第十五話・「ちょっとだけだから」
「亜里砂も少しは気を遣えよ。いくら好みのタイプがいなかったからって、さっさと切り上げてくることはないだろーが」
「自分の欲望と、意思には素直なの私」
浩輔の隣で笑う亜里砂。浩輔と並んで会話しながら、胸を張ってみせる。
浩輔はそんな亜里砂の様子に胸をなで下ろしたのか、目前に迫ってきた校門に目をはせて、ぼそり。
「アー・ユー・ゴナ・ゴー・マイ・ウェイ……ってところか」
「へー、浩輔レニー・クラヴィッツ知ってるんだ、意外」
……ちなみに、私は知らなかった。
レニー・クラヴィッツとう名前ぐらいは知っていたが、そのレニーさんがどんな曲を作っているのかも、ロックなのかヒップホップなのか、はたまたカントリーであるかすら知らない。
それ以前に、浩輔が洋楽を聴いていることすら知らなかった。
「あのな、俺だって洋楽くらい聴く」
心外だ、と言わんばかりに肩を落とす。
ため息は、朝の通学路に広がった。
「浩輔は、六甲おろししか聞かないんだと思ってた」
「俺のことはこれから鉄人か、アニキと呼んでくれ」
ワイシャツをまくって力こぶを作って見せる。
子供一人を、いや二人ぐらいを余裕でぶら下げられるような、鉄棒のような腕だった。
亜里砂はそんな浩輔に少しだけ嬉しそうに微笑んで、
「じゃなきゃ、Xジャパンの『紅』とか、山本リンダの『狙い打ち』とか、岩崎良美の『タッチ』とか……」
「その曲は、甲子園のバッターボックスで聴くことにする」
アルプススタンド応援席から、バラスバンドの演奏と応援団のかけ声が押し寄せてくる。
浩輔はまるでそれらを思い描くように、空に目を細める。
各塁を埋めるランナー、スコアボードに並べられたゼロ、熱気で揺らめく外野の天然芝に、汗を拭う相手ピッチャーに、バッターボックスに立つ自分自身。
夢を夢で終わらせないために、積み重ねられてきた努力。
浩輔が浩輔であるための存在証明。
それらを総動員して、浩輔は空にあこがれを描く。
「……誰も分からないと思うよ、その野球ネタ」
延々と続きそうなやりとりを断ち切るような形で、私が二人に釘を刺す。
どうやらその釘が、浩輔を現実の世界へ繋ぎ止めておく、くさびとなったようだ。
「……ったく、世間は野球に冷たいよなー、俺だってダルビッシュみたいに格好良ければなー、根回しして俺のあだ名を浩輔だけに、コーくんにしてもらえないかな……そうすれば少しは知名度があがるはずだ!」
唇を尖らせたと思ったら、今度は不平不満を口にし始めた。
私は話が横道にそれ始めていることに気がついて、慌てて浩輔の腕を引っ張った。
「思いっきり二番煎じ……って、胸なんて張ってる場合じゃないでしょ!」
浩輔は危うくバランスを崩して転びそうになり、亜里砂は私の強行に少なからず驚いていた。
私はそんな亜里砂の肩に優しく手を置く。
「亜里砂、そいつらには何もされなかったの?」
「あ……うん、ちょっとだけだから」
亜里砂の基準は分からない。
親指と人差し指でつくられた、ちょっと、という幅が亜里砂を襲った暴挙の程度を、どのくらい示しているのか分からない。あてにならない。
でも、私は見た。
ちょっと……そう亜里砂が言った瞬間、彼女の身体が強ばっていたことを。
私が触れていた肩が、ぶるっ、と身震いしたことを。
亜里砂の瞳の中におびえの色が広がっていくのを。
亜里砂はバックを持っていない左手で自分の胸を押さえる。
まるで幹部をさする病院患者のように。
そう思ったときには、私の手は亜里砂から離れ、身体は校門とは逆の方向に歩き出していた。
「お、おい……綾!」
私の中から色が消えた。
代わりに、真っ赤な溶岩が身体を流れ出す。
「離して」
浩輔が大あわてで追いつき、私の二の腕をつかむ。問答無用で振り払おうと力を入れたが、浩輔の力にはあらがえなかった。
西高の奴らに絡まれた亜里砂も、こんな風に身勝手な男の欲望の力あらがえなかったのだろうか、と思うと私の血流が熱暴走を始めた。
「……そいつら、潰してくるから」
「今からかよ」
浩輔は怒りに我を忘れそうになる私とは正反対に、落ち着いている。
校門の近くとあって、登校してくる生徒も多い。好奇の視線も考慮してか、浩輔はそれほど真剣な表情は作らずに、声だけで私を止めようとしていた。
「そう今すぐ」
激情が、私を突き動かす。
「悪いけど、私、友達傷つけられて黙っていられるような人間じゃないから」
「綾、私なら大丈夫だから」
亜里砂が微笑む。そのあまりにもはかなげな瞳をさらして。
「落ち付けって、綾」
「落ち着いてなんかいられない」
二の腕を締め付ける浩輔の握力。意地でも行かせないと言うつもりなのだろうか。
「――友達を傷つけるクズは、私が許さない」
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