第2章 旅立ち
翌日の朝、私は怒鳴り声で目を覚ました。
「起きなさい!あんた、何時の間に使者の方に取り入ったんだいっ!?あの子の足を引っ張るんじゃないよ!」
何事かと目を開けるのと同時に、首元を掴まれる。
目の前には、めったに見ないほど怒っている、いや、逆上しているライラがいた。
「き、昨日はごめんなさい。オリヴィアの綺麗な姿を一目見たくて、つい・・・」
「誤魔化すんじゃない!オリヴィアの大事な将来がかかってるんだよ!それをあんたって子は!」
話が噛み合わない。何か分からないけど、誤解されている。
とにかく、手を離してもらって話し合わないと・・・。
「私が、何か失敗でもしたんでしょうか?」
昨日の仕事を思い返してみる。万が一の事があってはと、当たり障りのない仕事しかしていないはず。
オリヴィアに関係することと言えば、宴の席で会話をしたくらいだ。
けれどその件に関しては昨夜すでに注意されており、もう済んだ話のはず。
「しらを切ろうたってそうはいかないよ!あんた、使者の方に自分も帝都に連れて行ってくれって泣きついたんだろう!」
その言葉に、思わず目と口をバカみたいに開いて固まった。
一体何をどうしたらそんな話になるのか?昨日ジルと二人で話していたから?
いくらオリヴィアが出て行くのが不安だからって、そんなことを頼むはずがない。
というか、そんな事は思い付きもしなかった。
「あ、あの、奥様、勘違いです。何かの間違いです。誓ってそんなことは考えてません!」
なんとか声を大きくして言葉にした必至の弁解は、火に油を注ぐだけだった。
「まだ言うか!」
首元を掴んだ手と反対側の手が振り上げられて、とっさに歯を食い縛って目を閉じた。
覚悟した痛みがいつまでもやってこなくて、私はぎゅっと閉じた目を恐る恐る開いた。
「女性の寝室だけど、非常識を承知で失礼するよ。フィリス、昨日に続いて君にまた謝らなければ・・・。」
振り上げられた手を掴んだのは、ジルだった。何時の間に部屋に入ってきたのか、全く分からなかった。
「放して!この娘は性根を叩き直してやらなきゃ、どうしようもないんですよ!」
「どうしようもないのはこの子ではないと思うが・・・こんな事をしている暇があるのかな?もうすぐ出立の時間だ。娘のそばにいてやらなくていいのか?」
オリヴィアの母は悔しそうに顔を歪めると、乱暴に扉を開けて足音荒く出て行った。
大きな音を立てて扉が跳ね返り、この間直したばかりの蝶番が外れた。
「・・・・・何がどうしたの?」
ぼうぜんとその姿を見送った私に、ジルは苦笑を返した。
「ここまで酷い受け止め方をされるのであれば、違うやり方にした方が良かったな。今更だが・・・」
そう言ってジルはキョロキョロと部屋を見渡した。
「狭いな。」
「そう?寝るだけの部屋だから。」
私の部屋は、村長の家の納屋の2階にある。
ここに引っ越す時に持ってきた布団と、何枚かの服があるだけ。
けれど、それで困った事はなかった。
「フィリスの物は、この部屋にあるもので全部?」
「?そうだけど?」
ジルは満足そうに頷くと、私の頭にポンと手をのせた。
そんなことをされたのは祖母が亡くなって以来始めてのことで、どういう顔をしていいか分からない。
「着替えたら出ておいで。外で待ってる。」
ジルはそう言うと、返事も待たずに行ってしまった。
階段を降りる音を聞きながら、手近にあった服を引き寄せた。
納屋の外に出ると、待っていたジルに近付いた。
ジルは笑顔になると、私の前に片膝を付いた。
「ジル、服が!」
「旅装だ。気にするな。それより、さっきは悪かった。実は、俺が村長夫妻にあるお願いをしたんだ。」
私の長い前髪を耳にかけて、ジルは私の手を取った。
「若い娘が1人で知らない土地、それも生まれ育った環境とは全く違う場所に行くのは不安だろうし、自然な自分を出せないだろうから、付き人として君について来て欲しいって。」
私が、オリヴィアについて?
・・・それで、やっと分かった。だから、あんなに怒っていたのだ。
どんなに綺麗な花でも、それに虫が付いていれば人は近づこうとしないだろう。
つまり、私はオリヴィアという花にくっつこうとしている虫というわけだ。
「それは、嬉しいけど・・・でも、ダメだよ。私じゃ、オリヴィアの邪魔になっちゃう。あのね、オリヴィアの幼馴染の女の子がいるから、その子に頼んだらどうかな?彼女なら明るくて気立てもいいし・・・。」
「俺は君だからこそ、来て欲しいと思ったんだ。フィリス、君が来てくれないのなら付き人は付けない。オリヴィアは寂しがるかもしれないけど。」
真剣な表情に戸惑う。
「それは、どうして?」
しかし、ジルはクスリと笑うと、
「それはね、俺しか知らない理由なんだ。」
そう言って立ち上がった。
「だから、それはどういう理由なの?」
「今は秘密。城に着いたら教えるよ。」
今は言えない理由とは、一体どのようなものなのだろう?
