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夢日記 ~よかった~

 オフィス街の大通りをまたぐ歩道橋の上で、私は会社へ向かう足を止めた。昨夜から降り続く雨は激しさを増し、傘を差していてもレディーススーツの肩に、すそに染みが増えていく。下方に見える道路も薄い水の膜が張っているかのようだ。車が通るたび、その膜が切り裂かれていく。

「そろそろ、ね」

 腕時計を確認する。既に始業時間は過ぎている。すぐそこに会社の入ったビルが見えてはいるが、走ったところで遅刻は間違いない。会社のある二階の窓際に嫌いな上司や、数人の同僚の姿が小さく見えた。

 制服姿の学生が器用に傘を差したまま、自転車でそのビルの前を通り過ぎようとした時だった。

 空気が震え、地面が揺れる。

 轟音が響き、黒煙が立ち込めた。

 自転車の学生の姿も、他の歩行者の姿も煙に覆われ、確認できない。

 辺りが騒然とし始めたのはややあってからだった。それもそのはずだ。何が起きたか理解できているのは私しかいないのだから。

「地震か?」「爆発?」「テロ?」様々に叫ぶ声が聴こえる。通い慣れた会社の窓が無惨に砕け散り、いまだ煙を吐き出し続けている。学生の乗っていた自転車が転がっていたが、すぐに野次馬の波に呑まれた。救急車をはじめとしたサイレンが耳に届き始める。それを確認すると、ゆっくりと私も会社へ、いや、会社だった場所へ向かった。


 警察に簡単に話を聞かれただけで、私は家に戻ってきた。テレビ番組だかなんだかわからない記者やレポーターもいたが、無関係を装ってその場を後にした。

「あなたは……運が良かったね」

 警察は遅刻で被害を免れた私に、気の毒そうに顔をしかめながらそう言った。

 ガス爆発で会社は砕けた。皆が窓際にいたのは、臭いに気づいて換気をしようとしていたためだったという。見知った社員の死傷もテレビが延々と報じている。テレビを消すとテーブルの上で、飲み残したブランデーのロックが音を立てた。

 ぬるくなったブランデーを口に含むと、私は鏡台の引き出しにしまってあるノートを取り出した。デパートの文具店で買った何の変哲も無い日記帳。

 だけど私の宝物。

 丁寧にページを開く。今朝、起きてすぐに書いた内容を確認した。


『会社がガス爆発で吹っ飛んだ。前を通りかかった自転車の学生が巻き込まれていた。ガラスが割れ、煙が出ている。セクハラしか脳の無い部長が窓際で吹っ飛んでいくのがわかった』


 寝起きの乱れた字で今朝の出来事が描かれている。そして最後はこう結んである。



  『三十分遅刻してよかった』



 私の見た夢を朝起きてすぐに書くただの夢日記。それはすべて『――してよかった』で締めくくられている。

 だけど、私はその一文を書いたことが無い。いつも夢を書き終わって日記帳を閉じる。そして再び開くと、その一文は付け足されているのだ。……間違いなく私の字で。

 そして私の夢は現実になる。『――してよかった』の通りに行動すれば、望み通りになったり、今日のように災いから身を守れたり出来るのだ。

 勿論、元はただの夢だから、視点が自分の時もあれば、俯瞰ふかん的に自分を見ている時もある。ただの予知夢というだけなら、何が起こるか分かっていても、それを利用したり、逃げたりはできなかっただろう。だけど私には『――してよかった』の一文がついてくる。この夢日記がある限り、私は幸せになれるのだ。

 ベッドで寝息を立てる恋人とも、この日記のおかげで上手く付き合えている。私が事故に巻き込まれたと心配した彼は、すぐに連絡をよこし、駆けつけてくれた。

 ほんの二ヶ月前、彼が私と距離を置こうとしたことがあった。独占を求める私の愛が彼には重荷だったのかもしれない。それを救ってくれたのもこの夢日記だ。


『彼が知らない女と食事している。お洒落なイタリアンだ。女が彼にかれているのがわかる。誘ったのも女の方からだ。悔しい。彼に電話したら家に寄ってくれた。お味噌汁を出したら凄く美味しいって喜んで、抱き締めてくれた。――――お味噌汁を作ってよかった』


