8.花信〜忘れられない約束
「…着いたで……」
バイクの速度が突然、遅くなったかと思うと、そのまま平次はバイクを止めて、ヘルメットを脱いだ。
「ここって…」
平次に倣って和葉もヘルメットを脱ぎながら、呟いた。
行き先も告げられぬまま、取り敢えず着いて来たけど、まさかここに来るとは思わなかったので、驚きを隠せなかった。
辺りはもう真っ暗で、街灯の灯りがなかったら、どこに何があるかも解らない程の暗闇だった。
しかし、よく目を凝らして見ると、ぼうっと見慣れた景色が浮かんできた。
『山能寺』と書いてある。
「アタシが小学生ん時に来た場所やん…」
「実は、ここ…オレが初恋の人と巡り逢った場所なんや」
平次は、目を細めて、昔の記憶を少しずつ蘇らせるように言った。
しかし、和葉には、何故今になってそんなことを打ち明ける必要があるのか、と平次の意図が解らなかった。
「…で?何なん?ここに何が……って平次?アタシの話聞いてんの!」
平次は、和葉の話を聞いているのか、いないのか、闇のように真っ暗な寺の境内のほうへ一人でふらっと歩き始めた。
和葉も仕方なく、それに続く。無理やり連れて来ておいて、何だか自分の存在を忘れられているように思えた。
「きゃっ!」
暗い中を歩いていたので、何かにぶつかってしまった。
それが平次だと分かると、何故だか顔が熱くなっていくような感覚が襲ってきた。
でも、この暗い中では顔なんてまともに見えないだろうから、ここが暗くてよかった、と安心した。
「何してんねん…」
安心したのも束の間で、平次の顔がはっきりと見えた。とても呆れたようにこちらを見ている、平次の顔が。
きっと、自分の表情も見られてしまっている、と思うと諦めるしかなかった。
その時、平次が突然、何かに向かって指を差した。
「あれ、見てみ?」
何があるん?と尋ねながら平次の指差すほうへ視線を移した先には――
「!」
そこには、綺麗に咲き誇った大きな桜の木が佇んでいた。
まだ満開と呼べる程のものではないが、いくつか花開いていて、この暗い中でも綺麗だ、と思えた。
何もかも忘れたように「綺麗やなあ」、を連発していると、平次が言った。
「これが見せたくて、来たんやで…」
「平次…」
目の前の桜に見とれていて、自分が聴かなければいけないことを忘れそうになって、ハッとした。
しかし、聴くべきか迷っていると、先に平次が口を開いて、和葉のほうを見た。
「オレがここにお前を連れて来た理由を聴きたいんやろ?」
「え?」
いきなりそう言われて、何と答えていいか分からずに、曖昧に頷いた。
「オレがここに通てた理由は…」
そこまで言って何を躊躇っているのか、平次は口を閉じて、桜を見た。
先程からずっと風が穏やかに吹いていて、それと同じように平次も穏やかな表情をしているのが解った。
「…これや……」
そう言っていつものようにずっとポケットに突っ込んだままだった手を出して、手出せ、とでも言うように目で合図をして来た。
何?と言ったら、ええから出せ、と言って手を掴まれた。
「これ…和葉にやろうと思てなぁ」
ん、と言って平次は、無理やり手を掴んで差し出した掌の上に何かを置いた。
すぐにそれが何なのかを確かめようとしが、突然、平次がアタシの手を強く握り締めたから、それができなかった。
「何してんの…?」
「楽しみは後に取っとけって言うやろ?」
「何やねん、それ…」
握り締めた掌の中。指先に触れる感触でも、それが何かは分からない。
平次が手を離したから、もう見てもいいだろう、と思い、ゆっくりと固く握り締めていた掌を開いた。
「これ…」
ゆっくりと開いた掌の中には、目の前の桜に負けない程の綺麗な髪飾りがあった。
淡紅色の桜の花弁と、古布調生地が使われていて、とても華やかで、和葉はそれをすぐに気に入った。
「和葉に似合いそうやと思て…」
「ありがと、平次!」
早速、和葉はそれを髪に付けようとしたが、平次が止めた。
「お前、そろそろその馬のシッポみたいな髪、止め…」
「何で?だって平次がこれが好きや、言うたから…それにこのリボンも平次がくれたんやん…」
「これからはもうちょっと大人っぽくせえ」
そう言って、照れ隠しなのか、平次は笑った。それを見ていると、和葉も一緒になって笑っていた。
「似合う?」
「オレの目は確かやな…」
「何言うてんの?」
貰ったばかりの髪飾りを付けた和葉は、桜同様、いや、桜以上に綺麗だった。
二人でもう一度笑い合っていると、平次が突然、真剣な顔つきになった。
「そう言えばまだ京都に来てた理由言うてへんかったな…」
「初恋の人はもうええん?」
和葉は、冗談ぽく笑って言ったが、平次の表情は変わらなかった。
「ええも悪いも、もう解ってることやし…」
「え?」
その時、突然、強い風が吹き荒れた。
思わず目を瞑り、お互いの姿が視界から消えた。
すぐにその風は落ち着いたが、いつの間にか平次は和葉の腕を掴んでいた。
そのまま手を握り締めると、和葉は驚いたように平次のほうを見た。
「初恋の人って…オレが小学校三年の頃、この満開の桜の下で、綺麗な着物着せてもろて、手まり唄を唄てた人なんや…」
そして、目の前の桜から和葉のほうに視線を移した。
「それって…」
「もう解ったやろ?」
そう言ったかと思うと、繋いだままだった手を今度は更に強く握り締められた。
和葉は何も言えずにいたが、平次は何がそんなにおかしいのか、と思う程、笑い続けていた。
桜の花明かりに照らされた平次の顔は、和葉の好きな、あのキラキラと輝く星のように輝いていた。
そんな平次の表情を見ていたら、また熱いものが込み上げてきた。
しかし、それは、先程までのものとは違い、もう哀しいものではなかった。
平次はずっと、自分のことを想っていてくれて、自分に秘密で素敵な髪飾りもプレゼントしてくれて。
それなのに、自分は、目の前の彼のことを疑うことしかできず、「最後まで信じよう」という気持ちなんてどこにも存在していなかった。
「もう泣かんでええやん…」
「だって……」
平次のことを信じてあげられなかった、という自責の念が沸々と湧き上がって、もう涙が止まらなかった。
でも、嬉しい気持ちには変わりなかった。宙に浮いたままだったものが、ようやく形になったように。
これからは、信じ続けよう。何があっても、平次のことを信じていよう――そう、心に誓った。
「平次、覚えてる?」
「何をや?」
帰り道。元来た道を辿って、また二人でバイクに跨っていた。
もう、行きの時とは違い、和葉の手は、平次の服の裾を掴んでいた。
それも、ばれないようにではなく、わざと気付かれるようにギュッと強く。
「去年、約束したこと」
「覚えとるに決まってるやん」
「何か言うてみて?」
「桜…また一緒に見に行こうって約束やろ?忘れる訳ないやん」
「ほんならまた来年も…」
「来年なんて言わんと、今年もう一回来たらええやん」
「平次…」
春の訪れを優しく告げる桜を眺めながら、約束やで、と言った。
行く時と同じように空を仰いでいると、すぐにあの星を見つけた。
そして、アタシは一人やなかった。ありがとう――と心の中でそっと呟いた。
今になって、やっと霞んだままだった平次の姿が、はっきりと見えたように思えた。
こんなに幸せを感じることができたのも、生まれて初めてだろう。
しかし、帰宅してから互いの親にかなり叱られてしまったことは、あまり大きな声では言わないでほしい――
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