃあ、今晩寄らせてもらうよ」

 生憎、非番の夜だからといって予定が入るような生活をしていない。簡単に答えた僕に対し、アニーは嬉しそうに笑ってお待ちしていますね、と告げた。



  ****



 結果的に、その約束を果たすことはできなかった。

 夕方になり、そろそろアニーの勤める酒場に向かおうとしたところ、討伐隊より招集が掛かったのだ。どうやら魔物が現れたらしい。魔物が街に入り込んでは甚大な被害が出る。必ず街の外で魔物を食い止め、討伐する必要があった。

 魔法での攻撃ならば、魔物の硬い胴体も貫ける。剣でも急所や関節の隙間を狙えばとどめを刺すことはできるのだが、魔法を使える者がいるならばそちらの方がいい。剣では魔物の間合いに入る必要がある。そうなれば当然、こちらの被害も受けやすくなるからだ。
 しかし、魔法を行使するには詠唱が必須である。剣士である僕たちは、それまでの時間稼ぎをすることこそが、重要な役割なのだ。

 今回の魔物はやけに動きが早かった。幸い積極的に襲い掛かってもこなかったが、こちらからの攻撃は当然容赦なく薙ぎ払う。動きが素早いために、そのままでは詠唱が出来ても魔法を避けられてしまいそうだった。
 僕は仲間の顔を見回して、一つ大きく深呼吸をする。呼吸を整える時間をもらえるのはありがたい。今日の魔物はまるで昆虫のような見た目をしており、足と胴体の継ぎ目の部分は比較的柔らかそうに見えた。そこを傷つけられれば、動くこと自体困難になるだろう。

「馬鹿! ユーグ!」

 咎める声が聞こえた。それに反応しては動きが鈍くなる。だから無視。剣だけを持って迷わず駆けた。目の前には家みたいな大きさの魔物。集中すると、仲間の声が遠ざかるように感じた。
 大丈夫だって、僕、身軽だから。



  ****



 街に戻って一晩過ごし、夕方に起き上がって一番にしたことといえば、酒場に向かうことだった。

「ごめん、アニー。聞いているかもしれないけど、仕事が入ったんだ」

 夜に酒場を訪ねると言っていたのに、すっぽかすことになってしまったことが気にかかっていた。だからこそ、一番に酒場に向かったのだが、出迎えてくれたアニーはぎょっと目を見開いて顔を青ざめさせる。

「ユ、ユーグさん!? 大丈夫なんですか、それ!」

 慌てて駆け寄ってきたアニーは気遣ってか、けして触れないように僕の身体を確認する。残念ながら僕は特別身体能力が高い訳でも剣の腕に優れている訳でもない。魔物の動きを止めようと飛びかかった結果、足と胴体の継ぎ目に亀裂を入れてやることはできたのだが、その後痛みに暴れた魔物に吹き飛ばされ、全身擦過傷と打撲だらけになった。骨が折れていなかったのは幸いか。
 所々包帯を巻き、生傷がそのままになっている姿は、見ていてあまり愉快なものではないだろう。

「あー、大丈夫大丈夫。どこも欠けてないし、内臓も足りてる」
「当たり前です!」

 怒られた。当たり前らしい。怒られてみれば、確かに女の子の前で、それも飲食店でする話ではなかったかもしれない。詰所では普通にそんな会話をするので、ついいつもの調子で話してしまった。
 心配そうに帰って休んだ方がいいんじゃないか、と言うアニーを宥め、僕は空いている席に着いた。隅の席は埋まっていたので、カウンター席の端に陣取ることにする。今日、ここを訪ねることを楽しみにしていたので、何も口にせずに帰るつもりはなかった。

「あの日魔物が現れたって聞いて、随分あんたのこと心配してたんだよ」

 僕のお気に入りの赤い果物を出してくれた店主の妻、つまりはアニーの叔母が苦笑する。アニーは気遣いのできる優しい子だ。そんな彼女は、あの日偶然会って会話をしたというだけで、随分気にかけてくれていたらしい。なんだか悪いことをしたなあ、と思いながら皿の上の果物を手に取った。



  ****



 肩の裂傷が酷く、剣を振るうのに違和感があるだろうという医師の診断により、しばらくの非番を言い渡された。魔法で治すこともできるだろうが、いい機会なのでたまには休んで自力で治せ、と言われたのである。ありがたい話だが、これといって趣味も親しい人もいない僕にとって、長期の非番は何をすればいいのかと悩ましいものがあった。