 それ以来、彼はあの女に会ってないみたいだ。以前のように毎日私に会いに来てくれる。私のマンションに泊まっていくことも多くなった。そもそもお洒落が苦手な彼にイタリアンなんて似合わない。彼は少し散らかった家でお味噌汁を飲む方が落ち着くのだ。そして私の作った料理じゃないと駄目なのだ。

 そのページを見た後、私は静かに日記帳を元の引き出しに戻した。寝息を立てる彼の隣に潜り込む。

 今夜はどんな夢を見るだろう。幸せな夢だろうか、それとも悪い夢だろうか? どちらでもいい。私には『よかった』の魔法があるのだから……。




 いつもより早く目を覚ました私はまず日記を開く。時刻はまだ午前五時になっていない。隣で眠る彼も起こさないし、まだ着替えもしない。顔も洗わない。私は最初に日記を書くのだ。


『宝くじが当たった。会社はなくなったけど少しお金が出ると連絡もあった。お金に困ることはなくなった。嬉しい。彼も喜んでいる。一緒に海外にでも行こうかと誘われた』


 顔をほころばせながら日記を閉じる。今日の夢を書くのはさすがに手が震えた。唾を飲み込んで気持ちを静め、再び日記を開く。



  『早くからゴミ出しに行ってよかった』



 大急ぎで着替え、部屋のゴミ箱をかき集める。今日は燃えるゴミの日だ。その中に買ったまま忘れている宝くじが混ざっていないか確認しながら、ゴミ袋へ詰めていく。

「あ、あった!」

 捨てもせずに積まれたままだった古雑誌の間からいつ買ったかさえ定かでない宝くじの袋が出てきた。騒がしい物音で目を覚まし、文句を言う彼を省みず、新聞を取りに玄関へ走る。

「当たってない……」

 中に入っていた三十枚の宝くじは全て外れていた。見事的中どころか、かすりさえしていない。初めて夢が外れて唖然あぜんとする私に、彼は眠い目を擦りながら溜息をついた。

「なんだ、宝くじかよ。そんなもん、当たるわけないだろ。結果が出るまで、当たったらどう使おうかって夢を見て楽しむもんだ」

「でも……」

「なんだよ、まだ五時じゃねえか。俺はもう一回寝るよ。途中でやめないでゴミ捨てて来いよ」

 まともに取り合わず背を向けて再び眠る彼に怒りを覚えた。私の夢が外れるはずがない。『よかった』の魔法が間違うはずがない。この人はそんなこともわからないなんて……。

 三度みたび日記を開き、書いたばかりの内容を確認した。間違いない。宝くじは当たっている。『よかった』の魔法も消えていない。

「じゃあ、なんで……」

 呆然としたまま、ゴミ袋を捨てに表へ出た。足元が覚束おぼつかない。信じていたものが崩れ去るのは、私の全てを否定されたようだった。

 ゴミ捨て場に近づくと、既に何袋かのゴミが出されているのが見えた。ゴミ出しのルールを守らず、昨日の夜のうちに出したものかもしれない。

 私が袋を捨てようとすると、捨てられていた袋の裏から黒い影が飛び出してきた。

「ひっ」

 仰け反った私の足元を影は素早くすり抜けて行った。濁った鳴き声を上げながらその場を逃げ去ったのは、近所で問題になっているゴミを漁る野良猫だった。

「もう……驚いた」

 胸をで下ろして大きく息をした私の鼻を悪臭が突き刺す。さっきの猫の仕業だ。最初は見えなかったが、ゴミ袋には穴が開けられ、中のゴミが散らばっていた。コンビニの弁当の空き箱やインスタント食品のカップも散乱している。ゴミ出しのルールも守らず、食生活も偏っている哀しい暮らしがそこから見て取れるようだった。

