彼女はワガママを言わない、甘えない。
今日は阿笠邸のリビングのガラステーブルに開かれたままの『東京WALKER』が置いてあった。
「プラネタリウム特集」と銘打ってある記事には、東京圏内の科学館の写真と、簡単な上映会スケジュールが書いてある。
「行きたい」なんて照れがあるのか自分から言えない性質らしく、彼女が見つめるテレビや新聞だのからどこかしらに意思表示を見つけて俺は提案をしてみる、「これからシーパラに行くか?」なんて風に。
「……いいけど」とほんの少し顔を染めて頷く灰原を見て、可愛いな、とか微笑んでしまう俺はかなり重症だ。
「――工藤君」
雑誌をめくる俺の背後で、彼女の足音が聞こえた。
「おかえり、灰原」
ランドセルをソファに置いて、彼女は俺を見つめる。
「今から、その天文舘に行かない?」
白い細い指が雑誌を指差していた。
珍しい、と声には出さず、頷いて。
「ああ、いこーか」
「着替えてくるわ」
軽い足取りで地下室へ向かう彼女の後姿にちょっと違和感を覚えた。
車を出そうか? と言った俺に灰原が電車で行きたいと言ったので、俺は二人並んで座り帝都線に揺られている。
「電車ってのも久しぶりだ」
土曜日の昼下がりのローカル線はほとんど人が乗っていないから、幾人かのおしゃべりが車内に響くだけで、すごく居心地がいいもんだと思った。
「今日は帰ってくるの遅かったけど、居残りしてたのか?」
「ええ。動物当番でウサギの小屋を掃除してたの。名探偵さんは今日はお休み?」
「警部にはそう頼んでるよ」
苦笑して俺はポケットから出した携帯の電源を切った。
「外はいー天気だな」
江戸川コナンから工藤新一に戻れば、劇的に毎日が変わるものかと漠然と考えていた。
でも、現実はジェットコースターみたいに急降下も上昇もしない。
江戸川コナンだったときと同じように、隣には灰原がいて、それが何となく当たり前みたいに毎日が過ぎていく。
よそ行きのレースの白いワンピースを着た彼女と紺のスーツ姿の俺。
俺らの関係ってなによ?
こいびと同士は無理でも兄妹には見られたくないな、と灰原を盗み見る。
いやいや、恋人も何も俺は灰原に何にも言ってないんだった。
ただ気まぐれで出かけるような俺の態度を彼女はどー思ってるんだろう。
いつか、聞かれたらどう応えようか。「彼女はいないの?」とかさ。
「……ねえ、蘭さんってワガママ言うの?」
漫然と考え事をしていた俺は急に幼馴染の名前を持ち出されて眉をよせる。
「ワガママってどんな?」
「『一緒に帰ろう』とか?」
それは全然ワガママにはならねーよ。と心の中でつっこんで、彼女の基準があんまり小さいのに頬を掻いた。
育った環境が違いすぎる。
でもきっと否定しても彼女の中では、そんなことさえ《ワガママ》だから、言い出すことなんてないに違いない。
大体、コナンのときだって何も言わずにどちらかが待っていた。一緒に帰るのなんて普通だった。
「帰ろう」と言わなきゃ一緒に帰れないのは、それは互いが特別じゃないから。
「言うよ」
「そう」
「けど、灰原は言わなくていーよ。俺、待ってるし」
「こないだカサを持ってこられたのは恥かしかったわ」
「雨に降られちゃヤダろーっていう優しさですよ、灰原さん」
「ご親切に感謝してるわ」
くすりと灰原は笑って席を立って俺の顔を覗き込んだ。
「今日はね、まず駅前のプラントカフェでいちご豆乳ソフトクリームをテイクアウト。それを食べながら天文舘までぶらぶら歩いて、プラネタリウムを見て、それから夕食の材料を買って帰って家で食べるの」
ようやく、灰原の中で阿笠邸をすんなり「家」と言える時期が来たのだ。
ここに博士が居たら感涙に咽んでいるに違いない。「これってワガママ?」
ちょっと考えて俺は笑って首を縦に振った。
「ワガママだな。だって俺の意見がゼンゼンねーもん」
彼女の話は、まんまデートコースだ。
「――恋人にはワガママ言ってもいいんでしょう?」
そう言うと、辺りをキョロキョロ見てから、そっと俺の額にキスをした。
END。 |