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龍の物語

恋咲花

作者:高里奏
 一目見た瞬間、なんてかわいい子だろうと思った。

 幼いルーシュイは突然龍帝に沙羅双樹の木の下に呼び出された。また説教だろうかと少しどきどきしていたこともはっきりと覚えている。
 しかし、違った。
 堂々と歩く主の背に隠れたもじもじとした女の子。
 レイという名の彼女を露に会わせるために呼び出したのだ。
 涙は恥ずかしがって主の背に隠れ、時々ちらちらと露の様子を見ていた。
 なんてかわいい子だろうと思った。
 頬を薔薇色に染め、碧い透き通る瞳は恥ずかしそうに伏せられる。唇が何かを言い出したくても言い出せないともどかしい動きをしていた。
 この子をお嫁さんにしたい。
 もじもじする彼女を見て真っ先にそう思う。
「龍帝様、その子を僕のお嫁に下さい」
 そう言うと主は笑う。
「それは涙次第だな。見ての通り人見知りでな。だが、同じ歳だ。いい友達になれるだろう」
 彼はそう言って涙の背を押す。
「は、はじめまして……涙といいます……」
 薔薇色の頬が一層深く染まった。
 なんて愛らしい子なんだ。
 露の視線は既に彼女に釘付けだった。



「露様、そろそろ真面目にお仕事をして頂かないと困ります」
 大きく育った涙はいつの間にか露の身長を通り越し、随分と美しく育ったが少し小言が多い。人見知りは健在だが、露に対しては少しばかり厳しすぎる気もする。
「真面目だって。大真面目」
涙が小言を要っているのはたまりに溜まった報告書の件だ。
「そんなの無くたって困らないだろう」
 雨は降らせたし水害は抑えた。なにが不満なのかと彼女を見れば深いため息を吐かれる。
 そんな仕種さえ綺麗で、彼女を少しでも留めたいから報告書をサボっているのだ。
「露様がそのようでは新入りに示しがつきません。特にあのフォンと言う青年は元が不良なのですから露様のだらしないところを見習われては困ります」
 どうも涙は新入りを気に入らないらしい。
 あまり他人を悪く言う女ではないのだが、風に対しては特別厳しい。
 そもそも風は純血の龍だ。本来なら差別されることもないだろうに、元盗賊で龍帝の命を狙ったいかれた野郎ということで悪い意味で有名になってしまい涙に嫌われている。
 敬愛する主の命を狙った男が主に仕えることが気に入らないのだろう。
 だからこそ一層厳しくなるのだ。
「いいの。僕は。涙がやってくれるし。涙がご褒美くれるなら頑張ってもいいけど」
「仕事をするのは当然のことです。なぜ褒美を貰えるなどお考えなのか私には理解できません」
 ぴしゃりという涙に痺れる。そんな所がまた可愛いのだ。
「今日もすごく可愛いよ。涙」
「からかう暇があるのでしたらはやく報告書を仕上げてください」
 終わるまで帰りませんよと彼女は言う。
 なら、ずっと終わらせたくないと思う。けど、半年ぶりに会えたんだ。怒らせてばかりじゃなくて、楽しくお茶でもしたい。
「焼き菓子作ったんだけど、この後お茶でもどう?」
「なぜそのような暇があってすぐ終わる報告書が終わってないのですか」
 涙は心底呆れた様子を見せた。
「涙の好きな林檎のパイなんだけど」
 そう言うと、少し言葉を詰まらせる。涙は、露の手製の林檎のパイが一番の好物だと言っていた。しかし、彼女としては賄賂に屈するものかと言う妙に真面目な考えがあるのだろう。
「たまには、僕に買収されてくれてもいいんじゃない?」
「龍が賄賂に屈するなど、天下の民に示しがつきません」
「……貢物という賄賂で動いてるようなものじゃん。祈りだって、貢物が多いとこの方を優先させるんだし」
 信仰心と貢物、この二つが、龍の存在を保つために必要だ。本来ならば、天下の全ての民を平等に扱わなくてはいけないが、龍だって心を持っている。少しでも美味しいもの、いいもの、美しいものをくれる民を優遇したいし、毎日真面目に祈りを捧げるような民が居れば特別気にするようにもなる。
 涙がおかしいのだ。それは役目の差かもしれないが、彼女の前では何もかも一緒だ。
 祈っても、祈らなくても死ぬ時は死ぬ。ただ、死の前では皆平等。それを象徴するかのように、涙はどこの誰のためにでも泣く。
「涙がお茶に付き合ってくれるって言うならすんごい頑張るけど」
 そう言うと、涙は溜息を吐く。その仕種さえ、色っぽくて、彼女にどんどん惹かれていく。
「仕方の無い方ですね」
 今日だけですよと彼女が言ったのは何度目だろう。結局は、押しに弱い。
 そして、露は彼女のそんな性格をも利用している。
