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第十八話 ナクシェ村へ(第一日夜2)

 池の内側にあった洞窟へ進んだのは私とファル、それにヒールダードさんの三人。

 誰も明かりを持っていないため、暗い。天井が開いている入り口から月と星の光が届くのが唯一の光源だった。こんなことになるなら、外用のランプくらい持ってきたのに。

 足元は水で濡れていて滑りやすくなっていたが、水があって困るなんて経験は、三人とも未経験であったと思う。

「サンジャルでなければ誰の命令だ」

 ファルはなおも厳しい口調で問いかけたが、ヒールダードさんは肩をすくめるだけだった。

「『魔神』を手に入れようとすることは、犯罪ではなかったと思いますが?」

「……」

 確かにそうだ。だがそれは、おとぎ話なので、法律で規制することではないという意味合いだが。

 ファルは、西の大帝国跡地の遺産はエラン王国の財産という考えに立っている。そういう意味では、国の遺産を勝手に漁る盗賊ということにはなりはしないか?だがキルスについては違っていたな。あくまで悪用するのでなければいいのか……。

「それにしても王子殿下、どうして薬が効かなかったんです?」

 ヒールダードさんはむしろ不思議そうに尋ねた。

「どんな毒を使ったかは知らないが、オレは、国王の唯一の息子だ。そのため、毒殺を避けるために昔から耐性をつけてある」

 なるほど。では、ナスタラーン姫が使おうとしても、実は効果はなかったんだな。

 サンジャル様もまた、薬の存在を知りながら動じていなかった理由が分かった。彼はファルには効かないと分かっていたから、その心配はしていなかったのだ。

「それは残念。いろいろとじれったいご様子でしたので、面倒事は避けてご側妃になさればよろしいと思ったのですが」

 しれっとした声で彼は言う。

 媚薬を使われたことは敢えて伏せていたというのに、自分から白状するような物言いに、私は眉根を寄せた。

 ところで側妃というのは、この場合私のことか?何を誤解しているのか知らないが、私とファルとの間柄は友人同士であって、彼の妃になりたいと考えたことはない。まして、彼は王妃一人しか迎えないと宣言しているではないか。

「毒というのは……」

 ファルは、ヒールダードさんではなく私に確認の視線を送った。

「ご禁制の薬です」

「では、あれは……媚薬か」

 苦々しい表情を浮かべて、ファルは呟いた。

「……なるほど、それで」

 口元を覆いながら、未だに香りが残る頭を振り払うようにして呟く。

「ロクでもない真似をしてくれたな。あやうく……」

「真実罠にかけようと思うのでしたら、あのような野外では行いません。泊まる宿も分かっていることですし、そちらに仕掛けましたよ?」

 ヒールダードさんはそう言った。

 

 洞窟の終点までは遠くなかった。

 外の光が届く間に、十年ほど昔のサマンが岩戸と呼んだ場所にたどり着いたからだ。

 岩と岩との間には隙間はなく、言われなければこれが扉かもしれないとは考えない。単に、行き止まりだと思うだけだ。

「よろしければ王子殿下が唱えてみてはいかがでしょう」

 ヒールダードさんの呼びかけに、ファルは驚いたような顔をした。

「おまえが呼びたかったのではないのか?」

「いえいえ、私の依頼人が望んでいただけです。その依頼人だって危険を冒してここに来ることは避けたわけですから、ならばここは現場の判断というやつで構わないと思うのですよね」

「望まないのか?」

「王子殿下は、おとぎ話の典型というものを、ご存じで?」

 ヒールダードさんは笑った。

「私の願いを敢えて口にすれば、金と権力ということになります。人間としての欲望に忠実な商人ですから。しかしながら、古来魔神なんていう存在に頼ってこれを手にしようとしますと、どんなしっぺ返しが来るか分からないんですよ。それよりかは着実に金儲けして立場を固めていく方が私の性に合っていましてね」

「……商人というのは、皆そうか?」

 いぶかしげにしたファルへ、ヒールダードさんは笑った。

「成功した商人、でしたらそうかもしれません。自分の成功は決して自分を裏切りません。ところが能力もないのに運だけで成功しますとね、商売相手に妬まれて、妻がヒドイ目にでも遭わされてはたまりません」

