第二話・「恋は落ちるのもじゃなくて、するもの」
「ちょっと綾! 今、野村悠って言ったの!?」
ばん、と私の机に両手を叩き付ける。
教師さながらの熱弁は、休み時間に突入した教室中の視線を集めに集めた。
「言ったけど」
私は教室中の視線に愛想笑いを届けて、目の前で鼻息を荒くする友人――横峯亜里砂に眉根を寄せた。
亜里砂はさらにまくし立てる。
「野村悠って言ったら、県内で知らない人はなしの有名人だよ! プロも注目の逸材で、高校野球ニュースではそのルックスもあってか、もはや王子様状態! でもでも、実はその魅力は彼のツンデレ加減と言っても過言ではないとか!」
亜里砂の目が充血しているように見えた。なんだか、目の前に餌をつるされた競走馬みたい。
でも、私はそんなことよりも、亜里砂の口から飛び出した意味不明な言葉の方が気になってしまう。
「ツ、ツンデレって何……?」
「……アンタはツンデレも知らないの!? 時代遅れもいいところだよ?」
肩をすくめて、大きなため息をつく亜里砂。
なんだか侮辱されたような気分。
ちなみに、後に亜里砂から聞かされた解説によると、ツンデレというのは、生意気な態度が、あるきっかけで急にしおらしくなる、あるいは、本心では好意を寄せていながら天邪鬼に接してしまうこと……らしい。
こう聞くととても可愛いように思えてしまうけれど、それって現実に言えば迷惑なだけなのではないだろうか。私には良く理解できない現象が、今の日本では起こっているみたい。
「わ、悪かったわね……どうせ私は時代遅れですよ」
「うん、時代遅れで恋愛下手で背が高い」
「背が高いのは関係ないでしょ!」
「おっと……」
亜里砂が慌てて口をふさぐ。確信犯的に言ったくせに……。
「でも、恋愛下手は認めるんだ?」
「う、る、さ、い」
思わず拳を握りしめる私。
「ごめんごめん。でも、野村悠と会ったって、それってすごいことなんだよ? 綾はそれが分かってない!」
「そう言われたってさ……」
思い出してみると、確かに野村悠は常人離れしていたかも知れない。
普通の人なら、初対面は笑顔を心掛ける。たとえそれが作り物の笑顔であっても。
人間関係というのは、第一印象がとても肝心。だから、この高校に進学した当初は、とにかく当たり障りのない自分を心掛けた覚えがある。
私はどちらかというと不器用な方だから、本当に初対面には気を遣った。笑顔を作っている自分を、もう一人の自分が客観的に見るときがある程に。
知り合いから友人へ。その段階へ昇格するかしないかという微妙なクラスメイト達の会話の中。
人間関係って面倒くさいな。
上手く笑顔を作れているかな。
早くこの話終わらないかな。
意見が合わないけど、同意しておこう。
とにかく笑っておけばいいや。
などと人には聞かせられないようなことを考えていたことがあった。
話は飛んでしまったけれど、そう考えると野村悠のあの初対面にしてぶっきらぼうな態度はいただけない。
私でなくとも、良い印象は受けないだろう。良い印象は受けないだろうけど……亜里砂は例外のようだった。
会ったこともないのにここまで相手にのめり込めるのは、おそらくメディアの力なのだろう。 メディア、恐るべし。
「ねぇねぇ、悠様どうだった? やっぱり生は違う?」
「……様? 生?」
「綾の流行遅れの脳みそはどうでもいいの!」
亜里砂が私の肩をつかんで揺するものだから、私の視界は縦にぶれる。
揺さぶられる脳の中で昨日の野村悠の容姿をなんとか思い出す。
長身に、焼けた肌。短く切られた髪の毛に、切れ長の目。整った目鼻立ち。
俺、実はモデルなんだ、と言われたら、ああ、そうですかって素直に認めてしまいそう。
「ええと……」