 きっとあの男だ。二部屋隣に住む、太った不潔な住人の顔を思い浮かべる。あの男なら周りの迷惑を考えずにこういうことをするだろう。

 誰かに見つかって掃除を手伝うはめになる前に、自分の袋を出し、部屋へ戻ろうとする私の足を、ゴミ袋から覗く小さな袋が止めた。

 さっき雑誌の間で見つけた入れ物と同じ小さな袋。

 静まった胸が再度高鳴る。悪臭に眉をひそめながらその袋に手を伸ばす。袋は間違いなく、宝くじを入れておく物だった。これが確認もせずに捨てた原因だろうか、ラーメンか何かの汁がべっとりと付いている。

 嘔吐感に耐えながら中の数十枚の束を取り出す。十枚ごとに更に小さな袋に入れられているとはいえ、ここにまでその汚れが侵食し、悪臭を放っている。それも破り、き出しの中身だけを抜き取ると、穴の空いたゴミ袋の周囲に外側だけを投げ捨てた。

 部屋に戻っても胸の高鳴りは静まらなかった。私の手の中で数十枚の宝くじが握りつぶされている。臭いのついた手を洗いもせず、再び新聞を広げた。

「あ、当たってる……」

 薄々予感はしていたが、鼓動は一層速くなり、口の中がからからに乾いていく。心臓麻痺を起こす人がいるという話を聞いたことがあるが、本当なのかもしれないと思った。

 新聞の一等の欄に書かれた番号と、手元にある番号を何度も見直す。間違いない。一等が当選している。それもその前後の番号まで揃っている。総額で数億円……。

 七時過ぎにようやく起きて来た彼も、私の話を聞いてコーヒーカップを震わせていた。引きつったような笑顔を浮かべているから、まだ現実感がないのだろう。しかし新聞と当選くじを見比べると、彼は私にこの上ない笑顔を見せて抱きついてきた。

 まだ誰にも言うなよ、と言い残して、彼は浮かれた足取りで会社へ向かった。その姿を可愛いと思ったが、言うのはやめておいた。心のどこかに拾ったものという罪悪感があった。同時に、捨てられていたんだからいいじゃない、という自己弁護も。その葛藤が素直に喜ぶことに違和感を覚えさせていたのだ。

 昼前に受けた電話もその想いを強めた。勤めていた会社の親会社からだった。

「今度の事故で、一旦そちらの会社は閉鎖します。当社への勤務を希望されるなら、そのように取り計らいますが」

 小さな子会社を切り捨てても良かったのに、わざわざそんな手配をするあたり、人情味のある良い会社なのだろう。しかし、数億円が手に入るのだ。何も汗水垂らせて働くこともない。

 事故のショックもあるのでこれを機会に、と辞退する。先方は、退職金はさすがに肩代わりすることは出来ないが、補償金として気持ちだけ、と伝えてきた。やはり面倒見のいい会社だ。この不景気な時にそんな会社を辞めるのは少し勿体無い気もしたが、目の前の当選くじが私の気持ちを決めさせた。

 電話を切ると、会社の同僚たちの顔が思い浮かんだ。小さい会社ならではの一体感。私が助けようと思えば助けられたのかもしれない。だけど私の夢ではそんな場面はなかったから……。

 会社から帰ってきた彼はまだ地に足が付いていないようだった。いつ受け取りに行こうか、どう使おうか、そんな話に夢中になっている。夢の通り、海外へ誘ってもきた。でも結局、最後まで私の中の葛藤や迷いには一切気付いてくれなかった。


 その夜の夢はひどいものだった。私の小さな悩みが夢までをもそうさせたのだろうか。信じたくない、という想いを抱えながらも見た通りの夢を書き記す。


『彼が他の女の部屋にいた。あの女だ。隠れて付き合ってるなんて。大金が手に入るから一緒に暮らそうなんて言っている。私と一緒にいるのに。私の部屋を探し回っていた。私は部屋にいない。彼はくじを探しているんだと思う』


 再び日記を開いて付け足された一文は、彼を信じるかどうかの踏み絵にも思えた。



  『隠しておいてよかった』



 二日続けて泊まっている彼を叩き起こして、問い質そうかとも思う。でも夢で見たから、なんて理由で浮気を追及なんてできるはずがない。間違いないのに。彼は私を裏切っているのに。

