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短編

デイズエンド・トワイライト

作者:
 細腕にすっぽりと収まったリュックサック。それが死出の旅路へ向かう彼女の、唯一の荷物だった。



 彼女が眠りを忘れてしまってから、明後日でちょうど三月が経つ。眠りを忘れてしまったというのは字義通りのことだ。私立の高等学校に備え付けられた寮の寝室で、ある夜、彼女は唐突に眠り方を忘れてしまったのだった。目を閉じ呼吸を深くしてみたところで眠気は一向に訪れず、ついにはむくりと体を起こすような夜――それが、もう三ヶ月も続いたということだ。けれども睡眠不足がもたらすような体の衰えはなく、むしろ日中に関して言うならば、規則正しく眠っていた頃よりもずっと意識が冴えているという。
 不可思議なことではなかった。彼女と同じ症例は、これまでにいくつも見つかっていたからだ。その訴えを耳にした医者が診断を下すのにも、さほど時間を要さなかった。
 すなわち不治であると。睡眠を放棄してからちょうど三月後、あなたは必ず命を落とすだろうと、一時間足らずの診察の後、予言者じみた声色で、医者はそう告げたという。



 私たちの故郷を目指す列車は、乗り継ぎをひとつひとつ成し遂げるごと、十年ずつ時を遡っているかのようだった。都市を出たときに乗っていた車体――角度にまでこだわって象られた最新鋭の機体、真白く塗装を住ませたその外観も、今となってはもう見る影もない。木製の椅子などは列車が跳ねるたびに小さく悲鳴を上げるありさまだ。私たちはそこにふたり、向かい合うように座りながら、窓の外の夜空を見上げていた。
「ねえ、……眠れなくなるって、どんなきもち」
 だから、気まぐれだった。手持無沙汰を紛らわせるための問いでしか。なにぶん私は彼女と親交を深めた記憶などなかったし、共通点と言えば同じ学校に通っていること、同じ故郷を出てきたこと、あとは同じ歳、同じクラスであることぐらいのもの――いったいそれが、どんな繋がりを保証するというのだろう? 私たちはイニシャルひとつ互いには名乗り合ったことがないし、よろしくとはにかみあったことだって、今まで一度もなかったというのに。
 けれどもこれが私から彼女への、初めての声掛けであったことは確かであった。彼女は眠ってしまいそうなほどに――冗談にもならない比喩だ――細めていた目をわずかにひらき、そうね、と一言。うっすらと笑む。
「世界が終わっていくのを見つめるみたい、なきもち」
「……ふうん」
 気のない相槌をひとつ打って、私はそっと目を逸らす。クラスの“妖精さん”である彼女のこと、とんちんかんな返答などお手のものなのだった。彼女は入学当時から教室の端で詩集の頁をめくり続けているような生徒であったし、私たちにとってみればそれは「いない」ことを放言しているのと同義であったから、彼女というクラスメイトの存在感は、事実、見えも触れもしない妖精のそれと同じだったのだ。
 だから、消えてしまっても構わないと、考えている。
 ――本音こそ口にしなくとも。
「想像できる? ひとつひとつ明かりが消えて、虫の声も聞こえなくなって。そうして紺碧に沈んでいった街を、わたしだけが眠れずに眺めているの。世界にたったひとり、取り残されたみたいな気持ちで」
「そう」
「もう一度朝日が昇って、みんなが目を覚ますまで。わたしはたぶん、誰よりも孤独でいるんだわ」
 透き通ったソプラノ。小指ではじいたシのフラット。ピアノの鍵盤上で舞うかのような声が、私の鼓膜をくすぐった。
 学校の寮を出てから先、旅程にはすでに丸一日を費やしている。その上道連れが道連れであるものだから、私の気疲れはすでに頂点に達していた。規則正しい列車の揺れは、やがて重い目蓋をゆるりと落としていく。
「……ごめんね」
 ――無理やり連れてきたりなんかして。
 早口で囁かれた謝罪の、その語尾が列車の足音に紛れていくのを、私はじぶんの寝息の向こうに聞いていた。



