第一話・「……少し、見ていていいか」
女子高生が二十時過ぎのバッティングセンターで、黙々とバットを振る光景。それは、何ともシュールな光景ではないだろうか。
……残念ながら、それは私。
両替機に千円札を投入すると、六枚のコインが受け取り口に滑り込んでくる。二百円で、このバッティングセンターでしか使えないコイン一枚になって返ってくる。千円札なら、お買い得感のある六枚に。常連客ならば、間違いなく迷わない選択肢。もちろん……いや、残念ながら私も千円札を投入する口。
人気の無くなった、閉店間際のバッティングセンター。
周囲に張り巡らされたネットはたるんでいて、各打席を仕切る金網は所々がさびている。私は傘立てに突っ込まれているバットを抜き取ると、金網の扉を押し開いた。百キロ、百二十キロを飛び越えて、百四十キロの上級コースへ迷い無く。
右打席に入ると一呼吸。
生暖かい空気が私の肺に入り込んできた。今日はきっと熱帯夜になる。黙っているだけで汗がにじんでくるは本当に嫌。私は胸元を引っ張り、少しでも涼しい空気を取り込もうとする。
「本当に、シュールな私」
コイン投入口に先程交換したコインを滑らせる。
まもなく、少し先にあるランプが点灯し、ピッチングマシーンがぎしぎしと動き始める。アームには白球が握られ、バネの力によって徐々に引き絞られていく。
一触即発と言ったら大げさだろうか。
いつも通りバットを長く持って、肩の力を抜く。
私の身体が、来るべき瞬間に向けて停止する。
アームから解き放たれる白球。
私は身体の軸を意識して、右足に体重を乗せる。このとき、頭を動かしてはならない。その理由としては、しっかりとボールを見ること、そして、軸をぶらさないこと。
白球の回転が私の目に飛び込んでくる。
つつがなく、体重移動に移る。
右足に乗せた体重を今度は左足へ移す。軸を意識しながら、デリケートな重心移動を心がける。身体は開きすぎず、腕はコンパクトにたたむ。
ここでの大振りは禁物。
アッパースイングは外国人選手に任せて、私はボールをきっちりと叩くように。上から下へ。迫り来るボールにミートすることだけを考える。
一連の動作。
軸、重心、体重移動。
それらは絶対にバラバラであってはならない。全てが全て一連の動作として、無駄なくつなぎ合わさって初めて、ボールを打つという快感につながるのだ。
風をまとい、スイング。
――手に、感触は残らなかった。
バットの芯が、うなりを上げるボールを的確に捉えたから。白球は夜空を切り裂いて、ぐんぐんと伸びていく。
その感触がとても気持ちいい。
たとえるなら……たとえるなら……。
……上手いたとえが見つからないけれど、とにかく針の穴を上手く通せたような感じで、すかっとするのだ。
ネットの箱庭を切り裂く、打球。
各所に備え付けられているライトの輝きの中を飛んでいく。満月の隣にはホームランと書かれた丸い看板。夏場らしく、夏の虫が喜んで火の中に飛び込んでいた。その合間を縫ってホームランの看板にボールは命中し、けたたましいサイレンが鳴り響く。
ホームランの看板に直撃すると鳴り響く喝采の音。
今の時間だと近所迷惑にしかならないかもしれない……反省反省。
猿でも出来るような反省もそこそこに、私は次のボールに備えようとする。
「…………誰?」
背後に人の気配を感じて、振り返る。
ホームランを告げる電子音が鳴り響く中、私はその人と目を合わせた。
短く切られた髪の毛と切れ長の目。二重まぶたは目に焼き付くように印象的で、どこか挑戦的にも見えた。白いワイシャツの上からでも、絞り込まれた体格がうかがえ、半袖から生えた両腕は、一目でそれと分かるぐらいに鍛え上げられていた。
加え、日に焼けた褐色の肌。間違いないく、スポーツをしている風貌。
そして、そのスポーツは間違いなく野球だと断言できた。一七〇センチの私から見ても、まだ大きい。一八〇センチは優に超えているだろう。だというのにモデルのように線が細く、均整が取れている。