「というわけだから。もちろんこの話、受けてくれるだろ?」
疑問はあるが、オリヴィアが寂しがると言われては断り辛い。
「なあフィリス、難しく考えるな。もし城の生活が辛ければ、ちゃんとすぐに送り返してやる。だから、今は一緒に来てくれないか?」
真摯な声に、気がついたら頷いていた。
「・・・良かった。何か、ここから持って行きたいものはあるか?」
その言葉には、フルフルと頭を振る。
この村で、自分のものだと言えるものは布団くらいしかないが、さすがに持っていけないだろう。
服ぐらいは必要だろうが、その服を詰め込む袋もない。
「心配ない。服や靴は途中の街でそろえられる。特に大切なものがないのであれば、このまま行こう。」
・・・どうして考えてることが分かったのだろう?魔術師は人の心も読んでしまうのだろうか?
「あの部屋を見れば、大体の事情は分かるさ。さて、このまま行ったのではまた面倒になるかも知れないな。」
ジルは素早く指笛を吹いた。
少しの間をおいて、馬がかけてくる足音が聞こえてきた。
それに驚いてジルを見上げていると、ジルはおかしそうに笑った。
「見つかると面倒だ。行こう。お別れの挨拶をしたい人は?」
オリヴィア以外に仲のいい人は村にいないし、お世話になった村長夫妻には挨拶など逆効果だろう。
これまでの事を考えれば恩知らずもいいところだが、その分、オリヴィアに尽くせばいい。
そう思って頭を振ると、ジルは頷いて私の手を取った。
「馬に乗った事はあるか?」
「ない。」
「だよな。俺に掴まってたら大丈夫だから。」
ジルは身軽な動作で馬に飛び乗ると、馬上から器用に私の体を拾い上げた。
はじめて乗った馬は高くて、怖い。
思わずぎゅっとジルの服を握り締めると、安心させるようにお腹に回された腕に力が込められた。
「じゃ、行くよ?」
掛け声とともに、馬は軽い足取りで歩き出した。
村の中はシンとしていて、人影はない。みんな、オリヴィアを見送りに行ってるのだろう。
通り過ぎる村の風景に、不思議と何も感じることはなかった。
しばらくして馬に慣れて来ると、ようやくまともに話せるだけの余裕が出てきた。
「ねえ、オリヴィアはこの事知ってるの?」
知らないのであれば、なんだか押し掛けるようで申し訳ない。
「村長夫妻と一緒に話を聞いていた。よろしくお願いしますって言ってたから、了解したって事だろう。」
それを聞いて、ほっとした。
「城までは十日ほどかかる。今日は宿場町に泊まる予定だから、そこで色々必要なものを買おう。」
「・・・ジル、言いにくいんだけど・・・・・私、お金持ってないよ?」
街で買い物をするためにはお金がいる。それは知っている。
しかし村では物々交換がほとんどだし、お金というもの自体、実はまともに見た事もない。
「こっちの都合で来てもらったんだ。それくらい気にするな。」
「でも・・・・。」
「どうしても気になるなら、給金もらったら返してくれたらいいさ。」
「えっ、もらえるの?」
「そりゃそうだろ?別に遊んで暮らすわけじゃないからな。」
それは、確かにそうかも知れない。
私も召使いとして村長の家で働いていたけど、ちゃんと食べる物や衣服ももらっていた。
「フィリスは、村から出た事はないのか?」
それに頷くと、ジルは満面の笑みを見せた。
「じゃあ、楽しみにしてろよ。世界は広い。あの小さな村にいたら一生見れないもの、たくさん見せてやるよ。」
「例えば、何?」
「例えば今日泊まる宿場町はあの村の半分の大きさもないが、あの村の3倍は人間がいる。」
私は目を丸くしてジルを見つめた。
だとしたら、きっと街や建物は人で溢れかえっているのだろう。
狭くはないのだろうか?
「それに、竜王の住む城の敷地は村と同じくらいはあるな。」
「そんなに大きいの!?」
「ああ。何しろ、大陸の中心だからな。」
想像してみようと頑張ってみたが、全くイメージがわかなかった。
「色々なものを見て、色々な人に会うことだ。そうして外からあの村を見る事ができれば、今まで囚われていたものから解放されるだろう。」
ジルの言うことは、私には難しい。
何も答えられないでいる私に困った顔をするでもなく、ジルはただ笑みを浮かべていた。
それから、ジルは城の中の事を色々と教えてくれた。
城では召使いの服はみんな決まっていて、それは無料で支給される事。召使いの中でも役割があって、他の人の仕事は頼まれない限り勝手にやってはいけない事。
身分によって入れる場所と入れない場所があること。
召使いや衛兵以外の者、つまり身分の高い者には用がない限り話しかけないこと。
他にも色々あって、とにかく決まり事が多いらしい。
私が何か一つでも失敗すれば、オリヴィアの迷惑になる。
そう思って真剣に聞いていたが、だんだん頭が沸騰しそうになってきた。
「おいおい覚えて行けばいい。ちゃんとそういうことを教えて指導してくれる人がいるから、安心してくれ。」
そう言って、また頭を撫でられる。
「ほら、あそこが今日泊まる街だ。オリヴィア達は馬車でゆっくり来るから、まだ着いていないだろう。先に買い物を済ませよう。」
ジルが指し示した方向に、建物が建ち並んだ街が見えてきた。