 起きてもいつもと変わらない彼を、疑いたくなる感情と信じたい想いが交差する。だけど、夢で見たんだ。『よかった』の魔法も続いているんだ。

 彼が起きている前でわざわざ当選くじを引き出しにしまう。宝物の日記の上に。見ていないようで彼は見ているに違いない。

「今日、会社の後始末で出かけるから遅くなるよ。もし来るなら合鍵で開けて入ってね」

 会社へ向かう彼に、いつも通り笑顔で、けれどもわざとらしくそう声をかけた。

 彼の姿が見えなくなると、日記とくじを引き出しから取り出し、バッグに入れた。そして引き出しにしおりの先をわずかにはみ出させて閉める。もし彼がここを開けたら、栞は引き出しの中に完全に落ちるはずだ。落ちないでと祈りながら私は時間潰しに映画へ出かけた。

 陽が暮れると少しお酒も飲み、不安を振り払うように部屋へ戻る。映画の観過ぎで疲れた目を休めることはできなかった。部屋に彼の姿はなかったが、部屋の家具がことごとく不自然な印象を受ける。やはり彼は探したのだ。ばれないように元に戻したつもりなのだろう。だが、栞は完全に引き出しの中へ落ちていた。

 涙がにじむ。やはり夢は正しかった。『よかった』の魔法も解けていなかった。つまり彼は今、他の女の部屋にいる。そして「一緒に暮らそう」とあの女の髪を撫でているのだ。

 裏切られた。捨てられる。悔しい。憎い。

 彼への思慕が黒いものに変わっていくのが自分でもわかる。けれどもどこかで彼を取り戻したい気持ちも確かにあった。

「私を幸せにしてくれるんじゃなかったの?」

 バッグから取り出した日記帳に語りかける。勿論何も答えてくれるはずがないが、私はずっとそうしながら過去のページをめくっていた。ところどころ落ちた滴で染みができていく。それでも読み進めるうちに私の中には違う想いも生まれてきていた。

 やはり『よかった』の魔法はすごい。もしこれがなかったら私はどうなっていたのだろうと思うくらい、この『よかった』で私は救われている。幸せになっている。この魔法があれば私はもっと幸せになれるんだ。

 だけど気になることが一つあった。今日のページまで読むとまだ書かれていないページをめくる。

 残りのページは確実に減ってきている。このままだと後一週間も書けないかもしれない。新しい日記帳にも『よかった』の魔法は続くのだろうか。それともなくなったらもう終わりなのだろうか。

 彼を失うことよりも、日記を失うことが、『よかった』の魔法が解けることが怖かったのだ。


『彼があの女を抱いている。私の時よりも激しく愛している。女が妊娠したかもと言った。彼も嬉しそうだ。彼が私の部屋の前にいる。きっと別れを告げに来たのだ。ついでに当選したくじも持っていく気だ。あの太った男が部屋から出てきた。うるさいと叫んで彼を刺した。その後で泣き震えながらその男も死んだ』


 泣き疲れたのか、いつの間にか眠っていた。起きてすぐに今見た物騒な夢を書く。いくら憎いとは思っていてもそこまでしたいわけじゃない。かすかな望みにすがるように『よかった』の魔法を確かめる。



  『ドアを開けないでよかった』



 今日の『よかった』の魔法はいつもより冷酷に感じられた。だけど従わないと、私は幸せになれないんだ……。

 彼には今日は絶対来ないで、とメールを送った。明日から休日だからいつもなら彼は今日の夕方からやってくる。だけど来たら死んでしまうんだから。裏切られていても殺したいとまでは思っていないのだから……。

 だけど夢はまた現実になった。彼が来たのは夕方ではなく、夜九時を過ぎていた。彼は私の名を呼んで「開けて」「どうしたの?」と扉を叩いているのだ。

「いいから帰って!」

 私が叫んでも彼には通じない。私が怒っているとでも思っているのか、執拗しつように声をかけてくる。耐え切れなくなった私が彼の進入を阻むチェーンを外そうとした時、外の物音に変化があった。

