第三話・「嫌だっていっても、逃がさねぇからな」
休み時間では話し足りなかったのか、昼休みの屋上に来てまで話は続いている。
三人でベンチに腰掛けた。
私は中央、左右に浩輔と、亜里砂。
二人には悪いけど、今という時間には、ものすごくわずらわしい構図。
「にしても、綾に好きな人か……」
子供の頃から野球一筋。野球以外には取り柄がない男が、青空を流れていく綿雲に向かってつぶやいた。しみじみとつぶやくその姿は、なぜが遠い日を思いはせるよう。
浩輔に面と向かって、アンタは野球以外はまるで駄目ね、と鼻で笑っても、おそらく浩輔はけろっとした顔でこう言うだろう。
――野球が出来るんだからいいだろ。
その証拠に、浩輔は野球にかけては野村悠と並ぶのではないかというほどセンスがある。多少幼馴染みのひいき目かも知れない……いや、ひいき目だと思う。きっとひいき目だ。
それでも、対外試合があると決まってサングラスをかけた厳ついおじさんがやってくることだけは確か。
彼らは遠くからスピードガンを浩輔に向けて、彼が投げるボールの球速を計っているのだ。これで、もし私たちが通うこの高校が、野球弱小校ではなく甲子園常連校だったりすれば、浩輔も野村悠のようにちやほやされるのだろうか。
「……すぐには信じられねぇな」
まるで何かを悟った仙人のように息を吐く。百八十センチという長身で肩をすくまれると、なんだか普通の人の二割り増しでバカにされているような気になってしまう。
「別にそういうのじゃないし」
吐き捨てるような、無感情で言ってみる。
「ふ〜ん、そうか……」
浩輔が煮え切らない声をこぼす。
太陽の下、シャツを押し上げる筋肉の張りは、その背中の強さも相まって浩輔を大きく見せていた。一見無骨な印象を持たれがちな体格。けれど、浩輔は持ち前の明るさを武器に、人懐っこい無邪気な笑顔で笑いかけてくるから、一瞬にして浩輔は他人から好印象を持たれる。
日に焼けた健康的な顔から除く白い歯は、その無垢な笑顔の力もあって、残念ながら芸能人並に写真映えしてしまう。
「でも、気になるんじゃないの? 相手はあの野村悠だよ? あんなに格好いい人が近くにいたら、私なら襲うな」
「襲うってな……襲われた方はご愁傷様」
言って、購買で買ってきたソーセージ入りのパンにかぶりつく。
浩輔の足下には、似たようなパンがあと五個、ビニール袋に入っている。
「あのね亜里砂……亜里砂は顔しか見ないわけ?」
「じゃ、綾は、顔以外にも見てるって言うの?」
私の弁当箱から、したたかに卵焼きを盗み取る亜里砂。
「質問に質問で返さないで。それに何度も言うけど、そんなんじゃないの」
「と言うわけですが、幼馴染み代表の浩輔からすると、そこのところどう思います?」
卵焼き満足そうに胃に収めた亜里砂が、レポーターの真似をする。軽く拳を握ったようにしているのは、マイクを持っているふりだろうか。
「ん〜……どうだろうな。綾には今までそういう話はなかったから、なんか驚いたというか、意外だ」
あご下に架空のマイクを突きつけられた浩輔が、考えつつ頭をかく。
「ほほう、ではやはり、綾嬢はこれが初恋と言うことですかな?」
うさんくさい口調で、亜里砂がさらに浩輔に詰め寄る。まるで核心に迫ろうという勢い。
「は、初恋だと!?」
慌てる浩輔。座っていたベンチがひっくり返りそうになる。
三人でベンチに腰掛けていたものだから、三人してひっくりかえりそうになった。
「あのさ、何で浩輔が驚くわけ?」
「いや、急に生々しい言葉が来たから。物心つく前から友達やってきた方としては、正直反応に困る」
「だから、何で浩輔が困るのよ!」
「いや、ほら、なんだ……あれだ、あれ」
眉間にしわを寄せて顔を近付けていく私に、困惑する浩輔。
「巣立ちの雛?」
「そう! それだ!」
亜里砂の助太刀に、浩輔がぽんと手を叩く。
「全くもう……困ってるのは私なんだから」
「困ってるの?」
「困ってるのか?」
「う……困ってない」
浩輔と亜里砂の声が重なり、それはまるでステレオスピーカーのように左右から聞こえた。
三人掛けのベンチの真ん中ってこれだから嫌だ。
こういうときは特に。
「浩輔、これってあれかな?」
「なんだ、言ってみろ亜里砂」
私の頭上を二人のやりとりが飛び交う。私はそれを無視して、さっさと弁当を口に運ぶ。
「初めての感情に戸惑う思春期の乙女?」
「…………く、くくっ」
無視。無視。
あっと言う間に私はご飯を完食。最後の卵焼きを口の中へ。
ご飯が冷たいのは仕方がないとして、卵焼きは塩加減が効き過ぎていた。亜里砂が卵焼きの感想を漏らさないのは、きっとそのせいだろう。