 惰眠は十分貪り、ベッドの上で時間を潰すのにも飽きた。そうなれば街中を散歩するくらいしかやることがない。せっかくだから久しぶりに顔を出しておこう、と教会に向かえば、いつものように歓待してくれた。

「いらっしゃい、ユーグさん。……そのお怪我、大丈夫ですか?」

 五年前にこの教会を引き継いだシスターが、まだ巻いたままの包帯に目を向けて身を案じてくれる。世話になったシスターの後を継いでくれた人が、優しい人でよかったと思う。
 僕は大丈夫ですよ、と苦笑していつものように麻袋を差し出した。すると、シスターは困ったように笑う。

「ありがとうございます。けれど、いつもこんなによくしていただいて、申し訳ないです。幸い他の方々にも目をかけて頂いて、子どもたちを食べさせていくだけの当てはあります。だから、こんなには……」
「気にしないでください。こう見えて結構もらってるんですが、養う家族もいませんし、使う当てもないんで。恩返しくらいさせてください」

 教会の外からは子どもたちの明るい笑い声が聞こえる。教会の礼拝堂の中は薄暗くひやりとしていて、その声をやけに遠く感じた。

「そう、ですか……すみません。ありがとうございます」

 シスターは躊躇いながらも礼を言って受け取ってくれた。その後、お茶だけでもと誘ってくれるシスターに断りを入れて、足早に教会を立ち去る。
 長居するつもりはなく、いつものことだった。かつて自身の家のようだと思っていたここは、大人になった自分の帰る場所ではない。慈しみ育ててくれた老齢のシスターも、共に生まれ育った友もいない。

『おかえりなさい』

 かつてそう言って迎え入れてくれていた場所は、もうどこにもないのだから。



  ****



 仕事に復帰する目途が立ったのは、非番を言い渡されてから七日目の朝だった。医師から、明日から復帰していい、という許可が出た。その間、魔物は小型のものが一体出ただけだった。魔物が出ているのに詰所で待機するだけというのは何とも落ち着かないもので、ようやく、という思いが強かった。

 では、今日は非番最後の散歩を楽しもうか、と宿舎を出れば、ふらふらと危なっかしい赤毛の後姿を見つけた。

「アニー?」

 名前を呼べば、両手に大荷物を抱えたまま彼女が振り返ろうとする。すると、荷物の中身がこぼれそうになり、慌てて駆け寄って抑えた。

「あっ、ありがとうございます! 危なかったぁ」

 アニーは安堵の息を吐く。荷物の中身は全て食材が入っているようだった。この大荷物を彼女の細い腕で運ぶのはさぞ大変だろう。暇をしていた僕は、それをひょいと奪い取って荷物運びを手伝うことにした。

「え、え! あの」
「どこに持っていけばいい? 店?」

 持てます返してください、とアニーは繰り返していたが、僕が頑として抱えたままでいれば、諦めたのだろう。消え入りそうな、申し訳なさそうな声で、ありがとうございます、と呟いた。

「店の買い出し?」
「あ、運ぶのは店でいいんですけど、これは私の練習用です」
「練習?」

 彼女の叔父夫婦が経営する酒場は、確か叔父が火を使った料理を、叔母が酒類の用意をしていた。彼女は料理を運ぶのが仕事である。これからは彼女も調理に加わるのだろうか。

「私、何もだめで、料理を運ぶくらいしかできないし。このままだと役に立てないのが申し訳なくて、できることを増やしたいんです。それで、練習です」
「真面目だなあ」
「そんなんじゃありませんよ」

 頭一個分は背の低いアニーを見下ろせば、彼女は困ったように笑っていた。アニーは否定したけれど、真面目だから頑張ろう、という方向に思考が動くのだろうと思った。

「集客って意味なら十分役に立ってると思うけど」
「え?」

 おそらく、こういうことは自分では分からないだろうな、と思った。当事者よりも第三者の方が理解していることは間々ある。

「君が来てからかなり売り上げが伸びたらしいよ。君目当てで足しげく通う奴も沢山いるし。同僚は、君の笑顔を見れば心が安らぐと言っていた」

 あ、まずい。これは彼女に片思いしている奴の言葉だ。誰とは言っていないが、彼女本人に漏らしてしまったのはあまりよくないだろう。……まあ、誰のことか分からなければ問題ないはずだ、たぶん。