――もう遅い

 私はチェーンを外すのをやめた。外で起こる惨劇がどんなものか知っている。彼もあの太った不潔な男も運命は決まっているのだ。罵声と泣き喚く声、そして苦しそうにうめく声が聴こえた。


 仕事も彼も失った私は実家に戻ることにした。本当に田舎で何もないところだが、『実家に戻ってよかった』とあったからだ。それからも夢と『よかった』の魔法は続いている。



  『料理をしないでよかった』



 夢の通り、鍋の油が燃え上がり、母は顔に火傷を負った。油を使うのはやめようと言ったけど無駄だった。



  『畑の草刈りを手伝わないでよかった』



 夢の通り、草刈り機の刃は父の足をえぐった。今日は畑に行かないでと言ったけど無駄だった。




 日記は最後の一ページだけが白紙で残っている。実家に戻った時に、残りは書かないで大事に残しておこうと思っていた。だが何故か起きたら夢を書き込んでしまう。そして『よかった』の魔法を確認するのだ。

 寝床に入りながらも私は眠る気になれなかった。今度寝たら確実に最後の『よかった』の魔法を使ってしまう。

 いや、そもそも本当に私は幸せになっているのだろうか?

 会社での評価は鰻上りになった。彼とも上手く付き合えた。命も助かった。大金持ちにもなった。怪我もしないですんだ。

 だけど……

 会社はなくなった。仲良くなった同僚を大勢失った。彼は結局裏切っていた。その上、本来宝くじが当たっていたはずの男に殺された。年老いた父も母も癒えぬ傷を負った。あの女も私が彼と終わっていれば、彼と幸せな生活を手にしていたのかもしれない。

 私は幸運に恵まれた。その分、周りは不幸になっている。「私だけ」が幸せになる魔法……。




 嫌な夢を見て飛び起きる。まだ外が暗いので夜は明けていない。

 だけど寝てしまった。夢を見てしまった。しかもあんな夢を――

 目を覚ました私は日記を書くことはしなかった。いや、できなかった。瞬く間に炎と煙が夢の通り、私の部屋へも流れ込んできたのだ。足の利かない父はもう間に合わない。そして炎に囲まれた私も……。

 既に紅蓮の炎は家屋全体を包み、その赤い舌を天に向けて伸ばしているはずだ。私にはそれがわかっている。もう間に合わないのだ。

 火をつけた犯人も知っている。あの女だ。彼が死んだのを私のせいだと思い込んでいる。

「自分だけ幸せならそれでいいのか」

 そんなことを叫んでいた。逆恨みもいいところなのに。今頃どこかでほくそ笑んでいるのだろうか。それとも彼を思い出して頬を濡らしているのだろうか。

 大きな音を立てて落ちてきたはりが私の部屋をふさいだ。夢ではこのあたりで目が覚めた。つまりもう……。

 妙に諦めのついた気分のまま、最期の時を私は日記を手に迎えようと思った。何故かはわからない。私の全てはあの日記の中にあるような気がしたのだ。それにもしかしたら『よかった』の魔法が助けてくれるかもしれない。

 気を失いそうな熱風と、目を開けるのも辛い煙の中、枕元の日記を手にした。書いてもいない最後のページを開く。やはり死にたくない想い、『よかった』の魔法がなんとかしてくれるのでは、という想いがあった。


 そこには最後の『よかった』の魔法が書かれていた。

 初めて見る私以外の誰かの筆跡で。

 ページ一面に大きな赤い文字で――




  『家族と一緒に死ねてよかった』



        了

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[一言] とても怖かったです! “『よかった』の魔法”で何度も助かりながらも、最期にどうにもできない状態に追い詰められてしまう恐怖。『家族と一緒に死ねてよかった』という死刑宣告に等しい言葉。  あるい…
[一言] 小説を拝見させて頂きました。 自分の幸せの為に他者を不幸にするねぇ。 作者さん、貴方だったらどうします? 人を不幸にしてまでも自分の幸せを手に入れますか? 因みに僕は、場合によります…
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