第十六話・「……教えてくれよ」
「――友達を傷つけるクズは、私が許さない」
今度こそ浩輔の手を払って、落ち付け、と言う浩輔をにらみ付けた。
自分自身が女であると言うことは分かっている。
いくら男勝りと言われても、限りはある。
身体の細さも、腕力も、浩輔はおろか普通の男性に及ばないことも知っている。
それでも、私は長い間自分を支えてきた、つちかってきた気持ちや性格だけには嘘はつきたくなかった。
友達を大切にすること。
女だから、男だから、そういう垣根を越えて、私は小さい頃からそうしてきた。
そうすべきだと思った。
「綾……」
亜里砂は私の友達だ。
高校に入学してはじめて知り合って、それ以来三年間、苦楽を共にしてきた。あっけらかんとした性格に翻弄され、困らされたこともある。数え切れない。
でも、それ以上に亜里砂と築いてきた日々には大切なものが溢れていた。
もしかしたら、亜里砂が悪いのかも知れない。
亜里砂の火遊びが原因なのかも知れないけれど、それも亜里砂。
その亜里砂をひっくるめて、私は亜里砂を好きになった。
誰が悪いのか、誰が正しいのかが問題なのではなくて、私は友達の力になりたかった。
誰が悪いのか、誰が正しいのかが問題なのではなくて、友達を守ってあげたかった。
亜里砂が間違っていてもいい、私は正しさの味方ではなくて、亜里砂の味方だから。
「先生には休むって言っておいて」
大事の前の小事、説教されようが、注意されようが構わない。
浩輔の手は離れた。私をとめるものはない。
「綾、やる気になっているところ悪いんだけど……そいつらならさ、お前の代わりに俺が昨日のうちにやっておいたからさ」
「やったって……」
「やるっていうか……ま、ちょっと、懲らしめてやったのさ」
ごまかすように頬をぽりぽりとかく。
そのとき、私は浩輔の拳が赤く傷ついているのを見つける。固いものを殴りつけたときに出来る、皮膚の裂傷。
拳のちょうど骨張ったところだけが傷つく、ケンカ特有の傷だ。
目をそらす浩輔と、浩輔の拳を見比べる。
「うん、浩輔が助けてくれたんだ。格好良かったよ」
亜里砂は照れたように笑った。恐怖を思い出してすくんだ身体も、浩輔の背中を見ることで力強く立ち上がっていく。亜里砂の浮かべる笑顔が、それを何よりも物語っていた。
「まぁ、その……相手があの亜里砂でも、褒められて嬉しくないって言ったら、嘘になるな」
亜里砂の素直な褒め言葉に、浩輔なりの照れ隠し。
「おいおい、綾……なんだよその顔は? 信じろって。昨日お前と別れてから、俺、買い物行ったろ? そのときに偶然通りかかってさ。間一髪ってやつ」
身振り手振りを交えて私を説得しようとする。
「浩輔が……?」
私は大事なことを見逃している。
「なんだ、疑うのか?」
「疑わない」
「だったら、問題ないだろ。お前が今更でていくことはない。この上、お前まで行ったら、あいつらきっと二度と立てなくなるぞ」
中学時代まで私に勝てなかった浩輔だ、私を褒めて言ったつもりなのだろうが、私にはそれ以上に懸念するべきことがあった。
難しい顔で頬を強ばらせる私を、亜里砂は見かねたのだろう。
よりいっそうの笑顔を咲かせて、私の腕を引こうとする。
「綾、分かったでしょ? だから、私は大丈夫なの! 綾、ほら、学校行こ」
二人の笑顔に惑わされない。私は、お腹に力を入れる。
「浩輔、野球はどうするの」
灰を静かに空気で満たし、
「問題起こしていいわけないじゃない!」
一気に爆発させる。
「傷害事件になったら、アンタは野球が出来なくなるんだよ?」
浩輔の努力を見てきた。小さい頃から、ずっと。練習に付き合って、キャッチボールの間に、夢を語り聞かされた。
「せっかく、毎日毎日……努力してきたのが水の泡になるんだよ?」
新人王、最多勝、最優秀防御率、メジャー移籍、オールスター出場……何度も何度も。
それがたった一つの事件で砕け散ることになる。
大切な時間のほとんどを、遠回りに費やさなければならなくなる。
スポーツ選手は短命。
一分、一秒とて無駄には出来ない。
経歴だって大事、ましてや有望選手の傷害事件などマスコミの格好の餌だ。
暴力沙汰で甲子園を辞退する高校だってある。
マスコミは常日頃から、そういった事件にアンテナを張り巡らせているのだから。
浩輔を案じ、歯がみする私の目をしばらく見つめた浩輔は、視線をそっと横にずらし、小さく言葉をもらす。
「……だったら、俺はどうすれば良かったんだ?」
私に助けを求めるように不安げだった。
「……教えてくれよ、綾」
こんなに大きい身体で、こんなに強い力をもっているのに、どうしてこんなに小さい声……。
「亜里砂が囲まれてるの見つけた。路地裏につれて行かれるのを見た。……その瞬間、俺は野球と友達を天秤にかけたんだ」
頭を横殴りにされたように。
視界が揺れた。
感情が揺れた。
「そのとき、なんか知らねぇけど……野球じゃなくて、友達が勝っちまったんだよ」
浩輔には、これ以上何も言えない。
亜里砂を助けること、野球に人生をかけること。
友達と、夢。
事件に遭遇した浩輔が、悠長にその二つを比べている時間なんてないはず。本当にとっさに、浩輔は決断するしかなかった。目の前の小さなことをあえて見逃して、遠くにある大事なものをつかむ……そんな大人びたお利口な決断を浩輔は……いや、私たちはきっと出来ない。
そこまで、割り切れないし、大人になれない。
だから、浩輔にはこれ以上何も言えない。
「野球が恋人のはずだったんだけどな」
自嘲気味に鼻で笑う浩輔と、責める私の間に、亜里砂が小さい身体で割って入った。
「浩輔に何かあったら、私が責任を取るよ! ほら、私ってこんなんだし、日頃の行いってやつもあるからさ、私から誘った……とか何とか言えば浩輔のせいじゃなくなるよ、きっと。目撃者は私と浩輔しかいないんだから……だから、私が責任を取るよ」
「馬鹿なことを言うな、そんなふうになったらな俺がお前を守ってやる、殴ったのは俺だ」
私を置き去りにして、意見をぶつけ合う二人に、私は打ちのめされるようにつぶやいていた。
「アンタ達……何馬鹿なこと言ってるの? 何馬鹿なことを言ってるのよ……」
予鈴なんて、聞こえなかった。
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