「綾、黙っちゃってどうしたの? 浩輔笑ってるよ? なんかがつんと言ってやったらどうなの?」
「亜里砂、お前裏切る気かよ! ……って、綾?」
最後の卵焼きを胃にたたき込んで、私は乱暴に弁当箱にふたをした。
「知らない。あんた達の妄想話について行けないだけ」
「綾……怒ったの?」
「…………怒ってない」
右から。ご機嫌伺い。
「綾、怒ったのか?」
「…………だから、怒ってない」
左から。ご機嫌伺い。
「だったら、もっと笑おうぜ。お前がそんな顔してると、調子狂うからさ」
誰のせいだと思っているんだろう。
どの口でそういうことを笑顔で言うんだろう。
「うるさい」
弁当箱をハンカチで包んで立ち上がろうとする。浩輔はそんな私の雰囲気を感じ取ったのか、白い歯を納めて急に真顔になると、私の手首を優しくつかんだ。
「……分かってるさ」
一秒早くても、一秒遅くても、私の手首はつかめなかっただろう。
そのタイミングを知っているのが、良くも悪くも幼馴染みだった。
「お前が恋じゃないって言ってるんだったら、それは恋じゃないんだ。そういうことだろ? 悪かったな、変な方向に盛り上げちまって」
「……うるさい」
これ以上突っぱねたら、なんだか私が悪者みたいに見えてしまう気がした。
「綾、私もごめん、あこがれの悠様の話題が出たから、ちょこっと自分を見失っちゃっただけなの」
三人の中をふんわりとした空気が流れていく。
この空気は仲直りの柔らかな風。
風は屋上を駆け抜けていく別のそよ風とワルツをし、太陽光に温かく撫でらている。
ここら辺で折れておくのも、悪くないかも知れない。
これ以上意地を張っても仕方がないこと。
いつまでもこだわったりしない。これが私たち三人のスタンダード。
私は浩輔の手が私の手首を離れていくのを見届けて、亜里砂に顔を近付けた。
「……ちょこっと見失ったって言った?」
私は親指と人差し指で、瞳をつまむような大きさに形作る。
「いや、ほんのちょこっとかな?」
亜里砂は親指と人差し指で、ご飯粒をつまむような大きさに改ざんする。
「いや、かなりだろ」
浩輔が大げさに両手を広げた。
「浩輔が、私を裏切った!?」
「さっきのお返しだ」
舌を出しておどける浩輔。
打ち合わせもしていないのに意気があったコント。
「……まったく、あんた達にはついて行けない」
私のため息は、浩輔にかき消される。
「ああ、ついてこなくて結構――」
ビニール袋はいつの間にか空。
浩輔はベンチから立ち上がり、背中を向けて歩き出す。翼でも隠しているんじゃないかと思えそうなほど大きな、しっかりとした背中。
指に付着したケチャップを舌でなめとると、ポケットに手を突っ込んで、肩越しに振り返る。
「――無理矢理、連れて行ってやるだけさ」
肩越しに悪戯っ子の笑み。太陽の光が浩輔をまぶしく見せる。
「笑いと堕落の世界に?」
私もベンチから立ち上がる。スカートを払って、ごみを落とす。
「いいや違うね。熱血と根性と汗、なにより野球が溢れた世界だ」
天に拳を突き上げる。マンガの読み過ぎに、私は苦笑い。
「わいせつ物陳列罪」
「今の会話の中に、わいせつなものがあったか?」
「綾は、浩輔の存在自体がわいせつだって言ってるんじゃない?」
ストローをくわえながらニヤリと笑う。牛乳パックがべこりと歪んだ。
「亜里砂……お前、いつか泣きを見るぞ」
「綾、助けて! 浩輔に犯される!」
背後から亜里砂が抱きついてくる。
「バ〜カ、誰が好きこのんでお前なんかを犯すかよ! 綾だったら考えなくも無いけどな!」
「ふ、ふざけたこと言わないでよ! 幼馴染みだからって言っていいことと悪いことが――」
思わず弁当箱を投げつけそうになる。
「お、やっといつもの綾らしくなってきたな」
「なっ……!」
顔が熱いのは、夏のせいに違いない。
「らしくなってきたところで、今日の夜、いつものやつ付き合えよ?」
「む……分かった」
怒って場の空気を悪化させたことを思い出し、私はおとなしく引き下がることにした。
「嫌だっていっても、逃がさねぇからな」
「……聞きようによっては、卑猥」
私の背中から顔を出し、亜里砂は浩輔に怪しい視線を向ける。
「あ、分かった? 今俺、意識して言ったんだよね」
「浩輔こそ、疲れたっていっても止めてあげないんだから」
腕を組んで、今度は私から挑発してやる。
そこは伊達にS顔と呼ばれていない私。浩輔は多少後ずさりながら、汗を一粒したたらせる。
「……こっちも聞き方によっては」
「へいへい、せいぜい頑張ります」
昼休み終了の予鈴が浩輔の声と重なっていた。
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