「……結婚してるのか」

「ええ。私がまだ新米商人のころから、成功を信じてくれた愛妻がおりますので。おかげさまで王宮への出入りも許されているとなりますとねー、今更魔神に頼るまでもないんですよ。それよりか、王子殿下、あなたのように後々の権力者につなぎを取っておくほうが有益なのです」

 ニコニコとヒールダードさんは笑った。

「オレが、薬を盛ろうとした男を信用するとでも?」

「事故ですよ。それに、合言葉を譲った時点で、王子殿下は私を信用してくださっていると思います」

 にこりと食えない男は笑っていた。

 

「『魔神よ、願いを叶えたまえ』」 


 ファルがそれを口にした瞬間、全身に毛羽立つような悪寒が走った。



 岩戸の開閉は、残念なことに感動するには暗すぎた。

 ゴゴゴゴゴ……

 静かに、それでいて重い音がして岩が左右へと開いていく。中央にひときわ黒い空洞が見え、おそらく通路が開いたのだと分かる。だがその向こうには一切の明かりが届かないため、足を進める気が湧いてこない。

 黒い空洞の中には、水があった。

 滝のように流れ落ちてくる水を背景にして、女性が一人佇んでいる。

 明かりがないため、ぼんやりとした人影しか分からないが、それはシルエットダンスで見えた姿と似ていた。

 ああ、これは池の水だと私は思った。

 媚薬の香りが溶けこんでいて、胸が悪くなりそうだ。

「ファル、息を深く吸いこまないでください。あの水の中に、薬が解けています」

 ファルよりも先にヒールダードさんが口を手で覆う仕草をした。愛妻以外に心を許す気はないのだろう。だったらこの薬が、どうしてご禁制なのか分かるだろうに。

 

『入ってきたのは、だぁれ。キルスじゃなさそうね』


 聞こえてきたのは女性の声だった。色っぽい響きの声だ。

 

「ま、魔神、なのか……?」

 ファルが口を覆いながらおそるおそる声をかけると、返ってきたのはコロコロとした笑い声である。

『違うわ。魔ではあるけど、神ではないの。わたくしが何者かは、誰も知らなくていいことよ』

 頭の中に響いてくるような声だが、私はふと気づいた。これは、エラン語でもペテルセア語でもない。シンドバッドが話していた言葉だ。

『花の香りをプレゼントしてくれるなんて嬉しいわ。でも、ゴメンなさい。魔神はキルスに付いていってしまったから、ここにはいないの』

 彼女はそう言って詫びた。

 どうやら魅了の効果が出たのではなく、単純に香りが気に入ったので姿を見せてくれたのだろう。

 魔神ではないそうだが、人間用の媚薬など効かないのかもしれない。

「それは、『魔神のランプ』のことか」

『ええ。黄金宮の王によってランプに封じられた魔神。そのうちの一つ』

「……?何人もいるのか?」

『魔神は一人よ。でもランプはたくさんあったの。どれが本物かは人間には分からなくて、それぞれ各地に仕舞われた。そのうちの一つがここに仕舞われていて、キルスが呼んだら運良く魔神につながったのよ』

「……ど、どういう……」

『つまり、……あら?』

 ふっと女性のシルエットが消えた。


 次の瞬間、岩戸の内部は光に満たされた。

 曇天が満天の星空に変わったかのように、一気に視界が明るくなる。その中央にいたのは予想通りの美女だったが、明るくなっていてもなお、影の姿に見えた。肌の色も髪の色も黒く、衣装までもが闇色をしている。

 岩戸の内部には、ガラクタが山になっていた。

 家具だの絨毯だの、様々な日常品が置かれているようだが、滝のように降り注ぐ池の水と、長い年月によってボロボロになっている。かろうじて姿を留めているものでさえ、触れれば崩れ去るのではないかと思うほどだ。