「努力は素晴らしいけど、何もできない、なんて言うことはないんじゃないか?」

 胃袋を満たされ、酒を飲み、そこで笑顔まで向けられる、というのはとても幸福なことだと思う。だから僕はあの店が好きだし、きっと他の多くの客も同じように思っている。いくら美味いものを飲み食いできても、愛想の悪い店員の店は居心地が悪い。アニーの笑顔には料理を運んでくれるだけではない価値があるのだ。
 店長に急かされている訳でもないのなら、それ以外のことはゆっくり覚えていけばいいんじゃないかと思う。

「……ありがとう、ございます……」

 俯きがちに、彼女が礼を口にする。あまり話すことは得意ではないのだが、彼女が卑屈に思う考えが少しでも減ればいいと思った。僕の目から見て、アニーは叔父夫婦にも沢山の客にも愛されている。卑屈になることは、そんな愛情に対して背を向けることになるのではないだろうか。

「…………ユーグさんは、」
「え?」

 名前を呼ばれて聞き返す。彼女はしばらく何かを話し出そうとしていたが、結局なんでもありません、と苦笑してそれ以上言葉にすることはなかった。



  ****



「どうしてあの子が死ななきゃいけないのっ!」

 血を吐きそうな声だった。布にくるまれた死体に縋り付いて、この世の理不尽を恨む。睨まれて、責められても、何も答えようがなかった。
 人の死はいつも理不尽に訪れる。その人がどんなに愛され、必要とされていたとしても、死ぬときは死ぬ。今回だって誰が悪かった訳でもない。皆が皆、最善を尽くした。けれどその最善に、敵たる魔物が応えてくれるはずはない。たまたま魔物が振りかぶった先にいたのが、彼だっただけだ。そうなれば最早、死の理由なんて運としか言えないのではないだろうか。

「……どうして……っ!」

 僕だって知りたかった。
 優しい奴なんだ。宿舎の掃除をよくサボって、ちょっと冗談が過ぎるお調子者だけど、周りをよく見て、いつも誰かを笑わせている。そんな奴なんだ。愛してくれる母親がいて、慕ってくれる弟と妹がいると言っていた。誰かを愛して、誰かに愛されている奴で、どうしてそんな奴が、誰かに必要とされる人間が、理不尽に奪われなければならない。

 これだから神様は、節穴なんだ。



  ****



 この街の丘の上には共同墓地がある。その片隅には慰霊碑が建てられており、慰霊碑には一言『英霊を称えよ』とある。周囲の石には討伐隊の殉職者の名前が刻まれていた。
 暇を持て余した非番の日、時折この場に立ち寄っていた。花を持参することはなかった。僕の知る限り、殉職者はみんな総じて花が似合うような男たちではなかったからだ。
 一番歓迎されるのは酒だろうが、慰霊碑に酒を掛けようものなら死者への冒涜だなんだと言われるのは目に見えている。結局僕はいつも手ぶらでこの場を訪れていた。

「英霊を称えよ、英霊を称えよ、英霊を称えよ」

 慰霊碑に刻まれ、殉職者の葬儀では必ず唱えられる文言を繰り返す。英霊を称えよ、英霊を称えよ、英霊を称えよ。僕はこれが、大嫌いだった。
 いくら称えられたところで、英霊になりたい奴なんて一人もいなかった。みんなただ、幸せになりたかっただけだ。大事な人を大切にして、そうして笑い合って生きていきたかった。英霊になりたいやつなんているはずがないのに、まるでそれが悲しいことではなく、尊いことのように語る。気持ち悪くて仕方がなかった。

「リッド、ジョシュア、モリス、ドミニク…………」

 同じ教会で生まれ育った、友の名前を呼ぶ。少なくとも、この四人は幸せになるために生きていた。
 リッドには恋人がいた。いずれは夫婦になるのだと恋人を紹介されたことがある。ジョシュアには夢があった。食いしん坊の彼は、いずれ討伐隊で貯めた金で料理屋を開くんだと語っていた。モリスには生き別れた妹がいるらしい。いつか探し出すんだと涙ぐんでいた。恩義に厚いドミニクは、生まれ育った教会に恩返しをするのだと得意げに笑った。

