第二十一話・「――俺は、絶対に勝つ」
「なんて書こうかな」
悠がポケットから出してきた油性ペンを受け取る。
口でキャップをくわえ、しばしの間視線を遠方に投げて熟考する。
遠くには、陸橋の上を、車と平行して電車が滑っていく風景がある。
反対側のグラウンドでは、ラジコン飛行機がアクロバット飛行。
八の字、宙返り、タッチアンドゴー……縦横無尽に飛び回る。
ラジコンの遙か上には群青色。
雲一つ無い極上の空。
さえぎられることなく誇らしげに笑う太陽が、まるで北風と争った童話を再現するかのようにさんさんと輝いていた。
蝉の鳴き声に抱かれ、少年達の無邪気な笑顔を見おろし、目の前の無垢な笑みを見つめる悠と見つめ合う。
この瞬間がなんだかとても心地よくて。
さっきまで熱さに溶けていた私が嘘のよう。
テストの時より真剣に言葉を吟味する。
「うん……決めた」
帽子のつばの真ん中に特大の文字を書き込んでいく。
力強く、どんなに汗まみれになっても、泥まみれになっても、ぼろぞうきんのように絞られて、強力な洗剤や漂白剤を使っても決して消えて無くならないように。
強く、しっかり、丁寧に、書き込んでいく。
「はい、終わり」
油性ペンを帽子で包むようにして、悠の手の中に押し込める。
悠は丸められた帽子をそっと開くと、私の書いた文字を読む。
「……絶対に勝って……か」
悠はその言葉を食い入るように見つめている。
私が思いついた言葉はそれだけだった。
気の利いた言葉でも、格言でも、ことわざでも、四文字熟語でもない。
単なる一つの感情をつづる言葉。
願いを描いた言葉。
「駄目……かな? やっぱり単純だったかな?」
私は悠の手元をのぞく。
我ながら下手な字だけれど、力強さだけは他の部員が書いたどの文字にも負けないという自信があった。
「……いや、これでいい」
悠の声には力強さがみなぎる。
何かを決意し、それに向かって歩もうとする意思の声。
「これ、で、いい……?」
で、に強いアクセント。
私は腰に手をやって、眉間にしわを寄せる。下からのぞき込むようにして悠をにらみ付けてやった。
意地悪な表情を作るのは得意な方だ。
愛想笑いなんかよりもずっと。
悠はそんな私の視線を真正面から受け止めて、新記録となる本日二度目の微笑みを浮かべてみせた。
「これがいい……違う……これでなくちゃ駄目だ」
炎天下の下だからだろうか、突然頭がくらりとした気がした。
長湯のせいでのぼせてしまったように、体中から熱がはい上がってきて、顔が沸騰する。
私はヤカンか。
そんな一人芝居すら出来そうにないのぼせ方だった。
「や……約束だから、守ってよね」
悠に背中を向けて、足早に歩き出す。
「知ってるか?」
悠の声を背中で聞きながら、ほてった頭を自分でとんとんと叩いて熱を追い出そうとする。
壊れた機械を動かすように、少し強めに頭を叩く。
痛みはあるが、熱はちっとも出ていってはくれなかった。
動悸も激しい。顔は腫れるように熱い。
なんだろう、これ……凄く恥ずかしい。
「何を?」
振り返らないで悠の声を待つ。
「生涯負けなかったピッチャーの話を」
「知ってる。バッティングが苦手なピッチャーなんでしょ?」
「そうだ……だけど、その話には続きがある」
サイクリングロードを連れ立って走っていく青年達。
女性のウエストほどもあろうかという太ももが上下する度に、自転車は風を切って加速していく。
私たちの横を通り過ぎると、遅れて爽やかな突風が駆け抜ける。
吹き付けられた風。ほてった顔には凄く心地が良い。
私は乱れる髪を押さえながら、悠を振り返った。
「続き……?」
悠は意味深な間を用意して、手に持った帽子をかぶった。
まるで戦地に赴く兵士のようだった。
帽子一つかぶっただけで悠のまとう雰囲気が変わった。
威圧されるぐらい、悠が一回り大きく見えた。
とても頼もしく思えた。
「そのピッチャーは、やがて優秀なコーチを得て、バッティングが得意になった。すると試合はどうなったと思う?」
私は首を振る。
答えは分かっていたけど、言葉は出なかった。
彼の……悠の力強い言葉が聞きたかったから。
良いところまでしかいけないと自分を押さえつける壁を、悠が突き破ってくれそうな気がしたから。
だから私は、悠の言葉を待つ。
「負けないのではなく、絶対に勝つようになった」
……分かった。
今、分かった。
なぜ、私の心臓が胸を叩くのかを。
ああ、そうなんだ。
私は悠に惹かれているんだ。
この強い引力に惹かれているんだ。
揺るぎない自信と、力強い言葉と、伸びた背中と、時々見せる彼の笑顔に。
訳も分からず顔を赤くして、身体を熱くして、言葉をうわずらせて、つい意地を張ってしまうのも……。
「――俺は、絶対に勝つ」
全部、初恋のせいなんだ。
|