ボディビルのように魅せる身体作りではなく、機能的な身体作りを心掛けているのだろう。
量より、質といったところだろうか。
「……少し、見ていていいか」
低い声で、眉毛一つ動かさずその男は告げた。私がその男を値踏みしている間も、実は次々にボールは放たれている。私に忘れ去れたボールが、寂しそうに私の前を転がっていく。
「べ、別に、いいけど」
腕を組んで、真剣な眼差しを私にぶつけてくる。私は見られていると分かったとたんに緊張してしまって、肩に力が入ってしまう。
先程のホームランはどこへやら、空振りに終わってしまった。
どんなことを言われるのか恐る恐る背後を振り返ってみるが、男は無反応。値踏みするわけでもなく、冷やかすわけでもなく、ただじっと私の方を見ている。
その真剣な眼差しをこっそり眺めていると。
「……次、来るぞ」
どうやら気がついていたみたいだ。
私は慌ててピッチングマシーンと対峙する。
もう一度、あのときと同じように。
大きく一をすって、肩の力を抜く。
心掛けるのは、軸、重心、体重移動。
来たボールを素直に打ち返すだけ。
ホームランは狙わない。コンパクトに。芯でとらえることだけを考えて……。
猛り狂う白球が、私の目の前を駆け抜けようとする。もちろん、黙って見逃すことはしない。白球が止まって見えると言ったら大げさだけど、今の私にはそれに等しいぐらいの集中力があった。
丁寧に、確実に。
バットに体中の力を流し込むような錯覚を見たあと、ボールは私の周囲から消え去っていた。 鋭い打球音に続いて、ライナー性の強烈な打球がネットに突き刺さる。
そのときの私は、見てくれたかしら、といわんばかりの自信満々の表情をしていたに違いない。
男の表情を見てやろうと振り返る。
「……本当に女か?」
……何か失礼なことを言いましたよ、この男は。
「あの、失礼ですけど。こう見えても、正真正銘女です。確かに見た目は、身長一七〇センチ、髪もすこし短いし、百四十キロも見事に打ち返しましたけどね!」
なにムキになっているんだろう、と思いつつも、私は夜のバッティングセンターで大声を出していた。
今日の数学の授業で痛い目を見て、それを今まで引きずってしまっていたのだろうか。
それとも、この変な巡り合わせに何かを期待してしまったからだろうか。
「確かに……女みたいだな」
王子と言っても過言のない端整な顔立ちが、無表情のままで私を値踏みする。上から下へゆっくりと。見せ物にされているようで、恥ずかしさと、怒りがこみ上げてくる。
……この男、得体が知れない。
ランプの消灯は、投球終了の合図。
男は最後に、ランプが消えたのを確認すると、鞄を肩に提げる。
失礼な言葉を訂正もしないで、この場を去ろうと歩き出した。
「…………それじゃ、また」
ぶっきらぼうな声を置き土産にしようとする。
また? またって言った、今……?
「ちょ、ちょっと!」
私は金網を飛び出して、通路を歩く男の背中に声をぶつけた。文句の一つでも言わなければ気が済まない。私のお腹にはメタボリックな脂肪よりも、怒りが満ちている。
「何様のつもり?」
「……野村悠……様」
「木村綾様!」
……って、何で反射的に自己紹介してるんだろう。
怒りの言葉がくすぶり続ける中で、私は乱されたペースを何とか落ち着けようとする。気を取り直し、改めて文句を言おうとするが、すでに男――野村の姿はない。
「一体何なのよ、アイツ! 野村って言ったわよね……野村……野村悠……様? 様はどうでもいいとして、どこかで聞いたことが…………あ」
それが、私と野村悠との出会い。
そう、彼は。
「西高のエースピッチャー!?」
プロも注目の逸材だった。
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