第二十三話・「好きなのか?」
「あ、綾……この野郎……」
「失礼、こう見えても野郎じゃないの、私」
よろよろと立ち上がる浩輔を横目に、両替機を鍵で開ける。
どうやら、中のコインが底をついてしまっているようだった。コイン不足のランプが点灯しないことを見ると、センサーの故障らしい。どうりでお金をいれてもコインに変換されないわけだ。
「でも、この女郎とは言わないわよね、なぜか」
「ま、まぁな……しかし中学以来だな、お前のパンチをまともに受けるのは……本気になれば世界を狙えるんじゃないのか」
胃もたれしたサラリーマンのようにお腹をさすっている浩輔。
「狙えないわよ」
「また、良いところまでしかいけない病か?」
「良いところまでしかいけない予備軍かな。そこまで病んでないから」
ネットの中に入り、コインを入れるボックスを空ける。
牢屋の番人のように十数個の鍵を一つのリングに通しているせいで、なかなかお目当ての鍵を見つけられない。
屈んで何度も、差したり戻したり。
運が悪いのか、今日はすぐには正解の鍵にたどり着くことができない。
「いい加減、わかりやすくテープでも貼れよ」
「言わないで、分かってはいるんだから」
「分かっていてやらないのは、一番たちが悪いと思うけどな」
浩輔の言葉に歯がみする。
毎回、次こそはきちんとネームタグをつけようと思っているのだけれど、なかなかそれが出来ないでいる。
まるで夏休みの宿題を後回しにする小学生のよう。
それでなければ、勉強に集中できなくて中断、次の日早起きしてやろうと思って就寝するも、結局いつも通りにしか起床できなくて勉強が出来ずじまいになる……という、とにかくそんな感じ。
「あのさ……少し変わったか?」
ようやくお目当ての鍵に巡り会い、ボックスを開く。
投入口から先がぐらついていて何とも心許ない。
「そうね、少し油を差しておいた方が良いのかも」
所々さび付いたボックスの中からコインを取り出して数える。
「誰が機械の話をしたよ?」
唇を尖らせる浩輔を無視して立ち上がると、ネットの外で待つ浩輔の元へ。
「両替機にいれたのは千円? それとも二百円?」
「二百円だ」
手のひらを差し出す浩輔に、私は六枚のコインを渡した。
コイン同士のぶつかる甲高い音が、静かな夜によく響く。
「おい、俺が入れたのは二百円……」
目を丸くする浩輔。
「正直に言った人には色々と加護があるものでしょ?」
私は、謝罪の気持ちを込めて片目をつぶる。
自分でも似合わないと思うウインク。
久しぶりに幼馴染みと話すことが出来たのが、どこか私の心を高揚させているのだろうか。
もしかしたら、戻ってきた空気感にのぼせてしまっているのかも。
手のひらに載せられた六枚のコインを握りしめて、浩輔は笑みをこぼす。
「お前は池の女神かよ」
「腕っ節の強い女神なんていないけどね」
「だったら、戦乙女だな。オルレアンの少女……ジャンヌ・ダルクってところか?」
指を立てて珍しく知識をひけらかす浩輔に、私は舌を出す。
「残念でした、褒めたってこれ以上は何も出しません。それと、他の人には内緒だからね?」
「ああ、そこまで童話通りにするつもりはないからな」
コインをポケットに入れると、私の真似をしてウインク。
私はそんな浩輔の胸を拳でこずくと、浩輔は少しだけ戸惑うような顔をする。
「綾、何かあったか?」
「うん?」
傘立てからバットを取り出して、グリップを確かめる浩輔を見る。
「明るくなった。違うな……豊かになった、かな」
「そんなわけないでしょ、私はいつも通り……」
「変わったって言うよりは、変えられたのか?」
寂しそうな横顔でネットの中に入っていく。
ポケットからコインを取り出し、ボックスの投入口へ。
その顔は、今までの浩輔の中でも理解できないたぐいの顔だった。
「野村悠……会ってるんだろ?」
コインがボックスの中に入る音がして、赤いランプがともる。
止まっていた針が動き出すように、ピッチングマシーンが、ぎぎぎ、と動き出す。ゆっくりと回転するアームが白球をつかむ。
数秒後、溝のないタイヤのようにつるつるのボールが飛び出し、浩輔はそれを物の見事にはじき返した。
球速はバッティングセンター最速の百四十キロ。
初球からタイミングをあわせられる浩輔は、流石長年通っているだけのことはある。
「好きなのか?」
「ちょ、ちょっと……!」
戸惑い私を助けるように、次のボールが浩輔の前を横切ろうとする。
浩輔はそれを見逃さず、つぶさにボールを夜空へ運んだ。
ネットがなければどこまで飛んでいっただろう。
鋭く、力強く、怒気さえ込められているような打球。
「一昨日、帰りがけに田中おじさんにたまたま会ってさ。世間話のついでに聞いたよ。野村悠にバッティングを教えてやっているんだって? 仲いいらしいじゃないか」
ネットを突き破ろうともがいたボールがしばらくして落ちてくる。
なぜだろう、浩輔の言葉がすごく怖い。
いつもの調子で話しているはずなのに、そのオブラートの裏には刺々しい物がある気がして仕方がなかった。
でも、言葉自体はいつも通りで、朝見た芸能ニュースについて話しているような軽い口調。
良くも悪くも幼馴染みであることが、言葉の端々に震える琴線を感じ取らせる。
「うん……教えてる」
今の言葉を言うことでさえ、私はなぜかとてつもない勇気を必要とした。
前年比五十パーセント減の成績表を親に手渡すときのような、恐る恐るの心境。
私は知らず唇を噛む。
空気感が凍っていくような気がした。
温かくて、ぽかぽかして、タンポポ畑にいるような和やかだった空気感が、氷をまとい、息を白くさせるような空気感に変わっていく。
私の好きな空気感ではなくなっていく。
それがひどく悔しかった。
簡単に変えてしまえる浩輔が信じられない。
「優しいのか? 野村悠は?」
浩輔はこの空気感を感じているよね。知っているよね。
なのに何でそんな風に変えてしまえるの?
心の中でもう一人の私がそう叫ぶ。
久しぶりに感じることが出来た空気感なのに。
どうしてその空気感を長く感じていようとしないの?
「浩輔だって、亜里砂と仲良いから」
気がついたときには、私はなぜかそんな言葉を口にしていた。
「――俺、亜里砂と付き合ってるんだ」
全てを芯でとらえていた浩輔のバットが、初めて芯をかすめただけに終わる。
前に打ち返せなかったボールが地面で跳ねて、浩輔の背後に転がっていった。
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