「な……」

 急に明るくなったので、ファルが戸惑った声を上げた。

 その横を、風のように移動して美女が距離を詰めてきた。

『魔神?』

 目を丸くして、美女が至近距離で覗きこんでくる。彼女は音もなく私の顔を両手で掴んだ。

「は、離してくださいっ」

 あまりのことに驚いて手を払おうとしたが、がっしりと掴まれて身動きができない。

 美女は美女だが、彼女はかなり大柄だった。

 身長は二メートルほどもあるだろう。美しい黒髪と美しい黒い肌。衣服もすべて闇色をして、音もなく気配もさせない。

 またその力は海の男たちよりも強い。

『似ているわ。本当に似ている。あなた魔神?そうなの?』

「ち、違います!何回か言われましたけど、人間です!」

『そうなの?でも本当に似てる。ほら見て、あなたのその赤い服を身に着けた姿なんて、まるで絵から飛び出してきたかのよう』

 彼女はそう言って、岩戸の中を一瞥して見せた。

 彼女が言っているのは、岩戸の中に飾られた一枚の絵だった。絨毯ではなく、壁に絵具で直接描いていると思われる古いものである。

 私が着ているのとよく似た赤い服を身に着けた少女が、黄金細工の椅子に座る王らしき人物の前で膝をついている。

 断っておくが、似ているかどうかは分からない。壁に描かれた絵は古すぎて、すでに色も剥げてしまっているし、少女は顔を伏せているのである。

『あれは黄金宮の王と呼ばれた男と、彼に仕えた魔神なの』

 彼女は言った。

「一つ聞きたい。魔神というのは、女性なのか?」

 ファルが口を挟んだ。

「オレは、西の大帝国の伝説にある魔神というのは、男だと……。それも大男だと思っていた。確かに、伝説のどこにも、魔神の性別など出てはこないが」

『魔神には性別はないわ。だから、必要に応じて男になったり、女になったりする。魔神のしもべであるわたくしたちの個性は決められているけれど』

 彼女は答えた。

『黄金宮の王に仕えた魔神は、彼の前では男になることが多かった。でも姫の前では女になることが多かったの。そうでないと、王も姫も魔神に妬いてしまうのだもの』

 くすくすと彼女は笑う。

『魔神はランプに封じられ、次はいつ、誰の前に現れてもおかしくない。でも分かっていることは、ランプに封じられた以上、ランプから出てくるだろうっていうこと』

 彼女はそのまま私の頬を撫でて、目を細める。

『そして誰かの願いを叶えようとしているんだろうっていうこと』

「あ、あの」

 あまり触らないで欲しい、と訴えようとした時である。

 岩戸の中はさらなる光の中に包まれた。


 それは、誰かの明かりだった。

 侵入者と思われる人物は岩戸の入り口にいて、そこでランプと思われる灯りをかざしている。

「すげえな、本当に岩戸を開けちまいやがった。これが王子ってもんか」

「王宮で着飾るだけが能かと思ってたんだけどなー。くくくくく」

 その声はいささか下品な響きを持っており、聞いている者を不快にさせるものだった。

 現れた人影は、合計三。否、足元に転がるものを入れれば四だ。

「何者だ!?」

 ファルが気色ばんだように叫んだが、今の彼は丸腰である。武器がない。とっさに腰に手をやろうとした彼は、それに気づいて小さく舌打ちした。

「分かってんじゃねえの?」

「そりゃもう。こういうタイミングでやってくるのは、お宝を欲しがる賢い連中だってことさ」

 先ほどからお喋りな二人は、そう言って岩戸の中へと進み出てくる。

 ターバンと外套を着けた、いたって普通の恰好の男だった。だが人相が悪く、砂にまみれた衣服は薄汚れている。

「あれが魔神かー。美人じゃねえか!こりゃ楽しそうだ!」

 どうやら男たちは、先ほどの女性の言葉は聞こえていなかったらしい。そう言って二人組の一人が影のような女性に向けていやらしい目を向けた。

「おいおい、美女なのはいいが、本体はどこだ?ランプがなきゃ、捕まえられねえんだろ?」

「そりゃ、ガラクタみてえなのがたくさんあるんだから、根こそぎ盗ればどこかにあるさ」

「無駄口は要らない」

 二人組がキョロキョロするのを、一人だけ黙っていた三人目が諌める。

「イイな。実にイイ……。欲しい」

 三人目は、うっとりと影のような美女を見上げた。

「い、いけません、王子、逃げ……っ」

 足元に転がった四人目がうめくのを、三人目が足蹴にして黙らせる。

 その時になってようやく気づいた。四人目はボルナーだ。おそらくは、三人組を抑えるために一人だけ外にいたのだ。だが、適わなかった。暗くてよく分からないが、怪我をしているように見える。大丈夫だろうか。

「『東のカシム』!」

 三人目の顔を認めたファルが叫んだ。

「そうか、笛はもともとおまえたちの持ち物だった。この場所を知っていたのか」

 ファルの言葉に、二人組は得意そうに口を開いた。

「おうさー、けど、俺たちにはこの岩戸は開けなくてな。そうこうしてる間に騎馬の連中に襲われたってわけだ」

「国軍の野郎め、こういう時ばっかり俺たちを目の敵にしやがって。役立たずのくせに」

「黙れ」

 『東のカシム』の頭目はお喋りな二人組を黙らせると、まっすぐに影のような美女の方へと足を進めた。

 ランプの光では今ひとつ確証はないが、彼らの目は魅入られたように美女へと向かっている。

 ……まさか媚薬の効果か?