 どうして、彼らのように大切な人がいて、未来に希望を見ている人たちが命を落とさなければならなかったのだろう。幼い日にあれだけ祈りを捧げた神様をみんな信じていたのに、残念ながら僕たちは神様が節穴であることを知らなかった。

「ありがとう。お陰で僕はまだ、息をしているよ」

 『英霊』という尊い犠牲を積み重ねて、今日も僕は生きている。だから僕は、もっと魔物を狩らなければならない。それが叶わなければ、一体僕は何のために生き永らえているというのだろう。
 特別何かに秀でている訳でもない僕が生き残った理由は、きっとそこにあるのだ。

 幸い僕には引き留める家族も、生に縋り付く夢も理想もない。むしろ、大事な人はことごとくあの世にいるのだから、惹かれるべきはあの世のような気もする。
 ああ身軽でよかった、と慰霊碑に背を向けて丘を下った。



  ****



 お気に入りの左奥にある隅の席が空いていたので、意気揚々と陣取った。三人掛けの丸テーブルは、一人で使うには十分すぎる大きさだ。討伐隊の仲間と飲みに行くのも好きだが、こうして店の片隅でひっそりと飲み食いする方が性に合っている気はする。

 とりあえず酒だけ注文して食事は何にしようかとぼんやり考えていると、アニーが注文した酒を持ってきてくれた。右手に酒、左手には何故か、注文していない軽食が乗っていた。それもまた、僕の席の机へと置かれる。

「? ……頼んでないけど」
「あの……」

 問えば、アニーはそっと顔を寄せ、囁くような小さな声で言葉にした。

「実は、私が作ったんです。もし、ご迷惑でなければ味見してもらえませんか? もちろんお代はちょうだいしませんし、一応店長から食べられるとは言ってもらえたんですけど……」
「えっ、いいのか?」
「はい。感想を聞かせてほしいんです。……あ、お嫌なら断っていただいて大丈夫ですので!」

 慌ててアニーはそう付け足したが、ご馳走してもらえるならありがたくいただくまでである。彼女の練習作らしいが、見た目は十分に食欲をそそるものだった。燻製肉と野菜をパンで挟んだもので、役得としか言いようがない。
 片手で掴んで口の中に放り込む。じっくりと咀嚼して味わい、僕は一つ頷いた。

「美味い」
「ほ、本当!?」

 緊張した面持ちで僕の食事風景を見守っていたアニーが、身を乗り出すようにして問い掛けた。よほど自信作だったのか、はたまた自信がなかったのか。僕の感想に飛びつくようだった。

「あ、あ……すみません。嬉しくて」

 アニーはその言葉通り素直に笑う。気分の高揚からだろう。丸みのある白い頬は薄紅色に染まり、細められた目元が彼女の可愛らしさを強調する。
 ああいいなあ、と思った。明るく、気さくで、まっすぐで。愛される子だと思った。愛されるべきだとも思った。

 彼女のような人は沢山いる。一生懸命で、誰かに愛され、誰かを愛する人。そういう人こそが当たり前に生きるべきだと思った。



  ****



 それ以来、アニーは度々『味見』をさせてくれるようになった。
 食事の感想としては、これは金を払わなければならない、と思わせてくれるほど美味しいものである。支払おうとしても、まだお店に出せるものではないのでお金をとる訳にはいかない、と彼女が頑なに断った。

 今のところお言葉に甘えてもらう一方になっているが、そろそろ気が咎めてきた。材料費だって馬鹿にならないだろう。しかし、材料費だけでも支払おうとしても、それすら受け取ってもらえない。
 せめてお店に金を落とそうかといつもより多く飲むようにしているが、あまり礼という感じでもない気がする。アニーには、味見をさせてくれることもそうだが、何かと話し相手になってくれることにも感謝していた。

 一人で飲む日が多いが、何も排他的なつもりはない。彼女が食事を運ぶついでにちょっとした世間話をしてくれる時間を、結構気に入っていたのだ。討伐隊の仲間としか会話をする機会もないので、隊とも魔物とも関係ない話をするのは新鮮だった。

