第二十四話・「応援してやれない」
浩輔の口から聞かされた言葉は、私を少なからず打ちのめした。
――俺、亜里砂と付き合ってるんだ。
その告白に返す言葉が見つからず、私は浩輔がバットを振る姿だけを黙って見続ける。
浩輔が何を思って私に告げたのか。私がいくら浩輔の姿から真意を探ろうとしても、浩輔のボールをはじく姿からは何も見つけることは出来なかった。
ただ、真綿で首を絞められるような、あってないような呼吸のしづらさがあるだけ。じわじわと酸欠に似た焦りが、私の心臓を責める。
「いつから……なの?」
それを聞いて何になる?
それを聞いて私の中の何が解決する?
次々にわいてくる疑問。
結局どの疑問にも答えが出ることはなく、疑問は私の胸の内ににわだかまるだけだった。
「一週間前から。練習が終わるのを待ってた亜里砂に……帰り際に告白された」
亜里砂は放課後になると、全ての予定よりも優先して浩輔の練習を観に行く。
毎日、私を教室に置き去りにし、手を振って教室を飛び出していく。
狭く深い私の友達関係。
亜里砂、浩輔を除いてしまえば、友達という友達はいない。クラスメイトという知り合いがたくさんいるだけ。自分を偽って、当たり障りのない会話に終始するだけの、上辺だけの友人がいるだけ。
教室にぽつねんと立っている私は、心の中を吹き抜ける風に身を震わせる。
……私は、実は誰にも必要とされていないんじゃないかって。
いつもよりも格段に広く感じる教室の中で、ネガティブな闇に支配されてしまう私。
亜里砂には他にも友人がたくさんいる。クラスの中でも明るい亜里砂は、黙っていても誰かに話しかけられて、すぐに楽しげな輪が出来上がる。そんなムードメーカー。
浩輔には信頼しあえる野球部員や、男女問わず友達がたくさんいる。あけすけのない率直な意見と、それを突き通すだけの力強さ。それでいて気取ったところはなくて、おどけてみせる調子の良さもある。頼りにされている。
二人はクラスから、みんなから信頼されている。必要だと思われている。
朝、二人のうちどちらかでも教室にいなければ、何で亜里砂はいないの、浩輔はどうしたんだ、すぐにそういった話になる。それでなくても、教室のどこかでは必ず二人の話題が持ち上がっているのだ。
そういえば亜里砂が……。
浩輔ってばあんなことを……。
そうして皆が二人を必要としているのが実感できる。伝わってくる。
その一方で…………私には何があるのだろう。
私がいなかったとして、私を誰が心配してくれるんだろう。話題に上してくれるんだろう。私がいなくても、浩輔と亜里砂はやっていける。
私以外の大切な友人達が、浩輔と亜里砂を埋めてくれるはずだから。
私がいる場所なんか、簡単に代替えがきく場所で、かつ重要性なんか無くて。
だから、浩輔と亜里砂は私のことなんか、すぐにでも忘れて楽しくやっていける。
…………でも、私は?
私は浩輔と亜里砂以外に、これといった友人はいない。
利害関係だけで成り立っている友人はいくらでもいる。
私が戦力になるから。私がいれば試合に勝てるから。
私の性格や、相性なんて実はどうでもいいこと。
私がいることで寂しさや、心の隙間を埋めるわけではない。
都合の良い、一言で言えば駒でしかない。代えのきく駒。まるで、宿題を見せてくれるためだけに存在しているお人好しのような。
そのときしか話しかけられない寂しい存在のような……。
…………嫌。そんなの嫌。
私には二人といるときのあの空気感が必要なんだ。
私は、無菌室でしか生きられない弱い動物。その無菌室を作り出せるのは、浩輔と亜里砂がいるときだけ。
どちらが欠けても、私は私でいられない。
空気感。それは私が私でいられる場所。
空気感。それは私が私を出していい場所。
「別にさ……俺も亜里砂のことは嫌いじゃないし、一緒にいても苦しくないから、告白にオーケーした。そのときの亜里砂がさ、なんか今までで一番嬉しそうで、柄にもなく赤くなってるんだ。俺としても……戸惑ったっていうより、亜里砂がそんな風に考えていてくれたことが、びっくりした」
我慢して。我慢して。
そうしたら戻ってくると思っていた。
「友達から恋人同士に変わるのって、なんか劇的な感じがしたんだけどな。俺も初めてのことだから、上手くは言えないんだけど、なんか結構今まどおりかなって……でもさ、そういうのって俺と亜里砂の中では違っててさ」
また休み時間のような、放課後のような、空気感が戻ってくると思ってた。