 香水の香りは、未だに消え失せていない。岩戸の中へと進もうとする彼らに対して、美女は嬉しそうに笑った。

『たくましい殿方だわ。それに、いい目をしてる。欲望に忠実で、保身を考えていない目。本来、魔神に願いをかけるのはこういう男でなければいけなかったのよ』

「女、俺の元に来い」

「ちょいとカシム!ズルイぜ、ああいう美女を独り占めしようってのか」

「そうだ、そうだ。三人で平等にするべきじゃねえか。もう俺たちは三人っきゃ残ってねえんだ」

「無駄口を叩くような輩は要らん」

 言い争いをはじめた三人を、美女は楽しそうに見やった。

『ねえ、わたくしが欲しい?』

「欲しい!」

「欲しい!」

「欲しい」

『わたくしは魔神ではないわ。それでも?』

「関係ねえ!」

「どういう……」

「構わん」

『うふふふ。いいわ。では、わたくしの主になるための試練をあげる。見事にクリアできたら、わたくしはあなたのものよ』

 でもね、と美女は目を細めた。

『わたくしは影。実体のない女。目に見えることも、見えないこともある。決められた形のない存在。では、わたくしは、誰かしら』

 美女が言葉を切った瞬間、岩戸の内部は崩壊をはじめた。

 

 滝が動きはじめた。

 空洞を作っていたはずの空間が水で埋まっていく。

 ゴゴゴゴゴゴと激しい水音が、膨れ上がる。

 山になっていたガラクタが、みるみるうちに崩れ去る。壁を構成していた岩の間から、水が噴き出してきたのだ。

「マズイ……!岩戸が閉まるぞ!」

 いち早く叫んだファルが、私とヒールダードさんに視線を送り、出口に向かって走りはじめた。

 美女に目が眩んでいる『東のカシム』の三人は、異常に気付く様子もない。

 入り口に倒れていたボルナーの半身を起き上がらせながら、ファルは青ざめていた。

「申し訳ありません、ファルザード様……。足手まといの身はどうぞ置いて……」

「冗談でもそういうことは言うな」

 弱弱しいボルナーの言葉を一喝し、ファルは私とヒールダードさんが横を駆け抜けるのを待ってから岩戸を抜けた。


 岩戸が閉まるというのは、比喩でしかなかった。

 岩戸は閉まらなかったからだ。その代り、水によって完全に塞がれた。

 池の端まで走り抜けたすぐ後ろで、ガラガラと崩れ去る岩の音が聞こえた。『東のカシム』一味が持っていたランプの明かりはどこにもない。星明かりのみが照らす中、池は元のように闇の中に戻った。

 『東のカシム』一味の姿もまた、どこにもなかった。おそらくは水による崩壊に巻きこまれてしまったのだろう。美女の言うところの試練が何であったのか、私には分からなかった。最後の設問がそうなのか、あるいはこの水から生き延びろというのだろうか。

 すべてが失われた後、池は元とほぼ同じ形をしていた。

 地下空洞があったことなど、少しも気づかせないほど静かに、わずかに水面が揺れるだけだ。


「『東のカシム』を捕縛するチャンスを失ってしまったかもしれません」

 私がぽつりと呟くのへ、ファルが非難するような声で首を振った。

「それで死んでは意味がない。……ボルナー、怪我の具合はどうだ?」

「申し訳、ありません。腕が落ちたりはしていませんが、しばらく戦いの役には立たないかと」

「……どういう状態だ」

「おそらく骨が折れています。腕と足を、かなりやられましたので」

「そうか。切り落とされてなかったのは、幸いだ。三人相手によくしのいでくれた」

 いえ、とボルナーは頭を下げた。


 池の水から、媚薬の香りはもうしなかった。

 



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