私が言葉を絞りだそうとすると、亜里砂は餌を待つ犬のようにおとなしくなる。亜里砂、そこまで現金にならなくても。
「えっと……格好良かったかな……?」
「なぜに疑問文」
亜里砂が腕を組む。
あのぶっきらぼうな態度を容認するのが悔しくて、私はせめてもの対抗をした。格好良いと素直に認めてしまったら、野村悠に負けてしまったような気がしたから。
「ま、綾の審美眼には期待していないけどね」
「じゃ、聞かないでよ」
「いえいえ、さしもの綾嬢でも、格好良いと思える人物が登場したのかと思いましてね……」
怪しい笑みを浮かべて顔を近づけてくる。そのあからさまな言葉遣いはどうかと思う。
「そんなんじゃないってば。あくまで一般的に見てよ、一般的に見て」
迫ってきた長いまつげを押しやって、私はそっぽを向いた。
「綾の強情ぶりにも困ったものだよね……綾は密かに人気あるのに。長身だけど、均整取れてるし、足長いし、そのS顔だって好きな人はポイント高いし。何より実は性格可愛いし」
そっぽを向いた私の頬を、人差し指でつついてくる。
「亜里砂……それ、褒めてないでしょ」
「違う違う。せっかく良いもの持ってるんだから、付き合ってみればってこと。綾なら引っ張りだこだろうし、紹介するよ?」
いいように私の頬をつついてくる亜里砂の手をやんわりと払う。
「そういうの嫌なの。なんか、自分をだましているような気がして」
「そういう古風なところ、嫌いじゃないけどさ。いい、綾――」
明後日の方向を向いていた私の顔を両手で固定して、強引に面と向かわせる亜里砂。
「今時の恋は、落ちるのもじゃなくて、するものなの!」
妙に説得力のある亜里砂の言葉。
「彼氏だって、出来るんじゃなくて、作る時代!」
なんだろう、説得力の中に寂しさが見え隠れする。
亜里砂の言うことはもっともだと思う。
クラスメイトの口から飛び出すのは、大体が彼氏彼女の話題。まるで読み切り恋愛小説のように、大量生産されていく恋。一喜一憂して、その度に後悔しているはずなのに、また同じことを繰り返そうとする。
それはきっと楽しいから。
辛くても、それを上回る喜びがあるから。
だから、みんなそのジェットコースターに喜んで飛び込んでいくのだと思う。
「でも……私は……」
恋をすることが当たり前で、恋をしなければならないと義務づけられているような気がする。
根拠はない。主張できるほどの意思もない。
踏み出そうとする心をさえぎるものがある。
……本当に、恋は落ちるものではなくて、するものなのかな?
「まだ……よく分からない」
……亜里砂の言いたいことは分かるよ。
でも、本当にそうなのかな。恋はしなければならないのかな。
「おい、亜里砂。あんまり綾を困らせるんじゃねぇよ」
「あ、出た。野球バカ」
答えのでない迷宮に転がり込みそうになる私を、すんでの所で引き留める声がした。
「言ってろよ。綾には綾の成長速度ってのがあるだろうが、コイツはまだ第二次成長期なんだ。こう……長い目を持って待つ必要がだな……」
私をぞんざいに指さして、亜里砂をたしなめようとする。
「それ、綾のフォローになってないと思うけど」
「そうか?」
亜里砂のため息に白い歯を魅せて笑うのは、腐れ縁の幼馴染み、真田浩輔だった。
「よーく、分かったわ……」
私としたことが、声が震えてしまっている。
顔が熱いのはきっと、季節が夏だからだ。
そして今日はきっと、最高気温を更新する猛暑日のはず。
……私はそう思いこむことにした。
「友達って言うのは……出来るものでも、作るものでもなくて……選ぶものだってことがね!」
教室中が、浩輔と亜里砂を見てうんうんとうなずいていたのを、私はきっと忘れないだろう。 |