「亜里砂は亜里砂でべたべたしたいっていうところがあって、すぐに腕とか組んでくるし、くっつきたがるっていうか……ほら、アイツってそういうのにやたら積極的だろ」
恋人同士が何をするかなんか、今更いわれなくても知っている。
恋人同士でいる時間を大切にするっていうことも。
でも、それは二人でいる時間という意味で、私の存在なんて初めから除外されている。
恋人関係は、二人だけの空気感を作る行為だから。
そこに私のはいる余地なんて無い。私たち三人の空気感を作る必要なんて何処にもない。
「なんだか、そういうの、俺は苦手でさ。嫌なわけではないんだ。ほら……俺も男だし、さ」
傘立てにバットを入れる、からん、という金属音が私を呼び覚ます鈴の音のように頭に響いてきた。
教室の真ん中にたった一人寂しく立ちつくしていた私は、その音に気がついて慌てて目を覚ます。
現実に呼び戻された私は、慌てて浩輔を捜していた。ピッチングマシーンの赤いランプは消えていて、浩輔の打ち損じたボールが、バッターボックスの中に無様に転がっている。
「……ただ……それだけじゃない気がするんだ。なんか違う気がするんだよ。楽しいってのは分かる。事実、亜里砂には笑わさせてもらってるし、亜里砂といると飽きないし……その、ドキドキさせられることもある。……でも、なんて言えばいいんだろうな……楽しくしなきゃいけないとか、恋人らしいことをしなくちゃいけないとか、なんか、頑張らないとっていう強迫観念みたいなのが頭の片隅にあるんだ」
浩輔は少しだけ困った顔をして、私に歩み寄ってくる。
「俺にはよく分からない。恋人同士っていうのは、頑張ってすることなのか? 頑張って維持しなくちゃいけないものなのか? ふいに会話が無くなって沈黙したとき、その時間が焦りに変わるようなことが、恋人同士なのか……?」
首をぽりぽりとかいて、浩輔は言いにくそうに言葉を紡ぐ。
「俺は……そういうのって……違う気がするんだよ」
私の中でちりちりとしたものが生まれ始める。
……もしかしたら空気感が戻ってくるのかもしれない。
曇天の下、雨に打たれて顔をもたげた花が、むくりと起き上がる。
かすかな希望にすがりつくような、わずかに見えた光明を一心不乱につかみ取ろうとするような。
でも、その行為はどこか私に期待感を持たる一方で、一心不乱につかみ取るためには、何かを踏みつぶしていかなければいけないような、そんな代償関係がある気がして仕方がなかった。
「俺は、なんかそんなときに…………ふとさ」
でも、空気感が戻ってくるのなら。
「お前だったら、そんなことはないのかなって思ったんだ」
浩輔の困ったような、それでいて悲しそうな笑顔が私の心に入り込んでくる。
「ま、俺が言いたかったのは……それだけ。綾が野村悠と良い感じだってのは、分かってる。……でもさ、たまには俺の練習にも付き合ってくれよな」
おどけるように私の肩をぽんと叩いて、背中を向ける。
浩輔のポケットに入ったコインが、かすかな金属音を生む。
五枚のコイン。
それぞれのコインがこすれあって、互いを傷つけるような、少し乱暴な音だった。
「……うん」
私はうなずくことしかできない。
「お、噂をすれば……か」
亜里砂からのメールだろうか。浩輔の顔を携帯電話のバックライトが照らし出す。浩輔は、難しい顔をしながら短い文章をメールに託す。
「全く……アイツもとんだわがままだな。今から会えないか、だってさ。バッティングセンターに寄るって言っておいたのに……。そういうわけで、綾、今日はありがとな」
「私も、浩輔と久しぶりに話せて良かった」
収束の雰囲気が私と浩輔を行き来する。手のひらを振って浩輔を送り出す私。
「俺、何とか亜里砂と上手くやれるように頑張ってみるわ。恋人同士なのに、頑張るってのはおかしいな。別にケンカしたわけでもないんだし」
去り際、肩越しに笑う。
でも、その笑顔は一瞬で消えて。
「…………でも、俺は……何となく、お前の恋は応援してやれない」
「え……?」
手を振る私の手のひらが、枯れていく花のようにしぼむ。
「……ごめん、自分勝手なこと言って悪い。俺の勝手なわがままだから、気にすんな」
「ちょっと、浩輔……!」
浩輔の顔がなぜか痛みに溢れているように感じて、私はしぼんだ手のひらを伸ばそうとする。
「じゃあな、また三人で昼飯食おうぜ」
伸ばした手のひらは何をつかむでもない。
つかもうとしたものが何かも分からない。
走り出す浩輔の背中を、私はただ黙って見送るしかなかった。
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