彼女とは付き合って1年と少しになる。今夜は僕の家で、彼女が夕飯を作ってくれるらしい。
心遣いと私は料理ができるのよ、というアピールは十分に理解できたのだが、勝手に冷蔵庫をあさるのだけは勘弁してほしかった。
彼女が取り出したのはにんじん、じゃがいも、豚肉。僕は明日のメニューをにくじゃがにしようと決めていたから、これはあまりありがたくなかった。
「にくじゃが?」
僕は尋ねた。
「カレーよ」彼女は最後にやっと探し当てて中辛のルーを取り出した。「中辛しかないの?」
口調から察するに、彼女は怒っているらしい。
「甘口なら奥にあるよ」
「甘口じゃない。辛口を探しているのよ」
意外だった。辛口を好む女性は、今のところ2人しか知らない。
「戸棚のもっと奥にあると思う」
30分後に、簡単な辛口のカレーが出来上がった。彼女は自慢げな笑みを浮かべている。
「美味しいよ」
嘘ではなかった。でも、僕にはカレーに味の違いがあると思ったことはなかった。このカレーも、普段のものと同じだ。
「辛口が好きなの?」と尋ねて僕はじゃがいもを口に入れた。
「知ってる?カレーの味の好みで心理テストができるって」
僕は熱々のじゃがいもと口のなかで格闘していたから、答えるのに時間がかかった。
「いや、知らない。どんなもの?」
「男性の場合、甘口を好む奴はお子様。中辛はどっちつかずの優柔不断、っていうか平凡な人間。少なくとも嫌いにはなれないタイプ。で、辛口が男らしいっていうか、過激とかチャレンジ精神が豊富とかってタイプ。平たく言えば、珍しい人種」
恐らく、彼女は辛口の男性が好みなのだろうな。僕は気分によって違うが、かなりの確立で中辛を食べている。
「じゃあ、女性は?」
「甘口がぶりっ子。中辛は、真面目で結構どんな人とも付き合えちゃう。辛口のタイプは、大吉か大凶か」
「きみは大吉だよ」
これも嘘ではない。実際に僕は彼女の行動的なところに惹かれたのだから。
「ありがとう。あなたは中吉って感じ」
「僕が辛口タイプに見える?」
「いいえ、あなたは中辛よ」
彼女が平然とそう言ったので、僕はがっくりと水を飲み干した。
「でも、言ったでしょう?中辛な男は、好意は抱ける相手だって」
少なくとも、普通の幸せは手に入れられると分かった。
その彼女とはまた1年後ぐらいで別れ、僕は違う女性と結婚した。子供だって1人いる。男の子だ。
初めて彼女がカレーを作った。そこで、そのカレーが甘口なのだから困ったものだ。前の彼女が正しければ、僕の妻はぶりっ子か?
食べ終えると、携帯電話のアドレス帳を開く。前の彼女の電話番号がそこにある。別れて2年。まだ番号は変わっていないだろうか。
呼び出し音が数回なり、お決まりの女性の声に切り替わると思った瞬間、彼女が電話に出た。
『もしもし?』
懐かしく大人っぽい声に僕はまた惹かれそうになった。
「もしもし、僕だけど・・・」
『あら、あなた』
もはや彼女は僕に何の関心もないようだ。お互いに家庭がある。彼女は辛口派な男性と結婚した。
「僕がもう結婚したことは知ってるよね?」
『ちょっと待って。不倫のお誘いならお断りよ』
「いや、違うんだ。いつか教えてくれた、カレーの心理テストのことなんだ。実は僕の妻が甘口派なんだけど、それはやっぱりぶりっ子ってことになるのかな?」
久しぶりに突然電話をかけてきたと思ったら、そんなことか、とでも言うような雰囲気が電話越しに感じられた。
『簡単にぶりっ子と判断するのは良いとは思わない。あなたは私の提案したくだらない心理テストのせいで、大好きな妻に偏見を持つの?そんなカレーだけで好きになる訳じゃないでしょうに』
「だけど、君だって夫が甘口派だったらどうする?」
どうして僕は彼女に電話などしたのだろうか。徐々に後悔してしまう。
『それはそれで可愛らしいと思うわよ。あのときは簡潔に述べただけで、もっと色んな見方だってあるのよ。男性の甘口派は、一言で言えば子供っぽいけど純粋で気取らない心を持っているの。女性だって、甘口が好きな人が全員ぶりっ子とは限らない。別の見方をすれば、子供に合わせて甘口にしたって考えられる心優しい人だったりするのよ』
ああ、そうだったのか。僕は自分を愚かしく思った。まだ2歳の息子に中辛を食べさせる母親がどこにいる?
「どうもありがとう」
僕は純粋に感謝を述べた。
『いいのよ、これぐらい。じゃあ、また何かあったら連絡してね』
僕は電話を切ると、アドレス帳から彼女の番号を削除した。
次に何かあっても、彼女に相談することはもうないだろう。最後に、中辛が優柔不断だというのは、案外正しいのかもしれない。
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