 何か贈ろうか、と考えるが生憎女の子の喜びそうなものはよく分からない。アニーの趣味なども知らない。世間話はよくしているが、案外まだまだ彼女のことを知らないのだと気付かされた。それを少しだけ寂しいことだと思ったけれど、余計な感傷でしかないことは明白で、僕は自身の思考に苦笑して肩を竦めた。

 けれど、それでも何かいいものはないかとお店をふらふらと覗けば、意外とすぐに贈り物を決めることができた。彼女の赤い髪によく映えそうな、黄色のリボンを見つけたのだ。明るい色は彼女に似合うだろうし、墓参りに彼女が持参している花束は黄色が中心のものが多かったので、きっと黄色が好きなのだ、と勝手に解釈している。

 贈られても迷惑だろうか、とも考えたが、いらなければ処分してくれるだろう。あくまで僕の感謝の気持ちだ、と自己満足を肯定する。

 酒場の営業時間よりは少し早かったが、リボンを買ったその足で酒場へ向かう。営業準備をしている彼女を訪ねれば、店主の勧めで店の裏手で話をできるようになった。

「礼になるかは分からないけど」

 僕に女の子の持ち物のことなど分かるはずがない。そのため、見当違いのものを用意してしまった可能性もあった。アニーは黄色のリボンを手に取ると、目玉が零れ落ちるんじゃないかと心配になるほど目を見開いて、それを見つめる。

「いやあの、気に入らなかったら捨ててほしいんだけど」
「い、いや!」

 沈黙が気まずく、絞り出した僕の声に彼女は声を上げて拒否した。近頃よく話すようになったからか、砕けた口調になってきた彼女が、まるでリボンを守るように胸に抱いた。

「ほ、本当にいいの!? 私がこれをもらっても」
「一応そのつもりなんだけど」

 気圧されたように肯定すれば、じわじわとアニーの顔色が変わる。頬から耳が淡く色づいて、彼女はリボンに顔を埋めるように俯いた。

「…………うれしい」

 噛みしめるような言葉。心から喜んでくれているのだと、まっすぐに伝わってくる。買ってよかったなあ、と思った。ちょっとしたもので、味見のお礼にはならないかもしれないけれど、彼女が喜んでくれたなら、それだけで贈り物をした意味がある。

「ありがとう、ユーグさん」

 はにかんだ笑顔が可愛くて、眩しいなあと思った。



  ****



 アニーは毎日のようにその黄色のリボンを使ってくれた。酒場で顔を合わせれば、すぐに僕の姿を見つけ、にっこりと笑ってくれる。席に付けば、贈ったのは僕なのに、わざとらしく『似合うでしょう』なんて自慢気に見せてくれた。
 想像していたよりもずっと嬉しそうに笑ってくれて、それがとても幸福じみていた。

 ふと彼女の顔を思い出して、そんなことを考えながら装備を身に付ける。腰に下げた剣の重みと、鞘から抜く際の滑らかさを確認し、僕は討伐隊の仲間と詰所を出た。
 また、魔物が出たらしい。

 身体は固いのだろうか。爪は鋭いのだろうか。足は早いのだろうか。戦いを有利に進めるためのそうした情報を一切得られないまま、僕たちは魔物に挑む。これもいつものことだった。魔物にはいろんな種類がある。実際に対峙しなければ、敵の特徴を知ることもできない。

 それでも、絶対に魔物を仕留めなければならない。そうしなければ、魔物はいずれ人の街も襲うことだろう。それだけは絶対に防がなければならない。
 街を守り、被害を最小限に食い止める。

 それが生き残ってしまった僕の、成すべきことだった。



  ****



 誓って死にたいと思ったことはなかった。
 ただ、次死ぬとしたら、僕にしておいてほしかった。

 僕には家族がいない。友も、世話になったシスターも、皆死んだ。僕を引き留めるものは何もない。さすがに討伐隊の仲間たちは少なからず惜しんでくれると思っているが、仲間はみんなもう、誰かの死に慣れている。僕が死んで何かを失う人はいない。僕は誰よりも身軽だった。

 だから、僕にしてほしい。もしもどうしても誰かが死ななければいけないのなら、僕でいいじゃないか。例えば心配する親から何度も差し入れを受ける彼ではなくて、例えばこの間娘が生まれた彼ではなくて、例えば先日結婚したばかりの彼ではなくて、僕にしてほしい。
 愛する人を失うのは、どうしたって可哀想だ。愛する人を置いて逝くことは、どれほど口惜しいことだろう。