 彼女の願いはただひとつ。じぶんの親にさようならを言うことだった。
 ならばと同じ故郷を出てきた私を彼女の付き添いに選んだのが、担任の教師であったのか、彼女の病状を聞いた校長であったのか、私には結局、最後まで明かされなかったけれど――なににせよ、荒野に突き立った鉄の十字架を、私たちがふたり、無言で眺めているのはそういうわけだった。
 焼け焦げた地表はいまも変わらず、草木や花の影も形も見つからない。荒れ果てた大地に整然と並ぶものはいくつもの鉄十字ぐらいのもので、そこにさえ、刻まれた名前以外の違いはない。まばたきひとつで列の数を忘れてしまいそうな十字の群れの中、けれど、彼女の歩みが迷いを見せることはなかった。
 背負った荷物はかれらへの供物だろう、と踏んでいた私の予測は、ここですっかり外れることとなる。およそ数分、十字に向かい目を閉じていた彼女だが、両親に「おやすみなさい」を告げた際も、それから私を再度振り返るに至っても、結局、花の一輪としてそこに備えることはなかったのだった。
「いいの」
 と問いかけた私に、
「いいの」
 と返して、彼女はくるりと踵を返す。私たちの故郷であった荒れ地には、乾いた風が吹いていた。



 波打つように空を下りた濃紺の紗が、山裾までをすっぽりと覆ってしまうころ。私たちは無人駅のホームで、訪れる気配のない夜行列車を待っていた。かれがここにたどり着くとすれば、それは朝日が昇ろうとするころ――月が中空に浮かぶようなこの時間からすれば、まだ途方もなく遠いことは明らかであった。
「夢に見ていたことがあったの」
 ベンチに腰を下ろして、彼女。縋るように抱きしめられたリュックは、哀れぐにゃりと形を曲げてしまっていた。隣に並んだ別のベンチに寝そべって、私はゆるく首を振る。
「夢を見るような夜なんて、ここ三月はなかったくせに」
「それでも何度も見ていたの。だれかと――だれでもいいの、ずっと一緒に過ごせたらって。たった一日でも構わないわ、大勢でなくても構わない、たったひとりのことをひとりじめしていられたら」
「それが今日叶ったって? ……先生方にお願いをしてまで?」
 だとすればとんだ茶番だった。里帰りなどという大義名分を看板に、彼女は他人を傍に置きたかっただけなのだ。私でなくともかまわないような誰かを。
 彼女は切なげに瞳を揺らして、もぞりと体を揺らした。
「いいえ、これから。これから叶おうとしているの」
 わずかな物音。目蓋を閉じかけていた私の意識は、自然彼女に吸い寄せられる。一度も開かれなかったリュックの中に、彼女は指先を差し入れていた。――心中。を、直感した私だけれど、刃物の類には大げさに過ぎる荷物だ。闇の中で苦闘すること数秒、えいと一声、引き出されたのは、あろうことか真白の枕だった。
 あきれた、と思わずつぶやいてしまう。
「そんなものを持ってきたの、最後の最後に」
「最後の最後だからこそ――」
 ふたりでなら眠れるかもしれないから。
 かそけき声で言い訳をして、彼女は枕をベンチに下ろす。衣擦れ。小さく鼻をすすり。祈るように目を閉じて、薄紅の唇をしずかに開く。
「トワイライト」
「――?」
「そう呼ぶの。日が昇る前、夜明け間際の、空の色。わたしの孤独の終わり」
 ぬるい夜風が吹き抜けて、枯れ地の砂を攫う。彼我の区別もつかないような夜が沈黙に溶けていくにつれ、私の呼吸もまた、心音と一体になっていった。彼方に並んだ鉄十字は、もう紺碧に染まっている……。



 やかましく汽笛が鳴り響く。ほの暗い闇の中、私がゆっくりと目を押し開いたとき、隣のベンチには誰もいなかった。さやかな月光はとうになりを潜め、代わりに山の端には、くすんだ光の膜がうっすらと。
 ――トワイライト。彼女はあれを見ただろうか。
 彼女の孤独の終わりの姿を。
 そして世界の、始まりの色を。

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