 手放したくない。傍に留めておきたい。
 本当は、毎日会いたいけれど、涙は天下に居ることの方が多いから、会える日はいっそう束縛したくなる。
 出来るだけ、他の奴のところに行かないように、仕事を溜め込んで彼女に監視させる。けれど、多分、仕事をちゃんと終わらせてた時に普通にお茶に誘っても、彼女は誘いに乗ってくれるだろう。寧ろ、そう言うときに誘った方が、機嫌がいい。
 分かっているのに、わざと、仕事を残して、呆れて小言を口にする姿を見たいと思う。
 口説いても、脈が無いなら、留めておく方法を探すしかない。
 本当なら、ちゃんと、正式な妻になって欲しい。
 今の露は彼女の恋人ですらない。
 千年ほど前に一度求婚した時は、気付いてもらえずに、素通りされてしまった。いや、千八百年前にも一回は求婚してたはずだ。その前にも何度か。
 ただ、涙はものすごく鈍い。遠まわしな言い方じゃダメだとこの長い付き合いで分かっている。
 しかし、近頃は好きだといってもはいはいとあっさり受け流されてしまうし、可愛いと言っても信じてもらえない。更に涙が必要だと言えばそうなる前に仕事を片付けろと説教を貰ってしまう。
 甘い雰囲気になることなど、全く無い。
 ただ、二人きりでお茶をするくらいしかできない。
 そのまま、もう一度求婚してみようかと思う。
 けれど、ずっと渡せずに手元にある指輪は、もう彼女の手には小さいだろう。
 出会った次の春に用意した彼女の瞳と同じ色の玉を使った指輪は、小さな少女の手にはぴったりだっただろうが、今の彼女には小さい。
 もう、こんなに時間が経ってしまったのかと思うと、少し焦りさえ感じるが、存外自分も一途なものだ。
 涙は多分、天下に好きな男でも居るのだろう。頻繁に降りるし、時々戻った時に妙に嬉しそうだ。先月なんか、何か小箱を大切そうに抱えて、うっとりしながら開いたり閉じたりを繰り返していた。
 気に入らない。
 そう考えていると、全く仕事の手が進まない。
「露様、真面目にお仕事をしていただけないのでしたら、お茶の約束は無かったことに致しますよ」
「待って、君があんまりにも綺麗だから見惚れてたんだ」
「……私はその手の冗談が嫌いです」
 涙はきっぱりとそう言って、少し苛立ちを見せる。
 ああ、またシンのやつに何か言われたのだなと思う。
 涙は昔から星が苦手だ。あいつは女癖が悪いし、涙に妙につきまとっている。
「星に何か言われた?」
「……お茶の誘いを断ったら、結婚しようって。あの方、私は結婚相手としかお茶をしないとでも思っているのかしら。いいえ、たとえ、結婚したって、あの方とは顔を合わせたくありません」
 涙は深い溜息を吐く。
「え? 星と結婚してもいいって思ってるの?」
「それが天の運命さだめなら。ですが、同居は出来そうにありません。あの方って、ほら、いつもとっかえひっかえ女性に声を掛けるでしょう? ああいう不誠実なのは相手の女性に失礼なだけじゃなく、あの方のためにもよろしくないと思います」
 涙は大真面目にそう言う。
 本気で星の心配までしているようだ。
「僕が可愛いって言う女は涙だけなんだけど?」
「露様はご自分が一番可愛いと常日頃から公言なさっておりますから」
「……じゃあ、僕の次に涙が可愛いって」
 確かに露は自分の外見にかなり自信はあるけれど、昔から自分が可愛いと言い続けているけれど、それと涙を可愛いと言うのはまた別の話だ。
 涙はありがとうございますと適当な返事をして、それから巻物を開く。
 次の仕事の予定を気にしているのだろう。休日だというのに、生真面目なやつだ。
「涙、休暇くらい仕事を忘れたら?」
「露様が忘れさせてくれないのでしょう? こんなに溜め込んで」
「こんなの、僕が本気を出せばすぐだって」
「でしたらすぐに本気を出してください」
 涙はまた、溜息を吐く。そんなところも好きだ。
 君に傍に居て欲しいだけだ。
 言えないまま言葉を飲み込む。
「だって、涙、冷たい」
 そう言いながら、硯に墨を注ぐ。
 ああ、筆を持つことさえ嫌だ。
 露はただ、涙と楽しくおしゃべりを楽しみたい。
「露様、いい歳してそんなことをおっしゃっても全く可愛気がありません」
 ぴしゃりと言い放つ涙に溜息が出る。
 どうも、露の外見が幼いせいか、同じ歳のはずの涙にまで子ども扱いされている気がする。
「僕、君と同じ歳なんだけど」
「ええ、そうでしょうとも。ですが、露様、ご自分の言動をお考えになって下さいませ。あまり、このようなことは申し上げたくはございませんが……仕事をサボるとは何事ですか」
 涙は一気にそう言って「サボる」などと言う若者言葉を使ってしまったと一人で沈んでいる。