 だから、僕にしなければならない。次こそは僕が、命を懸けるのだ。

 そう思って無茶とも言える戦い方もした。周囲に誰かがいるときは、その存在を生かすことを考えた。けれど僕は残念なことに悪運が強い。死ぬのはいつも、僕以外の誰かだった。

「やめろ、ユーグ!」

 焦った声で名前を呼ばれる。無視をした。優しいやつだなあ、知ってたよ。顔が怖い癖に、妙に優しいやつだった。
 魔物の爪が迫った仲間を踏みつけるようにしてふっ飛ばした。爪の軌道から外れたことを確認しつつ、踏みつけた反動で魔物の右腕の上に着地する。そのまま迷わず胴体へ向かった。魔物の赤い目が僕を捉える。そのまま僕だけを見ていてくれ。きっとあと少しで魔法使いの詠唱が終わる。

 右腕の上を走り抜ける。振り落とされそうになりながら、腕の付け根、人間でいう肩の部分に到着する。右腕を振り回していた魔物は、肩に到着した僕への反応が一瞬遅れた。

 逃げることは考えなかった。そんな暇はないと思った。だからこそ、体毛の奥にある首の部分へ剣を突き立てることだけに集中した。その瞬間。
 魔物の左腕が、僕の身体を吹き飛ばした。爪が横腹に穴を空けたような気がする。ああ、さすがに今度こそ、やり遂げたんじゃないだろうか。
 暗くなる視界の隅で、光が見える。きっと魔法が発動したのだろう。それなら大丈夫。魔物も倒せたはずだ。あとはもう、信じるしかない。

 痛いのか、熱いのか、寒いのかもよく分からない。死ぬってこういうことなのだろうか。それにしてはあまり現実味がない。
 とにかく、よかった。今度こそ僕は、生きるべき人を生かすことができたはずだ。

 この世界で死を悼み嘆いてくれる人がいるなら、その人は生きるべきだと思う。生きなければならないと思う。
 だから僕にしてくれ。僕にしてくれてありがとう。僕にしなきゃいけない。節穴なんて言ってごめん、神様。

 視界の端に赤い色が見える。血が目に入ったのかもしれない。最後に見る色は赤なのか、と思うと気が遠くなっていくのがわかった。そのとき赤の中で何か。

 あ。



  ****



 神様の目はやっぱり節穴だったらしい。
 ついでに僕の腹には風穴が空いた。

 あのとき死を覚悟したのだが、何の因果か僕は生き残った。しぶとい昆虫みたいな生命力と、魔法使いの適切な治癒魔法、穴の空き方などなど。様々な要因がそれぞれに奇跡を起こし合い、命を繋いだらしい。
 また悪運が強いって酒の肴にされるなあ。

 一命は取り留め、意識も回復したが、しばらくはベッドの住人になるらしい。いくら魔法で粗方穴を塞いでもらっても、完治まで随分長い時間が掛かるようだった。後遺症も残るかもしれないと言われた。
 まずは怪我を治すのが先決で、余計なことは考えるな、という医者の言葉を思い出す。

「な、なんで、怒ってる……?」

 そして、今の僕には怪我を治すよりも更に先決の要件があった。何故だか討伐隊の宿舎内にある医務室に、アニーがいたからだ。それも、見たことがないくらい怖い顔をしていた。普通に怖い。悪戯する度に恐ろしいと怯えていた、シスターの百倍は怖かった。

「分からないの?」

 分からない、と正直に伝えれば怒られそうだと思った。僕の眠るベッドの横に置いた椅子に腰かける彼女は、膝の上で拳を握り、睨むような目を向ける。普段、笑顔しか見ていなかっただけに、余計に怖かった。

「…………ごめん」
「どうして謝るの?」

 さすがに、何だか怖かったから、とは正直に言えない。アニーは口を開き、何事を言おうとしたようだが、掠れて声が出なかった。一度ごくりと息を呑んで、それからアニーは再度口を開いた。

「お、怒って、ない。怖かっただけ。あなたが、死んでしまうかと、思った……」

 絞り出すような声。その途中で、アニーはぼとぼとと大粒の涙を自身の拳の上に落としていく。それを見て、僕は自身の考えが正しかったことを知る。ふと、アニーの拳が、何かを握り締めていることに気付いた。僕が贈ったリボンだった。そういえば、今日の彼女は長い髪を纏めることなく、下ろしている。

