4.花霞〜過る不安
決心してからあっという間に一週間が巡り、もう一度土曜日が来る前に、早々と学校は終わり、春休みを迎えた。
まだ平日だというのに、明日から春休みなんて嬉しいのやら、哀しいのやら、複雑な心境だった。
だからと言って、ぐずぐずしている暇はない。決心したからには、それを早く実行に移さなくては。
だけど、そんなことを考えれば考える程、いつも通り平次に接することができなくなる。
何だかぎこちなくて、学校で話し掛けられても怪しまれるのでは、と思う程で――
「お前、春休みにまたくど…やのうて、あの姉ちゃんに会いに東京行くんか?」
「え…あ、うん!行くで!行くに決まってるやん!へ、平次も勿論行くやろ?」
「ああ、お前が行くんやったら行くけどなあ…」
――気付いとらん。アタシがこんなぎこちない返事しとるんに何とも思わんのかい…
もしかしたら、顔がちょっと赤くなっていたかもしれない。
その時、ふと周りの視線に気付いて教室全体を見渡すと、男も女も関係なく、そこにいるほぼ全員が和葉の顔を見てニヤニヤしている。
何か言い返したろうかと思ったけど、当の本人が気付いてくれていない様子なので、止めた。
きっと、これから今まで以上に力を使い果たしそうだし。こんな所で、無駄な力を使いたくないし。
和葉にとって、ここからが本領発揮、というか腕の見せ所、というものなのか…
平次が何をしているのかを知って、例え自分が辛い思いをしたとしても、それでも知りたい気持ちは止めらなかった。
翌日は、朝早くから服部家の前で平次が来るのを今か、今かと待っていた。
今日もまた曇り空で、向こうのほうの景色は、雲がかかっていて霞んでいるため、見ることができないくらいだった。
こう何日も連続で曇り空が続くと、心の中までどんよりとしたものが覆っていくようで憂鬱になる。
空を仰ぎながら、そんなことを考えていたら、玄関から足音が聞こえてきた。
平次や、と直感で気付き、振り返ってすぐに「どこ行くん?」と声をかけようかと思ったが、驚かせてやろうと思い、隠れたままでいることにした。
だけど、その足音はだんだんと大きくなってあっという間に近づいて、和葉の前で止まった。
「何してんねん、こんな朝から…変質者か?」
「えっ………」
せっかく、平次の驚く顔を拝んでやろうと思っていたのに、形勢逆転。自分が驚くハメになるなんて。
しかも、突然だったものだから、「えっ」と言葉を濁したまま何も言えなかった。
平次は、そんな和葉を他所に、更に怪しそうな顔付きになる。
「オレんちに用があるんやったら、入れや。オレは出掛けるけど、オカンなら居るで」
『そうやなくて、アンタに用があるんや!』
頭の中では、この言葉が繰り返されているのに、それが口には出ない。
もうここまで出掛かっているのに、何故かもう少しの所で出て来ない。まるで、喉の奥に突っ掛かった何かが取れないでいるように。
「口パクパクさせて…金魚みたいな顔になっとるぞ」
金魚?!ああ、そう。金魚か…きっと、何も言えずにいたから、無意識のうちに口をパクパクさせていたのだろう。
その顔が水槽で飼われている金魚のように見えた、とでも言うのか。
……冗談じゃない。
「金魚で悪かったなあ…それより、アンタに用があって朝早よから来たんやけど」
今まで言えずにいた言葉が平次に金魚みたいや、と言われてから自分でも驚く程あっさりとそれが言えた。
でも、その言葉にはどこか喧嘩を売っているような重さが圧し掛かっていることを目の前の男は、気付いていないだろう。
「何の用や?オレ、忙しいんや。またにしてくれんか?」
「忙しいて…どこ行くんよ?」
断られることは、覚悟で聞いた。予想通りだったけど、そんなことで和葉は折れなかった。
「…ちょっと、な。まあ、どこでもええやろ。事件や、事件!」
そう言ったかと思うと、平次は慌てて愛車に跨って素早くヘルメットを付けて、エンジンを全開にする。
和葉も平次同様、大慌てで平次のもとに駆け寄って、負けずに平次に尋ね続ける。
「どこ行くかくらいは教えてくれても……」
しかし、その言葉は大きなエンジン音に掻き消され、最後まで言い切る前に平次は逃げた。
後を追おうとしたが、既にその姿は見えなかった。
「そんなにアタシに言いたくないことなんや…アンタがその気やったら、こっちやって……」
そんな和葉の周りには、凍り付くような空気が漂っていた。
「アカンなあ、アタシ…」
ぽつり、と一人呟きながら、もう用事が無いはずなのに結局、服部家の玄関に立っていた。
お邪魔します、と静華に挨拶をして、少し話をしてから、その後、平次の部屋に侵入してやった。
小奇麗に整頓されている部屋を見ていると荒らしたくなったが、それはマズイな、と思い直し、止めておいた。
だけど、どうにもモヤモヤしたものが消えないので、ベッドの上に飛び乗った。
ふう、と一息吐いて、仰向けになったまま真っ白な天井を眺めた。
――平次のヤツ、何してるんやろか…今頃、どこに居るんやろか…
そんな考えばかりがぐるぐると頭の中を巡っていく。今度は大きな溜め息を吐いてから、寝返りを打った。
その時、ふと見たことのないものが視界に飛び込んできた。
和葉は何やろ、と思いながら起き上がって、『それ』のもとに足を進めた。
「何やろ、これ…」
『それ』は、机の閉じた引き出しに挟まったままの状態になっていて、直そうと思い、何も考えずに勢いよく引き出しを開けた。
開けた瞬間に、『それ』は、はらはらと下に落ちた。ぱさっと足元に落ちた『それ』をそっと拾う。
「これって…」
拾い上げた小さなお札のような紙の上には、見知った『名前』が書かれてあった。
しかし、どうして平次がこんなものを持っているのか、とは思わなかった。
そんなことよりも、『それ』を見た時に、平次がどこに行っているのか、という小さな小さな疑惑だったものが、一瞬にして崩れ去っていくのが解った。
まさか、と何度も思ったが、そんな訳ない、と思い直したばかりだったのに。その場所だけは、絶対に行ってほしくない場所だったのに。
だけど、もう疑惑ではない。「確信」に変わってしまった。
『それ』の隣に置かれてあったものが、更に強く確信に導くものとなった。
薄桃色の小さな袋。淡紅色に染まった桜の花弁が袋一面に咲いていて、綺麗な袋だった。
でも、見たことがない。明らかに女の子が持つようなものを平次がどうして持っているのか、という疑問がすぐに頭の中に過る。
しかも、中に何かが入っているようで、思わず手に取った。そんなに重くはない。ゴツゴツしているような感触もない。
中を覗こうか迷っていると、その袋の裏にシールが貼られているのに気付き、ひっくり返して、裏を見た。
「もしかして平次…」
これ以上、声が出て来ない。まさか、平次……
そのシールには、店の名前が貼ってあり、住所には『京都市』と書かれてあった。
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