 どうも、涙は頭が固い。しかし、そこを含めて彼女が好きだ。
「涙が結婚してくれるなら、一生懸命仕事するけど?」
 そう言うと、彼女はとうとう頭を抱えてしまった。
「露様、私はその手の冗談が嫌いですと何度言わせるおつもりですか」
「本気だって。君が好きだって何度言ったら信じてくれる? 僕は、君ほど可愛い女を知らないよ」
 そう言うと、涙は驚いたように目を見開き、恥ずかしそうに頬を染める。
「……る、露様……ですから、仕事をするのは当然であって、私に褒美を求める方が間違っています」
「あれ? 僕の求婚は無視? 本気で君を妻に迎えたいのに」
「露様がもう少し真面目に仕事に励んで、誠意を見せてくださるなら、熟考致します」
 涙はそう言って、自分の巻物に視線を戻してしまう。
「君は仕事ばかりだ」
「龍に生まれたなら当然です」
「繁殖も生物の役目だと思うけど?」
 涙は黙り込む。
 それから頬を赤く染めた。
「……か、からかわないで下さい」
「涙、結構むっつりだよねー」
 そう言いながら、墨に筆を浸す。
 どうせ適当に書いても、主は大して気にはしないだろう。
 さらさらと、簡易な報告を書き連ねていく。
 ちらりと涙を見れば、むっつりと言われたことを少し気にしている様子だった。
「僕さ、涙は結構淫乱だと思うんだよね」
「露様!」
 涙は顔を真っ赤にして露を睨んだ。
「図星?」
「もうっ、龍帝様の使用済みの品を集めるような変態にそのようなことを言われたくはありません」
「僕はさ、隠さず趣味全開だけど、涙ってこそこそ集めてるから、やっぱりむっつりだと思う。それに、君の蒐集物、媚薬もあるじゃん」
「わ、私は、ただ、薬そのものが好きなだけです。あの繊細な芸術を露様に理解して頂こうなどとは思っていません」
 涙は顔を真っ赤にしてそう言うと、すぐに視線を巻物に戻してしまう。
 可愛い。
 思わず笑ってしまう。
 きっと乱れるともっと可愛いだろう。
 それに、彼女が淫乱だと思ったのは事実だ。本人は否定しているけれど、きっと淫らな女に決まっている。
 普段真面目な分、一度落ちればとことん乱れるだろう。
 それに、きっと惚れた相手にはとことん甘える女だと思う。その相手が、露であればいいのにと思う一方で、実は彼女に嫌われているのではないかと言う不安がある。
 彼女の相手が誰であれ、きっと露は我慢できないだろう。
 ちらりと彼女を盗み見れば、既に澄ました顔をしている。
 少し冷たく見える目が、本当は情に厚いことは知っている。
 あの日、沙羅双樹の下で見たときから、彼女は何一つ変らない。
 照れ屋で、人見知りで、一度心を許した相手にはとことん尽くす。
 彼女の頬が薔薇色に染まる瞬間が好きだ。
 きらきらと瞳を輝かせて、好奇心を剥き出しにするところが好きだ。
 けれども、それ以上に、露に呆れて溜息を吐く姿が好きだ。
 なにせ、彼女にあんなにも深い溜息を吐かせることが出来るのは露だけだ。
「涙」
 声を掛けても無視されてしまう。
 ああ、かなり意地を張っているなと思う。
「天上天下のどこを探しても君より可愛い女はいないよ」
 そう言うと、冷静を装っているくせに、頬を染める。
 そんな彼女が可愛くて堪らない。
 一体、いつになったら露のものになってくれるのだろう。
 誰にも渡したくない。そんな気持ちが募るばかりで、彼女の心を捕らえるには、まだまだ時間が掛かりそうだ。
 急がないと、横取りされるのではないかと焦る一方で、今の距離を失いたくない気持ちもある。
 けれども、あの日、沙羅双樹の下で感じた気持ちに嘘は無い。
「涙を、お嫁さんに欲しい」
「……ですから、その手の冗談は嫌いです」
「……本気だよ。なんなら、イェン様の前で同じ事を言ってあげようか?」
 龍帝が認めれば正式な夫婦になれる。
「露様……」
 涙は困ったような表情を見せ、それから溜息を吐く。
「我々は天に仕える身ですことをくれぐれもお忘れないようにお願い致します。それに、私は、こう見えて忙しいのです。いつまでも露様のお相手はできません」
 涙は厳しい口調で言う。
 知っている。それが照れ隠しな事くらい。
「僕、諦めないから」
 頷くまで絶対つきまとってやる。
 龍の寿命は長い。涙の逃げ場を少しずつ塞いでいくくらいの根気を見せれば、涙も諦めて露のものになってくれるかもしれない。
 龍の恋は本能が告げる直感が全てだと聞く。
 ならば。
 あの日、涙をお嫁に欲しいと感じたのは、天の運命さだめに違いないだろう。

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