「アニー」

 呼びかければ、涙をこぼし続ける彼女の目が僕へ向けられる。

「君に聞いてほしいことがあるんだ」

 これを言葉にすれば、また怒られるような気がした。けれど、聞いてもらわなければいけないと思った。否、ただ僕が、聞いてほしかった。

「僕の大切な人は皆死んでしまったんだ。もう誰も僕の命を惜しんでくれる人はいない。だからもしも誰かが命を失うなら、その誰かは僕にしてほしいと思っていた」
「何を、言っているの……」
「違うんだ。聞いてくれ、アニー」

 怯えるように声を震わせる彼女へ、ゆっくりとそう懇願した。瞳を震わせる彼女には申し訳なかったけれど、伝えない訳にはいかなかった。

「だから死を覚悟したとき、正直ほっとしたんだ。ようやく自分の番だと思った。惜しまれるべき人が生き残れたんだと思うと安心した。何の悔いもなかった。だけど、あのとき、どうしてだか君のことを思い出した」

 アニーに手を伸ばそうとして、指一本動かせなかったことを思い出す。喋るだけで内臓が焼けそうに痛いので、それも当然かもしれない。

「もしかして、もしかしたら。僕の願望なんかじゃなくて現実として、君が。君が泣くんじゃないかと、思ったんだ」

 意識が遠のいたあのとき、見えた赤はアニーの色だった。黄色のリボンが映える、彼女の髪の色だった。

「生きて帰らなければと思った。生きて君に、会わなければ、と。…………君のせいだ」

 何かを堪えるように、勝手に自分の顔が歪んでいくのが分かった。視界は滲み、前がよく見えない。

「僕はきっと弱くなる。君のせいだ、アニー」

 沢山喋ってしまった。堪えていたが、そろそろ息も上がりそうだ。傷口が熱くて痛い、と思おうとしたけれど、どこもかしこも熱くて痛くて、どこが患部かもよく分からない有り様だった。
 それでも、絶対に伝えたいことがあった。この一言だけは。

「ありがとう」

 僕は今、どんな顔をしているだろう。笑っているだろうか、それとも泣いているだろうか。けれどどうか伝わってほしい。僕は今、堪らなく嬉しいのだと、誰よりも彼女に知ってほしかった。
 自分が生きていることに疑問を持って生きることが、こんなに息苦しいことだったのだと、今になって分かった。生きていることを否定して、死にたくもない癖に死を追って。
 けれどそうしなければ、自分を許せなかった。のうのうと生きのびた自分を恥じていた。

 それが今、素直に生きたいと思える。

 きっと君は泣くだろう。もしもそのときがくれば、今のように僕を惜しんで泣くだろう。
 誰か一人でも生きていてほしいと望んでくれるなら、それはどうしても生きなければいけない理由になると僕は思う。生きたいと思った。君を理由にして、生きたいと思えることが歓びだった。
 だから、ありがとう。僕を生かすのは、君の涙だ。

 頬に何かが触れる。視界が悪くてよく見えなかったけれど、温かいからきっとアニーの手だと思った。彼女は、嗚咽まじりの声で、震えながら声を零す。

「しなないで」

 まだ長時間起きていられるほど回復できていないから、僕の意思に反して身体が休息を求めようとしている。けれど、どうしても彼女の願いには応えたい。うん、と呟いた声が届いていればいいと思った。



  ****



 ねえ、アニー。未来のことを考えてみたんだ。

 この先、もしも僕が前線を退くまで生きていたら、モリスの妹を探して彼の形見を渡すんだ。リッドの恋人が幸せになるのを見届けて、ドミニクの分まで教会に恩返しをする。
 そうしたことが全部落ち着いたそのときはさ、君と食堂でもやりたいな。

 ジョシュアが羨むような、楽しくて明るくて美味しい食堂にするんだ。
 君の料理なら、あの食いしん坊のジョシュアもきっと完敗だって言ってお代わりを頼むだろうな。

 どうかな、アニー。そんな未来を、夢見てもいいかな。



 読んでいただきありがとうございました。
 楽しんでいただけたら幸いです。
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